「東京」タグアーカイブ

東京の裏道のことなら、YouTubeチャンネル「東京抜け道研究所」【連載:アキラの着目】

マツコ・デラックスが気の向くままに“妄想徘徊”する自然体バラエティー番組『夜の巷を徘徊しない』(テレビ朝日系)。

その『夜の巷を徘徊しない』で2週に渡り放送されたのが、タクシー運転手やロケバス運転手による東京の裏道のプレゼン。

そこでは地元民にとって普段の生活で使えそうな裏道なども紹介され、渋滞しがちな主要幹線道路を通るのに辟易してた人にとっては興味をそそる内容だったかと。

地元民ではないが、東京の街・町が好きであちこち歩いている筆者でさえも興味を持って観ることができた。

なかなか裏道を研究しているなと思って観ていたのだが、それもそのはず、『夜の巷を徘徊しない』における裏道のプレゼンテーター3人のうち1人は、「東京抜け道研究所」というYouTubeチャンネルを運営している人なのだ。

「東京抜け道研究所」は東京の裏道を紹介しており、新宿、渋谷、池袋といった東京の3大駅に絡む裏道や、東京の環状道路が混雑した場合の裏道など、なかなか実践的で使える裏道ばかりを動画で紹介。

自分が運転しているような映像なので、観ていて飽きないのも良い。

カーナビがこれだけ発達している現在でも、やはり裏道情報には価値があるし、廃れることはないと実感した。

ただし、紹介されている裏道動画は、狭い道幅でも両通道路だったりといったエリアもあるため、紹介された裏道を実際に通行する際には注意が必要だ。

カーナビの案内に不満がある人や、いつも通る道路がマンネリで飽きた人、東京の裏道に関心を寄せている人は、ぜひ観ておきたいYouTubeチャンネルだ。

■YouTubeチャンネル 東京抜け道研究所
https://www.youtube.com/channel/UCTIxDZl0s5KEgHwPo2YtQhQ

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

自他共に認めるほどのクオリティ、水道水の「東京水」【連載:アキラの着目】

水不足の国や地域のほうが圧倒的に多い中、幸いにも日本は綺麗な水が満ち足りている。

それに、水道が整備されていても、蛇口を捻って出てくる水をそのまま飲んではいけないという国が世界では多いのだ。

日本人の感覚からすると、「蛇口を捻って出てくる水は安全だからこそ、水道管を通して流れてくるんじゃないの?」と思いがちだが、さにあらず。

だから、訪日外国人が、日本では蛇口の水をそのまま飲めることに驚くわけだ。

ただ、自治体によって、また取水場所によって日本の水道水にも厳密には水質にバラツキがあるのは確か。

汚い河川から取水して水道水にするのと、山岳の湧水から取水して水道水にするのとでは、当然ながら殺菌用塩素の濃度も変わるから、それが水の美味しさに関係してくるのだ。

とりわけ、東京都の水道水は、数ある水道水の中でも自他共に認めるほどのクオリティを要していることで有名だ。

東京の各家庭に供給している水道水と基本的には同じなのだが、「東京水」という商品名まで付けて、都内各所の売店にてペットボトルで販売しているくらいだ。

「東京水」 東京都HPから引用
「東京水」
東京都HPから引用

その美味しさの秘密は、都内全浄水場にて、カビ臭原因物質、カルキ臭の原因となるアンモニア態窒素、トリハロメタンのもととなる物質などを処理する「高度浄水処理」を施しているからだ。

しかし、いくら「東京水」が美味しいとはいえ、ミネラルウォーターのほうが安全だろう、と思っている人も多いことかと。

それについてはご安心を。

51項目もある国の厳しい水質基準項目と東京都の約200もの基準項目をくぐりぬけてきた「東京水」だから、極めて安全なのだ。

各家庭に供給されている無料のはずの水道水を「東京水」として販売しているのは、ブランドの定着や東京の浄水能力をPRするためだが、意外と「東京水」はお土産やウケ狙い(!?)で購入する人もいたりするのだとか。

貴方も東京土産で「東京水」を購入してみては。

「東京水」販売店 東京都水道局HPから引用

「東京水」販売店 東京都水道局HPから引用
「東京水」販売店
東京都水道局HPから引用

■ペットボトル「東京水」 | 広報・広聴 | 東京都水道局
https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/kouhou/tokyosui/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part19~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第19弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.中目黒(駒沢通り)

中目黒(駒沢通り)

正解は中目黒、それも駒沢通りだ。

かつては東京を縦横無尽に走行していた都電。

昔の写真(諸河久 氏 1965年3月30日撮影写真から引用)は、奥の恵比寿側から手前の山手通りとの交差点に向かって走行する、8系統築地行きの都電だ。

中目黒は、かつてこの8系統築地行きの終点駅であり、終点なのに安全地帯のない停留所だった。

現在の同じ地点は、蔵もなくなり、オフィスビルやマンション等に建て変わっている。

A2.表参道

表参道

正解は表参道。

昔の写真に写っている建物は、同潤会アパート。

今でいうと、同潤会アパートは、東京の「郊外」に建つ高級マンションみたいな位置づけになるかと。

というのも、渋谷、原宿、表参道は現在のような繁華街やトレンディ・スポットではなく、「東京市豊多摩郡」に属する町に過ぎず、辺鄙な場所だったからだ。

その同潤会アパートも表参道ヒルズの建設に伴い、解体された。

なので、今の写真に写っているのは、表参道ヒルズだ。

A3.渋谷宮益坂下

渋谷宮益坂下

正解は渋谷宮益坂下。

渋谷は現在もそうだが、まさに谷で、周辺地よりも最も低く、いくつもの川が渋谷を流れていた。

今では暗渠となり、明治通りの下や裏原宿の下を流れている渋谷川は、昔は”堂々”と流れていたので、宮益坂下の交差点のある地点は、橋が架かっていたのだった。

一応、説明しておくと、今昔写真とも右に行くと宮益坂になるので、やや勾配がついている。

因みに、左に行くと渋谷駅になる。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

中目黒(駒沢通り)の今昔

中目黒(駒沢通り)の今昔

表参道の今昔

表参道の今昔

渋谷宮益坂下の今昔

渋谷宮益坂下の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~神田(東京都千代田区)~【連載:アキラの着目】

「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは神田だ。

神田と言っても、山手線・京浜東北線の駅「神田」もあるし、神田神保町などのように頭に神田がつく町名もあり、実に多くの神田がつく地名が存在する。

神田神保町などの町名の場合は、1947年(昭和22年)に、かつての東京市神田区と同市麹町区が合併してできた千代田区において、旧神田区の町名については「神田」を冠した町名にするとのことで、「神田●●町」という町名が誕生し、現在に至っているのだ。

大元の神田についての由来は諸説ある。

1つ目の説は、神田神社(現・神田明神)を創建した真神田氏の名から採り、この辺りの地を「神田」としたという説だ。

2つ目の説は、神田神社(現・神田明神)のご祭神・平将門命に因んだもので、平将門命の「からだ」がなまって「神田」に、「からだの明神」が「神田明神」となったという説や、平将門命が片目を射抜かれたという伝説から「かため」が訛って「神田」になったという、平将門命説だ。
神田神社(神田明神)

3つ目の説は、伊勢神宮に奉納するための初穂を作る田んぼから由来するという説で、この田んぼを神田(みとしろ)というのだが、これが「かんだ」に転じたというものだ。

筆者としては2つ目の説を推したい。

というのも、「いくつもの河川が湾に流れ込む地」という意味の江戸は湿地帯だらけで、徳川家康入府時点ですら田んぼがなかったと考えられているし、後々の様々な影響力を考慮すると、平将門命に由来している方が自然なように感じられるからだ。

平将門命による「後々の様々な影響力」というのは、以下の事象だ。

1.関東大震災後、大手町にある将門塚に都市再開発として大蔵省仮庁舎を建設しようとした際、工事関係者や大蔵省職員、時の大蔵大臣・早速整爾(第1次若槻内閣)の相次ぐ不審死が起こり、これらの死は平将門命の祟りによるものだと大蔵省内で噂されることとなり、ついには大蔵省仮庁舎を取り壊したこと

2.第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が丸の内周辺を区画整理するにあたり、障害となる将門塚を撤去し、整地・造成しようとした際、米軍のブルドーザーが横転し、死者が出るなどの不審事故が相次いだため、計画を取り止めたこと

ゆえに、この地に対して不敬な行為に及べば、祟りにあうという伝承ができ、以降、将門塚は数十年にわたり地元ボランティア団体により手厚く保護されているのだ。
将門塚

因みに将門塚のある大手町は、現在の広義としては神田エリアにギリギリ入るか入らないかだろうが、筆者は大手町も神田エリアとしたい。

以上、長々と書いてきたが、「神田」の地名の由来を検証することは今となっては難しく、この広範な神田の地に多大な影響力を及ぼしている平将門命が、神田の地名の由来と筆者は思いたい。

■江戸総鎮守 神田明神 東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp/

■神田明神 @kanda_myoujin
https://twitter.com/kanda_myoujin

ここは一体東京のどこ?~Part18~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第18弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.西新橋交番前

西新橋交番前

正解は西新橋交番前。

角に蕎麦屋の「砂場」があり、その対面にキッコーマン株式会社東京本社がある交差点だ。

浮世絵は「名所江戸百景 愛宕下藪小路」で、文化11年~弘化4年(1814~47)の間に製作されたもの。

愛宕下藪小路は、出世の神様で知られている愛宕神社のある愛宕山の北側、現在の虎ノ門一丁目にあった。

竹藪を流れる川は桜川で、愛宕山の石段前へ続いていたが暗渠となった。

位置的には虎ノ門ヒルズのそばであるが、かつては「名所江戸百景 愛宕下藪小路」にあるとおり、小川が流れる長閑な風景があったのだ。

A2.品川御殿山

品川御殿山

2枚めの正解は品川御殿山。

元々は江戸庶民のための花見の名所だった品川御殿山。

江戸湾を眺望でき、そこを行き交う帆船を観るために遊脚が来て賑わったとのこと。

浮世絵は「名所江戸百景 品川御殿やま」で、崖下には東海道が通り、品川宿(現在の北品川)が近くにあった。

ペリーの黒船再来航に備えるために、江戸湾に台場を築くことになり、その土はこの品川御殿山を崩して運ばれた。

幕末の頃には、すでに”再開発”があったのだ。

A3.溜池

溜池

正解は溜池。

浮世絵は、歌川広重「名所江戸百景」の第48景「赤坂桐畑」。

過去のニッポンニュース「ここは一体東京のどこ?」でも何回か取り上げてきた溜池だが、またしても登場だ。

江戸時代初期に湧き水を堰止めて造られた溜池は、池のへりを補強する目的で多くの桐の木が植えられていた。

なので、この周辺は「赤坂桐畑」と呼ばれていたとのこと。

江戸庶民の飲料水として機能していた溜池だが、明治になってから池は徐々に埋め立てられ、現在では地名にだけしか「池」は残っていない。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

西新橋交番前の今昔

西新橋交番前の今昔

品川御殿山の今昔

西新橋交番前の今昔

溜池の今昔

西新橋交番前の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part17~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第17弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.東京ドームシティ

東京ドームシティ

正解は東京ドームシティ。

東京ドームシティのある場所には、1871年(明治4年)から1935年(昭和10年)まで東京砲兵工廠という兵器工場があり、小銃を主体とする兵器の製造を行なっていた。

兵器という生命を脅かす物を造っていた場所が、現在では娯楽遊戯施設になっているのだから、わからないものだ。

A2.新宿ビックロ裏

新宿ビックロ裏

正解は新宿ビックロ裏。

古い写真にあるように、ビックロの場所には元々、三越新宿店があったが2012年3月に閉店。

2012年7月にビックカメラ新宿東口新店として開店した。

同じく2012年9月に店舗のテナントでユニクロが入居し、ビックカメラとユニクロを合わせた名称「ビックロ」で共同店舗とすることになり、現在に至っている。

A3.蔵前

蔵前

正解は蔵前。

白黒写真は、アメリカ軍による東京大空襲で焼け野原と化した蔵前一帯を写したものだ。

白黒写真の中央やや右に写る円形状の建物は蔵前国技館。

戦前は、この蔵前国技館で大相撲興行が行われていた。

1950年に再建された蔵前国技館は、老朽化のため1984年に閉館、大相撲興行やその他のイベント等の開催は両国国技館へとひき継がれてゆく。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

東京ドームシティの今昔

東京ドームシティの今昔

新宿ビックロ裏の今昔

新宿ビックロ裏の今昔

蔵前の今昔

蔵前の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京への憧れ強し!?千葉県なのに「東京」だらけ【連載:アキラの着目】

最近は、近隣の都道府県でどっちが発展している、といったネタが大流行りだ。

関東地方でいえば、群馬県と栃木県と茨城県が互いにライバル視して、我こそが「北関東の雄」だと主張しているし、東京に次ぐのは、やれ神奈川県だ、千葉県だ、いやいや埼玉県だ、などと昔から主張し合っている。

そんな風潮の中、あまりにも露骨なアピールをしているのが、もっぱら千葉県だと評判だ。

千葉県は東京のように発展したいという強い願望や憧れがあるのか、千葉県なのにもかかわらず、やたらと「東京」を名乗っているのだ。

以下は、千葉県なのに「東京」を名乗っている施設や企業だ。

・東京ディズニーランド

言わずとしれた某ネズミのキャラクターで有名なレジャーランドだが、所在地は東京ではなく、コテコテの千葉県浦安市。

・東京ドイツ村

東京ドイツ村

これまた千葉県の”東京かぶれ”の例として必ず挙げられるレジャー施設で、東京にかすりもしない千葉県袖ケ浦市にある。

・ららぽーとTOKYO-BAY

千葉県船橋市にある商業施設「ららぽーと」で、普通ならば「ららぽーと船橋」のはずなのだが、「TOKYO」を堂々と名乗ってしまうところがあつかましいと他県から言われてしまう。

・東京ベイシティ交通

千葉県浦安市にある路線バス・高速バスの会社。

同じ千葉県浦安市の東京ディズニーランドが「東京」を名乗っているのだから、ウチの会社も「東京」を名乗ってしまおう、ということなのだろうか。

・伊藤ハム東京工場

千葉県柏市にある工場なのだが、なぜかここも「東京」の工場と名乗っている。

・東京モーターショー、東京オートサロン

東京モーターショー

いずれも自動車関連のイベントで、開催会場は千葉県幕張市にある「幕張メッセ」。

さすがに「千葉モーターショー」、「千葉オートサロン」ではローカル色強めで、全国から人が来ないような気もするので、それぞれの頭に「東京」を付けるのは致し方ないところか。

千葉県なのに「東京」を名乗っていることを面白がって、わざわざ訪れる観光客もいるようだが、訪日外国人観光客の中には千葉県とは知らずに本当の「東京」だと思って訪れる人たちも少なくないようだ。

都心部から東に所要時間が1時間以上もかかる「東京」は存在しないので、「東京」と思い込んでいる外国人の人や地方から来た人には親切に教えてあげるのが良いかもしれない。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~六本木(東京都港区)~【連載:アキラの着目】

六本木交差点「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、六本木だ。

六本木は御存知の通り東京屈指の繁華街として世界に名を馳せており、戦前の東京市では旧麻布区に属していた。

六本木という地名の由来に関する説は2つある。

1つ目の説は、この地に6本の松の木があったことに由来するもの。

もう1つの説は、上杉家、片桐家、朽木家、高木家、一柳家、青木家といった木にまつわる名字の大名家がこの地に屋敷を構えていたことに由来するものだ。

どちらが六本木という地名の由来として正しいという判断や評価を付けることはできないが、いずれにしても木に関係することは確かだろう。

明治時代になると、大名屋敷ばかりだった六本木は、「東京鎮臺歩兵營」という軍事施設が置かれるようになった。

1917~1924 東京 六本木周辺
1917~1924 東京 六本木周辺

昔の六本木を知るお年寄りに訊くと、「戦前の六本木は軍人さんばかりで、怖かった」そうで、現在の繁華街で賑わう六本木とは正反対の町だったようだ。

その後、日本の敗戦により六本木の軍事施設はGHQにより接収され、GHQの外国人向けの商店や飲食店が少しづつでき始めた。

1975年(昭和50年)以降は、赤坂に代わる人気繁華街としての地位を確立し、1980年代後半からのバブル経済期には数十軒ものディスコがオープン、日本人・外国人とも大挙押し寄せるプレイスポットとなった。

人気繁華街ともなれば、当然犯罪や非行の温床となる側面も出てくるようになり、このため六本木エリアはアメリカ国務省、イギリス大使館、オーストラリア大使館によって旅行者向けの『危険地域』として警告されるに至っている。

近年は、大規模な都市再開発が行われ、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンがオープンし、繁華街だけでなく、大人向けのお洒落な商業エリアとしても現在の六本木は注目を集めている。
六本木交差点

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part16~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第16弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.赤坂見附

赤坂見附

正解は赤坂見附。

元の絵は、二代歌川広重「名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい」(安政6年[1859]4月)だ。

この絵が描かれた場所は、内堀通りから赤坂見附交差点および赤坂エクセルホテル東急を望んだ方角なのだ。

なので、奥の坂は現在も同じだが、溜池が埋め立てられ、内堀通りとなってしまった。

A2.アメリカ大使館前

アメリカ大使館前

正解はアメリカ大使館前。

溜池を描いた「江戸名所図会」なのだが、現在のような高層ビルがないため、現在でいうところの赤坂日枝神社のある山をそのまま見通せるのだ。

「江戸名所図会」溜池で描かれている、手前に段々のある道は汐見坂で、現在は虎の門病院とホテルオークラの間にある。

江戸庶民の飲料水を確保するための大きな池だった溜池だが、明治時代になってからは徐々に埋め立てられ消滅し、溜池という地名だけが残っている。

A3.原宿代々木公園の道路

原宿代々木公園の道路

正解は原宿代々木公園の道路。

かつては休祝日ともなれば、原宿代々木公園の道路は歩行者天国(通称:ホコ天)となっていた。

パステルカラーの独特な衣装を身に纏い、ディスコサウンド(ジンギスカン等)にのってダンスを踊る「竹の子族」や、ツイストを踊るツッパリ(≒ヤンキー)、等々、大勢の若者達が毎週集結していた。

しかし、1996年~1997年にかけての代々木公園前歩行者天国の試験廃止および1998年8月31日の歩行者天国完全廃止によって原宿代々木公園の道路での大勢の若者達の姿を二度と観ることができなくなってしまった。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

赤坂見附の今昔

赤坂見附の今昔

アメリカ大使館前の今昔

アメリカ大使館前の今昔

原宿代々木公園の道路の今昔

原宿代々木公園の道路の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part15~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第15弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.新宿駅(東口)

新宿駅東口(ルミネエスト新宿店)

先ほどの写真の場所は、新宿駅東口のルミネエスト新宿店となっている。

新宿駅ができたのは1885年(明治18年)で、宿場町の内藤新宿からは離れていたため、当時の乗降客数は50人/日程度だったとのこと。

約353万人(2017年)で世界一(ギネス世界記録認定)の乗降客数を誇る今の新宿駅とは思えぬ少なさだ。

A2.虎ノ門

虎ノ門

正解は虎ノ門。

かつては古い写真の通り、江戸城の堀と城門・虎ノ門があった。

しかし、溜池から続く堀は埋め立てられ、虎ノ門も撤去された。

現在は官庁やオフィスが立ち並ぶエリアとして、その名は内外に知られている。

門が撤去され、消滅しても地名に残る分だけマシと思わないといけないか。

A3.西新宿副都心

西新宿副都心

この設問は先の2問に比べると、楽勝だったのでは。

正解は西新宿副都心。

高層ビルや都庁が群立する副都心に通ずる地下通路が見え、これがヒントになったことだろう。

以前のFJ時事新聞ニッポンニュースでも触れたが、元々この地は西新宿とは言わず、角筈や十二社と名乗る風光明媚な地だった。

広大な土地だったため、1898年(明治31年)に淀橋浄水場が造られ、1965年(昭和40年)まで利用された。

白黒写真は、淀橋浄水場跡地の再開発真っ最中のものだ。

新宿駅(東口)の今昔

新宿駅(東口)の今昔

虎ノ門の今昔

虎ノ門の今昔

西新宿副都心の今昔

西新宿副都心の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099