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ここは一体東京のどこ?~Part17~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第17弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.東京ドームシティ

東京ドームシティ

正解は東京ドームシティ。

東京ドームシティのある場所には、1871年(明治4年)から1935年(昭和10年)まで東京砲兵工廠という兵器工場があり、小銃を主体とする兵器の製造を行なっていた。

兵器という生命を脅かす物を造っていた場所が、現在では娯楽遊戯施設になっているのだから、わからないものだ。

A2.新宿ビックロ裏

新宿ビックロ裏

正解は新宿ビックロ裏。

古い写真にあるように、ビックロの場所には元々、三越新宿店があったが2012年3月に閉店。

2012年7月にビックカメラ新宿東口新店として開店した。

同じく2012年9月に店舗のテナントでユニクロが入居し、ビックカメラとユニクロを合わせた名称「ビックロ」で共同店舗とすることになり、現在に至っている。

A3.蔵前

蔵前

正解は蔵前。

白黒写真は、アメリカ軍による東京大空襲で焼け野原と化した蔵前一帯を写したものだ。

白黒写真の中央やや右に写る円形状の建物は蔵前国技館。

戦前は、この蔵前国技館で大相撲興行が行われていた。

1950年に再建された蔵前国技館は、老朽化のため1984年に閉館、大相撲興行やその他のイベント等の開催は両国国技館へとひき継がれてゆく。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

東京ドームシティの今昔

東京ドームシティの今昔

新宿ビックロ裏の今昔

新宿ビックロ裏の今昔

蔵前の今昔

蔵前の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

展示もグッズも大注目、『マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店』【連載:アキラの着目】

2020年2月22日(土)から昨日24日(月・祝)まで東京・新宿髙島屋1F JR口特設会場にて開催された『マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店』。

全国のマンホール・ファンやマニアが集結し、大盛況のうちに幕を閉じた。

本来、マンホールは周知の通り、下水道等の管理目的で地上から出入りできるように地面にあけられた縦孔だ。

その縦孔を塞ぐ蓋が、日本ではバラエティに富んだデザインや図柄が多いため次第に着目されるようになり、気がつけばマンホール愛好家・ファン・マニアが存在するまでのジャンルとなったのだ。

故・坂本九の世界的大ヒット曲『上を向いて歩こう』(英名『SUKIYAKI』)をもじったイベント・キャッチフレーズ、「今日からは下を向いて歩こう!」はまさに下を向いて歩くと、今まで気づかなかったマンホール・アートに出会えることを示唆している。

そんな一大ジャンルにまで成長したマンホールを”主人公”にした『マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店』では、アニメ・キャラをデザインしたマンホールや、プロ野球チームのマスコットキャラクターを配したマンホール、地域の名城を表現したマンホール、等々、色とりどりのマンホールが展示され、訪れたマンホール・マニアの目を楽しませていた。
マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店 Twitterから引用

マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店 Twitterから引用
マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店
Twitterから引用

『マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店』では、展示物のマンホールだけでなく、マンホールにちなんだグッズにもかなりの注目が集まった。

マンホールを模した「マンホーラーバッジ」や、腹持ちも良さそうな「マンホール蓋どら焼き」などもあったりで、普段マンホールに興味のない人でも思わず手にとって購入してしまうようなグッズやスイーツがあった。

「マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店」で販売されていた「マンホーラー・バッジ」 Twitterから引用
「マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店」で販売されていた「マンホーラー・バッジ」
Twitterから引用
「マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店」で販売されていた「マンホール蓋どら焼き」 Twitterから引用
「マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店」で販売されていた「マンホール蓋どら焼き」
Twitterから引用

また、マンホール・グッズの中でも秀逸なのが、「マンホール蓋拓本」だ。

凹凸のあるマンホールに墨を付け、1枚1枚、Tシャツやトートバッグの布地に写すもので、クールの一言に尽きる。

たまたま新宿高島屋の東急ハンズに来た人もいただろうが、マンホールに魅せられて、新たにファン・マニアになった人もいるかもしれない。

このようなマンホールのイベントを地道に継続していくことで、草の根的にマンホール・マニア人口は着実に増えていくことだろう。

■マンホールフェス 2020 in 東急ハンズ新宿店 – 店舗のイチオシ – 東急ハンズ新宿店
https://shinjuku.tokyu-hands.co.jp/item/cat/-2019-in.html

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part15~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第15弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.新宿駅(東口)

新宿駅東口(ルミネエスト新宿店)

先ほどの写真の場所は、新宿駅東口のルミネエスト新宿店となっている。

新宿駅ができたのは1885年(明治18年)で、宿場町の内藤新宿からは離れていたため、当時の乗降客数は50人/日程度だったとのこと。

約353万人(2017年)で世界一(ギネス世界記録認定)の乗降客数を誇る今の新宿駅とは思えぬ少なさだ。

A2.虎ノ門

虎ノ門

正解は虎ノ門。

かつては古い写真の通り、江戸城の堀と城門・虎ノ門があった。

しかし、溜池から続く堀は埋め立てられ、虎ノ門も撤去された。

現在は官庁やオフィスが立ち並ぶエリアとして、その名は内外に知られている。

門が撤去され、消滅しても地名に残る分だけマシと思わないといけないか。

A3.西新宿副都心

西新宿副都心

この設問は先の2問に比べると、楽勝だったのでは。

正解は西新宿副都心。

高層ビルや都庁が群立する副都心に通ずる地下通路が見え、これがヒントになったことだろう。

以前のFJ時事新聞ニッポンニュースでも触れたが、元々この地は西新宿とは言わず、角筈や十二社と名乗る風光明媚な地だった。

広大な土地だったため、1898年(明治31年)に淀橋浄水場が造られ、1965年(昭和40年)まで利用された。

白黒写真は、淀橋浄水場跡地の再開発真っ最中のものだ。

新宿駅(東口)の今昔

新宿駅(東口)の今昔

虎ノ門の今昔

虎ノ門の今昔

西新宿副都心の今昔

西新宿副都心の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part14~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第14弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.虎ノ門

虎ノ門(文化庁前)

正解は虎ノ門。

小林清親が描いた明治初年の虎ノ門で、洋風建築物は旧工部大学校の校舎。

今は同じ場所に文化庁東館が建つ。

外堀通りはその名の通り元々は江戸城の外堀だったところで、その外堀を埋めて道とした。

明治初年であれば外堀は”健在”で、水面に逆さの工部大学校校舎が映っているわけだ。

A2.御茶ノ水

御茶ノ水

正解は御茶ノ水。

この明治期における御茶ノ水の写真は有名。

この川は言わずと知れた、江戸城の外堀の役目も持つ神田川。

一見すると、自然な河川だが、この神田川は人力で掘られて造られた「人工物」。

徳川家康江戸入府の頃は、左右の陸地が繋がった駿河台で、2代将軍・徳川秀忠の命を受けた伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことにより湯島台(写真左)と駿河台(写真右)とに分離されたのだ。

A3.新宿東南口

新宿東南口

正解は新宿東南口。

古い写真は昭和30年代に撮影されたもののようだ。

平成になったかならないか頃まで、この新宿東南口は変わらず、若い頃の筆者の記憶では、ガラの悪いパッとしない場所だった。

古い写真の180度正反対の側に、ヤクザ映画専門の映画館があったのも、この地のガラの悪さに拍車をかけてた。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

虎ノ門の今昔

虎ノ門の今昔

御茶ノ水の今昔

御茶ノ水の今昔

新宿東南口の今昔

新宿東南口の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part12~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第11弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.丸の内(東京駅西側)

丸の内(東京駅西側)

以前の「ここは一体東京のどこ?」(2018年01月19日)
でも、やや異なる角度から出題したが、同じ三菱ヶ原だ。

現在の東京駅およびその周辺地は、元々戦前の陸軍省が所有する軍事演習の用地だった。

その広大な原っぱを政府は民間に払い下げるということになり、三菱の2代目・岩崎弥之助が当時の金128万円で払い下げを受けた。

それ以降、この原っぱを三菱ヶ原と呼ぶようになり、中央駅としての役割を持つ東京驛も開業し、現在に至っている。

A2.神楽坂

神楽坂

飯田橋駅の牛込見附側から見える上り坂がご存知の通り神楽坂だ。

かつての東京には多くの花街があったが、神楽坂はその筆頭格で、「東京六花街」にも数えられた由緒ある花街だったのだ。

現在でもその頃の料亭が存在し、裏小路を歩くと、花街の名残が感じられる。

また、東京で最もフレンチの店が多い街としても知られており、神楽坂に行きつけの店があると、できるカッコいい大人に見られる。

A3.新宿ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)

ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)

新宿に詳しい人ならば簡単だったかと。

「ゴールデン街」の看板をくぐったら、遊歩道がすぐに出てくるが、その遊歩道が元々は都電専用軌道だったのだ。靖国通りから曲がって、この専用軌道になり、東にカーブして明治通りに出るルートだったのだ。
新宿ゴールデン街の看板

筆者が若い頃のゴールデン街はすっかり寂れており、スラムまではいかないが、なんか足を踏み入れるのに躊躇するエリアだった。

しかし、現在はすっかり外国人観光客の人気スポットになり、夜な夜な賑わっている。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

丸の内(東京駅西側)の今昔

丸の内(東京駅西側)の今昔

神楽坂の今昔

神楽坂の今昔

新宿ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)の今昔

新宿ゴールデン街裏手の遊歩道(旧・都電専用軌道)の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099