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ここは一体東京のどこ?~Part22~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第22弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.吉原大門

吉原大門

正解は吉原大門。

これは難易度が高かったかと。

吉原といえば、江戸時代における江戸最大の遊郭。

”異次元空間”の吉原は、今で言うと、子供たちに直視させると教育上&風紀上よろしくないということだろうか、入口にあたる大門から先のエリアを見させないように、道を真っ直ぐにせずに、あえて屈折させているのだ。

その名残は今もあり、かつての吉原遊郭は東京屈指のソープランド街へと生まれ変わっている。

屈折した道は今も役立っているということだ。

A2.新橋駅東口

新橋駅東口

正解は新橋駅東口。

ロータリーとなっているところを含めて撮影した写真。

アメリカ軍による空襲で焼け野原と化した東京。

街という街は全て焼き尽くされ、新橋駅も焦土となった。

新橋駅東口は西口に比べ大人しい印象で、喧騒から離れたい時は西口から東口に移るといいかもしれない。

A3.六本木

六本木

正解は六本木。

ちょうど「和菓子 青野総本舗」の前だ。

元々この地は、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳といった、木に因んだ名字の大名の下屋敷が六つあった。

そこから六本木という地名が付いた。

白黒写真は昭和30年代のようで、今から約60年前にもなる。

今では東京屈指の繁華街・六本木だが、この頃は裏手にも平屋の民家があったりで、のんびりした印象だ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

吉原大門の今昔

吉原大門の今昔

新橋駅東口の今昔

新橋駅東口の今昔

六本木の今昔

六本木の今昔

 

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

 

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part21~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第21弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.旧新橋駅

旧新橋駅(新橋ステーション)

正解は旧新橋駅。

これは結構、簡単にわかったのでは。

昔で四角い石造りの建物といったら、旧新橋駅(新橋ステーション)を真っ先に思い浮かべることかと。

同じ場所には復刻された旧新橋駅が建てられ、日本初の鉄道の起点駅としてその面影を現在に遺している。

絵は小林清親「東京名所図 新橋ステンション」。

A2.高輪ゲートウェイ付近

高輪ゲートウェイ付近

正解は高輪ゲートウェイ付近。

写真にある道を奥に進めば、高輪ゲートウェイ駅だ。

江戸時代は当然ながら埋め立てていないから、辺り一面は江戸湾(現・東京湾)。

現在の第一京浜道路がかつての海沿いを通る東海道であり、その道中の高縄(現・高輪)で浮世絵師の歌川広重が描いた絵が「名所江戸百景 高縄うしまち」だ。

A3.日比谷濠

日比谷濠

正解は日比谷濠。

第一生命ビルのある場所から警視庁方面を望んでいる。

元の絵は、これまた浮世絵師の歌川広重で「名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田」。

日比谷濠とその角にある日比谷櫓台は今も昔も変わらず佇んでおり、これがこの絵がどこで描かれたのかのヒントであった。

日比谷濠のある場所は、徳川家康が江戸に来た頃は日比谷入江といって海だった。

日比谷、大手町、新橋・虎ノ門の一部は日比谷入江で、突き出た半島(江戸前島)に後の銀座がある。

「江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_Pre_8.html)から引用
「江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_Pre_8.html)から引用

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

旧新橋駅の今昔

旧新橋駅の今昔

高輪ゲートウェイ付近の今昔

高輪ゲートウェイ付近の今昔

日比谷濠の今昔

日比谷濠の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part20~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第20弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)

正解は港区芝浦で、それも竹芝橋だ。

古いほうの写真は、もうFJ時事新聞を見慣れている人ならおわかりかと思うが、伝説の刑事ドラマ『西部警察』でのワンシーン。

加納竜さん演じる新人刑事・桐生一馬が一般道を高速で走行し、ダイブした名シーンなのだ(芝浦運河を飛び越えたシーンとは異なる)。

背景の窓ガラスが細かいビルは現在も存在している東京ポートボールというボーリング場。

この竹芝橋のある通りは「旧海岸通り」で、『西部警察』では頻繁にカーアクションで使われたロケ地なのだ。

A2.港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)

これまた正解は港区芝浦で、芝浦運河通りのほう。

写真右手には現在、愛育病院が建つ。

地図をご覧頂ければ一目瞭然だが、芝浦運河通りの愛育病院前は、第1問の竹芝橋とは目と鼻の先ほどの距離。

つまり、『西部警察』のカーアクションは、同じ芝浦界隈で撮影されても、同じエリアばかりで撮影したと視聴者から悟られないように、様々な角度から撮影されていたのだ。

A3.港区芝浦(竹芝橋 北側)

港区芝浦(竹芝橋 北側)

正解は、これもやはり港区芝浦で、竹芝橋の北側から撮影している写真だ。

「3つ連続で港区芝浦とは、いいかげんにしろ!」と怒り心頭の人もいるかもしれないが、そこは気長にお付き合い願いたい。

竹芝橋は道路の平地部分に比べ、一段高いため、古い写真でいうと、クルマ3台の背景に映り込む道路面が高くなっているのが判別ポイントの1つ目。

もう1つの判別ポイントは、やはり背景に映り込んでいる、道路の突き当りにある茶色の建物だ。

この茶色の建物は現在も存在しているので、ゆえに東京都港区芝浦と判別できるのだ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)の今昔

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)の今昔

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 北側)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 北側)の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画、『西部警察』のロケ地を見つけたら、取り上げてみたい。

ここは一体東京のどこ?~Part19~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第19弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.中目黒(駒沢通り)

中目黒(駒沢通り)

正解は中目黒、それも駒沢通りだ。

かつては東京を縦横無尽に走行していた都電。

昔の写真(諸河久 氏 1965年3月30日撮影写真から引用)は、奥の恵比寿側から手前の山手通りとの交差点に向かって走行する、8系統築地行きの都電だ。

中目黒は、かつてこの8系統築地行きの終点駅であり、終点なのに安全地帯のない停留所だった。

現在の同じ地点は、蔵もなくなり、オフィスビルやマンション等に建て変わっている。

A2.表参道

表参道

正解は表参道。

昔の写真に写っている建物は、同潤会アパート。

今でいうと、同潤会アパートは、東京の「郊外」に建つ高級マンションみたいな位置づけになるかと。

というのも、渋谷、原宿、表参道は現在のような繁華街やトレンディ・スポットではなく、「東京市豊多摩郡」に属する町に過ぎず、辺鄙な場所だったからだ。

その同潤会アパートも表参道ヒルズの建設に伴い、解体された。

なので、今の写真に写っているのは、表参道ヒルズだ。

A3.渋谷宮益坂下

渋谷宮益坂下

正解は渋谷宮益坂下。

渋谷は現在もそうだが、まさに谷で、周辺地よりも最も低く、いくつもの川が渋谷を流れていた。

今では暗渠となり、明治通りの下や裏原宿の下を流れている渋谷川は、昔は”堂々”と流れていたので、宮益坂下の交差点のある地点は、橋が架かっていたのだった。

一応、説明しておくと、今昔写真とも右に行くと宮益坂になるので、やや勾配がついている。

因みに、左に行くと渋谷駅になる。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

中目黒(駒沢通り)の今昔

中目黒(駒沢通り)の今昔

表参道の今昔

表参道の今昔

渋谷宮益坂下の今昔

渋谷宮益坂下の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~神田(東京都千代田区)~【連載:アキラの着目】

「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは神田だ。

神田と言っても、山手線・京浜東北線の駅「神田」もあるし、神田神保町などのように頭に神田がつく町名もあり、実に多くの神田がつく地名が存在する。

神田神保町などの町名の場合は、1947年(昭和22年)に、かつての東京市神田区と同市麹町区が合併してできた千代田区において、旧神田区の町名については「神田」を冠した町名にするとのことで、「神田●●町」という町名が誕生し、現在に至っているのだ。

大元の神田についての由来は諸説ある。

1つ目の説は、神田神社(現・神田明神)を創建した真神田氏の名から採り、この辺りの地を「神田」としたという説だ。

2つ目の説は、神田神社(現・神田明神)のご祭神・平将門命に因んだもので、平将門命の「からだ」がなまって「神田」に、「からだの明神」が「神田明神」となったという説や、平将門命が片目を射抜かれたという伝説から「かため」が訛って「神田」になったという、平将門命説だ。
神田神社(神田明神)

3つ目の説は、伊勢神宮に奉納するための初穂を作る田んぼから由来するという説で、この田んぼを神田(みとしろ)というのだが、これが「かんだ」に転じたというものだ。

筆者としては2つ目の説を推したい。

というのも、「いくつもの河川が湾に流れ込む地」という意味の江戸は湿地帯だらけで、徳川家康入府時点ですら田んぼがなかったと考えられているし、後々の様々な影響力を考慮すると、平将門命に由来している方が自然なように感じられるからだ。

平将門命による「後々の様々な影響力」というのは、以下の事象だ。

1.関東大震災後、大手町にある将門塚に都市再開発として大蔵省仮庁舎を建設しようとした際、工事関係者や大蔵省職員、時の大蔵大臣・早速整爾(第1次若槻内閣)の相次ぐ不審死が起こり、これらの死は平将門命の祟りによるものだと大蔵省内で噂されることとなり、ついには大蔵省仮庁舎を取り壊したこと

2.第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が丸の内周辺を区画整理するにあたり、障害となる将門塚を撤去し、整地・造成しようとした際、米軍のブルドーザーが横転し、死者が出るなどの不審事故が相次いだため、計画を取り止めたこと

ゆえに、この地に対して不敬な行為に及べば、祟りにあうという伝承ができ、以降、将門塚は数十年にわたり地元ボランティア団体により手厚く保護されているのだ。
将門塚

因みに将門塚のある大手町は、現在の広義としては神田エリアにギリギリ入るか入らないかだろうが、筆者は大手町も神田エリアとしたい。

以上、長々と書いてきたが、「神田」の地名の由来を検証することは今となっては難しく、この広範な神田の地に多大な影響力を及ぼしている平将門命が、神田の地名の由来と筆者は思いたい。

■江戸総鎮守 神田明神 東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp/

■神田明神 @kanda_myoujin
https://twitter.com/kanda_myoujin

東京の様々な地名の由来 ~紀尾井町(東京都千代田区)~【連載:アキラの着目】

江戸時代と現代を合わせた紀尾井町の地図 スマホアプリ「大江戸今昔めぐり」から引用「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは紀尾井町だ。

紀尾井町の最寄駅は赤坂見附。

赤坂見附の交差点を北上し、江戸城の弁慶堀に架かる弁慶橋を渡り切ったら、そこから先は紀尾井町だ。

赤坂見附交差点 写真中央のビルが建つエリアは紀尾井町
赤坂見附交差点
写真中央のビルが建つエリアは紀尾井町

なぜ紀尾井町という地名になったのかというと、この地に紀伊和歌山藩徳川家上屋敷(きいわかやまはん とくがわけかみやしき)、尾張名古屋藩徳川家中屋敷(おわりなごやはん とくがわけなかやしき)、近江彦根藩井伊家中屋敷(おうみひこねはん いいけなかやしき)があったことによる。

各家の頭文字「紀」、「尾」、「井」を一字ずつ採り、併せたから「紀尾井町」なのだ。

明治5年(1872年)には、新たに「麹町紀尾井町(こうじまち きおいちょう)」という地名に生まれ変わり、明治44年(1911年)には紀尾井町となり、当時は麹町区に属した。

紀伊和歌山藩徳川家上屋敷跡は現在のグランドプリンスホテル赤坂・清水谷公園、尾張名古屋藩徳川家中屋敷跡は現在の上智大学、近江彦根藩井伊家中屋敷跡は現在のホテルニューオータニ付近にそれぞれあったとされている。

江戸時代と現代を合わせた紀尾井町の地図 スマホアプリ「大江戸今昔めぐり」から引用
江戸時代と現代を合わせた紀尾井町の地図
スマホアプリ「大江戸今昔めぐり」から引用

都会のど真ん中なのに清水谷公園があったり、弁慶堀のボートから自然を満喫できたりで、まさに都会のオアシスと呼ぶに相応しいエリアだ。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part18~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第18弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.西新橋交番前

西新橋交番前

正解は西新橋交番前。

角に蕎麦屋の「砂場」があり、その対面にキッコーマン株式会社東京本社がある交差点だ。

浮世絵は「名所江戸百景 愛宕下藪小路」で、文化11年~弘化4年(1814~47)の間に製作されたもの。

愛宕下藪小路は、出世の神様で知られている愛宕神社のある愛宕山の北側、現在の虎ノ門一丁目にあった。

竹藪を流れる川は桜川で、愛宕山の石段前へ続いていたが暗渠となった。

位置的には虎ノ門ヒルズのそばであるが、かつては「名所江戸百景 愛宕下藪小路」にあるとおり、小川が流れる長閑な風景があったのだ。

A2.品川御殿山

品川御殿山

2枚めの正解は品川御殿山。

元々は江戸庶民のための花見の名所だった品川御殿山。

江戸湾を眺望でき、そこを行き交う帆船を観るために遊脚が来て賑わったとのこと。

浮世絵は「名所江戸百景 品川御殿やま」で、崖下には東海道が通り、品川宿(現在の北品川)が近くにあった。

ペリーの黒船再来航に備えるために、江戸湾に台場を築くことになり、その土はこの品川御殿山を崩して運ばれた。

幕末の頃には、すでに”再開発”があったのだ。

A3.溜池

溜池

正解は溜池。

浮世絵は、歌川広重「名所江戸百景」の第48景「赤坂桐畑」。

過去のニッポンニュース「ここは一体東京のどこ?」でも何回か取り上げてきた溜池だが、またしても登場だ。

江戸時代初期に湧き水を堰止めて造られた溜池は、池のへりを補強する目的で多くの桐の木が植えられていた。

なので、この周辺は「赤坂桐畑」と呼ばれていたとのこと。

江戸庶民の飲料水として機能していた溜池だが、明治になってから池は徐々に埋め立てられ、現在では地名にだけしか「池」は残っていない。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

西新橋交番前の今昔

西新橋交番前の今昔

品川御殿山の今昔

西新橋交番前の今昔

溜池の今昔

西新橋交番前の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part17~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第17弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.東京ドームシティ

東京ドームシティ

正解は東京ドームシティ。

東京ドームシティのある場所には、1871年(明治4年)から1935年(昭和10年)まで東京砲兵工廠という兵器工場があり、小銃を主体とする兵器の製造を行なっていた。

兵器という生命を脅かす物を造っていた場所が、現在では娯楽遊戯施設になっているのだから、わからないものだ。

A2.新宿ビックロ裏

新宿ビックロ裏

正解は新宿ビックロ裏。

古い写真にあるように、ビックロの場所には元々、三越新宿店があったが2012年3月に閉店。

2012年7月にビックカメラ新宿東口新店として開店した。

同じく2012年9月に店舗のテナントでユニクロが入居し、ビックカメラとユニクロを合わせた名称「ビックロ」で共同店舗とすることになり、現在に至っている。

A3.蔵前

蔵前

正解は蔵前。

白黒写真は、アメリカ軍による東京大空襲で焼け野原と化した蔵前一帯を写したものだ。

白黒写真の中央やや右に写る円形状の建物は蔵前国技館。

戦前は、この蔵前国技館で大相撲興行が行われていた。

1950年に再建された蔵前国技館は、老朽化のため1984年に閉館、大相撲興行やその他のイベント等の開催は両国国技館へとひき継がれてゆく。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

東京ドームシティの今昔

東京ドームシティの今昔

新宿ビックロ裏の今昔

新宿ビックロ裏の今昔

蔵前の今昔

蔵前の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~六本木(東京都港区)~【連載:アキラの着目】

六本木交差点「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、六本木だ。

六本木は御存知の通り東京屈指の繁華街として世界に名を馳せており、戦前の東京市では旧麻布区に属していた。

六本木という地名の由来に関する説は2つある。

1つ目の説は、この地に6本の松の木があったことに由来するもの。

もう1つの説は、上杉家、片桐家、朽木家、高木家、一柳家、青木家といった木にまつわる名字の大名家がこの地に屋敷を構えていたことに由来するものだ。

どちらが六本木という地名の由来として正しいという判断や評価を付けることはできないが、いずれにしても木に関係することは確かだろう。

明治時代になると、大名屋敷ばかりだった六本木は、「東京鎮臺歩兵營」という軍事施設が置かれるようになった。

1917~1924 東京 六本木周辺
1917~1924 東京 六本木周辺

昔の六本木を知るお年寄りに訊くと、「戦前の六本木は軍人さんばかりで、怖かった」そうで、現在の繁華街で賑わう六本木とは正反対の町だったようだ。

その後、日本の敗戦により六本木の軍事施設はGHQにより接収され、GHQの外国人向けの商店や飲食店が少しづつでき始めた。

1975年(昭和50年)以降は、赤坂に代わる人気繁華街としての地位を確立し、1980年代後半からのバブル経済期には数十軒ものディスコがオープン、日本人・外国人とも大挙押し寄せるプレイスポットとなった。

人気繁華街ともなれば、当然犯罪や非行の温床となる側面も出てくるようになり、このため六本木エリアはアメリカ国務省、イギリス大使館、オーストラリア大使館によって旅行者向けの『危険地域』として警告されるに至っている。

近年は、大規模な都市再開発が行われ、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンがオープンし、繁華街だけでなく、大人向けのお洒落な商業エリアとしても現在の六本木は注目を集めている。
六本木交差点

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part16~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第16弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.赤坂見附

赤坂見附

正解は赤坂見附。

元の絵は、二代歌川広重「名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい」(安政6年[1859]4月)だ。

この絵が描かれた場所は、内堀通りから赤坂見附交差点および赤坂エクセルホテル東急を望んだ方角なのだ。

なので、奥の坂は現在も同じだが、溜池が埋め立てられ、内堀通りとなってしまった。

A2.アメリカ大使館前

アメリカ大使館前

正解はアメリカ大使館前。

溜池を描いた「江戸名所図会」なのだが、現在のような高層ビルがないため、現在でいうところの赤坂日枝神社のある山をそのまま見通せるのだ。

「江戸名所図会」溜池で描かれている、手前に段々のある道は汐見坂で、現在は虎の門病院とホテルオークラの間にある。

江戸庶民の飲料水を確保するための大きな池だった溜池だが、明治時代になってからは徐々に埋め立てられ消滅し、溜池という地名だけが残っている。

A3.原宿代々木公園の道路

原宿代々木公園の道路

正解は原宿代々木公園の道路。

かつては休祝日ともなれば、原宿代々木公園の道路は歩行者天国(通称:ホコ天)となっていた。

パステルカラーの独特な衣装を身に纏い、ディスコサウンド(ジンギスカン等)にのってダンスを踊る「竹の子族」や、ツイストを踊るツッパリ(≒ヤンキー)、等々、大勢の若者達が毎週集結していた。

しかし、1996年~1997年にかけての代々木公園前歩行者天国の試験廃止および1998年8月31日の歩行者天国完全廃止によって原宿代々木公園の道路での大勢の若者達の姿を二度と観ることができなくなってしまった。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

赤坂見附の今昔

赤坂見附の今昔

アメリカ大使館前の今昔

アメリカ大使館前の今昔

原宿代々木公園の道路の今昔

原宿代々木公園の道路の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099