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貴方は全部読める?東京難読地名【連載:アキラの着目】

中国から朝鮮半島を経て伝来してきた漢字。

日本での漢字の読み方には「音読み」と「訓読み」の2通りがあり、伝来当時の中国での発音に似た読み方が音読みで、大和言葉(やまとことば 古代の日本語)を充てて読むのが訓読みだ。

なので、同じ漢字でも読み方が2通り以上あり、これが日本語を学習する外国の人たちにとっては厄介なものとなっているようだ。

そんな日本での漢字の読み方なのだが、日本人でもなかなか読むことができなかったりする地名があったりする。

今回は、そこの住民でないと読めなかったり、知らないと全く読めないような難読地名を東京エリアから厳選して紹介する。

1.舎人(とねり 足立区)

舎人は「とねり」と読む。

舎人という地名の由来には諸説あり、舎人親王(天武天皇の皇子)がこの地にやってきたからとか、古代の宮廷に仕え警備や雑用等をする下級役人(=舎人)がこの地に住んでいたから、等々あるが、、いずれにしても「舎人」を引っ張ってきて付けた地名ということだろう。

2.麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう 港区)

現在のロシア大使館周辺には鼬坂や鼠坂、等々、坂が多く、高低差がある場所として知られている麻布狸穴町。

坂の名称や、この「狸穴」という地名から、鼬、狸などといった野良動物が生息し、それら野生動物の巣や寝蔵があったであろうことは容易に想像がつく。

それゆえにこの地には「猯(まみあな)」という地名が付き、やがて「狸」という漢字と混同されてしまい、「狸穴」になったとする説が最有力だ。

3.石神井町(しゃくじいちょう 練馬区)

地方出身の日本人でも読めない地名。

この地で井戸を掘った際に、石剣が出土したことから、「石神の井」で石神井となったといわれている説が有力。

4.九品仏(くほんぶつ 世田谷区)

この地の近辺に上品堂、中品堂、下品堂の3つのお堂を持つ浄真寺という寺があり、そのそれぞれのお堂には上生、中生、下生に相当する3つの如来像があった。

その計9体の如来像を「九品仏」と呼んでいたことが地名の由来のようだ。

5.砧(きぬた 世田谷区)

古くは7、8世紀の頃に、朝廷に税として納める布を叩いて柔らかくし、ツヤを出すのに使った衣板(きぬいた)から由来したといわれている。

ちなみに、砧からやや離れた調布は、まさに「租庸調」の「調」として納める布を作っていた地だったといわれている。

6.蛇崩(じゃくずれ 目黒区)

大正時代までは地名があったものの、現在は目黒区上目黒にある「蛇崩交差点」にしか名を留めていない蛇崩。

蛇崩という地名の由来は「蛇崩川」(現在は暗渠)という川が流れていたことに関係があり、「新編武蔵風土記稿」(江戸時代に編纂)という文献には、「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことからこの地名が生まれた」との記述があるが、真偽のほどは定かでない。

もう1つの説は、蛇崩川が、蛇行する水の勢いで大規模な土砂崩れが起こしていた大変な暴れ川だったから、蛇行する川が起こす土砂崩れで「蛇崩」になったとのこと。

7.油面(あぶらめん 目黒区)

江戸時代の中期、菜種の栽培が盛んだったこの地で絞られた菜種油が芝の増上寺や、その流れを汲む祐天寺において灯明用油として使用されていたそうだ。

この菜種油の奉納によって、絞油業に対する租税が免除されていたようで、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」となり、その「油免」がいつしか「油面」に変貌したと伝えられている。

以上がFJ時事新聞ニッポンニュースが厳選した東京難読地名だが、貴方は全て読むことができたであろうか?

また機会があれば、厳選した難読地名を取り上げたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~麻布(東京都港区)~【連載:アキラの着目】

久々の「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、麻布だ。

一口に麻布といっても、「元麻布」、「西麻布」、「東麻布」、「南麻布」、「麻布台」といった広大な範囲を含み、戦前の麻布区が麻布そのものの範囲だといわれている。

現在でも麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)、麻布永坂町のように、地名の頭に「麻布」が付く地名が残っているが、それらはまさしく戦前は麻布区であった証だ。

麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)の狸穴坂
麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)の狸穴坂

六本木も元々は、そうした麻布にある1つの町に過ぎなかった。

そんな広い麻布であるが、麻布という地名の由来には諸説ある。

1つ目の説は、この一帯で麻を多く植え、布を織っていたことに由来し、麻がよく育つ土地という意味で「麻生」になり、これが転じて「麻布」となったとする説だ。

しかし、元々「麻布」は江戸時代くらいまでは、「阿佐布」、「麻生」、「浅府」、「安座部」といったように表記がまちまちで、現在の「麻布」表記に定着したのは幕末以降のようだ。

ということは、必ずしも麻が育っていた土地であったとか、麻で布を織っていた土地であったことは疑わしく、この説は信憑性が低いと言わざるを得ない。

もっともらしいあて字で表記する方が都合が良かったのだろう、おそらく表記の利便性を優先し、まちまちだった表記を「麻布」にしたと考える方が自然だ。

よって、この説は「麻布」の地名の由来としては却下。

2つ目の説は、アイヌ語由来説だ。

太古の昔、麻布十番の周辺までは海であった。

東京湾に突き出ている芝公園の高台から飯倉、麻布狸穴、鳥居坂、日ケ窪、麻布山麓、仙台坂と続く半島と、三田山、魚藍坂(ぎょらんざか)、三光町、恵比寿、天現寺まで続く半島に囲まれた内海は海草が繁殖し、小魚の天国であったので、早くから石器時代から住み着いた原人とアイヌ人がが仲良く住みついていたと考えられる(麻布山にも貝塚があったとのこと)。

当時、内海には小島が点在し、半島を横切るために舟や筏のような乗り物が頻繁に使われ、それらにより狩猟や物々交換をしていたようだ。

こうした舟や筏などで渡ることをアイヌ語で「アサップル」といい、この「アサップル」が転じて「アザブ」、それに漢字をあてて、現在の「麻布」になったとする説を稲垣利吉氏は主張している。

アイヌ語が、それも麻布のところだけ数千年も残るものなのか、これまた信憑性は低いように思われる。

最後の3つ目の説は、地形に由来する説だ。

「あざぶ」は「あさふ」でもあり、「あさふ」は口語では「あそう」と発音するため、「麻生」という表記をあてることもできる。

「麻生」とは「あぞ・ふ」とも発音し、「あぞ・ふ」はすなわち崖地の場所を表している言葉なのだ。

東京都港区の麻布は、まさに台地の縁にある崖地であり、高低差があるため、坂道が多いのはご承知のことかと。

したがって、「麻布」は崖地から由来した地名なのだという説で、信憑性が高いと思われる。

筆者は、3つ目の地形に由来する説が最も「麻布」の地名の由来としてしっくりくるように思う。

やはり、日本の地名は古来より地形から名付けることが多く、こんな地形だから悪天候の時は気をつけろ、みたいなハザード・メッセージを込めている場合が多いのだ。

例えば「龍」が付く地名は、一見カッコ良さそうだが、雨が降ると、その土地の川が、龍が暴れるかのように氾濫する、という意味だったり、鬼怒川もまさに似たような意味で、雨が降ると、鬼が怒ったかのごとく川が氾濫するから鬼怒川と名付けられたのだ。

なので、「麻布」は崖地ですよ、という意味を伝えるために名付けられたのだと考えると、無理がないかなと思う次第だ。

気になる人は、古くから麻布に住むご老人に訊き取りすると、真相がわかるかもしれない。

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責任編集:拡輪 明-HS099