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石原プロモーション解散、58年の歴史に終止符、商号返還式に所属俳優&スタッフ集結【連載:アキラの着目】

国民的スター、石原裕次郎さん(享年52歳)が設立した石原プロモーション(東京都調布市)が1月16日に解散し、58年に渡る芸能マネジメントの歴史に終止符を打った。

石原プロモーション本社では、舘ひろしさん(70歳)、徳重聡さん(42歳)、池田努さん(42歳)、増本尚さん(21歳)の石原プロモーション所属の俳優陣と、昨年亡くなった渡哲也さん(享年78歳)の遺影に見守られ、石原プロモーションの商号返還式が執り行われた。

石原プロモーション公式サイトから引用
石原プロモーション公式サイトから引用

その後、石原プロモーションの商号看板は、石原プロモーション本社から渡哲也さんの自宅での仏前報告を経て、東京都世田谷区成城にある石原裕次郎邸のまき子夫人(87歳)のもとに届けられた。

まき子夫人は落ち着いた様子で「来る時が来ましたね」と看板を受け取り、自宅の祭壇に看板を供え「今後は名誉会長として、命ある限り裕次郎を守っていきます」とコメントした。

石原プロモーションは1月いっぱいで、東京都調布市にある事務所を同市内の別の建物に移転し、2月から石原裕次郎さんの音楽や映像・肖像権を管理する株式会社石原音楽出版社と、同じく石原裕次郎さんの遺品等を管理する一般社団法人ISHIHARAに業務を限定するとのことで、前述の通り、まき子夫人は名誉会長として両社を取り仕切ってゆく。

なお、1973年から石原プロモーションに48年所属した神田正輝さん(70歳)は、この日、テレビ朝日系「朝だ!生です旅サラダ」(土曜8:00~)の生放送に出演していたため、やむをえず解散式及び商号返還式には出席できなかった。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

FJ時事新聞おすすめ神社~喜多見氷川神社(東京都世田谷区)~【連載:アキラの着目】

喜多見氷川神社今年も残すところ半月。

例年と異なり、コロナ禍での新年を迎えることになるため、初詣を控える動きも出てくるかもしれないが、初詣をする前提でおすすめの神社をご紹介する。

そのおすすめの神社は、東京都世田谷区喜多見にある氷川神社だ。

氷川神社と名の付く神社は全国にあまた存在するが、この世田谷の地にも存在する。

喜多見氷川神社の歴史は古く、天平十二年(740年)の創建と伝えられており、延文年間(1356年~1360年)に宮殿が大破し、さらには多摩川洪水のため古縁起・古文書等を流失し、この神社の詳細に関しては不明なところが多い。

元々は、多摩川岸に近い場所に建立されていたのだとか。

そんな由緒ある喜多見神社を訪れてみると、まずは世田谷区有形文化財に指定されている二の鳥居がお出迎えし、その先が思いのほか長い参道だ。

その参道を歩み進めると紅葉で色づいており、京都の名刹を訪れているかのような風景だ。
喜多見氷川神社喜多見氷川神社

そしてその奥に本殿と拝殿がある。

喜多見氷川神社公式HPから引用
喜多見氷川神社公式HPから引用

大晦日から元日にかけては地元の人達や、この喜多見氷川神社を知っている人達がそれなりに訪れるのだろうが、いわゆる明治神宮や増上寺のような混み具合はおそらくなかろう。

なぜなら、喜多見氷川神社は都心にあるわけではなく郊外にあり、知名度も高くないからだ。

東京にいながら、地方の感覚に浸りたいような人には、ぜひとも訪れてもらいたい神社だ。

【喜多見氷川神社】

・所在地:〒157-0067 東京都世田谷区 喜多見4丁目26-1
・アクセス:電車 小田急線「喜多見」駅徒歩約20分
      バス 小田急線「狛江」駅南口 狛江苑バス停下車徒歩約5分
      タクシー 小田急線「成城学園」駅前から約10分

■世田谷区喜多見 氷川神社
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hikawa-j/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

貴方は全部読める?東京難読地名【連載:アキラの着目】

中国から朝鮮半島を経て伝来してきた漢字。

日本での漢字の読み方には「音読み」と「訓読み」の2通りがあり、伝来当時の中国での発音に似た読み方が音読みで、大和言葉(やまとことば 古代の日本語)を充てて読むのが訓読みだ。

なので、同じ漢字でも読み方が2通り以上あり、これが日本語を学習する外国の人たちにとっては厄介なものとなっているようだ。

そんな日本での漢字の読み方なのだが、日本人でもなかなか読むことができなかったりする地名があったりする。

今回は、そこの住民でないと読めなかったり、知らないと全く読めないような難読地名を東京エリアから厳選して紹介する。

1.舎人(とねり 足立区)

舎人は「とねり」と読む。

舎人という地名の由来には諸説あり、舎人親王(天武天皇の皇子)がこの地にやってきたからとか、古代の宮廷に仕え警備や雑用等をする下級役人(=舎人)がこの地に住んでいたから、等々あるが、、いずれにしても「舎人」を引っ張ってきて付けた地名ということだろう。

2.麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう 港区)

現在のロシア大使館周辺には鼬坂や鼠坂、等々、坂が多く、高低差がある場所として知られている麻布狸穴町。

坂の名称や、この「狸穴」という地名から、鼬、狸などといった野良動物が生息し、それら野生動物の巣や寝蔵があったであろうことは容易に想像がつく。

それゆえにこの地には「猯(まみあな)」という地名が付き、やがて「狸」という漢字と混同されてしまい、「狸穴」になったとする説が最有力だ。

3.石神井町(しゃくじいちょう 練馬区)

地方出身の日本人でも読めない地名。

この地で井戸を掘った際に、石剣が出土したことから、「石神の井」で石神井となったといわれている説が有力。

4.九品仏(くほんぶつ 世田谷区)

この地の近辺に上品堂、中品堂、下品堂の3つのお堂を持つ浄真寺という寺があり、そのそれぞれのお堂には上生、中生、下生に相当する3つの如来像があった。

その計9体の如来像を「九品仏」と呼んでいたことが地名の由来のようだ。

5.砧(きぬた 世田谷区)

古くは7、8世紀の頃に、朝廷に税として納める布を叩いて柔らかくし、ツヤを出すのに使った衣板(きぬいた)から由来したといわれている。

ちなみに、砧からやや離れた調布は、まさに「租庸調」の「調」として納める布を作っていた地だったといわれている。

6.蛇崩(じゃくずれ 目黒区)

大正時代までは地名があったものの、現在は目黒区上目黒にある「蛇崩交差点」にしか名を留めていない蛇崩。

蛇崩という地名の由来は「蛇崩川」(現在は暗渠)という川が流れていたことに関係があり、「新編武蔵風土記稿」(江戸時代に編纂)という文献には、「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことからこの地名が生まれた」との記述があるが、真偽のほどは定かでない。

もう1つの説は、蛇崩川が、蛇行する水の勢いで大規模な土砂崩れが起こしていた大変な暴れ川だったから、蛇行する川が起こす土砂崩れで「蛇崩」になったとのこと。

7.油面(あぶらめん 目黒区)

江戸時代の中期、菜種の栽培が盛んだったこの地で絞られた菜種油が芝の増上寺や、その流れを汲む祐天寺において灯明用油として使用されていたそうだ。

この菜種油の奉納によって、絞油業に対する租税が免除されていたようで、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」となり、その「油免」がいつしか「油面」に変貌したと伝えられている。

以上がFJ時事新聞ニッポンニュースが厳選した東京難読地名だが、貴方は全て読むことができたであろうか?

また機会があれば、厳選した難読地名を取り上げたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

”サザエさんの門前町”に根付いた「サザエさんどら焼き」(世田谷区桜新町)【連載:アキラの着目】

桜の杜 伊勢屋のサザエさんどら焼き知る人ぞ知る有名な町が”サザエさんの門前町”である東京都世田谷区の桜新町。

『サザエさん』に出てくる魚屋さんなどは、そのモデルとなった元の店が今でも健在だ。

その桜新町で古くから和菓子店を営んでいるのが「桜の杜 伊勢屋」だ。

和菓子定番の豆大福、芋ようかん、赤飯はもちろんのこと、しっとりした生地で桜の餡を包み込み、オーブンで焼き上げた「幸福包みの桜ホイル」といった若者ウケする菓子も作っているのだ。

しかし、これら以外で近年、注目を集めているのが、サザエの壺焼きならぬ「サザエさんどら焼き」だ。

桜新町は『サザエさん』の作者・長谷川町子さんがお住いになっていた町で、前述の通り”サザエさんの門前町”だ。

だから、「サザエさんどら焼き」が作られたのだ。

Twitterでも「サザエさんどら焼き」は話題となっており、それが↓だ。

画像をクリックするとわかりやすいが、しっかりとサザエさんの焼印が押されており、親しみが湧いてくる。

けれども、そのサザエさんを齧るのは、気が引けてしまう感じがしないでもないが、そこは深く考えずに齧りつくなり、手で2つに分けて食べるなり、割り切ろう。

贈り物には、この「サザエさんどら焼き」と、同じく桜新町「ヴィヨン」のバウムクーヘンを合わせると、さらに鉄板だ。

【桜の杜 伊勢屋 詳細】

ジャンル:和菓子
予約・お問い合わせ:03-3428-5198
所在地:東京都世田谷区桜新町2-8-4
アクセス:東急田園都市線「桜新町」駅西口から徒歩1分弱(北口と西口の中間)
営業時間:9:00~20:00(月火木~日)
     ※年末年始は営業時間変更、元旦も営業
定休日:水曜日
※新型コロナウイルス感染拡大により、営業時間・定休日が記載と異なる場合あり

■(有)桜の杜 伊勢屋 – 桜新町商店街
http://www.sakurashinmachi.net/asp/shop_dtl.asp?sk=106

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

中世城郭・世田谷城のあった招き猫発祥の地・豪徳寺(東京都世田谷区)【連載:アキラの着目】

豪徳寺招福殿脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たち今回のニッポンニュースで取り上げるのは、知る人ぞ知る東京都世田谷区にある豪徳寺。

台東区・浅草今戸神社、新宿区落合南長崎・自性院と並び、「招き猫発祥の地」としても有名な寺だ。

1633年に現在のこの地・世田谷領が彦根藩の管轄となり、彦根藩2代当主・井伊直孝が井伊家の菩提寺としてこの寺の伽藍等を整備した。

豪徳寺という名の由来は、その井伊直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」の「豪徳」から拝借したとのこと。

江戸藩邸で暮らしていた井伊直孝がある日、鷹狩りの帰路、この付近を通りがかった際に、自分を招いているような1匹の猫を見かける。

井伊直孝がその猫の招きで門内に入るや否や、急な激しい雷雨となった。

この猫のおかげで、雷雨を回避でき、そのうえ和尚さんのありがたい法話も聴くこともでき、井伊直孝は大変喜んだとのこと。

その逸話が「招き猫発祥の地」として今日まで言い伝えられているのだ。

そんな微笑ましい逸話のある「招き猫発祥の地」豪徳寺だが、元々この地は、世田谷に本拠を置き、代々居を構えた奥州吉良氏によって築かれた世田谷城があった。

世田谷城の縄張り(敷地の範囲)は現在の豪徳寺と世田谷城址公園を含む辺りと推測され、世田谷城の空堀及び土塁の幾つかは現存している。

世田谷城の城郭構造(推定)
世田谷城の城郭構造(推定)

では早速、豪徳寺・世田谷城を散策してみよう。

豪徳寺の参道に入ってゆくと、向かって右側(参道東側)に世田谷城の土塁を観ることができる。

豪徳寺参道右側(参道東側)に現存する世田谷城の土塁
豪徳寺参道右側(参道東側)に現存する世田谷城の土塁

コンクリート塀からちょっと頭をのぞかせているので、誰でも視認できよう。

突き当たると右斜めに道が曲がるので、そこで振り返ると、世田谷城の城郭構造(推定)における「郭A(築城当時は「二の郭」もしくは「奥御所」とも)」を望める。

世田谷城「郭A(築城当時は「二の郭」もしくは「奥御所」)
世田谷城「郭A(築城当時は「二の郭」もしくは「奥御所」)

何もわからない人が見ると、ただの空き地にしか見えないが、所々に土塁を散見できる。

豪徳寺境内に足を踏み入れると、そこは世田谷城の「前郭」であったところで、進行方向左側に三重塔が姿を現す。

豪徳寺境内(世田谷城「前郭」)にある三重塔
豪徳寺境内(世田谷城「前郭」)にある三重塔

三重塔を越えた辺りに左側に行ける小径が現れるので、そこを歩くと招福殿や、その脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たちを観ることができる。
豪徳寺招福殿脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たち豪徳寺招福殿脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たち豪徳寺招福殿脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たち豪徳寺招福殿脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たち

豪徳寺招福殿脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たち
豪徳寺招福殿脇にある大小様々で数え切れぬほどの招き猫たち

豪徳寺境内の開けた場所には仏殿や社務所があり、ここでも招き猫が歓迎していた。

豪徳寺仏殿
豪徳寺仏殿
豪徳寺社務所
豪徳寺社務所前にある招き猫
豪徳寺社務所前にある招き猫

筆者の訪れた時間が夕方で閉館間際だったこともあって、社務所はすでに閉まっており、招き猫を購入できなかった。

あらためて次回にチャレンジして、招き猫をゲットしたい。

参拝も終え、豪徳寺境内を離れ、隣接する世田谷城址公園へ。

かなり整備され、当時の面影がないのではと期待していなかったが、実際に行ってみたら、郭や土塁、空堀が残っており、東京23区内にまだこれだけの城郭が残っていることに嬉しさを感じた。

世田谷城「郭F(南郭)」 現・世田谷城址公園
世田谷城「郭F(南郭)」
現・世田谷城址公園
世田谷城の空堀  現・世田谷城址公園世田谷城の空堀  現・世田谷城址公園
世田谷城の空堀  現・世田谷城址公園
世田谷城の空堀
現・世田谷城址公園

特に「郭F(南郭)」と空堀の高低差は想像以上にあり、中世城郭マニアにとっては十分なご馳走となろう。
世田谷城「郭F(南郭)」と空堀の高低差

世田谷城「郭F(南郭)」と空堀の高低差 現・世田谷城址公園
世田谷城「郭F(南郭)」と空堀の高低差
現・世田谷城址公園

世田谷区の閑静な住宅街にある一寺院に過ぎない豪徳寺なのだが、「招き猫発祥の地」という惹きが強いのか、海外からの訪問・参拝客もそこそこいたのには驚き。

やはり招き猫は日本のみならず世界で人気となりうる存在であることを認識した次第だ。

付け加えるとしたら、招き猫だけでなく、中世城郭・世田谷城の土塁・郭・空堀も併せて観ることを推奨したい。

【大谿山(だいけいざん)豪徳寺 詳細】

・所在地:〒154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
・アクセス:小田急線「豪徳寺」駅徒歩10分、東急世田谷線「宮の坂」駅徒歩5分
・宗派:曹洞宗
・文化財:彦根藩井伊家墓所(国の史跡)、井伊直弼墓(東京都指定史跡)、他多数
・お問合せ:03-3426-1437

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

仲間達の手作り有機野菜と自分達で育てた「空米」を美味しく提供、農民カフェ【連載:アキラの着目】

世田谷区に2店舗を構え、仲間たちの作った有機野菜と自分たちで育てた米「空米」を美味しく食べてもうらうための御飯屋が、農民カフェだ(夜は「農民酒場」)。

農民カフェ公式HPから引用
農民カフェ公式HPから引用

今回は2店舗のうち農民カフェ下北沢店を取り上げる。

農民カフェ公式HPを見ると、「私たちの基本は農業です。そして、農民として考えます。農とは生き方そのものです。長い間かけて辿り着いた姿勢です。」と基本理念が明記されている。

有機野菜や米を栽培し、それを美味しく食べるという、「農」を実践し生きてゆくシンプルな姿勢を貫いているのだ。

それらの理念や姿勢を追求し、こだわったレシピが人気を集めており、評判は上々だ。

農民カフェ店内の雰囲気も良く、ウッド席からまるで農村にいるかのような個室まであり、東京にいながらにして身近に「農」を意識することができるカフェだ。

農民カフェ店内の雰囲気 農民カフェ公式HPから引用
農民カフェ店内の雰囲気 農民カフェ公式HPから引用

「食事はしないけど、とりあえずどのような店なんだろう?」と少しだけ気になる人は、見学だけでも全然OKだ(随時受付)。

農民カフェは毎週火曜日が定休日なのだが、農民カフェではその定休日を「休民日」と呼んでおり、その「休民日」に店舗の有効活用(「農民活用」)もできる。

店頭マーケットとして野菜や加工品雑貨を販売したり、ギャラリーとして活用したり、ワークショップで活用したり、あるいは”ママさんシェフ”が農民カフェを運営したり、といったことが可能なのだ。

さらに、ギャラリー展ならぬ「ギャラリー農」で作品を無料で展示することもでき、普段はカフェの場が、様々な可能性を秘めた活用スペースへと変身できるのが特徴だ。

また、有機農園の方々に来て頂いて、店頭で農園産物を販売して頂く「農園FES」という企画もあり、少しでも一般の人達との直接的なふれあいを通じて、身近に農業を感じてもらいたいとのことだ。

どこで栽培されているのか見当がつかない野菜が頻繁に売られている昨今、栽培者を視覚化し、安心・安全な有機野菜や米を美味しく提供し、農民との交流の場も提供している農民カフェは、「農」にこだわりたい人だけでなく、それ以外の人達にも支持されるだろう。

有機野菜の生ジュース 農民カフェ公式HPから引用
有機野菜の生ジュース 農民カフェ公式HPから引用

【農民カフェ/農民酒場 詳細】

・所在地:東京都世田谷区北沢2-27-8
・アクセス:下北沢駅徒歩3分
・営業時間:11:30~17:00(農民カフェとしてはランチのみ)
・定休日:火曜日(但し火曜日が祝祭日は翌日休み)
・電話番号:03-6416-8176(FAX兼用)
・メール:nomin@mild.ocn.ne.jpshapeimage_4_link_0
・公式サイトURL:http://www.livemedia.co.jp/wwc/nong/nong_minkafe.html

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責任編集:拡輪 明-HS099