天然の山としては東京23区内で最高峰(標高25.7m)の愛宕山。
頂上に愛宕神社もある愛宕山は、高層建造物がなかった昔、景観の素晴らしいスポットの1つとして有名だった。
平成の現在でも愛宕山は相変わらず人気があり、それを愛宕神社は自覚し、認識したのか、愛宕神社の鳥居が真紅に塗り替えられた(下の写真参照)。
まず鳥居を潜りたいが、その前に右手にある「あたご小西」でジェラートを食べてから登るのもありだ。
この「あたご小西」は創業寛永18年(1641年)の老舗酒店で、酒屋「小西」の頃の写真も残っている。
いざ、鳥居を潜って男坂の階段を登ってみよう!
いきなりの急傾斜でビビってしまった人は、右側にある緩やかな女坂から登ることをおすすめする。
筆者は極度の高所恐怖症なので、最悪躓いたりした場合、すぐに手摺に掴まれるように、左際を一歩一歩踏みしめて、確実に登った。
こんな筆者でも、十数年前にこの近辺で勤めていた頃は、まだ今よりも僅かながら慣れていたので、頻繁にこの愛宕神社の男坂を、あたご小西のカップ・ジェラートを食べながら登ったりしていたものだ。
しかし今はそんな芸当はとてもじゃないができなくなった。
今登ってきた男坂の階段を上から振り返ると、やはり東京23区内最高峰の天然山であることがあらためてわかる。
蛇足ながら、こちらの写真は幕末にフェリーチェ・ベアトが上の写真とほぼ同じ場所から撮影したものだ。
せっかく愛宕山に登ってきたのだから、愛宕神社でお参りしよう!
まずは龍の口から吐かれる水で、手と口を濯ぎ、清める。
それが終わったら、真っ直ぐに進み、愛宕神社の本堂へと向かい、二礼二拍手をしてから拝もう。
もちろん、お賽銭を賽銭箱に入れることと、自分がどこから参ったのか、住所を神様に伝えることを忘れずに。
愛宕神社境内には、小さいながらも池があり、筆者が行った時はたまたまカップルが池の鯉にえさをぶち撒けていた。
ピラニアまでの獰猛さはないが、我こそ先へと餌に食い付く鯉を観ることができた。
この愛宕神社は、境内で目にする「葵の御紋」が証明するように、徳川家と縁のある神社だ。
江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社で、「天下取りの神」、「勝利の神」としても知られ、近年では「出世の石段」があることから、「立身出世」の目的で参拝に来る人も多い。
因みに「出世の石段」とは前述の男坂の急な階段をいう。
寛永11年1月28日(1634年2月25日)、徳川秀忠三回忌で増上寺参拝後の帰途、徳川家光が愛宕山山頂で咲いていた梅を見つけ、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩家臣の曲垣平九郎(まがきへいくろう)が馬に乗ったままで見事に男坂の石段を駆け上がり、梅の枝を取ってきた。
この、男として名を挙げたエピソードから男坂の急階段を「出世の石段」というようになったのだとか。
実は、このエピソードに登場する曲垣平九郎には、誰でもなれる。
というのも、愛宕山頂上に曲垣平九郎の顔ハメパネルがあるからだ。
厳密に言うと、曲垣平九郎と彼の乗る馬になれるといった方が正しい。
この他にも、「江戸城無血開城会談の地」であったといわれていることから、勝海舟さんと西郷どんの顔ハメパネルも設置されている。
どの顔に貴殿の顔をハメるかは、後々まで写真で残るから、しっかり考えよう。
一通り愛宕山及び愛宕神社境内を散策したら、後は下山するのみだが、男坂から登った人は、女坂で下山すると同じ道を通らず、異なる風景を観ることができるから、大抵の人はそうすることが多い。
でも、筆者のおすすめは、あえて女坂で下りずに、裏ルートから下りることを提案する。
愛宕神社裏手に回ると、カーブミラーが出てくる所があるのだが、その左手に「地下鉄 神谷町駅方面」と小さく書かれた看板があるので、そこから下りてゆく。
滝壺に向かうような、クネクネと小刻みに曲がる階段を下りながら、愛宕山の高低差や裏斜面を堪能するのが愉しい。
途中でスイッチバックの如く、180度方向転換する階段をそのまま下りると、愛宕トンネル(昭和5年・1930年完成)脇に出て、”愛宕山ハイキング・コース”はここでお終いだ。
裏ルートを下りずに、NHK放送博物館の方へと歩き、隣の青松寺へと繋がるルートも探検気分に浸れるから、このルートもおすすめだ。
貴殿も愛宕山に登ってみよう!
■愛宕神社
http://www.atago-jinja.com/
■あたご小西
http://atagokonishi.com/