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サラリーマンの聖地にあるプラモデル専門店「タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店」【連載:アキラの着目】

男性ならば一度は興味を持ったり、作ったりしたことのあるプラモデル。

最初はモーターのない簡単な構造のプラモデルから始めていったりしたものだ。

初心者だと、キットに付属している、チューブに入ったセメダインで組み立てていくのだが、チューブの押し加減がわからず、多めにセメダインを搾り出してしまい、接着面からセメダインがはみ出してしまったことは男性諸君ならば誰でもあるはずだ。

それが幾つもプラモデルを作っていくと慣れてくるし、また、付属のチューブセメダインよりも、キャップと同体になっている細筆で塗る、瓶詰めセメダインを使うようになったり、さらには、モーターで動くスーパーカーなどのプラモデルにも手を出したりで、益々プラモデルにハマってゆくのだ。

ところが、大抵の男性はある程度の年齢を過ぎると、全くといっていいほどプラモデルを作らなくなる。

少年時代は結構プラモデルを作ってた筆者でさえも、成人してから作ったプラモデルは2つ程だ。

プラモデルを作らなくなった要因は幾つかあるが、やはり時間を割けないことが1番だろう。

たとえ休日に時間を取れたとしても、せっかくの休日を、細心の注意を払いながら集中するプラモデルの組立作業で費やすのは、決して休んでいる状態とは言えず、むしろ業務以上に神経を擦り減らすことになるだろう。

そのうえ、家庭を持つと、自分専用のスペースを確保することが難しく、プラモデルを作る空間もないし、完成させたプラモデルを飾る空間もないから、プラモデルを作りようがないというのも要因として挙げられるだろう。

それゆえに、ほとんどの男性はプラモデルから遠ざかり、年老いてゆくのだ。

しかし、あるきっかけで再びプラモデルにのめり込むこともあるのだ。

サラリーマンの聖地・新橋といえば飲食店やオフィスが集中するエリア。

売り込みで新橋を歩く営業マンももちろんいる。

そんなサラリーマン達がたまたまそこを通りかかったばかりにプラモデル心に火が着いてしまったり、ミニ四駆にまた夢中になったりするのだ。

まさにそこが「タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店」なのだ。

タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店 公式サイトから引用
タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店 公式サイトから引用

店内には自動車、戦車、戦闘機、等々、様々なプラモデルが陳列され、他には5レーンの大型ミニ四駆専用コースも常設されており、プラモデル好きには堪らない憩いの場所だ。

常設されている5レーンの大型ミニ四駆用コース タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店 公式サイトから引用
常設されている5レーンの大型ミニ四駆用コース
タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店 公式サイトから引用

国内のみならず、海外からのプラモデル・マニアも訪れるほど、知る人ぞ知る存在のプラモデル専門店なのだ。

さすがプラモデル界の雄・タミヤだけある。

まだ足を踏み入れていない人は、ぜひ「タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店」に行ってみるべきだ。

 

■TOP – タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店 / Tamiya Plamodel Factory Shimbashi
https://www.tamiya-plamodelfactory.co.jp/

 

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

「お茶づけ海苔」のパッケージと同じ、「お茶づけカー」【連載:アキラの着目】

昨日のニッポンニュースでは信州にある老舗の七味唐辛子店「八幡屋礒五郎」の商品配送車「くるま缶」について取り上げた(2021年6月16日ニッポンニュース「インパクト大!信州・善光寺の七味唐辛子店「八幡屋礒五郎」の配送車「くるま缶」【連載:アキラの着目】」)。

本日のニッポンニュースは、その流れで変わりものの営業車をまたまた取り上げる。

その変わりものの営業車とは「お茶づけカー」の愛称で知られている永谷園の営業車だ。

とにかくまずは「一見は百聞に如かず」ということで、以下の画像をご覧あれ。

「お茶づけカー」という愛称は、このクルマの見たまんまを言っているのだが、確かに永谷園から発売されている最もオーソドックスな「お茶づけ海苔」のパッケージそのまんまだ。

筆者も港区愛宕界隈を歩いていた時に、この「お茶づけカー」の実車を見かけたことがあるのだが、まさに「お茶づけ海苔」のパッケージだった。

このパッケージと同じデザインの営業車が街中を疾走すれば、それはそれは注目の的となり、広告効果絶大だ。

こうした、自社製品のパッケージデザインと同じデザインの営業車を走らせる手法は、誰もが昔から知っている商品だからこそ成立できているのではないだろうか。

誰も知らない商品のパッケージデザインと同じデザインの営業車を走らせたところで、「ああ、あれだ!」とはならないからだ。

将来的には「ボンタンアメ」のパッケージデザインと同じデザインの営業車とか、「マルカワのオレンジマーブルガム」のパッケージデザインと同じデザインの営業車も出てくればいいなと。

ボンタンアメ セイカ食品株式会社 公式サイトから引用
ボンタンアメ
セイカ食品株式会社 公式サイトから引用
マルカワのオレンジマーブルガム 丸川製菓 公式サイトから引用
マルカワのオレンジマーブルガム
丸川製菓 公式サイトから引用

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

割り出したロケ地を今昔対比した画期的なサイト「仮面ライダー ロケ地大画報」【連載:アキラの着目】

仮面ライダーロケ地大画報(運営者:yart先生)先日のニッポンニュースでも少し触れたが、今年は様々なものの記念すべき年。

ウルトラマンシリーズは55周年、仮面ライダーは50周年の年なのだ。

その仮面ライダーをまた取り上げるのだが、なんと今回は仮面ライダーのロケ地を紹介した専門サイトがあるのだ。

その名も「仮面ライダー ロケ地大画報」(サイト運営者:「yart先生」さん)。

仮面ライダーロケ地大画報(運営者:yart先生)
仮面ライダーロケ地大画報(運営者:yart先生)

当時の仮面ライダーの映像等からロケ地を割り出し、当時のロケ地と現在のロケ地とを今昔対比させて紹介しているという、よくぞここまで証してくれたと仮面ライダーファンならば誰でも思わず涙する(?)ほど感謝したくなる、極めてマニアックで画期的なサイトだ。

以下、「仮面ライダー ロケ地大画報」からの画像の引用となるが、「元の作品の権利、肖像権を侵害する物では無く、作品を120%楽しむ為の一つの手引き」(「仮面ライダー ロケ地大画報」自己紹介文から)として、筆者も引用させて頂くことをご了承下さい。

1.南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤(川崎市多摩区) ~第01話「怪奇蜘蛛男」より

仮面ライダー第01話「怪奇蜘蛛男」 @南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤

仮面ライダー第01話「怪奇蜘蛛男」 @南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤
仮面ライダー第01話「怪奇蜘蛛男」
@南武線稲田堤駅から程近い多摩川の二ヶ領堰堤

2.寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区) ~第4話「人喰いサラセニアン」より

仮面ライダー第4話「人喰いサラセニアン」 @寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区)

仮面ライダー第4話「人喰いサラセニアン」 @寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区)
仮面ライダー第4話「人喰いサラセニアン」
@寺尾台団地-長沢浄水場(川崎市多摩区)

3.台場公園(東京都港区)~第04話「人喰いサラセニアン」より

仮面ライダー第04話「人喰いサラセニアン」 @台場公園(東京都港区)

仮面ライダー第04話「人喰いサラセニアン」 @台場公園(東京都港区)
仮面ライダー第04話「人喰いサラセニアン」
@台場公園(東京都港区)

4.学園通り(稲城市坂浜)~第05話「怪人かまきり男」より

仮面ライダー第05話「怪人かまきり男」 @学園通り(稲城市坂浜)

仮面ライダー第05話「怪人かまきり男」 @学園通り(稲城市坂浜)
仮面ライダー第05話「怪人かまきり男」
@学園通り(稲城市坂浜)

ここまで正確にロケ地を割り出せるには、写真・映像・資料の読み込み&分析、Googleストリートビューでの事前調査(?)、現地調査のための日程等の手配(交通機関・宿泊施設等)、等々、膨大な時間と金額を要しており、仮面ライダーを心から好きでないと務まらないし、このyart先生に勝てる仮面ライダーファンや仮面ライダーマニアは世界中どこを探しても存在しないだろう。

気が遠くなるようなロケ地分析作業や現地調査には、本当に頭が下がる思いだ。

仮面ライダーのファンやマニアを自称する人は、必ずこの「仮面ライダーロケ地大画報」にアクセスすべし!

「仮面ライダーロケ地大画報」にアクセスしていない仮面ライダーファンや仮面ライダーマニアはモグリだ。

■仮面ライダーロケ地大画報
https://tourofancientbattlefield.blogspot.com/

■ロケ地大画報 公式Twitter @yartsensei
https://twitter.com/yartsensei

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

かつて芝浦の海上に浮かんでいたロセッタホテル【連載:アキラの着目】

明治末頃に撮影されたロセッタホテル (港区立郷土歴史館所蔵、最新東京名所百景より)FJ時事新聞ニッポンニュースで度々取り上げてきた東京都港区の芝浦。

芝浦は知る人ぞ知る、伝説の刑事ドラマ『西部警察』のロケ地であった。

芝浦は江戸湾(東京湾)の浅瀬であったため、戦国時代には後北条氏が水軍拠点を置き、北条氏縁戚の吉良頼康と玉縄城主・北条綱成の管理下に置かれていたとのことだ。

そんな由緒ある(?)芝浦だが、明治時代には海上に浮かぶロセッタホテルがあった。

ロセッタホテルは、JR「田町」駅とゆりかもめ「芝浦ふ頭」駅の中間地点にあったと思われる(1/20000「東京南部」[明治42年測図大正4年製版 1896-1909]参照のこと)。

1/20000「東京南部」[明治42年測図大正4年製版 1896-1909]
1/20000「東京南部」[明治42年測図大正4年製版 1896-1909]
1/20000「東京南部」[明治42年測図大正4年製版 1896-1909]の芝浦地区の拡大図及びロセッタホテル
1/20000「東京南部」[明治42年測図大正4年製版 1896-1909]の芝浦地区の拡大図及びロセッタホテル
現在の芝浦周辺及びロセッタホテルがあった場所
現在の芝浦周辺及びロセッタホテルがあった場所

明治末頃に撮影されたロセッタホテル (港区立郷土歴史館所蔵、最新東京名所百景より)
明治末頃に撮影されたロセッタホテル
(港区立郷土歴史館所蔵、最新東京名所百景より)

このロセッタホテル、ご覧のように大型船をリノベーションしたホテルだったのだ。

明治末頃に撮影されたロセッタホテル(港区立郷土歴史館所蔵、最新東京名所百景より)と同じ場所からの写真 Google ストリートビューから引用
明治末頃に撮影されたロセッタホテル(港区立郷土歴史館所蔵、最新東京名所百景より)と同じ場所からの写真
Google ストリートビューから引用

ロセッタホテルの元になった大型船は、1900年(明治33年)に日本丸級貨客船3隻の予備としてイギリスから東洋汽船が購入した「ロセッタ」だった。

その「ロセッタ」を「ろせった丸」(3,502トン)と命名し、翌1901年(明治34年)12月5日から始まった香港・マニラ航路に就航させたのだが、日露戦争時に「ろせった丸」は軍に徴傭され、病院船として軍務に服したのだった。

東京風景(小川一真出版部 明44.4出版) 国立国会図書館デジタルコレクションから引用 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764167/61
東京風景(小川一真出版部 明44.4出版)
国立国会図書館デジタルコレクションから引用
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764167/61
「Rosetta Hotel. ロセッタホテル p61/64
是は芝浦の海瀕に在るロセッタホテルの全景也、本館は日露交戰の際武器兵厰運送の用に充る爲め、外國より購入せしロセッタ號と稱せし船舶の化身なり、元來老船なりし爲め、爾後航海の用に適せざるいり茲に据付けて旅館兼料理店と爲し、一種風變りの設備を呼びものとし、世の喝采を博するの趣向なり」

当時のガイドブック等によれば、和・洋・中華の料理を500人で会食可能な大広間や1,000人以上が使用できる園遊会場・船内宿泊の設備があったとの記載がある。

画家・木村荘八は「芝浦の埋め立てが始まる頃、忽然として海の中に、長い桟橋伝いに行く、ロセッタ・ホテル(表記原文のまま)という、大汽船を澪につないだ異観。それを改造してホテル仕立てにした新風景が現われて、一時流行したことがあった」(『大東京繁盛記』)と記している。

その後、「ろせった丸」は第一次世界大戦に駆り出されたようだが、詳細は不明でいつ廃船になったかもわからない。

かつて海上に浮かぶ大型船のホテルがあったとは思えないくらい陸地と化した芝浦。

歴史を掘り下げたい人は芝浦散歩をオススメする。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京23区最高所の神社・タワー大神宮【連載:アキラの着目】

コロナ禍により初詣に行けなかった人も例年よりもいるときく、令和3年の今年。

まだ初詣に行っていないのであれば、ニッポンニュースからオススメしたいのがタワー大神宮だ。

タワー大神宮 東京タワー TokyoTower公式サイトから引用
タワー大神宮
東京タワー TokyoTower公式サイトから引用

タワー大神宮は東京23区最高所に鎮座する神社として名を馳せており、名称からどこなのか、おおよそバレバレかと思うが、そう、東京タワーのメインデッキ2階に鎮座しているのだ。

東京タワーの運営会社創立20周年を記念し、1977年(昭和52年)、東京タワー及び来塔客の安全・健康を祈願してタワー大神宮は建立され、現在に至っている。

幸稲荷神社の境外末社であるタワー大神宮は、伊勢神宮より御神霊をお招きし、天照皇大神をお祀りする由緒ある神社であり、年間を通して多くの参拝客が訪れる人気スポットでもある。

そのタワー大神宮は主に縁結び、学業成就にご利益があるといわれている。

昨今人気の御朱印(300円/1枚)もあり、2020年8月7日に刷新されたデザインは以下の2種類。

・桜舞う中に立つピンク色の可愛らしい東京タワー
・朝日昇る富士山と神々しい東京タワー

タワー大神宮御朱印2種 東京タワー TokyoTower公式サイトから引用
タワー大神宮御朱印2種
東京タワー TokyoTower公式サイトから引用

御朱印の配布場所は、東京タワー・フットタウン3階「OFFICIAL SHOP GALAXY」で、タワー大神宮に参拝後、ショップスタッフにまで声掛けすると応対してくれる。

その際に展望チケットの半券を提示しないと御朱印を受け取れないので要注意。

【タワー大神宮 詳細】

・御祭神:天照皇大神
・鎮座地:東京都港区芝公園4-2-8
・創建年代:昭和52年(1977)
・最寄駅:赤羽橋(都営大江戸線)、御成門(都営三田線)、神谷町(日比谷線)、大門(都営浅草線・都営大江戸線)、浜松町(JR・東京モノレール)
     バス停:東京タワー・東麻布一丁目・虎ノ門五丁目

■メインデッキ内 “タワー大神宮”の御朱印をお授けいたします。 | 東京タワー TokyoTower
https://www.tokyotower.co.jp/event/tower-info/goshuin/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

”リーマン”の聖地「ニューしんばしビル」、2022年までに解体予定【連載:アキラの着目】

酔っ払った”リーマン”(=サラリーマン)にテレビ局がインタビューする場所としてすっかりお馴染みになっているのが、JR新橋駅SL前広場とニューしんばしビル前だ。

その1つのニューしんばしビルが「安全性の評価Ⅰ」という耐震強度不足のビルとして東京都より実名公表され、震度6強~7で倒壊する可能性が高いため、2022年までの解体が予定されている。

中央から左側に写るビルがニューしんばしビル
中央から左側に写るビルがニューしんばしビル

ニューしんばしビルの解体後は、その地に30階建ての超高層ビル2棟が建つとのことだ(2023年完成予定)。

いつ訪れても”リーマン”だらけで、”リーマン”の聖地であるニューしんばしビルだが、この地は元々、戦後、国内最大の闇市だった所。

戦後の焼け野原で愚連隊が闊歩しまくる無法地帯だったエリアとも言えるが、そこにニューしんばしビルが建設されたのだった(1971年完成)。

緊急輸送道路に接していないニューしんばしビルは補助金の対象外で、耐震改修を自己資金だけで行うには区分所有者の費用負担があまりにも重くのしかかり、それゆえに区分所有者の合意形成がなかなか進まず、今までニューしんばしビルの改修や解体の話がなかなか実現しなかった。

だが、確実に東京直下型地震が起きることはわかっており、このまま完成当時のままでいるわけにもいかず、ニューしんばしビルの解体は致し方ない。

なお、ニューしんばしビルとは正反対側の、新橋駅東口エリアにある新橋駅前ビル1号館、2号館も同様に解体されることになり、この数年で新橋の再開発が進むことになる。

”リーマン”の聖地が解体されることで、求心力が失われるかもしれないリスクが生じたり、垢抜けて若者志向の街に変わるのではといった杞憂がないとは言い切れないが、新橋のさらなる輝きのある未来を期待したい。

【ニューしんばしビル】

・所在地:東京都港区新橋2-16-1
・竣工年:1971年
・階数:地上11階・地下4階
・アクセス:JR山手線「新橋」駅日比谷口徒歩1分、東京メトロ銀座線「新橋」駅8番口徒歩2分

■新橋タウン情報 ニュー新橋ビル1階商店会
http://www.shinbashi.net/02/

新橋タウン情報 ニュー新橋ビル1階商店会 から引用
新橋タウン情報 ニュー新橋ビル1階商店会 から引用

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

貴方は全部読める?東京難読地名【連載:アキラの着目】

中国から朝鮮半島を経て伝来してきた漢字。

日本での漢字の読み方には「音読み」と「訓読み」の2通りがあり、伝来当時の中国での発音に似た読み方が音読みで、大和言葉(やまとことば 古代の日本語)を充てて読むのが訓読みだ。

なので、同じ漢字でも読み方が2通り以上あり、これが日本語を学習する外国の人たちにとっては厄介なものとなっているようだ。

そんな日本での漢字の読み方なのだが、日本人でもなかなか読むことができなかったりする地名があったりする。

今回は、そこの住民でないと読めなかったり、知らないと全く読めないような難読地名を東京エリアから厳選して紹介する。

1.舎人(とねり 足立区)

舎人は「とねり」と読む。

舎人という地名の由来には諸説あり、舎人親王(天武天皇の皇子)がこの地にやってきたからとか、古代の宮廷に仕え警備や雑用等をする下級役人(=舎人)がこの地に住んでいたから、等々あるが、、いずれにしても「舎人」を引っ張ってきて付けた地名ということだろう。

2.麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう 港区)

現在のロシア大使館周辺には鼬坂や鼠坂、等々、坂が多く、高低差がある場所として知られている麻布狸穴町。

坂の名称や、この「狸穴」という地名から、鼬、狸などといった野良動物が生息し、それら野生動物の巣や寝蔵があったであろうことは容易に想像がつく。

それゆえにこの地には「猯(まみあな)」という地名が付き、やがて「狸」という漢字と混同されてしまい、「狸穴」になったとする説が最有力だ。

3.石神井町(しゃくじいちょう 練馬区)

地方出身の日本人でも読めない地名。

この地で井戸を掘った際に、石剣が出土したことから、「石神の井」で石神井となったといわれている説が有力。

4.九品仏(くほんぶつ 世田谷区)

この地の近辺に上品堂、中品堂、下品堂の3つのお堂を持つ浄真寺という寺があり、そのそれぞれのお堂には上生、中生、下生に相当する3つの如来像があった。

その計9体の如来像を「九品仏」と呼んでいたことが地名の由来のようだ。

5.砧(きぬた 世田谷区)

古くは7、8世紀の頃に、朝廷に税として納める布を叩いて柔らかくし、ツヤを出すのに使った衣板(きぬいた)から由来したといわれている。

ちなみに、砧からやや離れた調布は、まさに「租庸調」の「調」として納める布を作っていた地だったといわれている。

6.蛇崩(じゃくずれ 目黒区)

大正時代までは地名があったものの、現在は目黒区上目黒にある「蛇崩交差点」にしか名を留めていない蛇崩。

蛇崩という地名の由来は「蛇崩川」(現在は暗渠)という川が流れていたことに関係があり、「新編武蔵風土記稿」(江戸時代に編纂)という文献には、「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことからこの地名が生まれた」との記述があるが、真偽のほどは定かでない。

もう1つの説は、蛇崩川が、蛇行する水の勢いで大規模な土砂崩れが起こしていた大変な暴れ川だったから、蛇行する川が起こす土砂崩れで「蛇崩」になったとのこと。

7.油面(あぶらめん 目黒区)

江戸時代の中期、菜種の栽培が盛んだったこの地で絞られた菜種油が芝の増上寺や、その流れを汲む祐天寺において灯明用油として使用されていたそうだ。

この菜種油の奉納によって、絞油業に対する租税が免除されていたようで、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」となり、その「油免」がいつしか「油面」に変貌したと伝えられている。

以上がFJ時事新聞ニッポンニュースが厳選した東京難読地名だが、貴方は全て読むことができたであろうか?

また機会があれば、厳選した難読地名を取り上げたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part20~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第20弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)

正解は港区芝浦で、それも竹芝橋だ。

古いほうの写真は、もうFJ時事新聞を見慣れている人ならおわかりかと思うが、伝説の刑事ドラマ『西部警察』でのワンシーン。

加納竜さん演じる新人刑事・桐生一馬が一般道を高速で走行し、ダイブした名シーンなのだ(芝浦運河を飛び越えたシーンとは異なる)。

背景の窓ガラスが細かいビルは現在も存在している東京ポートボールというボーリング場。

この竹芝橋のある通りは「旧海岸通り」で、『西部警察』では頻繁にカーアクションで使われたロケ地なのだ。

A2.港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)

これまた正解は港区芝浦で、芝浦運河通りのほう。

写真右手には現在、愛育病院が建つ。

地図をご覧頂ければ一目瞭然だが、芝浦運河通りの愛育病院前は、第1問の竹芝橋とは目と鼻の先ほどの距離。

つまり、『西部警察』のカーアクションは、同じ芝浦界隈で撮影されても、同じエリアばかりで撮影したと視聴者から悟られないように、様々な角度から撮影されていたのだ。

A3.港区芝浦(竹芝橋 北側)

港区芝浦(竹芝橋 北側)

正解は、これもやはり港区芝浦で、竹芝橋の北側から撮影している写真だ。

「3つ連続で港区芝浦とは、いいかげんにしろ!」と怒り心頭の人もいるかもしれないが、そこは気長にお付き合い願いたい。

竹芝橋は道路の平地部分に比べ、一段高いため、古い写真でいうと、クルマ3台の背景に映り込む道路面が高くなっているのが判別ポイントの1つ目。

もう1つの判別ポイントは、やはり背景に映り込んでいる、道路の突き当りにある茶色の建物だ。

この茶色の建物は現在も存在しているので、ゆえに東京都港区芝浦と判別できるのだ。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 東京ポートボール方面)の今昔

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)の今昔

港区芝浦(芝浦運河通り 愛育病院前)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 北側)の今昔

港区芝浦(竹芝橋 北側)の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画、『西部警察』のロケ地を見つけたら、取り上げてみたい。

藤井聡太二冠に続け!新型コロナウイルスに負けるな、新橋名物・青空大盤将棋大会【連載:アキラの着目】

毎年恒例の、ニュー新橋ビル入り口周辺で20年続いている新橋名物・青空大盤将棋大会(参加費無料)。

新橋名物・青空大盤将棋大会 新橋のオフィシャル情報サイトは新橋タウン情報・新橋ねっとから引用
新橋名物・青空大盤将棋大会
新橋のオフィシャル情報サイトは新橋タウン情報・新橋ねっとから引用

雨天でなければ、4月~11月頃までの毎週土曜日に開催中だ。

今年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催を自粛していたが、東京都の新型コロナウイルス感染拡大に伴う休業要請全面解除により6月20日から再開。

参加者はマスクの着用とアルコールによる手指消毒が徹底されている。

最近では、棋聖・王位の二冠を達成したプロ棋士・藤井聡太さんの影響で、小学生が大人に混じり堂々と真剣勝負を挑む姿も頻繁に見られるようになった。

将棋を指すことは、じっくりと考える習慣や、積み重ねて戦略を立てていくといった地道なスキルも身につくといわれている。

また、自分の責任で一手一手を指す厳しさや、相手の手の意味を考え、相手の思惑を見抜くことも、将棋の魅力だ。

近い将来、この新橋名物・青空大盤将棋大会から藤井聡太二冠に続くようなプロ棋士が誕生することを期待したい。

なお、おじさん達に混じって将棋を指すのが恥ずかしい初心者の少年少女のために「大盤将棋少年少女道場」も開催されており、早稲田大学の学生さん達がボランティアで将棋を指導してくれる。

勝ち抜きトーナメントの「名人戦」も開催予定なので、腕に覚えのある将棋好きはぜひ新橋に繰り出そう!

【新橋名物・青空大盤将棋大会 詳細】

・主催:ニュー新橋ビル商店連合会
・開催日時:令和2年4月~11月頃 毎週土曜日12:00~開催(雨天中止)
・場所:ニュー新橋ビル SL広場側入口前
・問合せ:TEL:03-3580-0063(水、金10時~15時)

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

旧芝浦花街の「見番」再生、地域住民交流の場・伝統文化交流館に【連載:アキラの着目】

港区立伝統文化交流館 港区立伝統文化交流館公式サイトから引用かつての東京には50近くの花街(かがい・はなまち)が存在した。

花街についてよく知らない人のために説明すると、花街とは元々、芸者屋、遊女屋が集まっているエリアをいっていた。

近年では、芸妓(=芸者)のいるエリアを花街といい、遊女・娼婦はいない。

話を元に戻すと、今でも東京で現存している花街は神楽坂や赤坂、新橋などで、廃れて消滅した花街のほうが圧倒的に多い。

芝浦(東京都港区)も花街が消滅してしまったエリアだ。

しかし、往時の姿を残す、見番(※)だった木造建築は、奇跡的に残されている。

旧芝浦花街にある見番だった木造建築(2012年当時)
旧芝浦花街にある見番だった木造建築(2012年当時)

芝浦花街の見番だった木造建築は、昭和11年に芝浦花柳界の見番として建設され、利用されたが、東京都が建物を買い取り、戦後は「協働会館」として港湾労働者宿泊所に利用されてきた。

平成21年に東京都から港区へ無償譲渡されたのを機に港区は、見番だった木造建築を港区有形文化財に指定したが、前掲画像および以前のニッポンニュース(2017年11月13日ニッポンニュース「FJ時事新聞近辺散歩 ~芝浦(東京都港区)~【連載:アキラの着目】」)で取り上げた通り、老朽化のためネットが張られ、しばらくは立入禁止だった。

ところが、平成26年度に、歴史的に貴重なこの、見番だった木造建築を保存し、かつ区民等の利用に供して利活用するために、地域との意見交換も踏まえ、整備計画を策定したのだ。

そしてついに、今年令和2年5月26日に伝統文化交流館としてオープン、様々な伝統文化や地域の文化に関する事業を行うことにより、伝統や文化を次世代へと繋いでいく施設に再生されたのだった。

港区立伝統文化交流館 港区立伝統文化交流館公式サイトから引用
港区立伝統文化交流館
港区立伝統文化交流館公式サイトから引用

施設内には地域の歴史・文化展示スペース、観光案内・散策立ち寄りスペース、福祉喫茶・特産品等紹介販売スペースが設置され、舞台もあることから寄席や演劇等の公演も催されることだろう。
港区立伝統文化交流館 港区立伝統文化交流館公式サイトから引用

港区立伝統文化交流館内 港区立伝統文化交流館公式サイトから引用
港区立伝統文化交流館内
港区立伝統文化交流館公式サイトから引用

無料だから、近隣に住んでいる人やオフィスで勤務している人は、行ってみるべし。

※見番とは、「置屋」、「料亭」、「待合」からなる「三業」を取りまとめて、芸者の取次や派遣、遊興費の清算をする施設をいい、検番と表記することも。

【伝統文化交流館(旧協働会館) 概要】

・所在地:港区芝浦1-11-15(2階建)
・アクセス:JR田町駅東口 徒歩8分、都営地下鉄三田駅A6出口 徒歩9分、ちぃばす芝ルート・芝浦港南ルート(品川駅港南口行)「みなとパーク芝浦」徒歩3分、芝浦港南ルート(田町駅東口行)「芝浦一丁目」徒歩4分
・開館日:1月4日~12月28日(その他臨時休館日あり)
・開館時間:午前10時~午後9時
・入館料:無料(「交流の間」を貸切利用する場合や、催しによっては別途料金かかる場合あり)
・敷地面積:618.10平方メートル
・延床面積:442.36平方メートル
・問合せ:03-3455-8451

港区立伝統文化交流館までのアクセス 港区立伝統文化交流館公式サイトから引用
港区立伝統文化交流館までのアクセス
港区立伝統文化交流館公式サイトから引用

【伝統文化交流館(旧協働会館) 貸室の案内】

2階「交流の間」を貸室として利用可能(要事前の利用登録)

・対象:区内在住・在勤・在学の団体または個人
・貸室使用料:午前 午前10時から正午まで 5,700円
       午後 午後2時30分から5時30分まで 8,500円
       夜間 午後6時から9時まで 8,500円

来館にあたっては、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、以下のことに理解と協力をすること

●ご来館前に健康状態の確認と検温を行い、体調のすぐれない場合は来館を控えること
 ※37.5度以上の発熱がある、息苦しさ(呼吸困難)・強いだるさがある、軽度であっても咳・咽頭痛などの症状があるなど
●過去2週間以内に、感染が引き続き拡大している国・地域へ訪問したことがある場合は、来館を控えること
●館内ではマスク着用必須
●手指消毒すること
●周囲の人との間に適度な距離(最低でも1メートル以上)をとること
●混雑時は入場制限で待つ場合あり
●来館時は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、氏名・緊急連絡先等の記入に協力頂く

■港区立伝統文化交流館
https://minato-denbun.jp/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099