世界でも有数の都市に数えられる東京。
しかし、東京といえども、一朝一夕でここまでの大都市になったわけではなかった。
江戸時代には100万人超の人口を抱えていた大都市ではあったが、現在の視点で捉えると、経済成長期前までは、まだまだローカル色の強そうな街だったのだ。
そこで今回は、まだまだローカル都市っぽかった頃の東京の街の写真3枚をピック・アップし、どこの街かあててみてみよう、というクイズにしてみた。
では早速問題へ。
Q1.ここは東京のどこの街なのか?
Q2.ここは東京のどこの街なのか?
Q3.ここは東京のどこの街なのか?
3枚の写真全てがわかった人はかなりの東京通(とうきょうつう)だ。
では順番に正解を発表しよう。
A1.渋谷道玄坂
ちょうどこの分岐点で左に上る坂が道玄坂だ。
いまでこそ若い女の子の圧倒的支持を受けた「渋谷109」が高く聳え立ち、ランドマークとして渋谷を象徴しているが、明治時代の道玄坂はなんとも長閑で、どこの田舎の宿場町なのかと思えるくらいだ。
ここまで変わることができるのか、という街の変遷サンプルに最もふさわしいスポットかもしれない。
A2.西新宿
貯水池のようなエリアがヒントとなり、これから西新宿と判別できる。
この貯水池のようなエリアは、明治31年(1898年)に通水し、昭和40年(1965年)に廃止となった淀橋浄水場だ。
この広大な淀橋浄水場の跡地に高層ビルが次々に建てられ、平成2年(1990年)12月には東京都庁舎が建てられた。
現在の写真を見れば、もう一目瞭然で西新宿と判別できるだろう。
因みに昔の地図では西新宿という地名は存在せず、この淀橋浄水場一帯を「角筈(つのはず)」、また熊野神社よりも西側一帯を「十二社(じゅうにそう)」と呼んでいた。
A3.丸の内(東京駅前)
クイズに適した明治期の写真が見つからなかったので、明治23年頃に描かれたといわれている作者不明の「三菱ヶ原」という絵画を設問の素材に使用したのだが、この丸の内も昔と現在がかけ離れすぎて、驚いたかと。
元々この丸の内の場所は、明治政府からの払い下げで財閥の三菱が購入したエリアで、そのため三菱が購入した原っぱなので、当時は「三菱ヶ原」と呼ばれていた。
東京駅が完成してからも丸の内は相変わらず原っぱのままで、近所の子供たちがバッタを追いかけて、捕獲して遊んでいたのだとか。
現在、オフィス街である丸の内からはとても当時バッタが飛び交っていた原っぱだったとは想像できない。
最後にあらためて渋谷道玄坂、西新宿、丸の内の今昔写真を並列して締めくくることにする。
渋谷道玄坂の今昔
西新宿の今昔
丸の内(東京駅前)の今昔
今後もクイズに適した写真が見つかれば、第2弾、第3弾と「東京のどこの街なのか?」をやってゆきたい。