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地図の原本探しで、カタログ的に観ることができるサイト「古地図コレクション」【連載:アキラの着目】

日本の地図はご承知の通り、伊能忠敬が科学的な測量で作成した地図を起点として飛躍的に発展し、現在に至っている。

伊能忠敬が徒歩で測量し作成した地図は、どれも現在の地図と比較しても東西南北や距離感がほぼ同じであり、僅かな誤差しかない程にまで精緻に作られているのは世界的にも評価されている。

日本に開国を迫ったペリーは、地図を作るために江戸湾の測量を強引に江戸幕府に迫り、認めさせたが、いざ作った地図は伊能忠敬の地図よりも劣っていた。

なので、結局自分たちが作った地図を使わずに伊能地図を使用したとのことだ。

そんな貴重な伊能忠敬の地図をはじめ、明治期の地図やその他昔の地図を国土地理院では歴史的、文化的および学術研究用資料として古地図等を収集・保管しているのだが、今回紹介する古地図資料閲覧サービスを手掛けているサイト「古地図コレクション」では、そうした国土地理院所蔵の古地図等を公開しており、カタログ的に昔の地図を観ることができる。

古地図資料閲覧サービスを手掛けているサイト「古地図コレクション」
古地図資料閲覧サービスを手掛けているサイト「古地図コレクション」

ただし、詳しく観るには小さい画像で低解像度だから、地図原本を観るのがいいのはいうまでもない。

あくまでもどの原本を観るかの品定め用としての「古地図コレクション」と思っていれば間違いない。

ちなみに、それら地図原本の閲覧は、破損あるいは汚損を生じる恐れがあるため、原則として「地図と測量の科学館」での展示期間内に限られている。

なお、地理資料類は作成当時のままの形で公開しており、現代では適切ではないと思われる表現を含む資料がある可能性もあるのだが、その資料の成立した時代を表す貴重な歴史的・学術的資料としての価値を尊重した結果なので、予めそのことを理解した上で利用しよう。

地図好きの筆者からすれば、江戸切絵図や明治期の東京地図をリストアップしてあるだけでも涎もの。

今では大都会の東京だが、明治期ではまだ「郡」だったり、東京湾の埋立てが進んでおらず、すぐ脇が海であったり、等々、現代との比較が楽しくて仕方がない。

ぜひ地図好き、東京好き、昔好きの人にはアクセスしてもらい、どの原本を観たいか、また昔の都市に思いを馳せてもらいたいものだ。

 

■古地図コレクション(古地図資料閲覧サービス)
https://kochizu.gsi.go.jp/

 

 

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part22~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第22弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.吉原大門

吉原大門

正解は吉原大門。

これは難易度が高かったかと。

吉原といえば、江戸時代における江戸最大の遊郭。

”異次元空間”の吉原は、今で言うと、子供たちに直視させると教育上&風紀上よろしくないということだろうか、入口にあたる大門から先のエリアを見させないように、道を真っ直ぐにせずに、あえて屈折させているのだ。

その名残は今もあり、かつての吉原遊郭は東京屈指のソープランド街へと生まれ変わっている。

屈折した道は今も役立っているということだ。

A2.新橋駅東口

新橋駅東口

正解は新橋駅東口。

ロータリーとなっているところを含めて撮影した写真。

アメリカ軍による空襲で焼け野原と化した東京。

街という街は全て焼き尽くされ、新橋駅も焦土となった。

新橋駅東口は西口に比べ大人しい印象で、喧騒から離れたい時は西口から東口に移るといいかもしれない。

A3.六本木

六本木

正解は六本木。

ちょうど「和菓子 青野総本舗」の前だ。

元々この地は、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳といった、木に因んだ名字の大名の下屋敷が六つあった。

そこから六本木という地名が付いた。

白黒写真は昭和30年代のようで、今から約60年前にもなる。

今では東京屈指の繁華街・六本木だが、この頃は裏手にも平屋の民家があったりで、のんびりした印象だ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

吉原大門の今昔

吉原大門の今昔

新橋駅東口の今昔

新橋駅東口の今昔

六本木の今昔

六本木の今昔

 

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

 

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

江戸城以外に東京のど真ん中にあった城、星ヶ丘城【連載:アキラの着目】

大都市・東京は城下町。

しかし、東京が城下町であることを、日常生活の中ではすっかり頭の中から欠落してしまっている人が結構多い。

それはたぶん、江戸城が皇族居住地であるため、我々庶民が気安く立ち入ることができない神聖なエリアになってしまっているからだろう。

江戸城が、東京が城下町であることの証明となる城郭にもかかわらず、意識外なのだから、それ以外の東京中心部に存在していた城郭なら、なおさら知られていないのは言うまでもない。

実は、東京中心部にはこの江戸城以外にも城郭が複数存在していたのだ。

今回はその中の1つ、星ヶ丘城(星ヶ岡城とも)にスポットを当てる。

星ヶ丘城は、ちょうど赤坂山王神社付近に存在していた戦国時代の中世城郭だ。

築城主は扇谷上杉氏と推測されているが定かでない。

現在キャピトル東急のあるエリアが主郭、日枝神社のあるエリアが二の郭、都立日比谷高校のあるエリアが三の郭と伝えられているが、前述のキャピトル東急や日比谷高校があるので、主郭と三の郭は面影が一切残っていない。

日枝神社境内に土塁が残るくらいだ。

なお、日枝神社と日比谷高校の間を分ける道は、かつての二の郭と三の郭を分ける堀切の名残だ。

星ヶ丘城の堀切跡 左側:日枝神社 右側:都立日比谷高校
星ヶ丘城の堀切跡
左側:日枝神社
右側:都立日比谷高校

太田道灌が南西の抑えとして使用されていた星ヶ丘城だが、徳川家康が江戸城を改築した際に星ヶ丘城は廃城となり、江戸城に組み込まれてしまった。

今でこそ、この赤坂山王の地は大都会・東京のど真ん中に位置する赤坂エリアなのだが、戦国時代は雑木林と湿地が広がったエリアだった。

それだけに、今昔の違いを感じずにはいられない。

 

 

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

コロナ渦で東京観光できぬなら、東京の観光スポット等をプラモデルで造っちゃおう【連載:アキラの着目】

東京五輪での盛り上がりとは裏腹に、新型コロナウイルス感染者は連日数千人という勢いで増えており、外出自粛をキッチリと遵守しなければならぬ状況の首都・東京。

東京五輪参加で来日している外国人選手も含め、東京観光をしたいと思う人は多いが、今は我慢して東京観光を控えてもらいたいものだ。

しかし、自粛や禁止ばかりだとフラストレーションが溜まってしまうので、ここは東京観光の代替行動をとってもらえば、多少は気分が落ち着くはずだ。

その東京観光の代替行動とはなんぞやということだが、それが東京観光に欠かせないものをプラモデルで組み立てることだ。

というわけで、まずは屋形船のプラモデルを組み立てよう。

花火鑑賞や東京湾からの夜景鑑賞で人気の屋形船が昔の金型で成型され、プラモデルとして蘇った。

1/30 レトロモデル 屋形船 プラモデル 童友社 公式サイトから引用
1/30 レトロモデル 屋形船 プラモデル
童友社 公式サイトから引用

1/30スケール(全長約40㎝)ながらも造り方によっては障子戸開閉も可能で、どこか懐かしさが漂う木目調の船体だ。

次に造るのが、東京の定番観光スポットである東京タワーのプラモデル。

1/2000スケールで情景モデル化した東京タワーだ。

1/2000 彩色済み情景モデル 東京タワー(オレンジのLED)プラモデル 童友社 公式サイトから引用
1/2000 彩色済み情景モデル 東京タワー(オレンジのLED)プラモデル
童友社 公式サイトから引用

塔のてっぺんから土台まで完全塗装済み、また、LEDライトのスイッチ&電池ボックスは組立済みで、さらに接着剤不要だから、簡単に組み立てることが可能だ。

本物の東京タワー同様にオレンジ色でLEDライトを光らせることも可能だ。

最後に組み立てるのが、2012年5月グランドオープンし、今では東京のメイン観光スポットとなった東京スカイツリータウン®だ。

この東京スカイツリータウンのプラモデルも東京タワーのプラモデルと同じようにキットや土台は全て完全塗装済み、LEDライトのスイッチ&電池ボックスは組立済みで、はめ込み式のスナップキットのため、これまた簡単に東京スカイツリーを造り上げることが可能だ。

1/3000 彩色済み情景モデル 東京スカイツリーR 心意気の粋風(ブルーのLED)プラモデル 童友社 公式サイトから引用
1/3000 彩色済み情景モデル 東京スカイツリーR 心意気の粋風(ブルーのLED)プラモデル
童友社 公式サイトから引用

また、スカイツリー本体をブルーで光らせることも可能だ。

さらに東京スカイツリー周辺の細部にまでこだわりたい人は、微妙な汚し塗装をしてみたり、線路に電車の模型を置いてみたり、等々、カスタマイズしてオリジナリティ溢れる東京スカイツリーにするのも良いだろう。

これら屋形船、東京タワー、東京スカイツリーのプラモデルを組み立てながら、実際に訪れたかのような空想をすると、観光した気になること間違いないだろう。

■1/30 レトロモデル 屋形船 童友社
http://www.doyusha-model.com/product/pramodel/30_yakatabune.html

■1/2000 彩色済み情景モデル 東京タワー(オレンジのLED) 童友社
http://www.doyusha-model.com/product/pramodel/color_tower_tokyotower.html

■1/3000 彩色済み情景モデル 東京スカイツリーR 心意気の粋風(ブルーのLED) 童友社
http://www.doyusha-model.com/product/pramodel/color_tower_skybl.html

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

地上150mの天空で体験する東京タワー「朝茶の湯」【連載:アキラの着目】

東京のランドマークとして君臨し続けること60数年に渡る東京タワー。

東京タワーの展望台から東京の街を見下ろすと、殿様でもないのに天下を取ったような気分にさせてくれる。

そんな東京タワーの150m展望台のメインデッキで、朝の静かな時間を抹茶と菓子で楽しめるという「朝茶の湯」サービスが開催中だ。

【東京タワー】天空を楽しむ茶道体験「朝茶の湯」 東京タワーTokyoTower 公式サイトから引用
【東京タワー】天空を楽しむ茶道体験「朝茶の湯」
東京タワーTokyoTower 公式サイトから引用

東京タワー150m展望台のメインデッキで静かなお茶を楽しむためには、営業開始時間よりも前に東京タワーを訪れることになるが、そんなことは大した障害ではない。

東京タワーの「朝茶の湯」はいわゆる正式な茶室ではなく、展望台フロアに過ぎないが、むしろそれだからゆえに、茶道を知らない人でも気軽に参加できることかと。

予め用意する持参物はなく手ぶらで構わないし、「朝茶の湯」は椅子席も用意されており、正座が苦手な人でも安心して参加できるのもいい。

また、外国語による説明(英語・フランス語・スペイン語)にも対応しており、茶道に関心のある外国人観光客の人でも楽しめるようになっている。

【東京タワー】天空を楽しむ茶道体験「朝茶の湯」 東京タワーTokyoTower 公式サイトから引用
【東京タワー】天空を楽しむ茶道体験「朝茶の湯」
東京タワーTokyoTower 公式サイトから引用

「朝茶の湯」に欠かすことのできない茶道具は、日仏茶道交流会(2013年設立。木村英昭副代表・田原崇雄副代表)の全面的協力により、江戸時代から連綿と継承されてきた、全国から厳選された伝統工芸作家の作品を使用。

茶の湯と共に育まれてきた日本の工芸美を実際に手に取って体験することができる。

天空からの東京の景色に囲まれながらの茶の湯は、そうめったに味わえるものではないし、格別な爽快感を味わえるので、体験してみては。

【茶道体験「朝茶の湯」(1席限定20名)営業開始前の特別入館!展望台でお茶席体験~東京の上空で静かなひと時をあなたに~】

・日時:隔週土曜日 ※7月12日(月)のみ平日開催
    1席目 8:15集合 8:30開始(営業時間前のため特別出入口より入館)
    2席目 8:45集合 9:00開始(営業時間前のため特別出入口より入館)
・集合場所:東京タワー フットタウンビル1F 正面玄関(営業時間前のため、集合時間帯はシャッター閉鎖)
・会場:メインデッキ1階(150m)
・チケット料金:一般(4歳~) 3,330円、4歳未満 無料
・チケット内容:メインデッキ(150m)までの展望料、消費税、干菓子付き
・企画監修:森 宗勇(茶道裏千家准教授・当社史料室 兼 営業部副部)
※茶菓子に砂糖や卵およびグルテンが含まれることあり
※お点前中の動画撮影・および録音厳禁
※天候等の状況で視界が悪い場合あり
※営業開始前の入館でも、参加者の状況により営業開始時間を超える場合あり
※やむを得ぬ状況で、中止、延期、または内容が変更となる場合あり

■【東京タワー】天空を楽しむ茶道体験「朝茶の湯」 | 東京タワー TokyoTower
https://www.tokyotower.co.jp/event/attraction-event/chanoyu/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京にある740もの坂を網羅しているサイト「東京23区の坂道」【連載:アキラの着目】

今回のニッポンニュースで取り上げるのは、東京の坂を詳しく紹介しているサイト「東京23区の坂道」(http://www.tokyosaka.sakura.ne.jp/)。

アイドルや若手女優などの女性タレントが東京の坂を全力で駆け上がる深夜番組「全力坂」が好評を得て、もうかれこれ15年以上放送されているかと思うが、今回のニッポンニュースではその駆け上がる女性たちではなく、東京の坂のほうにフォーカスする。

「東京23区の坂道」というサイトは、しばらく更新が途絶えているものの、坂の情報は、消費されてすぐに過去に葬り去られてしまうフローのものではなく、むしろアーカイブとして蓄積されてゆくストックのものなので、最終更新日が2011年4月29日でもそれは大きな問題ではない。

令和3年6月27日現在、「東京23区の坂道」で確認できる東京の坂は740にものぼり、そんなに東京には坂が存在してたのかと少し驚いた。

「東京23区の坂道」は区毎に坂を分類し、各坂には多くの坂写真が掲載されており、その坂に行かなくとも、坂の概要を把握でき、なかなか重宝なのだ。

極論すれば、東京の坂観光をこのサイトで完結できてしまうのだから、大変ありがたい。

ちなみに、アイドルグループの名前にも使われている「乃木坂」ももちろん掲載されている。

「東京23区の坂道」で坂の名前を見ると、その坂がある場所はかつてこんな所だったんだろうなと想像を膨らませてくれる坂もある。

「幽霊坂」という名の坂が東京には幾つかあるが、その名が付いた当時は暗がりでいかにも幽霊が出てきそうだから「幽霊坂」と言われるようになったのだ。

つまり、その昔は幽霊が出そうなくらいの暗がりで木々が茂っていた地だったのだ。

現在のコンクリートジャングル・東京でも多くの自然に囲まれた時代もあったんだなと。

別の例では「富士見坂」もそう。

これまた「富士見坂」は都内に複数存在するのだが、その名の通り坂の上から富士山を眺めることができたから「富士見」なのだ。

でも現在の富士見坂からは当然ながら富士山を眺めることはできない。

高層建造物のなかった時代だからこそ、平地より少し高台にある坂に登れば、富士山を眺めることが可能だったわけだ。

他には「小栗坂」、「諏訪坂」など坂のそばにあった武家屋敷の主の名字から取った名前の坂も多い。

こういった様々な坂を知ることで、東京にはまだまだ江戸の名残があるのだな、城下町なんだな、といったことを実感してしまうのだ。

普段、通勤にかまけて周辺エリアに気づけていない人もいるかと思うが、「坂」というエレメントで東京を見てゆくと、新しい発見があるかもしれない。

■東京23区の坂道
http://www.tokyosaka.sakura.ne.jp/

■東京23区の坂道(ブログ) – livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/tokyosakablog/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part21~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第21弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.旧新橋駅

旧新橋駅(新橋ステーション)

正解は旧新橋駅。

これは結構、簡単にわかったのでは。

昔で四角い石造りの建物といったら、旧新橋駅(新橋ステーション)を真っ先に思い浮かべることかと。

同じ場所には復刻された旧新橋駅が建てられ、日本初の鉄道の起点駅としてその面影を現在に遺している。

絵は小林清親「東京名所図 新橋ステンション」。

A2.高輪ゲートウェイ付近

高輪ゲートウェイ付近

正解は高輪ゲートウェイ付近。

写真にある道を奥に進めば、高輪ゲートウェイ駅だ。

江戸時代は当然ながら埋め立てていないから、辺り一面は江戸湾(現・東京湾)。

現在の第一京浜道路がかつての海沿いを通る東海道であり、その道中の高縄(現・高輪)で浮世絵師の歌川広重が描いた絵が「名所江戸百景 高縄うしまち」だ。

A3.日比谷濠

日比谷濠

正解は日比谷濠。

第一生命ビルのある場所から警視庁方面を望んでいる。

元の絵は、これまた浮世絵師の歌川広重で「名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田」。

日比谷濠とその角にある日比谷櫓台は今も昔も変わらず佇んでおり、これがこの絵がどこで描かれたのかのヒントであった。

日比谷濠のある場所は、徳川家康が江戸に来た頃は日比谷入江といって海だった。

日比谷、大手町、新橋・虎ノ門の一部は日比谷入江で、突き出た半島(江戸前島)に後の銀座がある。

「江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_Pre_8.html)から引用
「江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_Pre_8.html)から引用

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

旧新橋駅の今昔

旧新橋駅の今昔

高輪ゲートウェイ付近の今昔

高輪ゲートウェイ付近の今昔

日比谷濠の今昔

日比谷濠の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京のタクシードライバーが語る「東京の抜け道」【連載:アキラの着目】

道路や鉄道、地下鉄が整備されている大都市・東京。

単純に身一つで移動するのならば、JR、私鉄、地下鉄を利用するのが速いし、手っ取り早い。

しかし、荷物や買い物等の運ぶべき物がある場合は、クルマの利用に頼らざるを得ない。

東京には首都高速道路や幾重もの環状線があり、クルマ移動も快適なのだが、あくまでもこれは混雑しなければ、という但し書きが付く。

平日の東京だと、クルマが渋滞し、思ったよりも移動時間を要してしまうことが多々あるのだ。

一般的にはカーナビを使って、最短距離あるいは最短時間になるようなルートを通っての目的地到着となるのだが、基本的にカーナビは幹線道路を通るアルゴリズムが組まれており、凄まじい渋滞だと、心もとないナビゲーションになってしまうのは否めない。

そうなると、抜け道・裏道を通るしかないのだが、そのためには新規で抜け道・裏道を見つけたり、また実際にその抜け道・裏道を通らなければならない。

新規の抜け道・裏道を通るのは、結構、勇気がいったりするものだ。

そんな人のために重宝するサイトが「東京の抜け道」だ。

現役タクシードライバーが、抜け道・裏道、はたまたタクシー業界の裏話、転職話までも発信しており、抜けたい街やエリアを知りたければ、まずはこの「東京の抜け道」にアクセスしてみよう。

区や街ごとに分類されており、抜け道・裏道を探しやすい。

この「東京の抜け道」で紹介されている抜け道・裏道情報は、現時点では必ずしも豊富とは言えないが、しかし、知っておいて損はない抜け道・裏道ばかりなので、ここぞという渋滞の際に使うと、「知ってて良かった~!」と思うこと必至だ。

頻繁に都内をクルマで移動する人は「東京の抜け道」をチェックだ。

東京のタクドラが語る|東京の抜け道 から引用
東京のタクドラが語る|東京の抜け道 から引用

■東京のタクドラが語る|東京の抜け道
https://angelkoa.jp/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

無料で地上約105mから富士山、東京を眺望、文京シビックセンター展望ラウンジ【連載:アキラの着目】

文京区HPから引用東京を観光するとなると、東京スカイツリーが定番となっているが、人気だけにコロナ禍の現在、人が多く集中しそうだ。

そうなると、穴場の観光スポットに行くしかないのだが、FJ時事新聞ニッポンニュースがオススメするのが、文京シビックセンター展望ラウンジだ。

文京区HPから引用
文京区HPから引用

文京シビックセンターとは要するに文京区役所のことなのだが、25階の東・西・北側は展望ラウンジとして公開され、しかも無料!

地上約105mから眺める富士山や筑波山、新宿副都心をはじめとした東京の街並みは見応え充分だ。

文京区HPから引用
文京区HPから引用

ちなみに、南側には展望レストランがあるので、展望ラウンジで観光した後に食事をとることもできる。

年末年始の間、文京シビックセンター展望ラウンジは閉所しており、初日の出を拝むことは残念ながらできないが、人混みを避ける観光をしたいのならば、ぜひ選択肢に入れておきたい穴場観光スポットだ。

文京区HPから引用
文京区HPから引用

【文京シビックセンター 展望ラウンジ】

・所在地:文京区春日1-16-21
・アクセス:東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園」駅徒歩1分
      都営三田線・大江戸線「春日」駅徒歩1分
      JR総武線「水道橋」駅徒歩8分
※文京区コミュニティバス「Bーぐる(千駄木・駒込ルートおよび目白台・小日向ルート)」「1番:文京シビックセンター(春日駅前)」バス停下車
・開所時間:9時00分~20時30分(無料)
・休所日:年末年始(12月29日~翌年1月3日)、文京シビックセンター全館休館日(5月第3日曜日)
・問合わせ:03-5803-1162(施設管理課)

文京区HPから引用
文京区HPから引用

■文京区 文京シビックセンター展望ラウンジ
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/osusume/lounge.html

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part20~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第20弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)

正解は港区芝浦で、それも竹芝橋だ。

古いほうの写真は、もうFJ時事新聞を見慣れている人ならおわかりかと思うが、伝説の刑事ドラマ『西部警察』でのワンシーン。

加納竜さん演じる新人刑事・桐生一馬が一般道を高速で走行し、ダイブした名シーンなのだ(芝浦運河を飛び越えたシーンとは異なる)。

背景の窓ガラスが細かいビルは現在も存在している東京ポートボールというボーリング場。

この竹芝橋のある通りは「旧海岸通り」で、『西部警察』では頻繁にカーアクションで使われたロケ地なのだ。

A2.港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)

これまた正解は港区芝浦で、芝浦運河通りのほう。

写真右手には現在、愛育病院が建つ。

地図をご覧頂ければ一目瞭然だが、芝浦運河通りの愛育病院前は、第1問の竹芝橋とは目と鼻の先ほどの距離。

つまり、『西部警察』のカーアクションは、同じ芝浦界隈で撮影されても、同じエリアばかりで撮影したと視聴者から悟られないように、様々な角度から撮影されていたのだ。

A3.港区芝浦(竹芝橋 北側)

港区芝浦(竹芝橋 北側)

正解は、これもやはり港区芝浦で、竹芝橋の北側から撮影している写真だ。

「3つ連続で港区芝浦とは、いいかげんにしろ!」と怒り心頭の人もいるかもしれないが、そこは気長にお付き合い願いたい。

竹芝橋は道路の平地部分に比べ、一段高いため、古い写真でいうと、クルマ3台の背景に映り込む道路面が高くなっているのが判別ポイントの1つ目。

もう1つの判別ポイントは、やはり背景に映り込んでいる、道路の突き当りにある茶色の建物だ。

この茶色の建物は現在も存在しているので、ゆえに東京都港区芝浦と判別できるのだ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)の今昔

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)の今昔

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 北側)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 北側)の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画、『西部警察』のロケ地を見つけたら、取り上げてみたい。