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今後の社会のあるべき道を家康公から学ぶための「新家康公検定2019」【連載:アキラの着目】

通算第9回となる新・家康公検定2019が「わがふるさとは、三河~家康公と三河武士たち」をテーマに、10月6日に愛知県岡崎市で開催される。

新家康公検定2019
新家康公検定2019

厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)を旗印に、幾多の艱難辛苦を乗り越え、戦国乱世を平定。

パクストクガワーナ(徳川の平和)と呼ばれる世界史的にも類を見ない265年もの長きに亘る天下泰平の世の礎を築いた徳川家康公。

優れた武将であり、大政治家でもある家康公について学び、家康公から学ぶことで、今後の社会のあるべき道を構想する機会として「新家康公検定2019」を実施するとのことだ。

「新家康公検定2019」の出題数は100問、そのうち70問以上正解した受験者に合格証を発行。

ちなみに「新家康公検定2019」の問題は四者択一式だ。

受験希望者は、2019年8月5日(月)までに、受験申込書に必要事項を記入のうえ、岡崎商工会議所へ申込むこと。

受験申込者には主催者発行の副読本1部を提供(8月中旬予定)。

締切まで3日間しかないため、徳川家康マニアはとにかく急げ!

【新家康公検定2019 詳細】

・開催日:2019年10月6日(日)
・開催時間:10:30~12:30(試験時間90分)
・会場:岡崎商工会議所(愛知県岡崎市竜美南1-2)、岡崎信用金庫本店(愛知県岡崎市菅生町元菅41)
・料金受験料:一般 2000円、小中学生 1000円
・問い合わせ先:岡崎商工会議所 家康公検定係(土日祝日を除く9:00~18:00) 電話 0564-53-6190
・主催:公益財団法人徳川記念財団、岡崎商工会議所
・協力:岡崎市・岡崎信用金庫・おかざき塾・幸田町
・後援:全国家康公ネットワーク
・備考:(1)受験資格は特になしも、小学校高学年以上を想定した設問 ※過去受験者年齢 小学2年生~92歳
    (2)受験者全員に受験記念品進呈
    (3)合格者に合格証発行 ※優秀合格者(満点合格者または上位合格者若干名)に公益財団法人徳川記念財団より表彰状交付
    (4)検定日当日、グレート家康公「葵」武将隊が勝どきをあげ、受験者と一緒に受験

■新家康公検定2019
http://www.okazakicci.or.jp/ieyasu/ieyasu_20190717/html_20190717/

■新家康公検定2019 実施要項
http://www.okazakicci.or.jp/ieyasu/ieyasu_20190717/html_20190717/images/outline.pdf

■新家康公検定2019 申込書
http://www.okazakicci.or.jp/ieyasu/ieyasu_20190717/html_20190717/images/entry.pdf

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

大阪城・豊国踊り(2019年8月10日土曜日)に真田幸村(信繁)参上!【連載:アキラの着目】

来たる8月10日(土)、大阪城・豊国踊りに豊臣家の忠臣・真田幸村(信繁)が参上だ!

「豊国踊りに真田幸村参上」を開催します 大阪城天守閣から引用
「豊国踊りに真田幸村参上」を開催します 大阪城天守閣から引用

真田幸村こと真田信繁は、大阪冬の陣・夏の陣でさんざんに徳川方を最も苦しめた豊臣方の武将だ。

天下人・豊臣秀吉ですら完全勝利を果たせなかった徳川軍に対し、圧倒的に数で劣るにもかかわらず、3度も負かしている戦名人の家が真田家なのだ。

戦(特にゲリラ戦)でこの真田家の右に出る大名はいないのだ。

しかし、大阪夏の陣では鉄壁の守りを誇った外堀を埋められてしまった大坂城(当時は大坂城)ではやる前から負け戦が決まっていたようなもの。

それでも、やれることを最大限やり抜いて、あとわずかで徳川家康本陣に切り込む手前で阻まれてしまい、大阪郊外の安居神社にて最期を遂げた。

その真田幸村(信繁)が時空を越えて、大阪城・豊国踊りに参上するというのだから、真田マニア・ファンは大喜びのことだろう。

元々「豊国踊り」は、豊臣秀吉の七回忌にあたる慶長9年(1604)8月に、「豊国ほうこく臨時りんじ祭礼さいれい」のクライマックスとして開催され、京都の町人1,500人が華麗な群舞を披露したのが始まりとされている。

慶長9年に開催された「豊国臨時祭礼」には、秀吉夫人の高台院(北政所)が参列し、諸大名が多くの馬を出し、華麗な騎馬行列が行われたが、関ヶ原合戦後、紀州九度山の地で蟄居の身であった真田幸村(信繁)はこの「豊国臨時祭礼」に関わって参加することができなかった。

その想いを受けて、元OSK日本歌劇団トップスターで12年にわたり真田幸村役を演じ続けている桜花昇ぼるさんが415年の時を越えて真田幸村(信繁)となり、参加を果たすのだ。

平成27年(2015)に「豊国祭礼図屏風」や『豊国とよくに大明神だいみょうじん臨時りんじ御祭礼ごさいれい記録きろく』等の文献史料を元に、学術的に「豊国踊り」を大阪城天守閣が復元し、現在では大阪の新たな夏の風物詩として定着しつつある。

豊国踊り 大阪城天守閣から引用
豊国踊り 大阪城天守閣から引用

真田マニア・ファンのみならず、大阪に足を運ぶ人は、大阪城・豊国踊りも観光すべし。

【豊国踊り 詳細】

・開催日時:令和元年8月10日(土)1回目 18時~、2回目 19時~
・開催場所:大阪城天守閣前本丸広場
・参加費:無料 ただし、天守閣入館の際は要入館料
・主催:大阪城天守閣
・作・演出:茂山千三郎(大蔵流狂言師)
・考証:橋本裕之(大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員・民俗学者)
・音楽:藤舎貴生
・振付:山村友五郎(上方舞 山村流六世宗家)
・企画&監修:北川央(大阪城天守閣館長)
・出演:宝塚歌劇団OG・OSK日本歌劇団OG
    朝宮真由、美砂まり、麻園みき、月川夏緒、真於夏希、美郷いつき、遥奈りお、紫穂まいか、美乃杏花、河合祥子、涼葉らんの、蒼音淳、綺華れい
・協力:大阪市日本民踊研究会、大日本印刷株式会社
・アクセス:Osaka Metro 谷町線 谷町四丁目駅・天満橋駅
             中央線 谷町四丁目駅・森ノ宮駅
             長堀鶴見緑地線 森ノ宮駅・大阪ビジネスパーク駅
      JR 大阪環状線 森ノ宮駅・大阪城公園駅
        東西線 大阪城北詰駅
      京阪 天満橋駅・京橋駅
      大阪シティバス 大阪城大手前・馬場町
      水上バス 大阪城港・八軒家浜船着場
・問い合わせ:電話 06-6941-3044 FAX 06-6941-2197

■「豊国踊りに真田幸村参上」を開催します  大阪城天守閣
https://www.osakacastle.net/events/「豊国踊りに真田幸村参上」を開催します

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

寒空でも映える芝・増上寺の満開櫻(東京都港区)【連載:アキラの着目】

一昨日の時点では、靖国神社の櫻が五分咲きとのことで、まだ満開までには数日かかるなと思いきや、なんと翌日には東京の櫻は満開との発表があり、うれしいけれどもやや戸惑いを隠せない東京都民。

櫻満開ですっかり気候も春陽気だとはしゃいでいたら、昨日今日と東京は肌寒い冬に逆戻りで、なんとも安心できない季節だ。

しかし、満開の櫻が蕾に逆戻りすることは決してありえず、撮影するなら今のうちということで、寒空の中、芝・増上寺に繰り出してみた。

以前のニッポンニュース(2017年09月21日「東京タワーとのコントラストが面白い! ~芝・増上寺(東京都港区)~【連載:アキラの着目】」)でも取り上げた増上寺だが、満開の櫻目当てで訪れる人が内外問わずそこそこいた。

やはり増上寺といえば、バックに聳え立つ東京タワーとのコントラストを撮影しないわけにはいかない。

ありきたりの撮影ポイントと言ってしまえば、確かにその通りなのだが、でもやはりこの位置からの撮影は必須だろう。

ということで撮影した写真が↓。
芝 増上寺三解脱門東京タワーとのコントラストが面白い、櫻満開の芝 増上寺芝 増上寺の境内に咲いている満開の櫻

寒空でも映える芝・増上寺の満開櫻と、東京タワー。

でもやはり青空の方が、さらに増上寺の満開櫻は映えたかもしれない。

ちなみに増上寺の歴史は古く、約600年前からこの地にある。

徳川家康が入府した頃にはすでに増上寺は存在したのだ。

家康が江戸城を改修する際に、今風に言うと、”風水のプロフェッショナル”である天海僧正に”都市計画”を任せ、江戸城の鬼門にあたる北東に浅草寺を、裏鬼門にあたる南西に目黒不動尊(瀧泉寺)を置いた。

その後、三代将軍・徳川家光の時に江戸の街の鬼門にあたる北東に寛永寺を置き、寛永寺-江戸城大手門の延長線上にある増上寺の境内に、祖父・家康公の寿像を祀る社殿「安国殿」を建立し、大権現・家康公の神力をもって江戸の守護と繁栄を願ったのだ。

なので、寛永寺-江戸城大手門-増上寺は見事に一直線上に並ぶのだ。
寛永寺-江戸城大手門-増上寺ライン

現在のような精密な測量技術やGPSによる位置情報の取得ができなかった昔に、よくぞまあ、ピッタリ一直線に3つとも並べたよね、と感心してしまう。

さらに余談だが、江戸を平和な街にするため、様々な風水の仕掛けをしていたようだ。

「ついで、江戸城、諏訪、東照宮(日光・久能山)の位置 - 古代日本史への情熱」から引用
「ついで、江戸城、諏訪、東照宮(日光・久能山)の位置 – 古代日本史への情熱」から引用

【関連サイト】
・ついで、江戸城、諏訪、東照宮(日光・久能山)の位置 – 古代日本史への情熱
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/6d0de9e480fc8e58459c4182c7e414e6

話がだいぶ横道に逸れてしまったが、増上寺にはこうした重要な役目が任されてきた寺院であり、訪れることでご利益があること間違いないだろうから、花見がてらでも訪れると良いだろう。

■大本山 増上寺
http://www.zojoji.or.jp/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

3.15-17の期間限定「名古屋城本丸御殿カフェ」@表参道【連載:アキラの着目】

「尾張名古屋は城でもつ」と言われるくらいに、名古屋発展の礎となった名古屋城。

その名古屋城はアメリカ軍の空襲によって焼失、戦後再建され現在に至っているが、近世城郭御殿の最高傑作と言われた名古屋城本丸御殿は長らく再建されなかった。

それがようやく2009年(平成21年)1月に復元に着手し、2018年(平成30年)6月に名古屋城本丸御殿が再建・公開された。

名古屋城本丸御殿の再建には江戸時代の文献や、戦前に撮影された多くの写真、実測図を元に在りし日の姿を忠実に蘇らせただけあって、復元・再建だからといっても、全然遜色のない完成度なのだ。

その名古屋城本丸御殿の魅力を体感できる特設カフェが、3.15-17の期間限定で表参道にオープンする。

3.15-17の期間限定、「名古屋城本御殿カフェ」@表参道(東京都港区) HELLO GORGEOUS! ゴージャスを遊べ。 名古屋城本丸御殿から引用
3.15-17の期間限定、「名古屋城本御殿カフェ」@表参道(東京都港区) HELLO GORGEOUS! ゴージャスを遊べ。 名古屋城本丸御殿から引用

キャンペーンキャラクターのタレント・高田純次さんが目印だから、名古屋城本丸御殿カフェに行くのはわかりやすい。

3.15-17の期間限定、「名古屋城本御殿カフェ」@表参道(東京都港区) 名古屋城本丸御殿キャンペーン「HELLO GORGEOUS! ~ゴージャスを遊べ。」開催! | お知らせ | 新着情報 | 名古屋観光情報公式サイト 名古屋コンシェルジュから引用
3.15-17の期間限定、「名古屋城本御殿カフェ」@表参道(東京都港区) 名古屋城本丸御殿キャンペーン「HELLO GORGEOUS! ~ゴージャスを遊べ。」開催! | お知らせ | 新着情報 | 名古屋観光情報公式サイト 名古屋コンシェルジュから引用

名古屋城本丸御殿カフェ内は、名古屋城本丸御殿の魅力を体感できるように、名古屋城本丸御殿室内の襖絵や欄間、障壁画等をイメージした壁面が施されている。

そのうえイベント期間中は、名古屋の歴史や徳川家康、江戸のこと等、名古屋に関連することならば“名古屋おもてなし武将隊”の徳川家康公が何でもお答えする。

肝心のカフェは、尾張徳川家の御用菓子屋・桔梗屋の流れを組む「一朶(ICHIDA)」が“待ち遠しい本丸御殿の春”を表現した中干菓子や、名古屋城をイメージしたあんだまを『名古屋城 本丸御殿カフェ』オリジナル和スイーツとして提供。

『春待ち』セット 1,100円(税込) 名古屋城本丸御殿キャンペーン「HELLO GORGEOUS! ~ゴージャスを遊べ。」開催! | お知らせ | 新着情報 | 名古屋観光情報公式サイト 名古屋コンシェルジュから引用
『春待ち』セット 1,100円(税込) 名古屋城本丸御殿キャンペーン「HELLO GORGEOUS! ~ゴージャスを遊べ。」開催! | お知らせ | 新着情報 | 名古屋観光情報公式サイト 名古屋コンシェルジュから引用
『あんころ城』セット 900円(税込) 名古屋城本丸御殿キャンペーン「HELLO GORGEOUS! ~ゴージャスを遊べ。」開催! | お知らせ | 新着情報 | 名古屋観光情報公式サイト 名古屋コンシェルジュから引用
『あんころ城』セット 900円(税込) 名古屋城本丸御殿キャンペーン「HELLO GORGEOUS! ~ゴージャスを遊べ。」開催! | お知らせ | 新着情報 | 名古屋観光情報公式サイト 名古屋コンシェルジュから引用

他には、派手好きな名古屋らしく金箔入コーヒーも提供しているので、インスタ映えを狙う人も満足するはずだ。

3月15日(金)、16日(土)、17日(日)の3日間限定なので、逃さず繰り出そう!

【名古屋城本丸御殿カフェ 詳細】

・場所:Zero Base 表参道External link(東京都港区南青山5-1-25)
・アクセス:東京メトロ「表参道駅」より徒歩1分
・期間:2019年3月15日(金)、16日(土)、17日(日)
・営業時間:11:00~19:00(17日は18:00まで)
・連携/協力:一朶(ICHIDA)External link、marimomenExternal link、cucuriExternal link、(公財)名古屋観光コンベンションビューロー

■名古屋城本丸御殿カフェ
https://www.nagoya-info.jp/news/2019/03/hello_gorgeous.html#cafe

■HELLO GORGEOUS! ゴージャスを遊べ。 名古屋城本丸御殿
https://nagoya-gorgeous.jp/

■名古屋城公式ウェブサイト
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

※料金は、平成31年3月14日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~神田駿河台(東京都千代田区)~【連載:アキラの着目】

歌川広重『水道橋駿河台』「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、神田駿河台だ。

現在、神田駿河台とよばれるエリアは駿河台といわれ、JR御茶ノ水駅の西側および神田川の南側に位置する。

元々は、この神田駿河台の大地は、神田川北側の湯島台とよばれるエリアと陸続きになっていた。

しかし、1590年に徳川家康が江戸に入府して以降、江戸城は整備され続け、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことで、1枚の台地が南北に分離されることとなった。

幕末あるいは明治初期の仙台堀こと神田川(現在の御茶ノ水付近)
幕末あるいは明治初期の仙台堀こと神田川(現在の御茶ノ水付近)
上の写真とほぼ同じ場所の現在
上の写真とほぼ同じ場所の現在

ちなみに開削した際の土砂は、日比谷入江を埋め立てるのに用い、現在の丸の内や有楽町が海から陸地となった。

なぜ、この仙台堀(神田川)によって分断された南側のエリアを駿河台というのかについては諸説ある。

1つ目は、1616年(元和2年)の徳川家康死去の後に、駿河国(現在の静岡県)の国府が置かれた都市・駿府より幕臣が江戸に呼ばれ、この地に屋敷を与えられたことに由来するという説。

2つ目は、駿河大納言といわれた、江戸幕府三代将軍・徳川家光の弟である忠長の屋敷があったことに由来するという説。

3つ目は、江戸の中でも比較的高台であるこの地から、駿河国の富士山がよく見えたことに由来するという説だ。

現在の千代田区には、富士見坂という名が付いた坂が2つ残っており、これら2つの坂は駿河台よりも低い。

ということは、これらの2つの坂よりも「高地」である駿河台からも当時は富士山が見えたであろうことは想像に難くなく、これらの事象から推測するに、駿河台の地名の由来は、3つ目の「駿河国の富士山がよく見えたことに由来する」説が有力と思われる。

歌川広重『水道橋駿河台』
歌川広重『水道橋駿河台』

歌川広重『水道橋駿河台』に描かれた現在のJR御茶ノ水駅周辺(水色エリアは神田駿河台)
歌川広重『水道橋駿河台』に描かれた現在のJR御茶ノ水駅周辺(水色エリアは神田駿河台)

駿河台は1960年代になると、JR御茶ノ水駅から本郷通り沿いを中心に、学生相手の店舗が多くなったこともあって、”日本のカルチェラタン”と呼ばれたこともあった。

現在、駿河台は、相変わらず大学・専門学校が多いエリアとして知られている。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

1人でも複数でも参加OK!「関ケ原古戦場で馬防柵をつくろう!」イベント【連載:アキラの着目】

「天下分け目の戦い」として誰もが知る関ヶ原の戦い。

古代中国から伝わった八陣図の中の1つ、「鶴翼の陣」を敷いて、徳川家康率いる東軍を包囲し、万全の体制を採った石田三成率いる西軍。

有利な布陣だったにもかかわらず見方が東軍に寝返ったことで、石田三成はこの関ヶ原の戦いに負けてしまった。

その石田三成が布陣したのが笹尾山で、ここに馬防柵を作ろうというイベントが、2018年12月1日(土)に行われる。

関ケ原古戦場で馬防柵(ばぼうさく)をつくろう!
関ケ原古戦場で馬防柵(ばぼうさく)をつくろう!

参加費無料で、7名程度を1チームとして、各チーム1ユニットの馬防柵を設置し、その後は戦国汁を食べながら、皆で親交を深めるというイベントだ。

グループはもちろん、1人でも参加できる。

自分の手で関ケ原に馬防柵を作るということは、めったにない機会なので、今からこの貴重な体験イベントに申し込んじゃおう!

ちなみに馬防柵とは、味方陣地を敵の攻撃から守るための柵をいう。

馬防柵
馬防柵

長篠設楽原の戦いの際に、織田信長がこの馬防柵を使用したことで知られている。

関ケ原合戦図屏風でも随所に馬防柵が描かれており、関ケ原では石田三成陣地のある笹尾山麓に復元設置されている。

【関ケ原古戦場で馬防柵(ばぼうさく)をつくろう! 参加要項】
●開催日時:2018年12月1日(土)12:00~16:00〈受付11:30から〉(小雨決行)
●スケジュール:11:30 受付開始
        12:00~12:30 オリエンテーション
        12:30~15:00 馬防柵組み立て設置作業
        15:30~ 関ケ原戦国汁ふるまい・懇談会
●集合場所:笹尾山駐車場
●参加資格:中学生以上で元気のある方(安全に作業いただくため)
●参加料:無料
●参加人数:70名(1チーム7人程度) ※個人でもグループでも参加できます。
●受付期間:2018年11月22日(木)まで 参加人数に余裕がある場合は当日受付も行います。先着順で受け付け、定員に達した場合は受付を締め切ります。参加証の交付は行いませんので、当日時間までに指定場所に集合してください。
●参加方法:事前予約が必要です。
1 参加時に持参いただくもの
健康保険証 等
軍手、工具類等、作業に必要なものは事務局で用意します。動きやすく、汚れてもよい服装・靴でお越しください。防寒対策も万全に!
2 参加にあたっての注意
インストラクターによる作業説明を行った後、1チーム7名程度のチームをつくり、それぞれ1ユニット(幅4m×高さ3m)の馬防柵を組み立て、設置していただきます。
●免責事項:参加者は十分な健康管理のもとに参加してください。万一事故が発生した場合、主催者は加入保険の範囲を超える責任は負いませんのでご了承ください。
●参加特典:イベント参加者限定 馬防柵にお名前入りプレート設置! ※当日の設置ではなく後日の設置となります。
●申込方法:参加申込フォームまたは馬防柵設置イベント 参加申込書に、参加者の氏名(ふりがな)、性別、年齢、郵便番号、住所、電話番号、メールアドレスをご記入の上、郵便またはメールにてお申し込みください。
電話番号は申込者ご本人と直接連絡可能な番号をご記入ください。
メールアドレスはお持ちの方のみご記入いただければ結構です。
お預かりした個人情報は適切に管理し、参加者名簿の作成、連絡発送等、当イベントに関わる業務以外には使用しません。
●申し込み先:関ケ原町役場 地域振興課「馬防柵設置イベント」係宛 〒503-1592 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原894-58 TEL:0584-43-1112 メール:chiikishinko@town.sekigahara.gifu.jp
事前申込の締切日:2018年11月22日(木)
●主催:関ケ原町
●協賛:関ケ原観光協会
●問い合わせ先:関ケ原町役場 地域振興課 TEL:0584-43-1112

■関ケ原ファンによる関ケ原古戦場づくり 馬防柵設置イベント 関ケ原古戦場で馬防柵(ばぼうさく)をつくろう!|関ケ原歳時記
http://www.kanko-sekigahara.jp/event/babousaku4/

■Twitter 関ケ原観光情報 @1600_sekigahara
https://goo.gl/73YoFZ

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

戦国大名の家紋がデザインされたビスケット「エース家紋」【連載:アキラの着目】

今回のニッポンニュースで取り上げるのは「エース家紋」(日清シスコ株式会社・日清食品グループ)というビスケットだ。

発売されたのは2011年で、もう7年も前なのだが、まだ全国区的な知名度になっておらず、まだそんなに知られていないようなので、ご紹介する。

元々、日清シスコ株式会社は「エースコイン」という、コイン(古銭)を象った昔ながらのミルクビスケットを1955年から発売していた。

その姉妹品のような存在として、家紋をあしらった「エース家紋」という、おしるこ味のビスケットをリリースしたわけなのだ。

現在では、「エース家紋 ~戦国時代編~(ココア味)」も発売され、家紋の種類は以下の全22種で、家紋のイメージである黒色を「ココア味」にて再現している。

エース家紋 ~戦国時代編~(ココア味) 日清シスコ株式会社HPから引用
エース家紋 ~戦国時代編~(ココア味) 日清シスコ株式会社HPから引用

・織田信長
・徳川家康
・佐々成政
・浅井長政
・豊臣秀吉
・山内一豊
・明智光秀
・真田幸村(真田信繁)
・最上義光
・毛利輝元
・前田利家
・長宗我部元親
・宇喜多秀家
・小早川隆景
・竹中重治
・本多忠勝
・井伊直政
・島津義弘
・酒井忠次
・榊原康政
・石田三成
・加藤清正
(以上順不同)

エース家紋 ~戦国時代編~(ココア味)の家紋全22種 日清シスコ株式会社HPから引用
エース家紋 ~戦国時代編~(ココア味)の家紋全22種 日清シスコ株式会社HPから引用

ほぼ誰しもが知っている織田信長、徳川家康などの武将の家紋もあれば、佐々成政や最上義光といった歴史好きでないとほぼ耳にしない武将の家紋もあるなど、どういった基準でこの全22種の家紋を選出したのか気になるところだが、さすがにその選出理由については明らかにしてはいない。

工場での加工のしやすさ等を考慮すれば、北条氏(後北条氏)の「三つ鱗」は加工しやすい意匠なので、「エース家紋 ~戦国時代編~(ココア味)」に入れても良さそうなものだが、北条氏(後北条氏)の家紋は入っていない。

もしかしたら、工場責任者の好みがかなり優先されたり、またマーケティング的視点に立って売れ筋になれそうな武将の家紋を率先して入れたり、等々があるのだろう。

「六連銭(六文銭)」の真田は外せないなとか、中国・四国市場を考慮すると、毛利と長宗我部は絶対に選出しとけよ、という按配で。

いずれの家紋にしろ、口に運ぶ際にその家紋やその武将を多少ならずとも意識せざるを得ないので、これまで戦国武将や戦国時代に興味のなかった人でも、「エース家紋~戦国時代編~ ココア味」を食べることで印象に残りやすくなるかもしれない。

■「エース家紋~戦国時代編~ ココア味」(11月14日発売) | 日清食品グループ
https://www.nissin.com/jp/news/2463

■エース家紋~戦国時代編~ ココア味
https://goo.gl/oxMKhr

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

諏訪原城(続日本100名城・静岡県島田市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀今回ご紹介する「FJ時事新聞おすすめ名城」は、戦国時代屈指の大名だった武田氏による、武田流築城術の粋が注入された名城の諏訪原城だ。

武田勝頼は、遠江(とうとおみ。徳川領)攻略の出城として普請奉行に馬場美濃守信春、普請奉行補佐に武田信豊を命じ、天正元年(1573年)に諏訪原城を築城させたといわれている。

天正3年(1575年)に武田氏と徳川氏の間で激戦が繰り広げられ、同年8月諏訪原城は落城、武田氏の城から徳川氏の城となった。

武田氏の築いた城の多くには丸馬出(まるうまだし)が存在するのだが、この諏訪原城も例に漏れず、丸馬出が散見される。

丸馬出とは、城マニア以外の人には聞き慣れないワードだが、これは何なのかというと…。

その前に、そもそも「馬出」とは何なのかの説明をしなければならない。

「馬出」とは、虎口(こぐち。城の戦闘用出入口のこと)の外側に曲輪(くるわ。「郭」とも書く。城の内外を土塁、石垣、堀等で区画したエリア)を築き、防御力を高めたものをいうのだ。

虎口 「城用語集 馬出」から引用

虎口 「城用語集 馬出」から引用
虎口 「城用語集 馬出」から引用

元々は、何もない虎口だと、味方の作戦ややり口が敵にまる見えで、そのうえ敵がそのまま直進して突破してくるから、「的土」と呼ばれる遮りを虎口の前に築いたのだが、その的土が進化・発展したのが馬出となった。

的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用

的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用
的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用

馬出にも大別して2種類あり、敵に対する面が直線で四角い囲みの馬出を「角馬出」といい、後北条氏の城に多くみられる。

角馬出 「城用語集 馬出」から引用
角馬出 「城用語集 馬出」から引用

もう1つが、敵に対する面が曲線で丸い囲みの馬出を「丸馬出」といい、前述したように武田氏の城に多くみられる。

丸馬出 「城用語集 馬出」から引用
丸馬出 「城用語集 馬出」から引用

直線3辺の角馬出よりも、曲線1辺の丸馬出の方が短距離で造成コストが低く、さらに配置人数を少なくできる、というメリットがある。

ちなみに諏訪原城では、こうした丸馬出を随所に配置し、なおかつ丸馬出の前面に、丸馬出しの曲線に沿った三日月堀を構築し、万全な防御を敷いており、この丸馬出&三日月堀が見られる城は諏訪原城以外では、新府城、田中城、江尻城など数少ない城に限られている。

「新府城 信玄を捜す旅」から引用&流用
「新府城 信玄を捜す旅」から引用&流用
「田中城 古城巡りの記録」から引用&流用
「田中城 古城巡りの記録」から引用&流用

ということで、丸馬出関連の説明は終わりにして、本題に入る。

では諏訪原城を巡ってみよう。

諏訪原城の駐車場に最も近い大手南外堀そばの説明板だ。

諏訪原城の駐車場に最も近い諏訪原城大手南外堀そばの説明板
諏訪原城の駐車場に最も近い諏訪原城大手南外堀そばの説明板

この説明板の隣には、諏訪原城のガイドブックをコピーしたものが置かれており、これを見ながら諏訪原城巡りをすると良いだろう。

2枚目は、その説明板横の大手南外堀で、往時はもっと深かったものと推測される。

諏訪原城大手南外堀
諏訪原城大手南外堀

3枚目は、大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂で、右に少し見える緑の茶畑が当時の大手外馬出だ。

諏訪原城大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂と、右に少し見える茶畑が大手外馬出
諏訪原城大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂と、右に少し見える茶畑が諏訪原城大手外馬出

その大手外馬出にさらに近づき、撮影したのが4枚目の写真で、右側3分の2を占めるエリアがそう。

諏訪原城大手外馬出
諏訪原城大手外馬出

5枚目は、大手曲輪でやはり現在は茶畑と化している。

諏訪原城大手曲輪
諏訪原城大手曲輪

6枚目は大手北外堀で、これまたやはり往時はもっと深かったはずだ。

諏訪原城大手北外堀
諏訪原城大手北外堀

7枚目は外堀で、安易に踏み入れることはできないくらい深く、危険だ。

諏訪原城外堀
諏訪原城外堀

8枚目は、前述した二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀で、「諏訪原城といえばこれ!」というくらいの特徴となっている。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

昨今の城ブームにより、増加した来訪者の安全を確保するために、三日月堀に沿って柵が設置された。

9枚目は、先ほどの二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀に接近し撮影した「柵無しバージョン」の写真。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

10枚目は、西側から撮影した「西側バージョン」の二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀だ。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

この三日月堀に落ちたら間違いなく怪我するし、今の季節はスズメバチや蛇もいるだろうから、くれぐれも”道なき道”を歩かないように。

11枚目は、二の曲輪北馬出(右側)と堀切を撮影した写真で、敵の侵入を阻止するために元々真っ平らの地面を逆三角形状に土を掘り起こした。

諏訪原城二の曲輪北馬出(右側)と堀切
諏訪原城二の曲輪北馬出(右側)と堀切

12枚目は二の曲輪で、中央から左にかけて土塁が望める。

諏訪原城二の曲輪と土塁
諏訪原城二の曲輪と土塁

13枚目は、二の曲輪と本曲輪との間にある内堀。

諏訪原城二の曲輪と本曲輪との間にある内堀
諏訪原城二の曲輪と本曲輪との間にある内堀

やはりこの内堀も逆三角形状に掘り起こされており、人力による土木量がハンパないといった印象だ。

14枚目は、諏訪原城の中心となる本曲輪。

諏訪原城本曲輪
諏訪原城本曲輪

ここまで攻められたら、落城するしかない。

以上、戦国時代の名城・諏訪原城を観てきた。

敵の侵入をいかに阻止し、味方の攻撃を効果的に行なうかについて極められた城であることがおわかりになったと思う。

当然ながら、現在のようなブルドーザーやショベルカーなどの土木重機がない時代に造られた城で、すべて人力。

地元の農民などが駆り出され、これだけの土塁や堀を築いた凄さや過酷さが想像できよう。

開放的な諏訪原城のロケーションは、城に詳しくない人でも、ピクニック気分で巡ることができるので、ぜひ訪城することをおすすめする。

【諏訪原城(国史跡・続日本100名城)詳細情報】

・所在地:静岡県島田市菊川174
・電話番号:TEL0547-36-7967 FAX0547-37-2500(島田市役所 島田市教育委員会文化課 文化財係)
・入場料:無し
・駐車場:あり(無料)
・アクセス:JR東海道本線金谷駅下車 徒歩約30分、金谷駅より菊川神谷城線バス乗車、「諏訪原城バス停」下車。
      クルマ 金谷駅から3.7km(8分) 東名相良牧之原IC(約20分)、国道1号線バイパス大代IC(約15分)

■諏訪原城 島田市観光協会
http://shimada-ta.jp/tourist/tourist_detail.php?id=140

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

信州・上田城(長野県上田市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

上田城東虎口櫓門今回ご紹介する「FJ時事新聞おすすめ名城」が、真田昌幸・信繁(幸村)親子の居城として有名な信州の上田城だ。

ある程度、城に詳しい人からすれば、「なぜ今さら上田城を取り上げるんだ、ブームは2年前ではないか!」と叱責されるかもしれない。

というのも2年前は、真田信繁(幸村)を主人公とするNHK大河ドラマ『真田丸』が放送されており、上田城がそのドラマの影響やブームに乗っかって、大変な賑わいだったのだ。

逆にいうと、その賑わいや混雑ぶりを避けたく、遅れること2年、ようやく今年になって筆者が上田城を訪城したというわけだ。

上田城の歴史について簡潔に説明しよう。

上田城は天正11年(1583)に、越後(現在の新潟県)の戦国大名・上杉景勝に対抗するための前線基地として、徳川家康の援助の下、真田昌幸が築城した平城だ。

その後、真田昌幸が自領の沼田(現在の群馬県沼田)を関東の戦国大名・北条氏に割譲するよう徳川家康からいわれたため、それを不服として徳川家康の下を離れ、上杉景勝につくことになり、それに怒った徳川家康が上田城に7,000の兵を差し向けたのが天正13年(1585)の第一次上田合戦だ。

また、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸・信繁は、中山道から進軍する徳川秀忠の大軍(38,000人)をわずか2,500~3,000の兵で撃退したのが第二次上田合戦で、これら二度の合戦で大大名の徳川をコテンパンにやっつけた城として有名なのだ。

小さな大名が少ない手勢で、大きな大名の大軍を二度も撃破した城は、上田城以外では例がない。

真田昌幸が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れたことで、真田昌幸は九度山に配流され、上田城主は真田信之となり、以後、仙石氏(三代)、松平氏(七代)と変わり、廃城後は公園となって現在に至っている。

では、実際に上田城を巡ってみよう。

上田城縄張図(考察=三島正之氏) - 真田期の上田城縄張り - 信州まちあるき から引用および番号付記
上田城縄張図(考察=三島正之氏) - 真田期の上田城縄張り - 信州まちあるき から引用および番号付記

市営野球場の対面の駐車場に車を駐車したため、筆者が最初に訪れたのが(1)の空堀だ。

小泉曲輪側から見た上田城空堀

小泉曲輪側から観た写真で、わかりにくいかもしれないが、向かって左へ直角にくびれた堀がめぐらされている。

これは、横からも矢や火器を敵に浴びせることができるように、直角に堀を曲げているのだ。

こうした仕掛けを「横矢掛り」という。

(2)は尼ヶ淵の崖から見た上田城西櫓だ。

尼ヶ淵の崖から見た上田城西櫓

現在は公園や駐車場になっているこの尼ヶ淵は、上田城築城当時は千曲川が流れる天然の要塞で、この上田城南側は鉄壁の守りとなっていた。

(3)は尼ヶ淵の崖から見上げた上田城南櫓だ。

尼ヶ淵の崖から見上げた上田城南櫓

やはり(2)同様に高低差があり、ここをよじ登って城内に侵入することは不可能だ。

二の丸橋を渡り、武者溜りを抜けると、(4)上田城東虎口櫓門が視界に現れる。

上田城東虎口櫓門

門に向かって右の石垣には、とてつもない大きさの「真田石」が積まれており、観る者を圧倒する。

東虎口櫓門をくぐると、そこは上田城の本丸だ。

本丸の周囲は小高い土塁があり、そこから(5)本丸を囲む百間堀を望むことができる。

上田城本丸土塁から望む百間堀

(6)は西櫓手前から見下ろす尼ヶ淵の崖だ。アスファルトの通路と青々とした芝生の領域は、前述の通り築城当時は千曲川が流れていた。

上田城西櫓手前から見下ろす尼ヶ淵の崖

二の丸へ向かい、本丸を囲む百間堀を見ると、(7)本丸の角が意図的に斜めに削られた箇所に出くわす。

上田城本丸隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)

この斜めに削られた箇所は「隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)」といい、鬼門除けのために北東隅の土塁を斜めに削ったものだ。

この「隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)」により、北東角の鬼門を無くし、万全な構えにしたということだ。

(8)は二の丸北虎口で、やはり直角に通路を折り曲げ、敵が一気呵成に直進してこないようにしているのと、横矢をかけられるようにしているのと、2つの意味がある。

上田城二の丸北虎口

最後に上田城から東へ10分ほど歩いたところにある大手門跡だ。

上田城大手門跡

現在この大手門跡は緩やかなカーブになっているが、これまた築城当時は直角に折れ曲がっていたのは言うまでもない。

以上、駆け足で信州・上田城を見てきたが、いかがであったろうか?

『真田丸』のブームが去った今だからこそ、ゆっくりと城内を観ることができるので、かなりおすすめだ。

■信州上田観光ガイド 上田城・上田城跡公園【信州上田観光協会】長野県上田市の大河ドラマ真田丸で知られる上田城
http://www.ueda-cb.gr.jp/uedajo/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

徳川家康公もビックリ!岡崎八丁味噌コーラと静岡みかんコーラ【連載:アキラの着目】

最近は、地域活性化を目的にご当地名産がひっきりなしに登場する時代だが、そうした中でも特にご当地色が強いなと思われる製品が、これから紹介する「岡崎八丁味噌コーラ」と「静岡みかんコーラ」だ。

木村飲料株式会社HPから引用 「静岡みかんコーラ」と「岡崎八丁味噌コーラ」
木村飲料株式会社HPから引用 「静岡みかんコーラ」と「岡崎八丁味噌コーラ」

両コーラには岡崎、静岡という地名が付いていることから、「もしや…」と勘づいた人もいることかと。

そう、岡崎、静岡ときたら徳川家康公だ。

岡崎出身であり、静岡の駿府城にもいた徳川家康公にちなんで、「岡崎八丁味噌コーラ」と「静岡みかんコーラ」が発売されたのだ。

ゆえに「岡崎八丁味噌コーラ」と「静岡みかんコーラ」は「三つ葉葵(あおい)」の家紋をあしらったラベルが貼られている。

徳川家康公も、まさか自分に縁のある土地の八丁味噌やみかんがコーラになり、「三つ葉葵」も使われるとはビックリしていることだろう。

「岡崎八丁味噌コーラ」は、徳川家康公の出身地・愛知県岡崎市にある創業延元二年「まるや八丁味噌」の八丁味噌を使用、「見た目のインパクトはすごいが、味噌の風味は控えめ。ふわりと香るようにしました」(木村飲料株式会社・広報担当者)とのことで、「日本初の八丁味噌コーラ」だ。

★岡崎八丁味噌コーラ
・240ml ビン
・20本/ケース

「静岡みかんコーラ」は、静岡県日本平(にほんだいら)産のみかん「はるみ」をギュッと搾った濃厚な果汁を使用、爽やかな酸味と甘みにインパクトがあり、スッキリとした仕上がりになっている。

★静岡みかんコーラ
・240ml ビン
・20本/ケース

因みに木村飲料株式会社は、「岡崎八丁味噌コーラ」、「静岡みかんコーラ」以外にも、「静岡マスクメロンサイダー」(2012年モンドセレクション金賞受賞、2013年モンドセレクション銀賞受賞)「富士山頂コーラ」(2015年・2016年・2017年モンドセレクション金賞受賞、国際優秀品質賞受賞)「福招きソーダ」(2011年モンドセレクション金賞受賞)等、実に多彩でユニークな飲料を販売している。

興味のある人は木村飲料株式会社HPや木村飲料株式会社 公式Facebookページにアクセスしてみよう。

■木村飲料株式会社HP 商品案内ページ 岡崎八丁味噌コーラ・静岡みかんコーラ
http://www.kimura-drink.net/products-miso_mikan.html

■木村飲料株式会社 公式Facebookページ
https://www.facebook.com/kimuradrink

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