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ブームは4年前も、やはり欲しい真田家の六文銭ペットボトルカバー【連載:アキラの着目】

一昨日のNHK大河ドラマの時間帯は、本来ならば『麒麟がくる』が放送されるはずだった。

しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、すでに撮り溜めしていた映像がなくなり、放送する分がなくなってしまったため、過去の大河ドラマの良いとこ採り番組となったのだ。

過去のNHK大河ドラマの中には、数多くの名作があるが、比較的直近でいうと、真田信繁が主人公の『真田丸』(2016年)が良かった。

というのも、このニッポンニュースでも過去に何度も言及しているが、天下の徳川を最も苦しめた大名が真田家だからだ。

だからこそ4年前、『真田丸』は大ブームだったのだ。

その真田家の特徴として取り沙汰されるのが「赤備え」。

あえて戦場で目立つ赤色の兜や甲冑を着用することで、己を逃げられない状況に持っていったのだ。

前置きが長くなった。

そんな「赤備え」を踏襲し、現代グッズに応用している物も幾つかあるが、今回のニッポンニュースで取り上げるのが「赤備え」の「六文銭ペットボトルカバー」だ。

六文銭ペットボトルカバー Web shop ゆたかや(真田幸村グッズ取扱店)から引用
六文銭ペットボトルカバー
Web shop ゆたかや(真田幸村グッズ取扱店)から引用

言わずと知れた六文銭は真田家の家紋。

「三途の川」の渡し賃が「六文」であることから、死を恐れず果敢に敵を攻め込む覚悟を表した家紋といわれている。

その真田ブランドの六文銭を金色で配したペットボトルカバーは常に高級感が漂い、中にペットボトル飲料を入れているとは思えぬ存在感だ。

六文銭ペットボトルカバー Web shop ゆたかや(真田幸村グッズ取扱店)から引用
六文銭ペットボトルカバー
Web shop ゆたかや(真田幸村グッズ取扱店)から引用

持ち手の付いた構造だから持ち運びしやすいし、保冷・保温・伸縮性に優れ、衝撃を吸収するクッション性もある。

ウエットスーツ等に使用される特殊ゴムを素材として使用しているので吸水速乾力があり、結露や水滴がつきにくく、カバンへの収納にも重宝する(防水加工ではない)。

この「六文銭ペットボトルカバー」を使えば自慢したくなるから、ペットボトルを取り出す回数が確実に増えることだろう。

こまめにペットボトルを取り出したい(!?)人は、「六文銭ペットボトルカバー」を購入すべし。

【六文銭ペットボトルカバー 詳細】

・サイズ:直径 約7.5cm、高さ 約25㎝(持ち手含む) 約19㎝(持ち手含まぬ)
・重量:約50g
・素材:表地・裏地 ポリエステル、中地 スチレン・ブタジエンゴム
・販売価格:\770(税込)

■六文銭ペットボトルカバー – Web shop ゆたかや(真田幸村グッズ取扱店)
https://www.nagano-mall.jp/hope/search/23/126/520/item.html

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

備中松山城(日本100名城・岡山県高梁市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

今回のニッポンニュースで取り上げるのは、岡山県高梁市の臥牛山山頂(標高430m)にある、日本100名城で国指定重要文化財の備中松山城だ。

備中松山城は日本三大山城にも数えられ、また、最も高所にある現存天守の山城で、特に秋には雲海に浮かぶ幻想的なその姿から「天空の城」とも呼ばれている。
「天空の城」備中松山城

備中松山城の築城は、鎌倉時代に有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭・秋庭重信が奥地の大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗が3年の年月を費やし、現在の天守に修築した。
備中松山城

この地は、山陰と山陽の南北、さらに東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は絶えず激しい争奪戦が繰り広げられ、目まぐるしく城主の交代が繰り返されてきた歴史がある。

では早速、備中松山城に踏み入れてみよう。

登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁が聳え立ち、その天然の岩盤を上手く融合させるように、その上に石垣を積んでいる。

この備中松山城の石垣は、本編とは無関係にもかかわらず、実は3年前のNHK大河ドラマ『真田丸』のOPシーンに使われたのだ。

筆者の推測なのだが、難攻不落の真田丸のイメージ形成に”難攻不落の名城”である備中松山城の石垣が最適だったから、わざわざOPに使われたのではあるまいか。

その堅固な石垣を抜けると、備中松山城の天守が顔を出す。
備中松山城 本丸

さらに歩みを進め、階段を登ると本丸になる。

真正面に建つ備中松山城の天守は小ぶりながらも、白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラストが映える威風堂々とした風格で、登城者を迎え入れてくれる。
備中松山城 天守

なお、本丸にはそこそこ有名な「猫城主」もいるので、猫好きならば、撫で撫でしてあげよう。
備中松山城本丸にいる猫

天守に登ると、どこにでもあるような、鉄筋コンクリートの”なんちゃって城”とは異なり、天井に大きな梁がある。
備中松山城天守天井の大きな梁

大抵の登城者は、天守に登った後はそのまま城を下りて帰ってしまうのだが、天守裏手に回ると、これまた国指定重要文化財の二重櫓があるので、しっかり堪能しよう。
国指定重要文化財の備中松山城二重櫓

筆者の場合は、可能な限り登城する際は大手(正門口)から入り、搦手(退却口)から出る、出るのが難しい場合は観るだけでも、というスタンスにしている。

今回の備中松山城は搦手を抜けてしまうと、さらに奥へ奥へと行ってしまい、帰られなくなってしまうので、搦手を確認するに留まった。
備中松山城 搦手

ちなみにその搦手付近から見上げると、先ほどの二重櫓を裏手から望めるので、搦手を観た際には忘れぬように。
備中松山城搦手側から観た二重櫓

さすが標高430mの高所にある備中松山城だけに、眼下に広がる景色は絶景だ。

マイカーやレンタカーで備中松山城に行く際は、城まちステーション(5合目)で駐車し、そこからシャトルバスでふいご峠(8合目)まで行くのが良いだろう。

ふいご峠からは約20分も歩けば、備中松山城本丸・天守に辿り着く。

【「天空の城」備中松山城 詳細】

・所在地:岡山県高梁市内山下1

・入館料:【大人】500円 【小中学生】200円 団体割引あり30人以上1割引 100人以上2割引
 ※以下に該当する方は入城料免除(土・日曜日・祝日および休業中に観覧する市内の小・中学生、65歳以上の市内在住民、障がい者手帳持参の人と介助者1人)
・入場時間:【4月~9月】9:00~17:30 【10月~3月】9:00~16:30
 ※12/29から1/3まで本丸への入城不可
・休日:12月29日~1月3日
・駐車場:城まちステーション(5合目)110台、ふいご峠(8合目)14台
・バリアフリー対応:AED
・TEL:0866-22-1487

※料金・時間等は令和元年10月18日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

信州・上田城(長野県上田市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

上田城東虎口櫓門今回ご紹介する「FJ時事新聞おすすめ名城」が、真田昌幸・信繁(幸村)親子の居城として有名な信州の上田城だ。

ある程度、城に詳しい人からすれば、「なぜ今さら上田城を取り上げるんだ、ブームは2年前ではないか!」と叱責されるかもしれない。

というのも2年前は、真田信繁(幸村)を主人公とするNHK大河ドラマ『真田丸』が放送されており、上田城がそのドラマの影響やブームに乗っかって、大変な賑わいだったのだ。

逆にいうと、その賑わいや混雑ぶりを避けたく、遅れること2年、ようやく今年になって筆者が上田城を訪城したというわけだ。

上田城の歴史について簡潔に説明しよう。

上田城は天正11年(1583)に、越後(現在の新潟県)の戦国大名・上杉景勝に対抗するための前線基地として、徳川家康の援助の下、真田昌幸が築城した平城だ。

その後、真田昌幸が自領の沼田(現在の群馬県沼田)を関東の戦国大名・北条氏に割譲するよう徳川家康からいわれたため、それを不服として徳川家康の下を離れ、上杉景勝につくことになり、それに怒った徳川家康が上田城に7,000の兵を差し向けたのが天正13年(1585)の第一次上田合戦だ。

また、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸・信繁は、中山道から進軍する徳川秀忠の大軍(38,000人)をわずか2,500~3,000の兵で撃退したのが第二次上田合戦で、これら二度の合戦で大大名の徳川をコテンパンにやっつけた城として有名なのだ。

小さな大名が少ない手勢で、大きな大名の大軍を二度も撃破した城は、上田城以外では例がない。

真田昌幸が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れたことで、真田昌幸は九度山に配流され、上田城主は真田信之となり、以後、仙石氏(三代)、松平氏(七代)と変わり、廃城後は公園となって現在に至っている。

では、実際に上田城を巡ってみよう。

上田城縄張図(考察=三島正之氏) - 真田期の上田城縄張り - 信州まちあるき から引用および番号付記
上田城縄張図(考察=三島正之氏) - 真田期の上田城縄張り - 信州まちあるき から引用および番号付記

市営野球場の対面の駐車場に車を駐車したため、筆者が最初に訪れたのが(1)の空堀だ。

小泉曲輪側から見た上田城空堀

小泉曲輪側から観た写真で、わかりにくいかもしれないが、向かって左へ直角にくびれた堀がめぐらされている。

これは、横からも矢や火器を敵に浴びせることができるように、直角に堀を曲げているのだ。

こうした仕掛けを「横矢掛り」という。

(2)は尼ヶ淵の崖から見た上田城西櫓だ。

尼ヶ淵の崖から見た上田城西櫓

現在は公園や駐車場になっているこの尼ヶ淵は、上田城築城当時は千曲川が流れる天然の要塞で、この上田城南側は鉄壁の守りとなっていた。

(3)は尼ヶ淵の崖から見上げた上田城南櫓だ。

尼ヶ淵の崖から見上げた上田城南櫓

やはり(2)同様に高低差があり、ここをよじ登って城内に侵入することは不可能だ。

二の丸橋を渡り、武者溜りを抜けると、(4)上田城東虎口櫓門が視界に現れる。

上田城東虎口櫓門

門に向かって右の石垣には、とてつもない大きさの「真田石」が積まれており、観る者を圧倒する。

東虎口櫓門をくぐると、そこは上田城の本丸だ。

本丸の周囲は小高い土塁があり、そこから(5)本丸を囲む百間堀を望むことができる。

上田城本丸土塁から望む百間堀

(6)は西櫓手前から見下ろす尼ヶ淵の崖だ。アスファルトの通路と青々とした芝生の領域は、前述の通り築城当時は千曲川が流れていた。

上田城西櫓手前から見下ろす尼ヶ淵の崖

二の丸へ向かい、本丸を囲む百間堀を見ると、(7)本丸の角が意図的に斜めに削られた箇所に出くわす。

上田城本丸隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)

この斜めに削られた箇所は「隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)」といい、鬼門除けのために北東隅の土塁を斜めに削ったものだ。

この「隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)」により、北東角の鬼門を無くし、万全な構えにしたということだ。

(8)は二の丸北虎口で、やはり直角に通路を折り曲げ、敵が一気呵成に直進してこないようにしているのと、横矢をかけられるようにしているのと、2つの意味がある。

上田城二の丸北虎口

最後に上田城から東へ10分ほど歩いたところにある大手門跡だ。

上田城大手門跡

現在この大手門跡は緩やかなカーブになっているが、これまた築城当時は直角に折れ曲がっていたのは言うまでもない。

以上、駆け足で信州・上田城を見てきたが、いかがであったろうか?

『真田丸』のブームが去った今だからこそ、ゆっくりと城内を観ることができるので、かなりおすすめだ。

■信州上田観光ガイド 上田城・上田城跡公園【信州上田観光協会】長野県上田市の大河ドラマ真田丸で知られる上田城
http://www.ueda-cb.gr.jp/uedajo/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

おすすめ東京観光スポット! ~NHK放送センター(東京都渋谷区)~【連載:アキラの着目】

地方出身者や外国人旅行者の人たちは、東京観光というと大抵は浅草だったり、原宿、渋谷、等々に行くのではないかと。

確かにそれらの街に繰り出して、ブラブラ歩くのも悪くはないが、夏場なら外歩きは汗だくになるし、今みたいな冬だと寒かったりするので、ここはオールシーズンで楽しめる東京観光スポットをご紹介する。

その東京観光スポットとは渋谷区神南にあるNHK放送センターだ。

そう、あの国営TV放送局のNHKだ。

このNHKの中に見学できるエリアがあるのだ。

JR原宿駅からでも、JR渋谷駅からでも行くことができ、↓の建物がそうだ。

NHK放送センター

エントランス横の受付で入場料(一般200円、団体20名以上150円、こども・高校生以下・18歳未満・65歳以上無料)を払い、中に入ると、過去に放送したドラマのセットを見ることができる。

筆者が行った時は、昨年の大河ドラマ『真田丸』の写真やセット、また朝の連続ドラマの写真などが並べられていた。

大河ドラマ『真田丸』の真田幸村
大河ドラマ『真田丸』のセット

修学旅行で東京に来ていた女子高生も朝ドラのセットを見学
修学旅行で東京に来ていた女子高生も朝ドラのセットを見学

また、プロの放送機材を操作して、簡単な番組作り体験もできるコーナーもあり、子供からお年寄りまで楽しめるようになっている。

簡単な番組作り体験もできるコーナー
簡単な番組作り体験もできるコーナー

一筆書きのような見学コースなので、最後はお土産コーナーに到着するのだが、必ずしもお土産を買う必要はないので、用がなければそのまま通り過ぎて構わない。

小一時間くらいならば、時間を潰せることができるので、もう観光する場所がないという時は、このNHK放送センターに行ってみるといいかも。

■NHK放送センター
http://www.nhk.or.jp/kengaku/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

「真田幸村の抜け穴」ってホンモノ!?【連載:アキラの着目】

空想を駆り立ててくれる「真田幸村の抜け穴」

昨年放送され、大人気を博したNHK大河ドラマ『真田丸』。

今年の2月16日~3月24日にかけて台湾でも2話連続ずつで放送され、かなりの反響があったとのこと。

昨年ほどではないにしろ、いまだに真田丸人気は続いており、真田丸のあった大阪市天王寺区餌差町界隈に足を運ぶマニアも相変わらずいるようだ。

真田丸や真田信繁(幸村)を詳しく知っている人ならば、わかった上で行くものの、よく知らない人が信じ切って行ってしまうスポットもある。

それは「真田幸村の抜け穴」と言い伝えられている洞窟だ。

三光神社境内にある「真田幸村の抜け穴」と伝えられる洞窟

真田丸が万が一、徳川の大軍に潰されたとしても、この抜け穴を通じ、すぐ北に位置する大坂城まで逃げ延びることができるというのが、この「真田幸村の抜け穴」だ。

この三光神社境内にある檻の蓋をされた洞窟は、真田幸村や真田丸についての空想を駆り立ててくれるアイテムとして長年君臨していた。

三光神社境内にはためく「真田丸」の幟

最新研究によると「真田幸村の抜け穴」の正体は…

しかし、最新の研究でこの「真田幸村の抜け穴」の正体がわかってきた。

最近、真田丸自体の位置がほぼ特定されたことで、そこから敵・徳川軍の配置もわかり、三光神社のあったエリアは真田丸から外れ、徳川方前田軍がいたことが判明したのだ。

したがって、三光神社の「真田幸村の抜け穴」と言われてきた洞窟は、実は徳川方前田軍の塹壕との説が最有力なのだ。

なぜ徳川方前田軍は塹壕を掘ったのか?

真田丸に接近戦を仕掛けた徳川軍だったが、真田丸からの鉄砲や弓矢のよる一斉砲撃を浴びたことで多数の死傷者を出すに至った。

また、真田丸には従来の火縄銃の2倍以上もある有効射程距離300mを誇る大狭間筒もあったため、徳川方前田軍は容易に真田丸に近づくこともできず、塹壕を掘り進めながら接近戦を挑んだ痕跡が、この塹壕ということなのだ。

大狭間筒を抱える真田軍武士4人で抱えているのが大狭間筒

徳川方前田軍の塹壕でも「真田幸村の抜け穴」は観る価値あり

な~んだ、三光神社の「真田幸村の抜け穴」は徳川方前田軍の塹壕なのかと、落胆した人もいるかもしれないが、でもそう思わないでほしい。

むしろ真田丸を観に行ったら、さらに隣にある敵方前田軍の塹壕も観ることができるのだから、一挙両得ではないか!

大阪市天王寺区餌差町の真田丸に行く際は、併せて三光神社の「真田幸村の抜け穴」こと徳川方前田軍の塹壕もしっかり忘れずに観ておこう。

真田丸があった心眼寺に立つ石碑
大阪明星学園脇に立つ真田丸顕彰碑

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