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割り出したロケ地を今昔対比した画期的なサイト「仮面ライダー ロケ地大画報」【連載:アキラの着目】

仮面ライダーロケ地大画報(運営者:yart先生)先日のニッポンニュースでも少し触れたが、今年は様々なものの記念すべき年。

ウルトラマンシリーズは55周年、仮面ライダーは50周年の年なのだ。

その仮面ライダーをまた取り上げるのだが、なんと今回は仮面ライダーのロケ地を紹介した専門サイトがあるのだ。

その名も「仮面ライダー ロケ地大画報」(サイト運営者:「yart先生」さん)。

仮面ライダーロケ地大画報(運営者:yart先生)
仮面ライダーロケ地大画報(運営者:yart先生)

当時の仮面ライダーの映像等からロケ地を割り出し、当時のロケ地と現在のロケ地とを今昔対比させて紹介しているという、よくぞここまで証してくれたと仮面ライダーファンならば誰でも思わず涙する(?)ほど感謝したくなる、極めてマニアックで画期的なサイトだ。

以下、「仮面ライダー ロケ地大画報」からの画像の引用となるが、「元の作品の権利、肖像権を侵害する物では無く、作品を120%楽しむ為の一つの手引き」(「仮面ライダー ロケ地大画報」自己紹介文から)として、筆者も引用させて頂くことをご了承下さい。

1.南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤(川崎市多摩区) ~第01話「怪奇蜘蛛男」より

仮面ライダー第01話「怪奇蜘蛛男」 @南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤

仮面ライダー第01話「怪奇蜘蛛男」 @南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤
仮面ライダー第01話「怪奇蜘蛛男」
@南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤

2.寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区) ~第4話「人喰いサラセニアン」より

仮面ライダー第4話「人喰いサラセニアン」 @寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区)

仮面ライダー第4話「人喰いサラセニアン」 @寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区)
仮面ライダー第4話「人喰いサラセニアン」
@寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区)

3.台場公園(東京都港区)~第04話「人喰いサラセニアン」より

仮面ライダー第04話「人喰いサラセニアン」 @台場公園(東京都港区)

仮面ライダー第04話「人喰いサラセニアン」 @台場公園(東京都港区)
仮面ライダー第04話「人喰いサラセニアン」
@台場公園(東京都港区)

4.学園通り(稲城市坂浜)~第05話「怪人かまきり男」より

仮面ライダー第05話「怪人かまきり男」 @学園通り(稲城市坂浜)

仮面ライダー第05話「怪人かまきり男」 @学園通り(稲城市坂浜)
仮面ライダー第05話「怪人かまきり男」
@学園通り(稲城市坂浜)

ここまで正確にロケ地を割り出せるには、写真・映像・資料の読み込み&分析、Googleストリートビューでの事前調査(?)、現地調査のための日程等の手配(交通機関・宿泊施設等)、等々、膨大な時間と金額を要しており、仮面ライダーを心から好きでないと務まらないし、このyart先生に勝てる仮面ライダーファンや仮面ライダーマニアは世界中どこを探しても存在しないだろう。

気が遠くなるようなロケ地分析作業や現地調査には、本当に頭が下がる思いだ。

仮面ライダーのファンやマニアを自称する人は、必ずこの「仮面ライダーロケ地大画報」にアクセスすべし!

「仮面ライダーロケ地大画報」にアクセスしていない仮面ライダーファンや仮面ライダーマニアはモグリだ。

■仮面ライダーロケ地大画報
https://tourofancientbattlefield.blogspot.com/

■ロケ地大画報 公式Twitter @yartsensei
https://twitter.com/yartsensei

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

地方都市を彷彿とさせる昔の渋谷に感嘆、写真展「昭和30年代の渋谷」、6月13日まで開催中!【連載:アキラの着目】

空の低い、見慣れぬ駅のモノクロ写真が使われているポスターが目を引く。

そのポスターに打たれた文字を見ると、次に飛び込んでくるのが「渋谷」の2文字。

え~っ、このモノクロ写真の駅は渋谷なのか!

写真展 昭和30年代の渋谷 から引用
写真展 昭和30年代の渋谷 から引用

建設中とはいえ、確かに渋谷駅そばを横断する高架の道路は国道246号線だ。

筆者からすると、こんな”お宝写真”をポスターにいきなり使っちゃっていいの、という心境。

もっと出し惜しみすべきなんじゃないの、とすら思えてしまうくらい、今では決して観ることのできない渋谷駅だ。

こうした昔懐かしの、でも筆者も含めて昭和30年代に生まれていない人間にとっても、どこか温かみを感じるような風景の渋谷がこれでもかと展示されているのが写真展「昭和30年代の渋谷」(開催場所:白根記念渋谷区郷土博物館・文学館)だ。

この写真展「昭和30年代の渋谷」はタイトルの通り、前回の東京オリンピック大会(昭和39年)を契機に激変した昭和30年代における渋谷の街並みを写真で紹介している。

昭和30年代当時における渋谷の写真と現在における渋谷の写真を見比べながら、渋谷の今昔変化を実感してみよう。

【写真展 昭和30年代の渋谷 詳細】

・開催期間:2021年04月17日~2021年06月13日
・開催場所:白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(渋谷区東4-9-1)
・入館料:一般 100円(80円)/ 小中学生 50円(40円)
     ※()内は10名以上の団体料金
     ※60歳以上、障害者の付添い人無料
・問合せ:03-3486-2791
・アクセス:渋谷駅東口都バス日赤医療センター行(学03)「国学院大学前」下車徒歩2分、ハチ公バス「郷土博物館・文学館」下車すぐ

■白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
http://shibuya-muse.jp/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part14~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第14弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.虎ノ門

虎ノ門(文化庁前)

正解は虎ノ門。

小林清親が描いた明治初年の虎ノ門で、洋風建築物は旧工部大学校の校舎。

今は同じ場所に文化庁東館が建つ。

外堀通りはその名の通り元々は江戸城の外堀だったところで、その外堀を埋めて道とした。

明治初年であれば外堀は”健在”で、水面に逆さの工部大学校校舎が映っているわけだ。

A2.御茶ノ水

御茶ノ水

正解は御茶ノ水。

この明治期における御茶ノ水の写真は有名。

この川は言わずと知れた、江戸城の外堀の役目も持つ神田川。

一見すると、自然な河川だが、この神田川は人力で掘られて造られた「人工物」。

徳川家康江戸入府の頃は、左右の陸地が繋がった駿河台で、2代将軍・徳川秀忠の命を受けた伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことにより湯島台(写真左)と駿河台(写真右)とに分離されたのだ。

A3.新宿東南口

新宿東南口

正解は新宿東南口。

古い写真は昭和30年代に撮影されたもののようだ。

平成になったかならないか頃まで、この新宿東南口は変わらず、若い頃の筆者の記憶では、ガラの悪いパッとしない場所だった。

古い写真の180度正反対の側に、ヤクザ映画専門の映画館があったのも、この地のガラの悪さに拍車をかけてた。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

虎ノ門の今昔

虎ノ門の今昔

御茶ノ水の今昔

御茶ノ水の今昔

新宿東南口の今昔

新宿東南口の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part13~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第11弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.芝公園・赤羽橋付近

芝公園・赤羽橋付近
正解は芝公園・赤羽橋付近。

建設中の東京タワーから、東京タワー周辺の場所というのがわかるかと。

さらに道の曲がり具合を知っている人ならば、増上寺裏手の芝公園、それも赤羽橋付近だなと。

昔はこの辺りまでが増上寺の境内だったが、少しずつ減って現在に至っている。

元々、東京タワーのある地は、高低差があって景色が良かったため、戦前は料亭があった。

東京タワーの開業が昭和33年なので、それより以前の写真ということになる。

A2.秋葉原

秋葉原
第2問の正解は秋葉原。

「ラジオセンター」の看板があるので、この写真は簡単だっかたかと。

今でこそサブカルチャーの聖地として世界に名を馳せる秋葉原だが、元々は電気街。

ラジオの真空管やコンデンサ等の細かい部品を扱う店ばかりが立ち並び、「ラジオセンター」もその中の1軒だ。

「牛にひかれて善光寺参り」という諺があるが、昔の写真は「牛に大八車をひかせて秋葉原参り」といったところか。

現在の秋葉原からは想像できぬほど牧歌的雰囲気が漂う1枚だ。

A3.恵比寿

恵比寿
最終問の正解は恵比寿。

今でこそ20代女性に支持され、「住みたい街(駅)ランキング関東版」2位の恵比寿だが、元々は恵比寿麦酒工場のための駅。

この恵比寿駅からビールを鉄道輸送していたのだ。

昔の写真では、蒸気機関車が黒煙を吐きながら疾走している下で子供たちが遊んでいるように見える。

昔の東京では、どこの駅もこのような風景が展開されていたことだろう。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

芝公園・赤羽橋付近の今昔

芝公園・赤羽橋付近

秋葉原の今昔

秋葉原の今昔

恵比寿の今昔

恵比寿の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

ここは一体東京のどこ?~Part12~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第11弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.丸の内(東京駅西側)

丸の内(東京駅西側)

以前の「ここは一体東京のどこ?」(2018年01月19日)
でも、やや異なる角度から出題したが、同じ三菱ヶ原だ。

現在の東京駅およびその周辺地は、元々戦前の陸軍省が所有する軍事演習の用地だった。

その広大な原っぱを政府は民間に払い下げるということになり、三菱の2代目・岩崎弥之助が当時の金128万円で払い下げを受けた。

それ以降、この原っぱを三菱ヶ原と呼ぶようになり、中央駅としての役割を持つ東京驛も開業し、現在に至っている。

A2.神楽坂

神楽坂

飯田橋駅の牛込見附側から見える上り坂がご存知の通り神楽坂だ。

かつての東京には多くの花街があったが、神楽坂はその筆頭格で、「東京六花街」にも数えられた由緒ある花街だったのだ。

現在でもその頃の料亭が存在し、裏小路を歩くと、花街の名残が感じられる。

また、東京で最もフレンチの店が多い街としても知られており、神楽坂に行きつけの店があると、できるカッコいい大人に見られる。

A3.新宿ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)

ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)

新宿に詳しい人ならば簡単だったかと。

「ゴールデン街」の看板をくぐったら、遊歩道がすぐに出てくるが、その遊歩道が元々は都電専用軌道だったのだ。靖国通りから曲がって、この専用軌道になり、東にカーブして明治通りに出るルートだったのだ。
新宿ゴールデン街の看板

筆者が若い頃のゴールデン街はすっかり寂れており、スラムまではいかないが、なんか足を踏み入れるのに躊躇するエリアだった。

しかし、現在はすっかり外国人観光客の人気スポットになり、夜な夜な賑わっている。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

丸の内(東京駅西側)の今昔

丸の内(東京駅西側)の今昔

神楽坂の今昔

神楽坂の今昔

新宿ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)の今昔

新宿ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part11~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第11弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.目黒 行人坂

目黒 行人坂

正解は目黒の行人坂。

出典は、歌川国貞「江戸自慢三十六興」の中の「目黒行人坂富士」だ。

この行人坂は都内でも有数の勾配がある坂として古くから知られている。

老舗芸能プロダクションの事務所が行人坂の途中にあるのもかなり有名で、タレント泣かせの坂とも言われてるとか言われていないとか。

A2.赤坂 紀伊国坂

赤坂 紀伊国坂

正解は赤坂の紀伊国坂。

絵は小林清親の木版画。

紀伊国坂は、小泉八雲の代表作『怪談』所収の「狢(むじな)」で知られた坂。

狢(むじな)とは穴熊のことで、地方によっては狸やハクビシンをいうこともある動物。

話の内容は、この狢(むじな)がのっぺらぼうに変身し、紀伊国坂を通る人たちを怖がらせるというストーリーだ。

紀伊国坂を下ると赤坂、今では赤坂見附交差点で、反対に紀伊国坂を登ると江戸城喰違見附、今では迎賓館方面になる。

小林清親の木版画では、紀伊国坂下に赤坂の町並みと、その向こうに深緑色した溜池が見える。

溜池は埋め立てられ、現在は地名でしか残っていない。

A3.愛宕神社

愛宕神社

正解は愛宕神社。

長い階段から愛宕神社と気づいた人もいたことかと。
愛宕神社

東京23区内で最も高い山として知られる愛宕山(標高25.7m)は、高層建築のなかった時代は江戸を見渡せる景勝地として栄えた。

愛宕神社は、「出世の神社」や、明治政府軍参謀・西郷隆盛と江戸幕府重臣・勝海舟が会談した地としても知られており、近年は人気になっている神社だ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

目黒 行人坂の今昔

目黒 行人坂の今昔

赤坂 紀伊国坂の今昔

赤坂 紀伊国坂の今昔

愛宕神社の今昔

愛宕神社の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part10~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第10弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1. JR四ツ谷駅

正解は、JR四ツ谷駅。
JR四ツ谷駅

若い頃の筆者は、ちょくちょく四谷に行っていたのだが、その頃の四ツ谷駅はまさに木造駅舎で、そこだけ見ると、ローカル線の駅そのものだった。

1990年に現在の駅ビルに生まれ変わった。

A2. 品川駅港南口

今や新幹線の停車駅となっている品川駅の港南口が正解。
品川駅港南口

品川駅港南口も四ツ谷駅同様に木造だった。

同じ品川駅でも高輪口は、ややスカした雰囲気で、一方の港南口は働く人達が出入りするゲートというのがかつての品川駅だった。

今でこそ高輪口から港南口へ、またその逆も改札を通ることなく自由に行き来できるが、当時はそれができなかった。

港南口へ抜けるには長く薄暗い通路を抜けなければならず、それもあって「陰の港南口・陽の高輪口」というイメージだったが、今はやや未来的な明るいイメージに変わった港南口だ。

A3. 表参道

表参道が正解。
表参道

奥の突き当りに明治神宮がある。

昔の写真の右側に写っている四角い建物は、同潤会アパート。

当時はハイソな人たちしか購入できない高級住宅で、今でいうと高さは異なるが、富裕層向けのタワーマンションといったところか。

同潤会アパートのあった敷地の一部に現在は表参道ヒルズが建っている。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

JR四ツ谷駅の今昔

四ツ谷駅の今昔

品川駅港南口の今昔

品川駅港南口の今昔

表参道の今昔

表参道の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part9~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第9弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1. 東京都新宿区河田町

正解は、旧フジテレビ社屋があった河田町。
東京都新宿区にある河田町コンフォガーデン

河田町にはフジテレビ本社(新宿区河田町3-1)が1997年3月まであったが、おわかりの通りその後、港区台場へ移転。

やがて河田町に残されたフジテレビの社屋・スタジオ棟は解体され、その跡地に河田町コンフォガーデンが2003年に竣工した。

A2. 東京都港区西麻布

とんねるずの歌で一躍全国にその名が轟いた西麻布が正解。
西麻布

このモノクロ写真が撮影された当時(1965年1月23日)は、霞町(かすみちょう)と呼ばれていた。

今昔対比すると、昔の霞町は空が低く、東京タワーを四方から望めることができたのに対し、現在の西麻布は首都高速で視界を塞がれ、圧迫感が半端ない。

A3. 東京都港区溜池

これは難問だったかと。

正解は、東京都港区溜池。
溜池

現在の東京都港区溜池周辺は、溜池らしきものが全然ないにもかかわらず「溜池」という地名のままで、不思議に思っている人がきっといるはずだ。

なぜこの地を「溜池」というのかというと、昔は溜池があったからだ。

外桜田絵図(嘉永三年=1850)をご覧頂ければ(左が北)、この地に瓢箪っぽい池(右下)があるのがわかるかと。

外桜田絵図(嘉永三年=1850)
外桜田絵図(嘉永三年=1850)

ちなみに、新旧の写真で共通する奥に見えるビルや家屋は、赤坂の町だ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

東京都新宿区河田町の今昔

東京都新宿区河田町 旧フジテレビ社屋の今昔

東京都港区西麻布の今昔

東京都港区西麻布の今昔

東京都港区溜池の今昔

東京都港区溜池の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

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責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part8~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第8弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1. 東京都港区大門

東京都港区大門

突き当たりの門が大門で、通りの両側は増上寺の別院と思われる。

大門という判断が下せれば、意外と簡単だったのではあるまいか。

A2. 新橋(博品館前)

新橋(博品館前)

JR新橋駅の駅名の由来となった橋だ。

したがって、この橋およびこの通りは現在の銀座通り。

A3. 品川駅

品川駅

蒸気機関車の煙突から振りまく煙や火の粉が街を焼き尽くす恐れがあるとの風評から、内陸での鉄道建設が許可されず、仕方なく海に堤防を築き、そこに線路を敷設するという苦肉の策で開通させた。

なので、品川駅も海沿いだったのだ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

東京都港区大門の今昔

東京都港区大門の今昔

新橋(博品館前)の今昔

新橋(博品館前)の今昔

品川駅の今昔

品川駅の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part7~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第7弾。ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.浜松町そばの芝浦

正解は浜松町そばの芝浦で、線路脇の「芝浦製作所」が後に「東京芝浦電気」となり、さらに商号変更により「東芝」となって現在に至っている。

昔の芝浦は風光明媚な砂浜が広がり、海水浴客を相手に店ができ始め、最盛期には料亭、待合(芸者待機所)等がひしめく、東京でも屈指の花街にまで成長したが、現在はひっそりとしたマンションの立ち並ぶ場所に。

A2.池袋

北側からちょうど左側の山手線と右側の赤羽線(現・埼京線)の分岐点周辺を撮った写真。

山手線は池袋を過ぎ、大塚方面に行くと左右の大地よりも低い所を通るが、これは明治時代に手掘りで掘削して、線路を敷いたからなのだ。

A3.西麻布(青山墓地下)

現在の西麻布交差点を少し北上し、右に曲がった周辺を捉えたモノクロ写真(撮影・諸河久さん:1964年5月16日)。

ご覧の通り、元々は都電の専用軌道だったが、都電廃止に伴い、専用軌道は道路として整備された。

モノクロ写真左手の森口石材は、現在もビルの1階で営業している。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

浜松町そばの芝浦の今昔

池袋の今昔

西麻布(青山墓地下)の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099