しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。
FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第22弾だ。
ではいつもの通り早速問題へ。
Q1.ここは東京のどこなのか?
Q2.ここは東京のどこなのか?
Q3.ここは東京のどこなのか?
おわかりになったであろうか。
では順番に正解を発表する。
A1.吉原大門
正解は吉原大門。
これは難易度が高かったかと。
吉原といえば、江戸時代における江戸最大の遊郭。
”異次元空間”の吉原は、今で言うと、子供たちに直視させると教育上&風紀上よろしくないということだろうか、入口にあたる大門から先のエリアを見させないように、道を真っ直ぐにせずに、あえて屈折させているのだ。
その名残は今もあり、かつての吉原遊郭は東京屈指のソープランド街へと生まれ変わっている。
屈折した道は今も役立っているということだ。
A2.新橋駅東口
正解は新橋駅東口。
ロータリーとなっているところを含めて撮影した写真。
アメリカ軍による空襲で焼け野原と化した東京。
街という街は全て焼き尽くされ、新橋駅も焦土となった。
新橋駅東口は西口に比べ大人しい印象で、喧騒から離れたい時は西口から東口に移るといいかもしれない。
A3.六本木
正解は六本木。
ちょうど「和菓子 青野総本舗」の前だ。
元々この地は、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳といった、木に因んだ名字の大名の下屋敷が六つあった。
そこから六本木という地名が付いた。
白黒写真は昭和30年代のようで、今から約60年前にもなる。
今では東京屈指の繁華街・六本木だが、この頃は裏手にも平屋の民家があったりで、のんびりした印象だ。
では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。
吉原大門の今昔
新橋駅東口の今昔
六本木の今昔
今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。