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天下一やさしく、わかりやすい!まつえ時代案内人城郭ツアー【連載:アキラの着目】

戦前には国宝に指定されていた城が多くあったが、第2次世界大戦での日本全土への空襲により焼失してしまい、2021年4月18日現在では国宝に指定されている天守は12城(弘前城[青森県]、松本城[長野県]、丸岡城[福井県]、犬山城[愛知県]、彦根城[滋賀県]、姫路城[兵庫県]、松江城[島根県]、備中松山城[岡山県]、丸亀城[香川県]、伊予松山城[愛媛県]、宇和島城[愛媛県]、高知城[高知県])。

これら現存する12の城を一般的には「現存12天守」という。

この「現存12天守」の中で最も後に国宝に指定されたのが松江城だ(2015年7月8日国宝指定)。

松江城がようやく国宝に指定されることになった大きな理由は、2012年5月に「慶長十六年」と記された祈祷札2枚が再発見され、その後の研究により松江城天守が慶長16年(1611年)の築造であることが明確になったことと、2階分の通し柱や包板の技法を用いた特徴的な柱構造が解明され、天守建築に優れた技法を用いた構造であることが判明したからだ。

なので、松江城は鉄筋コンクリートの”なんちゃって城”ではなく、列記とした江戸時代に建てられた歴史的価値のある城なのだ。

しかし、この松江城を1人で観るには難しいな、よくわからないな、と思う人は少なくない。

それに大抵の観光客は天守を観て満足し、国宝指定の決め手になった肝心の祈祷札の箇所を観ずに帰ってしまいがち。

そんなふうな見逃しをしたくない人にオススメなのが、「まつえ時代案内人」最強の城!松江城郭ガイドツアー。

まつえは武者のまちまつえ時代案内人 公式サイトから引用
まつえは武者のまちまつえ時代案内人 公式サイトから引用

松江城に由来する武者や忍者の「まつえ時代案内人」が「天下一やさしいお城ガイド」を合言葉に、戦に対する備えの粋を凝らした松江城を「攻める目線」、「守る目線」で語りながら案内してくれるのだ。

当然、その案内には築城から400年を越える松江城が国宝指定される決め手となった、前述した当時の革新的築城技術も案内してくれるのは言うまでもない。

キャラが立ち、天下一やさしい「まつえ時代案内人」の案内を聴けば、決して松江城の思い出が消失することはないだろう。

【まちまつえ時代案内人 城郭ツアー 詳細】

・参加料:1,600円/1人(ガイド料・松江城登閣料含む)
・催行日:毎週土曜日
・出発時間:10:00~/13:30~ 1日2回
・所要時間:約1時間30分
・集合場所:国宝松江城大手前「堀尾吉晴公銅像前」
・コース:出発堀尾吉晴公銅像前→枡形虎口→二の丸御殿跡→国宝松江城天守→解散本丸
・特典:「仏の茂助(堀尾吉晴)」限定クリアファイル
・料金:小中学生 800円、未就学児 無料
・予約:https://www.kankou-matsue.jp/machiaruki/course
・問合せ:電話での予約不可 (一社)松江観光協会 武者ガイド担当(8:30~17:00)TEL.0852-27-5843
※1名から催行可能、先着15名まで
※本丸解散後、希望者には塩見縄手まで案内
※新型コロナウイルス感染症の拡大防止策で、まつえ時代案内人は「黒マスク」を着用してのガイドとなる

■まつえは武者のまちまつえ時代案内人
https://matsue-musya.com/344

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

好きな時にどこからでも受検可能、日本城郭検定オンライン入門級【連載:アキラの着目】

日本には国宝・姫路城をはじめとした優美な城が全国に存在する。

しかし、そうした優美な城は全体の一部にしか過ぎない。

というのも、日本全国には天守のない城のほうが圧倒的に多く、その数は3万~4万ともいわれているからだ。

なので、城というと大抵の人は前述の姫路城のように天守のある城を思い浮かべるが、多くの城は山に土塁や堀、切岸、虎口(こぐち。城の出入口)、馬出(城門防御&出撃口)などが築かれた、天守のない城ばかりなのだ。

天守のない城でも愛好家やマニアがおり、様々な城を巡ってはそれらの知識・情報をインプットし、各自が”自称「城博士」”となってゆくのだ。

”自称「城博士」”は他の城マニアと比較して、どのくらいの位置に自分はいるのか気になるものだ。

それを測ることができる指標にもなり、ステータスにもなるのが日本城郭検定だ。

検定主催者側からすれば、日本の財産である、城の奥深い魅力をより多くの人に知って欲しいという思いで日本城郭検定を行なっている。

その日本城郭検定がなんとWeb上で、それも無料で受けられるという画期的なオンライン入門級が登場した!!

日本城郭検定 オンライン入門級 公式サイトから引用
日本城郭検定 オンライン入門級 公式サイトから引用

好きな時にどこからでも無料で受検できるのは、とてもありがたい。

受検に失敗してもお金がかからないし、クイズ感覚で受検できるから、城マニアでなくともとにかくチャレンジしてみよう!

貴方でも認定証をもらえるかもしれない。

【日本城郭検定 オンライン入門級 詳細】

・出題形式:50問出題(四者択一)
・制限時間:60分
・合格基準:30問以上正解で合格
・受験料:無料
・認定証:合格後すぐにダウンロード可能
・主催:日本城郭協会
・特別協力:株式会社ワン・パブリッシング
・企画・運営:日販セグモ株式会社

■日本城郭検定 オンライン入門級 公式サイト
https://www.kentei-uketsuke.com/shiro/online/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

国宝・彦根城(滋賀県彦根市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

彦根城天秤櫓今回のニッポンニュース「FJ時事新聞おすすめ名城」で取り上げるのは現存12天守であり、なおかつ姫路城、松本城、犬山城、松江城と並ぶ国宝城郭の彦根城だ。

代々、井伊家が城主を務めた彦根城は、慶長9年(1604年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の命により着工された。

築城工事には尾張藩や越前藩等、計7ヵ国12大名(15大名とも)が動員される天下普請であった。

慶長11年(1606年)には2期までの工事が完了、同年の天守完成と同じくらいの時期に井伊直継が入城。

元和2年(1616年)、大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡後、彦根藩のみにより第3期工事が開始され、元和8年(1622年)には表御殿の造営、城郭改造などを含む全部の工事が完了して、ようやく彦根城が完成した。

明治時代初期の廃城令で滋賀県の城郭のほとんどが破却・解体される中、彦根城は奇跡的に破却・解体を免れ、往時の天守が現存する貴重な城だ。

長い説明となったが、早速みてゆこう。

石段を登ってゆくと、石垣とともに見えてくるのが彦根城天秤櫓と廊下橋。

彦根城天秤櫓と廊下橋
彦根城天秤櫓と廊下橋

万一、敵の侵入があった場合は、この廊下橋を切断し、本丸方面に入らせないようにするのだ。

この廊下橋の下を通過し、さらに鐘の丸を経て方向を転換すると、自ずと視界に入るのが先ほど下でみた天秤櫓だ。

彦根城天秤櫓
彦根城天秤櫓

その名の如く左右のバランスをとった、シンメトリーな構造をした櫓だ。

ここを通過すると、さらに天守に近づくことができ、太鼓門櫓を潜れば、もう彦根城天守のお目見えだ。

ゆるキャラの魁として全国に名を轟かせた「ひこにゃん」がお出迎え。

彦根城天秤櫓
彦根城天秤櫓

この「ひこにゃん」と一緒に彦根城を背景に撮影するのが定番だ。

天守に登ると、下界には彦根城表御殿を見渡すことができる。

彦根城表御殿
彦根城表御殿

天守から下りたら終わり、という観光客が多いが、さらに城の裏や背後に回り込んで観るのがオススメだ。

天守裏手の西の丸から撮影した彦根城が↓。

天守裏手の西の丸から撮影した彦根城
天守裏手の西の丸から撮影した彦根城

観終えたら往きと同じ道を通らずに、黒門山道から下山するのもオススメ。

基本的に城巡りでは、同じ道を通らずに、可能な限り様々な角度から天守や櫓、多くの郭(城の区画・エリア)等を観たり、様々な道を歩いてみよう。

コンパクトな造りの彦根城だが、天守のある本丸に辿り着くまでに幾つもの門や枡形が設けられており、かなり強固な城であることがわかるはずだ。

国宝の城ということで、それなりに登城者による混雑が予想されるため、登城の際は、開城時間に行くくらいのほうが良いだろう。

滋賀県観光の折には、ぜひ行ってみる価値のある城だ。

■彦根城 – 彦根観光ガイド : 公益社団法人 彦根観光協会
https://www.hikoneshi.com/jp/castle/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

岡山城(日本100名城・岡山市北区)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

岡山城天守久々の「FJ時事新聞おすすめ名城」は、以前に筆者が訪れた際の写真で岡山城を紹介する。

1570年(元亀1)宇喜多直家が金光宗高を滅ぼし、南北朝時代に造られた石山城(後の岡山城)を手に入れ大改修に着手、その後、嫡男・秀長が豊臣政権下57万石の大名となり、豊臣秀吉の全面的協力のもと1590年(天正18)、新規の築城と城下町の整備を開始し、1597年(慶長2)に五重六階の望楼型天守の城が完成、城名を石山城から岡山城と改めた。

ちなみに岡山城は、別名「烏城(うじょう)」、「金烏城(きんうじょう)」ともいわれる。

岡山城の近辺には多くの駐車場があるが、濠そばの駐車場が良いだろう。

というのも、この駐車場だと大手門跡に近く、岡山城を攻め入る感覚に浸れるからだ。

大手門跡を抜け、右折すると、広々とした空間が出現する。

しばらく左に石垣を観ながら歩くと、階段が出現するので上がると、不明門(あかずのもん)に。

岡山城不明門下
岡山城不明門下
岡山城不明門
岡山城不明門

いきなりこの不明門をくぐってもいいのだが、今すぐにはくぐらずに、中段にある月見櫓や石垣の高さを確認しよう。

岡山城月見櫓
岡山城月見櫓
岡山城中段からみる石垣および周辺景色
岡山城中段からみる石垣および周辺景色

月見櫓や石垣の高さ、周辺の景色を確認したら、先ほどあえて避けた不明門をくぐる。

すると、そこは本段(いわゆる本丸)となり、漆黒色の重厚な岡山城天守が現れる。

岡山城天守
岡山城天守

末広がりで縁起が良さそうなフォルムの岡山城天守の中に入り、天守最上階まで登ると、眼下には隣の日本三大庭園の1つ・後楽園を観ることができる。

岡山城天守からの眺望
岡山城天守からの眺望

天守からの眺望を堪能した後は、廊下門を抜けると、先ほど本段から眺めたのとは異なる角度の岡山城天守がお待ちかねだ。

岡山城廊下門
岡山城廊下門
廊下門手前からみる岡山城天守
廊下門手前からみる岡山城天守

後楽園側から観た岡山城もしっかりと存在感を醸し出しており、城巡りの際は様々な方角・角度から天守の顔を観るべきだ。

橋からみる岡山城天守
橋からみる岡山城天守

なお、前述した後楽園が、岡山城とは旭川を挟んで対峙する位置にあるため、岡山城と併せて後楽園を観光しよう。
日本三大庭園の後楽園

日本三大庭園の後楽園
日本三大庭園の後楽園

現在は緊急事態宣言発令のため、岡山城は観覧できるのかどうか、またそもそも訪れるのは自粛すべきだが、緊急事態宣言が解かれたら、ぜひ訪れてみるべし。

■岡山城 | 日本100名城ガイド
https://www.100finecastles.com/castles/okayamajo/https://www.100finecastles.com/castles/okayamajo/

■岡山城(OKAYAMA CASTLE)|岡山市
http://www.city.okayama.jp/kankou/midokoro/shisetsu/okayamajo/ujo/http://www.city.okayama.jp/kankou/midokoro/shisetsu/okayamajo/ujo/

■岡山城(烏城)|観光スポット | 岡山観光WEB【公式】- 岡山県の観光・旅行情報ならココ!
https://www.okayama-kanko.jp/spot/10002https://www.okayama-kanko.jp/spot/10002

■岡山城天守閣(烏城) – おかやま観光コンベンション協会
https://okayama-kanko.net/sightseeing/sightseeing_area.php?id=32https://okayama-kanko.net/sightseeing/sightseeing_area.php?id=32

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

これぞ「メイドイン尼崎」、プラモ尼崎城シャチホコ(兵庫県尼崎市)【連載:アキラの着目】

プラモ尼崎城シャチホコ1617年(元和3年)に戸田氏鉄(とだ うじかね)が入封し、4重天守を築いたが、1873年(明治6年)の廃城令により、一部を除き取り壊され、廃城となった尼崎城。

しばらくの間、天守がないままの状況が続き、尼崎城本丸跡地には尼崎市立明城小学校が、尼崎城西三ノ丸には尼崎市立中央図書館が建てられた。

そんな状況が一変したのが、2016年(平成28年)12月20日。

尼崎城復興天守建設のための関連工事として、尼崎城西三ノ丸だった尼崎城址公園に仮囲いの設置と建築地の整備が始まった。

そして今年2019年3月、尼崎市民待望の尼崎城復興天守が尼崎城西三ノ丸だった尼崎城址公園にオープン!

尼崎城復興天守
尼崎城復興天守

すると、なんとしても市民のシンボル・尼崎城をPRしたく、天守に飾られる鯱(しゃちほこ)のプラモデルを製作しようと立ち上がった。

発案者は、地域環境計画研究所(尼崎市)の役員である綱本武雄さん。

プラモデル好きの市民や町工場の従業員らと団体「プラモ尼崎城」を結成し、「メイドイン尼崎」のプラモ開発に乗り出した。

樹脂やプラスチック加工を行う市内の町工場5事業者が協力、技術を結集し、尼崎城全体の製作を目指すも、資金面からやむなく断念。

そこで、目標を小さな鯱に変更し、インターネットのクラウドファンディングで「プラモ尼崎城シャチホコ」の開発資金約110万円を調達した。

正確な図面が残されておらず、写真等から形状を推測しながらの作業。

プラモデルの金型作製や成形等では町工場各自の得意分野が生かされ、鱗や尾の曲がり具合等の細部まで再現しただけでなく、子供が組み立てやすいようにと、接着剤不要のはめ込み式にし、部品の点数も可能な限り減らした。

こうして出来上がったプラモ尼崎城シャチホコは実物の24分の1サイズで高さ約5.5センチ。

プラモ尼崎城シャチホコ
プラモ尼崎城シャチホコ

前述した通り、金型製作や量産等全工程を尼崎市内で手掛けた、まさに「メイドイン尼崎」の逸品だ。

プラモ尼崎城シャチホコは全4色。

グレーのみ800円で、赤、黄、青はそれぞれ1,000円(全て税別)。

尼崎城はもちろんのこと、阪神尼崎駅前の「あまがさき観光案内所」でもプラモ尼崎城シャチホコは販売されている。

9月下旬以降は、全国の模型専門店でも発売される予定とのことだ。

■プラモ尼崎城 | Facebook
https://ja-jp.facebook.com/injectionmodel/

■プラモ尼崎城 Twitter @plamo_amagasaki
https://twitter.com/plamo_amagasaki

■プラモ尼崎城|シャチホコプラモ|尼崎城|プラモデル|尼崎市|阪神尼崎|日本
https://www.ama-injectionmodel.com/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

国宝・松本城(長野県松本市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

今回のニッポンニュース「FJ時事新聞おすすめ名城」で取り上げるのは現存12天守で、姫路城、彦根城、犬山城、松江城と並ぶ国宝城郭の松本城だ。本丸御殿跡を通りながら、松本城天守へ

文禄2~3年(1593~1594)に建てられた五重六階の現存天守としては日本最古を誇る。

松本城の歴史は戦国時代にまで遡る。

元々、現在松本城のある地には永正元年(1504)に島立氏によって建てられた深志城(ふかしじょう)があり、この深志城が現在の松本城の前身であるといわれている。

その後、深志城を拠点とした武田氏の統治が32年間続くも、天正10年(1582)織田信長による武田氏滅亡で、木曽義昌、小笠原洞雪と城主が替わり、小笠原長時の嫡子・貞慶が深志城を奪還し、深志を松本と改名、さらに時代が進み、石川数正によって大天守が建てられた。

標高590メートルの盆地内平地に位置する平城の松本城は、大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら)・辰巳附櫓(たつみつけやぐら)・月見櫓(つきみやぐら)の五棟で形成されており、大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式の天守として有名だ。

ちなみにこの連結複合式天守は、全国広しといえども、松本城だけに見られる特徴的な天守構造だ。

では実際に写真で松本城を観ていこう。

まず1枚目の写真は、松本城北側の堀端から、堀と石垣と天守を樹木越しに捉えたもの。

松本城北側の堀端から樹木越しに捉えた松本城の堀と石垣と天守

現在の松本城は二重の堀で周らされているが、建てられた当時は三重の堀で周らされていたとのこと。

2枚目の写真もやはり松本城北側堀端の松本神社の交差点から撮影。

松本城北側堀端の松本神社の交差点から撮影した松本城

3枚目の写真も松本城北側の堀と石垣だ。

松本城北側の堀と石垣

4枚目の写真は大手側の堀で、画面左側にかすかに写っている橋を渡り、真っ直ぐに進むと、二の丸になる。

松本城大手側の堀松本城案内図現在の地図と重ね合わせた松本城縄張図

松本城の石垣は、未加工の自然石を使用した野面積み(のづらづみ。「乱積み」ともいう)という積み方で構築されており、約400年前に積まれた状態のままで、石の積み替えは行われていない。

その野面積みの中でも、横目は通っているのだが、所々乱れているものを「布積み崩し」といい、松本城本丸北側の外堀の石垣はこの布積み崩しによる構築だ。

松本城の天守・黒門・堀・石垣松本城松本城と埋橋

松本城本丸御殿跡の片隅にあるのが、松本市のマスコットキャラクター・アルプちゃんだ。

松本城と松本市マスコットキャラクター・アルプちゃん

松本城にいる際のアルプちゃんは「甲冑バージョン」の出で立ちで、背景に松本城天守を入れながら、このアルプちゃんと一緒に撮影する外国人観光客もいた。

本丸御殿跡を通りながら、松本城天守へと歩みを進めていく。

本丸御殿跡を通りながら、松本城天守へ

本丸御殿南側に回ると、本丸を取り囲む土塁が現れるので、忘れずに土塁も観ておこう。

本丸を取り囲む土塁

天守最上階まで有料にて登城できる。

その際、以下の2点に注意。

・階段が極めて垂直に近い傾斜であるため、お年寄りや子供は特に注意が必要のこと
・スカート着用の女性は、周囲の男性(スタッフ、観光客含む)の視線が集中してしまう可能性が高いので、必ず長ズボン着用で登城すること

天守最上階からの眺望は文句なし。

ただし、犬山城のような回り縁がないため、天守の外に出る建物構造にはなっておらず、金網越しに景色を観ることになる。

松本城天守最上階からの文句のつけようがない眺望

写真は金網の、意図的に広げられた最も大きな穴から撮影したため、金網越しにならなかっただけだ。

天守から降りると、最後は月見櫓に。

松本城月見櫓

月見櫓はその名の通り「風流に月見をして、歌を詠む」櫓であり、決して戦闘用櫓ではないため、「石落とし」や「矢狭間」、「鉄砲狭間」、「武者溜り」がなく、極めて平和な構造になっている。

そんなわけで、松本城は、戦国時代末期に建てられた大天守・渡櫓・乾小天守の三棟と、江戸時代初期に建てられたと考えられているこの月見櫓と辰巳附櫓の、相反する性格の建物が共存している天守群を持つ、我が国で唯一の城なのだ。

現代風にいうと、戦闘基地とカルチャーセンターの両方が併設された建物ということができ、これが松本城の特徴の1つだ。

松本城月見櫓

最後の写真は、松本城東側に位置する太鼓門を出た所、すなわち外枡形から撮影したものだ。

松本城二の丸太鼓門

現在は、写真で見る通り歩道が緩やかに曲線カーブを描くように施されているが、枡形であるから、進入路が直角に折れ曲がるように門を配した構造になっているのを確認できよう。

最後に付け加える点が1つ。

筆者は、観覧開始時間20分前に松本入りし、8時40分台には天守に登城したので、さほど困難や不便は感じなかったが、混雑ピーク時に訪れると、天守に登るだけでもかなりの待ち時間や、観覧時間がかかるかと予想される。

天守最上階への階段は、フロア毎に幅広かったり、狭かったりし(上の階は狭い幅の階段)、狭い階段を昇降兼用で使用しているところでは、筆者の訪れた時間帯でもやや「渋滞」となっていたからだ。

ゆったりと松本城を満喫したいのならば、それなりの早い時間に訪れることをおすすめする。

【国宝松本城 天守観覧時間等】
・観覧時間:午前8時30分から午後5時まで
 ただし、入場できるのは午後4時30分まで
 ※GWおよび夏期は時間延長あり
・定休日:12月29日~31日
 ※1月1日~3日は要問い合わせ

【松本城へのアクセス】
●電車:JR篠ノ井線「松本駅」下車 徒歩約15分
●バス:松本周遊バス「タウンスニーカー」北コース 「松本駅お城口」発→「松本城・市役所前」下車(乗車時間約10分)
●自動車:長野自動車道 松本ICから、国道158号を松本市街地へ向かい約3km(約15分)

【松本城最寄りの駐車場】
・市営松本城大手門駐車場
 松本城まで徒歩約5分
 開場 7:30~22:30
 TEL 0263-33-1010
・市営開智駐車場
 松本城まで徒歩約5分
 開場 8:00~18:00
 TEL 0263-39-6650
・市営開智大型駐車場
 松本城まで徒歩約5分
 開場 8:00~17:00

【松本城管理事務所】
〒390-0873 松本市丸の内4番1号
TEL:0263-32-2902 FAX:0263-32-2904

■国宝 松本城 – 松本城をより楽しむ公式ホームページ
http://www.matsumoto-castle.jp/

※時間は平成30年6月24日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

国宝・犬山城(愛知県犬山市)望楼型天守から望む木曽川は圧巻!【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞編集部ニッポンニュース担当は、地方の桜も見るべく、今回は国宝に指定された犬山城に繰り出した。

国宝・犬山城天守

まずは、犬山城の簡単な歴史から。

犬山城は、天文6年(1537)、織田信長の叔父、織田信康によって木之下城より城郭を移して築城されたと言われ、木曽川沿いの小高い山に築かれた「後堅固(うしろけんご)の城」だ。

その後、城主は度々変わり、元和3年(1617)に尾張徳川家重臣・成瀬正成(なるせまさなり)が拝領。

この時に現在我々が目にしている近世城郭としての天守ができたと言われており、以後、成瀬家が幕末まで城主を務めた。

その成瀬家末裔が犬山城を引き続き所有、全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004)、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となり、現在に至る。

筆者は自動車で行くも、11:20の時点で犬山城に最も近い大きな駐車場は満車状態、そのまま仕方なく前の車の後に自然な流れでついて行ったら、犬山城からかなり離れた犬山市役所の駐車場へと吸い込まれた。

犬山市役所から歩くこと約20分で犬山の城下町に。

情緒ある木造建物を目にしながら、通り奥にある犬山城を目指す。

犬山城下にある木造建築木造建築が連なる犬山城下の通り

近道となる、突き当りの神社境内を抜けると、チケット売り場となり、その先が桝形虎口だ。

犬山城桝形虎口

真っすぐに敵を勢いよく侵入させないよう、右に90度折れ曲がる構造になっている。

暖かい春の日差しを浴びた桝形虎口は、ちょうど満開の桜とともに筆者を歓迎しているかのようで、リッチな心持ちになれる。

すかさず右に曲がると、遭遇するのが本丸へと通ずる鉄門(復元)だ。

犬山城桝形虎口鉄門

ここを潜れば、国宝・犬山城だ。

天守に登る列に並びながら、桜とコラボした犬山城天守をしっかり堪能。

国宝・犬山城天守

天守に上がっていくと、やはり最近多いコンクリートで再建された「なんちゃって城」とは異なり、正真正銘の江戸時代の木組みを観ることができる。

国宝・犬山城天守内部の木組み

年季の入った、飴色の木が、古(いにしえ)の情景に思いを馳せる手助けになっているのは言うまでもない。

天守最上階(四階)に登り、回り縁から望む絶景には息を呑んでしまう。

国宝・犬山城天守から望む木曽川

特に天守から望む木曽川は圧巻で、昔はこの川を利用した舟運が盛んで、この城下は繁栄していたのだろうな、と。

ただし、高欄が低く、大人の腰くらいまでの高さで、高欄外側には防御ネットもなく、リアルに転落リスクを感じるので(苦笑)、高所恐怖症の人はあらかじめ覚悟して登るか、登城を断念するか、決めておいた方が良さそうだ。

桜が散るまでには、まだ1週間くらいの猶予はあるかと思われるので、桜と絶景を堪能したい人には、超おすすめしたい犬山城だ。

【国宝・犬山城】

●所在地:犬山市犬山北古券65-2
●アクセス:[自動車]小牧IC・小牧北ICから25分、[電車]名鉄「犬山遊園駅」西口より徒歩約15分
●営業時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
●入場登閣料:大人550円、小・中学生110円
●駐車場台数:周辺に約200台
●ホームページ:http://inuyama-castle.jp/

※情報は、2018年3月28日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

伊予松山城(愛媛県松山市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

今回FJ時事新聞が自信を持っておすすめする名城は「現存12天守」(※)の1つに数えられている伊予松山城だ。

松山城といっても通じるのだが、備中松山城や武蔵松山城と混同しないために、伊予松山城ともいわれており、金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)の別名もある。

日本三大平山城にも数えられ、国指定史跡にもなっている伊予松山城は、関ヶ原の戦いで功績のあった加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城し、その後、蒲生氏~松平氏へと受け継がれた。

あまり専門的なことを並べても、「ああ、そう」で受け流されてしまうだろうから、とにかく写真を載せよう。

まずは伊予松山城の案内図(≒縄張図)。

伊予松山城案内図(≒縄張図)

筆者は搦手口山道終点付近(写真の「現在地」)の駐車場にレンタカーを駐め、伊予松山城三之丸(堀之内)の松山市民会館方面から入城。

筆者の場合、城巡りの際に決めている自分なりのルールがあって、大手側(正面玄関)から入城し、搦手(退却口・出口・裏口)から退城するようにしている。

その方が、城に攻め込む感覚や、城から退く感覚を味わえるような気がするし、反対廻りでなく正式な廻りだと思うので、このルールを実践している。

この枡形状の石垣は槻門跡。

伊予松山城槻門跡

勢いよく攻め手が飛び込んできても、この枡形で方向転換を余儀なくされ、勢いが弱まる。

大手門跡前の石垣だ。

伊予松山城大手門跡前の石垣

写真左手にいるのは中国からの観光客の男性で、この人と伊予松山城の石垣を見比べることで、建設重機のなかった時代でこれだけのものを築けた凄さがあらためて実感できるかと。

大手門跡を過ぎると、視界が開け、松山市街を眼下におさめることができる。

伊予松山城から望む松山市街

戸無門も撮影スポットで有名。

誰でも簡単にパースペクティブな写真が撮れる。

伊予松山城戸無門

下の写真の門は筒井門で、木目の暖色系色と、石垣のグレーが見事な調和を保ち、戦闘施設なのに柔和な感覚にさせてくれる。

伊予松山城筒井門

そしてついに本丸に突入!

伊予松山城の天守だ。

伊予松山城天守

伊予松山城の天守は分類上「連立式天守」と呼ばれる構造で、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓(廊下)で連結している。

あいにく筆者が訪れた時は年末に近かったこともあり、大掃除のため天守へ登城できなかった。

↓の写真は伊予松山城天守を真反対から撮影したもの。

打込み接ぎ(うちこみはぎ)と呼ばれる石垣の積み方がなされており、石垣の端の稜線がきれいな湾曲を形作っている。

伊予松山城天守裏手の打込み接ぎ(うちこみはぎ)の石垣

本丸から搦手方面に向かうと、乾一ノ門跡に達する。

乾一ノ門跡を潜り抜けると、見事に横一列に連なる乾門東続櫓の石垣を目にすることができる。

乾一ノ門跡を潜り抜けると現れる、見事に横一列に連なる乾門東続櫓の石垣

最後に乾櫓を見届ける。

伊予松山城乾櫓

この後は搦手口の山道となる。

以上初心者でもわかりやすい写真を選んで紹介したが、もっと細かく観てみたい人は、伊予松山城に登城することをおすすめする。

■伊予松山城
http://www.matsuyamajo.jp/

■松山市ホームページ 松山城
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/kankomeisho/matsuyamajo/

※現存12天守:江戸時代以前に建造された天守を持つ城が12城現存しており、それら12城を総称し「現存12天守」という。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099