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天下一やさしく、わかりやすい!まつえ時代案内人城郭ツアー【連載:アキラの着目】

戦前には国宝に指定されていた城が多くあったが、第2次世界大戦での日本全土への空襲により焼失してしまい、2021年4月18日現在では国宝に指定されている天守は12城(弘前城[青森県]、松本城[長野県]、丸岡城[福井県]、犬山城[愛知県]、彦根城[滋賀県]、姫路城[兵庫県]、松江城[島根県]、備中松山城[岡山県]、丸亀城[香川県]、伊予松山城[愛媛県]、宇和島城[愛媛県]、高知城[高知県])。

これら現存する12の城を一般的には「現存12天守」という。

この「現存12天守」の中で最も後に国宝に指定されたのが松江城だ(2015年7月8日国宝指定)。

松江城がようやく国宝に指定されることになった大きな理由は、2012年5月に「慶長十六年」と記された祈祷札2枚が再発見され、その後の研究により松江城天守が慶長16年(1611年)の築造であることが明確になったことと、2階分の通し柱や包板の技法を用いた特徴的な柱構造が解明され、天守建築に優れた技法を用いた構造であることが判明したからだ。

なので、松江城は鉄筋コンクリートの”なんちゃって城”ではなく、列記とした江戸時代に建てられた歴史的価値のある城なのだ。

しかし、この松江城を1人で観るには難しいな、よくわからないな、と思う人は少なくない。

それに大抵の観光客は天守を観て満足し、国宝指定の決め手になった肝心の祈祷札の箇所を観ずに帰ってしまいがち。

そんなふうな見逃しをしたくない人にオススメなのが、「まつえ時代案内人」最強の城!松江城郭ガイドツアー。

まつえは武者のまちまつえ時代案内人 公式サイトから引用
まつえは武者のまちまつえ時代案内人 公式サイトから引用

松江城に由来する武者や忍者の「まつえ時代案内人」が「天下一やさしいお城ガイド」を合言葉に、戦に対する備えの粋を凝らした松江城を「攻める目線」、「守る目線」で語りながら案内してくれるのだ。

当然、その案内には築城から400年を越える松江城が国宝指定される決め手となった、前述した当時の革新的築城技術も案内してくれるのは言うまでもない。

キャラが立ち、天下一やさしい「まつえ時代案内人」の案内を聴けば、決して松江城の思い出が消失することはないだろう。

【まちまつえ時代案内人 城郭ツアー 詳細】

・参加料:1,600円/1人(ガイド料・松江城登閣料含む)
・催行日:毎週土曜日
・出発時間:10:00~/13:30~ 1日2回
・所要時間:約1時間30分
・集合場所:国宝松江城大手前「堀尾吉晴公銅像前」
・コース:出発堀尾吉晴公銅像前→枡形虎口→二の丸御殿跡→国宝松江城天守→解散本丸
・特典:「仏の茂助(堀尾吉晴)」限定クリアファイル
・料金:小中学生 800円、未就学児 無料
・予約:https://www.kankou-matsue.jp/machiaruki/course
・問合せ:電話での予約不可 (一社)松江観光協会 武者ガイド担当(8:30~17:00)TEL.0852-27-5843
※1名から催行可能、先着15名まで
※本丸解散後、希望者には塩見縄手まで案内
※新型コロナウイルス感染症の拡大防止策で、まつえ時代案内人は「黒マスク」を着用してのガイドとなる

■まつえは武者のまちまつえ時代案内人
https://matsue-musya.com/344

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

愛知県だっけ?いやいや、愛媛県だよ!【連載:アキラの着目】

狭い国土のニッポン。

にもかかわらず、北は北海道から南は沖縄まで全部で47都道府県が存在する。

その47都道府県の中で、日本人でも頻繁に勘違いしてしまったり、誤って覚えたりするのが「愛知県」と「愛媛県」だ。

前者の愛知県は言わずと知れた、東京・横浜・大阪に次ぐ都市の名古屋を擁しており、また世界的な自動車メーカー・TOYOTAが生まれた県でもある。

なので、日本人ならば知らない人はいないメジャーな県なわけだ。

一方で後者の愛媛県は、最近でこそ和歌山県に抜かれてしまったものの、なおもみかんの産地として有名で、また日本最古の温泉・道後温泉がある県としても知られている。

したがって、愛媛県も決して知名度が圧倒的に低い県ではないのだが、なのに話の中で「愛媛県」というワードが出てくると、「愛知県」と誤ってイメージしてしまい、「愛知県」に変換された情報を頭の中にインプットしてしまう人が後を絶たないのだ。

前置きが長くなったが、筆者の両親がともに愛媛県出身ということもあり、少しでも「愛媛県」と「愛知県」を混同する人が出てこないよう、今回は愛媛県の特徴的な画像を載せながら、書いてみる。

■みかんジュース蛇口(松山空港1階到着ロビー)

2017年7月20日より松山空港1階到着ロビーに設置された「みかんジュース蛇口」。

みかんジュース蛇口

その名の通り蛇口をひねれば、愛媛の名産「ポンジュース」が出てくる仕掛けになっており、通常価格350円で提供されている。

■みかんジュースタワー(松山空港1階到着ロビー)

シャンパンタワーならぬみかんジュースタワーが、これまた松山空港でお目にかかることができる。

みかんジュースタワー

みかんジュース蛇口にしろ、みかんジュースタワーにしろ、インパクト抜群で、これらを観て「愛知県に行ってきた」とは決して言わせない。

■道後温泉 ~聖徳太子も来湯した日本最古の温泉~

前述したように、日本最古の温泉として知られている道後温泉は、『伊予国風土記逸文』には、596年厩戸皇子(聖徳太子)が病気療養のために滞在したことが記されている由緒ある温泉だ。

日本最古の温泉で厩戸皇子(聖徳太子)も来湯した道後温泉日本最古の温泉で厩戸皇子(聖徳太子)も来湯した道後温泉

さらに『日本書紀』や伊佐爾波神社(八幡宮)の社伝等によれば、厩戸皇子以外にも景行天皇、仲哀天皇、神功皇后、舒明天皇、斉明天皇(皇極天皇)、中大兄皇子(後の天智天皇)、大海人王子(後の天武天皇)等、多くの天皇や皇族が来湯されている。

■正岡子規 ~愛媛県が誇る俳人~

愛媛県は、俳句で有名な正岡子規の故郷でもある。

”愛媛県の宣伝マン”的存在でもあるため、2015年には道後温泉駅前に正岡子規の銅像が造られた。

明治の俳人・正岡子規

明治の俳人・正岡子規(中央)
明治の俳人・正岡子規(中央)

野球好きであったことから、正岡子規の銅像は、バットを持ったユニフォーム姿だ。

■伊予松山城 ~現存12天守の平山城~

以前この「ニッポンニュース」でも取り上げた伊予松山城。

現存12天守(=江戸時代からの天守が現存している12城)の中の1つであり、連立式天守の平山城である。

登り石垣(山腹から侵入しようとする敵を阻止するために、城山ふもとの館と山頂の天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させた構造を採ったもの)を備えており、その点でも伊予松山城は評価が高い。

伊予松山城天守伊予松山城隅櫓からの眺め伊予松山城石垣

まだまだ、愛媛県の良いところはあるので、実際に行って確認し、観光するのが良いだろう。

これらの画像を観たからには、もう、愛媛県を愛知県とは言わせない!

※料金は2018年1月30日現在のものです。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

伊予松山城(愛媛県松山市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

今回FJ時事新聞が自信を持っておすすめする名城は「現存12天守」(※)の1つに数えられている伊予松山城だ。

松山城といっても通じるのだが、備中松山城や武蔵松山城と混同しないために、伊予松山城ともいわれており、金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)の別名もある。

日本三大平山城にも数えられ、国指定史跡にもなっている伊予松山城は、関ヶ原の戦いで功績のあった加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城し、その後、蒲生氏~松平氏へと受け継がれた。

あまり専門的なことを並べても、「ああ、そう」で受け流されてしまうだろうから、とにかく写真を載せよう。

まずは伊予松山城の案内図(≒縄張図)。

伊予松山城案内図(≒縄張図)

筆者は搦手口山道終点付近(写真の「現在地」)の駐車場にレンタカーを駐め、伊予松山城三之丸(堀之内)の松山市民会館方面から入城。

筆者の場合、城巡りの際に決めている自分なりのルールがあって、大手側(正面玄関)から入城し、搦手(退却口・出口・裏口)から退城するようにしている。

その方が、城に攻め込む感覚や、城から退く感覚を味わえるような気がするし、反対廻りでなく正式な廻りだと思うので、このルールを実践している。

この枡形状の石垣は槻門跡。

伊予松山城槻門跡

勢いよく攻め手が飛び込んできても、この枡形で方向転換を余儀なくされ、勢いが弱まる。

大手門跡前の石垣だ。

伊予松山城大手門跡前の石垣

写真左手にいるのは中国からの観光客の男性で、この人と伊予松山城の石垣を見比べることで、建設重機のなかった時代でこれだけのものを築けた凄さがあらためて実感できるかと。

大手門跡を過ぎると、視界が開け、松山市街を眼下におさめることができる。

伊予松山城から望む松山市街

戸無門も撮影スポットで有名。

誰でも簡単にパースペクティブな写真が撮れる。

伊予松山城戸無門

下の写真の門は筒井門で、木目の暖色系色と、石垣のグレーが見事な調和を保ち、戦闘施設なのに柔和な感覚にさせてくれる。

伊予松山城筒井門

そしてついに本丸に突入!

伊予松山城の天守だ。

伊予松山城天守

伊予松山城の天守は分類上「連立式天守」と呼ばれる構造で、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓(廊下)で連結している。

あいにく筆者が訪れた時は年末に近かったこともあり、大掃除のため天守へ登城できなかった。

↓の写真は伊予松山城天守を真反対から撮影したもの。

打込み接ぎ(うちこみはぎ)と呼ばれる石垣の積み方がなされており、石垣の端の稜線がきれいな湾曲を形作っている。

伊予松山城天守裏手の打込み接ぎ(うちこみはぎ)の石垣

本丸から搦手方面に向かうと、乾一ノ門跡に達する。

乾一ノ門跡を潜り抜けると、見事に横一列に連なる乾門東続櫓の石垣を目にすることができる。

乾一ノ門跡を潜り抜けると現れる、見事に横一列に連なる乾門東続櫓の石垣

最後に乾櫓を見届ける。

伊予松山城乾櫓

この後は搦手口の山道となる。

以上初心者でもわかりやすい写真を選んで紹介したが、もっと細かく観てみたい人は、伊予松山城に登城することをおすすめする。

■伊予松山城
http://www.matsuyamajo.jp/

■松山市ホームページ 松山城
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/kankomeisho/matsuyamajo/

※現存12天守:江戸時代以前に建造された天守を持つ城が12城現存しており、それら12城を総称し「現存12天守」という。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099