「東京都港区」タグアーカイブ

広角ガラスからの眺めと開放感ある屋上の六本木ヒルズ展望台【連載:アキラの着目】

東京を見渡そうとするならば、まず浮かぶのが東京タワーと東京スカイツリーだろう。

あと強いて挙げるならば、新宿副都心の都庁展望台だ。

しかし、今回取り上げるのはそのいずれでもなく、しっかり料金も取る六本木ヒルズ展望台なのだ。

六本木といえば、地方在住者や外国人観光客からみれば、ネオン煌めく夜の街のイメージが強いかと思われるが、実は東京を見渡すのに適したスポットでもあるのだ。

なぜ東京を見渡すのに適しているのかについては、以下の3つの理由を挙げることができる。

1つ目は、六本木ヒルズの立地条件だ。

東京タワーよりも内陸にあり、北にある六本木ヒルズは、その分だけ新宿・池袋方面を望みやすい。

2つ目は、視界を遮らぬ広いガラスだ。

六本木ヒルズ東京シティビュー 東京シティビュー公式サイト - TOKYO CITY VIEWから引用
六本木ヒルズ東京シティビュー 東京シティビュー公式サイト – TOKYO CITY VIEWから引用

このガラスは、床面から上にかけてのほぼ全域をカバーしており、東京タワーよりも下方を望みやすいのだ。

最後の3つ目は、開放感溢れる屋上が、訪れる人の心拍数を高め、スリリングかつエキサイティングに東京を見渡せるように、”自動で”環境をセッティングしてくれるのだ。

それゆえに六本木ヒルズ展望台は、他の東京を見渡せる高所スポットに比べても引けを取らないスポットとして推されているのだ。

特におすすめなのが、六本木ヒルズ52Fの東京シティビューにあるカフェで、着席しながら東京を箱庭のように堪能できる。
六本木ヒルズ52F 東京シティビューにあるカフェ六本木ヒルズ52F 東京シティビューにあるカフェ六本木ヒルズ52F 東京シティビューにあるカフェからの眺め<img src="http://fjnews.jp/wp-content/uploads/2019/01/s-12934930_1710615795871574_1443733681_n.jpg" alt="六本木ヒルズ52F 東京シティビューにあるカフェからの眺め" width="640" height="640" class="aligncenter size-full wp-image-166314" />

もちろん、高所恐怖症の人に対しては、おすすめではないのだが。

六本木ヒルズ屋上の「スカイデッキ」は、写真を見ての通り開放的で、大空と風を体感でき、都心にいながら星空観望までも楽しめるスペシャルな空間だ。
六本木ヒルズ屋上スカイデッキオープン 東京シティビュー公式サイト - TOKYO CITY VIEWから引用

六本木ヒルズ屋上スカイデッキオープン 東京シティビュー公式サイト - TOKYO CITY VIEWから引用
六本木ヒルズ屋上スカイデッキオープン 東京シティビュー公式サイト – TOKYO CITY VIEWから引用

無料ではないが、料金を払ってまでも体験すべき、価値ある観光スポットと言っても良いだろう。

【六本木ヒルズ展望台】
■東京シティビュー
・営業時間:10:00~23:00(最終入館 22:30) 金・土・休前日 25:00まで(最終入館 24:00)
・料金:一般 1,800円
    学生(高校・大学生) 1,200円
    子供(4歳~中学生) 600円
    シニア(65歳以上) 1,500円
※森美術館にも入館可

■スカイデッキオープン
・営業時間:11:00~20:00(最終入場 19:30)
・料金:一般 500円
    学生(高校・大学生) 500円
    子供(4歳~中学生) 300円
    シニア(65歳以上) 500円

■東京シティビュー公式サイト – TOKYO CITY VIEW
https://tcv.roppongihills.com/jp/

■六本木ヒルズ展望台 東京シティビューTokyo City View, Roppongi認証済みアカウント @tokyo_cityview
https://twitter.com/tokyo_cityview

※料金や時間は、平成31年1月21日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

FJ時事新聞近辺散歩 ~バブル期に栄華を誇ったジュリアナ東京の跡地は今~【連載:アキラの着目】

久々のFJ時事新聞近辺散歩は、バブル期には若い男女でごった返したジュリアナ東京の跡地だ。

いきなりジュリアナ東京と書いても、「あっしには何のことだかわかりやせん」と言われてしまうのがオチなので、軽くジュリアナ東京について説明すると…。

ジュリアナ東京とは、バブル黄金時代に「ワンレン・ボディコン」の若いお姉さん達が「お立ち台」でジュリ扇(羽付き扇子)を振り回してダンスするのが定番と化した伝説のディスコで、1991年5月15日~1994年8月31日まで営業していた。

ジュリアナ東京のお立ち台でジュリ扇をあおぎながら踊るバブル期のギャルたち
ジュリアナ東京のお立ち台でジュリ扇をあおぎながら踊るバブル期のギャルたち

当時の写真は、決して風俗嬢の人たちや、いわゆる”水商売”の人たちを写したものではなく、一般の若いお姉さん達なのだ。

昼間はどこかの企業のOLとして勤務し、業務を終えると、タクシーでジュリアナ東京に駆けつけていたのだ。

ちなみに彼女たちの”夜の制服”であるボディコンは、その移動タクシーの中で着替えていたこともあったのだとか。

ジュリアナ東京には前述の「お立ち台」があり、ここで誰よりもSEXYに踊り、「男性の目を釘付けにする女性こそ私よ!」みたいな目立ちたがり競争が毎晩繰り広げられていた。

ジュリアナ東京のお立ち台でジュリ扇をあおぎながら踊るバブル期のギャルたち
ジュリアナ東京のお立ち台でジュリ扇をあおぎながら踊るバブル期のギャルたち

この当時の日本は列島すべてがバブル景気に浮かれまくっており、その象徴として当時も現在も、ジュリアナ東京のこの光景が取り上げられる。

そんな一世を風靡したジュリアナ東京だが、平成30年の現在、その跡地はどうなっているのだろうか?

ジュリアナ東京が存在した場所は、FJ時事新聞本社から徒歩10分弱、JR田町駅東口からだと徒歩約7分の、東京都港区芝浦一丁目13-10だ。

「ベンツ」等の外車輸入販売で知られているヤナセの本社ビル前の道路を挟んだ西側にあり、東京ポートボウル(ボウリング場)が入っている第3東運ビルの北東側1階がジュリアナ東京の跡地だ。

ジュリアナ東京が入っていたビルジュリアナ東京が入っていたビル

かつてのジュリアナ東京の入り口
かつてのジュリアナ東京の入り口

ジュリアナ東京は、総面積が1,200㎡、最大収容人数が2,000人だったとのこと。

現在は、さほど人通りが多くもなく、この地にジュリアナ東京があったことが信じられないが、バブル期は「ウォーターフロント」と呼ばれた地で、大人気エリアだった。

現在もこのジュリアナ東京跡地周辺はタワーマンションが建ち、かつての「ウォーターフロント」は「ベイエリア」と呼ぶようになり、相変わらず人気のある地には変わりないのだ。

ジュリアナ東京跡地を見て、「夏草や 兵どもが 夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」(松尾芭蕉)の句を連想してしまった。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

水陸両用車で東京の陸も海も観光できちゃうTOKYO DUCK TOURS【連載:アキラの着目】

「せっかく東京に来たのだから、あの街にも、この街にも行きたいし、東京湾もクルージングしたい。でも、いちいち乗り換えるのが手間だな、かったるいな」

「ありきたりな観光地巡りはつまらない。心がワクワク、ドキドキするような刺激のある観光をしたい!」

こんなふうに思っている人たちにおすすめなのが「TOKYO DUCK TOURS」(東京ダックツアー)だ。

「TOKYO DUCK TOURS」とは何かというと、パッと見、マイクロバスのような水陸両用車で東京の陸地(港区)と、お台場の海をドライブ観光するツアーだ。

水陸両用車 ー TOKYO DUCK TOURS

それまで陸地を走行していた水陸両用車が、大きな波しぶきを立てながら、お台場の海へ突入するという、スリル満点の冒険アトラクションのような観光が体験でき、また、わざわざ車から船に乗り換えるという煩わしさもなく、1台の水陸両用車で完結できる点が便利だ。

水陸両用車 ー TOKYO DUCK TOURS水陸両用車 ー TOKYO DUCK TOURS水陸両用車 ー TOKYO DUCK TOURS

「TOKYO DUCK TOURS」には2コースが用意され、1つは「フジテレビ(本社前広場)発 ODAIBAコース」、もう1つは「東京プリンスホテル発 ODAIBAコース」だ。

TOKYO DUCK TOURS フジテレビ(本社前広場)発 ODAIBAコース ー TOKYO DUCK TOURS ホームページより引用
TOKYO DUCK TOURS フジテレビ(本社前広場)発 ODAIBAコース ー TOKYO DUCK TOURS ホームページより引用

TOKYO DUCK TOURS 東京プリンスホテル発 ODAIBAコース ー TOKYO DUCK TOURS ホームページより引用
TOKYO DUCK TOURS 東京プリンスホテル発 ODAIBAコース ー TOKYO DUCK TOURS ホームページより引用

「フジテレビ(本社前広場)発 ODAIBAコース」、「東京プリンスホテル発 ODAIBAコース」、それぞれのコース毎に問い合わせ先が異なるので、注意しよう。

友人・知人を「TOKYO DUCK TOURS」に連れていく際は、あえて水陸両用車であることを伝えないで乗せると、さらに驚きが倍増するかも。

「TOKYO DUCK TOURS」は、筆者も体験してみたいツアーで、実際に「TOKYO DUCK TOURS」に参加した暁には、そのリポートをお伝えしたい。

【TOKYO DUCK TOURS】
●料金
・大人:4,300円
・子供(小学生以下):2,500円
・幼児(2歳以下):500円

●所要時間
・約90分

●出発時間
・09:30
・11:15
・13:10
・14:50
・16:40
※16:40は4月末~9月末運行

●問い合わせ先
・フジテレビ(本社前広場)発 ODAIBAコース:090-3937-6476
・東京プリンスホテル発 ODAIBAコース:080-2489-6770

■TOKYO DUCK TOURS ホームページ
http://www.tokyo-duck.tours/

※情報は2018年4月1日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

江戸から東京の”生き証人”~高輪大木戸跡・「提灯殺し」のガード(東京都港区)~【連載:アキラの着目】

今回のニッポンニュースで取り上げるのは、高輪大木戸跡(1928年2月7日 国史跡に指定)だ。

高輪大木戸は、東京都港区高輪二丁目19番地にあり、国道15号(第一京浜)泉岳寺交差点北東側に位置している交通遺跡で、近辺には先日このニッポンニュースで取り上げた、忠臣蔵で知られる赤穂浪士の墓所・泉岳寺がある。

高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣

「高輪は、地名なのはわかるけど、大木戸って何?」という人がいることかと。

筆者も大木戸をよく知らなかったので、そこで簡潔に説明すると、まず木戸とは、江戸の治安維持のために置かれた警固門のようなものだ。

通常、木戸は江戸の町ごとに置かれていたのだが、高輪(昔は高縄と表記)は江戸の入口であり、江戸全体を守るという重要性から、大木戸と呼ばれたのだ。

元々は、1616年(元和2年)に札の辻に大木戸が設けられたのだが、1710年(宝永7)に札の辻から700メートル以南の現在地に設けられた。

現在では、国道15号線(第一京浜国道)の線路側に石垣だけが残されている。

高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣
高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣
高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣
高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣

この高輪大木戸跡の極々近くには、桁下の高さ制限が都内随一の1m50cmしかない線路下ガードもある。

「提灯殺し」のガード

このガード、ここを通過したタクシーの”提灯”(屋根に付いたランプ)が壊れたことから、「提灯殺し」の異名が付いている。

「提灯殺し」のガード
「提灯殺し」のガード

実際に筆者は何回かこの「提灯殺し」のガードを歩いてみたのだが、天井が思った以上に低いため、かなりの圧迫感がある。

「提灯殺し」のガード

なお、高輪大木戸の石垣と、この「提灯殺し」のガードは、江戸時代末期の浮世絵や、明治時代の錦絵に度々登場しており、今昔対比で取り上げられるスポットとしてもそこそこ有名だ。

東都品川宿高輪大木戸(昇亭北寿 1800-1830年)
東都品川宿高輪大木戸(昇亭北寿 1800-1830年)

東海道名所図会高縄茶店
東海道名所図会高縄茶店

東海道名所之内 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)
東海道名所之内 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)

東京名勝図会 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)
東京名勝図会 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)

東海道高輪風景(橋本貞秀 1862年)
東海道高輪風景(橋本貞秀 1862年)

東京名所之内 高輪海岸鉄道の景
東京名所之内 高輪海岸鉄道の景

特に「提灯殺し」のガードは、元々漁師の小舟を通すために造られた海上トンネルで、その後この地が埋め立てられたことで、小舟ではなく、人馬、車の通り道となった。

高縄鉄道之図(歌川芳年-1871年)
高縄鉄道之図(歌川芳年-1871年)

高輪及ビ御臺場(1892年)
高輪及ビ御臺場(1892年)

東海道名所図会高縄海岸
東海道名所図会高縄海岸

東京名勝之内-高輪蒸気車鉄道全図
東京名勝之内-高輪蒸気車鉄道全図

ちょうどこの高輪大木戸跡及び「提灯殺し」のガードから以南のエリアは、リニアモーターカーの起点となる品川新駅(候補名として高輪大木戸駅が挙がっている)に隣接しており、再開発が本格化すれば、この「提灯殺し」のガードはなくなるのでは、とその存在を危ぶまれている。

高輪大木戸跡も、「提灯殺し」のガードも、江戸から東京へと様変わりした際の”生き証人”だから、将来的にも存続してほしいと筆者は願うばかりだ。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

麻布十番にある古刹・善福寺(東京都港区)【連載:アキラの着目】

BUKKYO時事新聞から自転車で12、3分で行けた観光スポットを今回はご紹介しよう。

それは麻布十番にある麻布山善福寺だ。

善福寺は、平安時代の天長元年(824年)に空海(弘法大師)によって、真言宗を関東一円に広めるために高野山に模して開山された。

都内では金竜山浅草寺、深大寺に次ぐ古い寺院と善福寺はいわれている。

鎌倉時代には、親鸞聖人が善福寺を訪れ、迎えた了海上人は、親鸞聖人の高徳に傾倒し、一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗した。

二度の蒙古襲来に際し、善福寺は文永3年(1266年)に亀山天皇から勅願寺とされ、また、大坂石山本願寺に籠城する僧に援軍を送った石山合戦(安土桃山時代にあった石山本願寺&浄土真宗本願寺勢力と織田信長の戦い)以降、豊臣秀吉から天正18年(1590年)寺領を保護され、手厚い待遇を受けた。

善福寺が一躍歴史の舞台に登場したのは、もちろん親鸞聖人によるものも大きいが、それ以外では幕末に初代アメリカ合衆国公使館となったことも影響が大きいだろう。

安政6年(1859年)5月27日、タウンゼント・ハリスがアメリカ駐日公使に昇任したことで、善福寺は初代アメリカ合衆国公使館としてハリスと館員たちを迎え入れ、明治8年(1875年)12月8日までアメリカ合衆国公使館として使用された。

説明が長くなったが、参道入口からご案内しよう。

麻布山善福寺参道入口
麻布山善福寺参道入口
柳の井戸
柳の井戸

柳の井戸は、空海(弘法大師)が柳の木の下で錫杖を立てたところ、湧き出してきたとの言い伝えがある井戸で、善福寺の参道の右脇にある。

関東大震災や東京大空襲の際は、多くの人々が飲料水として利用し、現在でも少量ながら水が湧き出ている。

勅使門
勅使門

勅使門から本堂を望む

昭和20年5月15日の空襲で古くからあった勅使門は焼失し、現在の勅使門は昭和55年11月5日に再建された。

麻布山善福寺本堂
麻布山善福寺本堂

慶長12年(1607年)、徳川家康が東本願寺八尾別院本堂として建立し、京都天明の大火の後10年間、御影堂の役を勤めた建物を、昭和36年(1961年)に移築、再建した由緒ある建物で、平成21年(2009年)には港区の有形文化財に指定された。

アメリカ駐日公使タウンゼント・ハリスの記念碑

アメリカ駐日公使タウンゼント・ハリスの記念碑
アメリカ駐日公使タウンゼント・ハリスの記念碑

タウンゼント・ハリスアメリカ駐日公使が、安政6年(1859年)から明治8年(1875年)まで、初代アメリカ合衆国公使館として善福寺を使用したことを記念する碑。

逆さ銀杏
逆さ銀杏

樹齢750年余、都内最古の古木として国指定の天然記念物になっている逆さ銀杏は、貞永元年(1232年)、善福寺を訪れた親鸞聖人が立ち寄った際に持っていた杖を地面に刺したところ、銀杏の枝葉が繁茂したとの言い伝えがある。

鐘楼

鐘楼
鐘楼

親鸞聖人の銅像
親鸞聖人の銅像

善福寺が一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗したきっかけとなった親鸞聖人。

元麻布ヒルズ(高所得者向けマンション)と善福寺の墓地
元麻布ヒルズ(高所得者向けマンション)と善福寺の墓地

善福寺裏手にあるこの元麻布ヒルズは、元々善福寺の所有地であった敷地を森ビルが譲り受け、そこに1983年に建設されたマンションだ。

善福寺裏手に回るための階段があり、高低差のある地形だ。

福澤諭吉と妻・阿錦の墓
福澤諭吉と妻・阿錦の墓

近代日本の礎を創った、慶應義塾大学創立者・福澤諭吉とその妻・錦(きん)の墓が境内にある。

越路吹雪の歌碑

越路吹雪の歌碑
越路吹雪の歌碑

ご年配の方にかなり知られたシャンソン歌手・舞台女優の越路吹雪さんの歌碑。

麻布十番商店街からは少しだけしか離れていないにもかかわらず、境内は静かで、また「高低差マニア」も気に入る(?)地形でもある。

麻布十番に行った際は、立ち寄ってみてはいかがだろうか。

■麻布山 善福寺
http://www.azabu-san.or.jp/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~お台場(東京都港区)後編~【連載:アキラの着目】

前回は、お台場の地名の由来となった、品川台場(品川砲台)の成り立ちについて説明した。

今回は、実際に品川台場(品川砲台)の中で現存している第三台場のレポートをお伝えする。

第三台場へのアクセスは、ゆりかもめが便利で、「お台場海浜公園」駅で下車する。

ゆりかもめ路線図

新橋からゆりかもめに乗り、「芝浦ふ頭」駅を過ぎて、お決まりのループも過ぎると、右手に第三台場を眺望することができる。

品川第三台場

あらためて東京湾の中に築造された人工島なんだと認識できる。

「お台場海浜公園」駅で下車し、西側の海方面へ歩くと、台場公園やデックスお台場が網羅された案内図が現れる。

お台場海浜公園周辺案内図

これを見て、まずは第三台場が方形であることを頭に入れておこう。

余談だが、なぜ第三台場は方形なのかというと、十字砲火を可能にするためなのだ。

話を元に戻そう。

案内図の裏手に回ると、大砲の弾に見立てた、丸い球状のオブジェなのか腰掛けなのか不明なものが現れる。

お台場海浜公園

この球に座ってしばしお台場の浜辺を眺めるのもいいだろう。

お台場の浜辺
お台場の浜辺

西に向かって歩みを進めると、第三台場へ向かう”土橋”に着くので、そこをさらに歩いて行く。

品川第三台場への”土橋”
品川第三台場への”土橋”

2分も歩けば、第三台場が視界に入ってくる。

私が行った時は、欧米人女性2人が佇んでいた。

品川第三台場

打込み接ぎ(うちこみはぎ)という石の積み方があるのだが、それに似た石垣を観ることができる。

品川第三台場品川第三台場
品川第三台場

木造の階段を上がっていくと、ちょっとした土塁に刻まれた道2本が現れるので、どちらかを通っていくと、

品川第三台場

台場公園案内に出くわすので、しっかり品川第三台場のあらましについて読んでおこう。

台場公園案内板
台場公園案内板

台場公園案内を見たら、品川第三台場の内側に目を向けてみる。

広大な窪地が視界に飛び込んでくるので、現在自分のいる場所がいかに高く、高低差があるか、一目瞭然だ。

品川第三台場
品川第三台場

品川第三台場の南側角にまで行くと、某お台場テレビ局と品川第三台場の松とのコラボを観ることができる。

品川第三台場

同じ場所から90度西方向に顔を向けると、今度は緑の生い茂った防波堤(左)と、品川第六台場(中央から右)が見える。

品川第三台場

そのまま西方面に進むと、今度は大砲の台座が現れる。

古めかしい大砲の台座だが、幕末期のものではなくレプリカなので、感極まらないように(微笑)。

品川第三台場 大砲の台座
品川第三台場 大砲の台座

品川第三台場の西側角まで行くと、品川第六台場とレインボーブリッジの異色の組み合わせを観ることができる。

品川第三台場とレインボーブリッジ

次は、広大な窪地に下りてみよう。

点々と連なった置石は、陣屋跡だ。

これまた当時のものではなくレプリカなので、誤って感激して、頬ずりしないように(微笑)。

品川第三台場 陣屋跡

窪地の南にあるかまど跡にも踏み込んでみよう。

城郭の虎口(出入口)のように石垣で固められた所を入り込むと、かまど(右)が見えた。

品川第三台場 かまど跡
品川第三台場 かまど跡

かまどをよく見ると、複数の鍋を火にかけられるような造りになっている。

品川第三台場 かまど

因みにこのかまども当時のものではなくレプリカなので、感激して号泣しないように(微笑)。

品川第三台場の東側に行くと、今度は弾薬庫を観ることができる。

品川第三台場 弾薬庫

この弾薬庫は当時のままなので、感激して号泣しても構わない(微笑)。

以上、品川第三台場はじっくり観ても良し、気軽に散歩するのも良し。

人工島の割には草木が密集し、自然豊かで、野生の鳥も飛来してくるので、観光穴場スポットとしてもおすすめだ。

これでお台場は、品川台場から由来した地名ということがしっかりわかって頂けたかと思う。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~お台場(東京都港区)前編~【連載:アキラの着目】

某テレビ局や様々なショッピングモールがあり、国内外の観光客から人気がある「お台場」。

「なんか大砲が置いてあった島があったから、お台場って言うんでしょ」

確かに「お台場」の地名の由来は、ほぼその通りなのだが、「はい、それ正解!」ではもうこのコラムが終わってしまうので、もっと掘り下げてみる。

まずは「お台場」こと台場が、昔はどうなっていたかを探ってみる。

台場古地図

これは幕末の地図なのだが、実は台場が11基(未着工含む)も存在したのだ。

この地図に描かれている台場は、「品川台場(品川砲台)」という。

「品川台場(品川砲台)」は、江戸幕府(徳川幕府)がペリーの再来航に備えるため、伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍に設計・監督させ、嘉永6年(1853年)に着工された。

江戸時代最後の国家的事業で、かつ西洋式築城術を取り入れた、日本初の本格的近代城郭であるという側面も「品川台場(品川砲台)」は持っている。

今では、ゆりかもめの「お台場海浜公園」駅や、その隣の「台場」駅、さらには「青海」駅、東京ビッグサイトまでのエリア全体を総称して「お台場」というが、元々「お台場」こと台場は、先ほどの地図に描かれた全ての台場を指すのだ。

現在のお台場エリア

因みに、広義の台場は、全国各地に築かれた、砲台がある人工島の要塞や、幕末-明治期に築かれた野戦築城を指し、海岸線だけに築かれたのではなく、峠・高台・交通の要衝にも築かれたりした。

このコラムでは、こうした全国大小の台場を取り上げるつもりはないので、「品川台場(品川砲台)」に限定して、話を進める。

当初「品川台場(品川砲台)」は、最初に掲げた地図が示す通り、品川沖から深川沖にかけて11ヵ所の台場を築造するという案だった。

第一台場から第七台場までが着工したが、資金不足により実際に完成したのは、第一、第二、第三、第五、第六台場の5基で、第七台場は未完成となった。

台場周辺地図(1898-1909)
台場周辺地図(1898-1909)

台場周辺地図(1998-2005)
台場周辺地図(1998-2005)

では実際に品川台場(品川砲台)の中でも現存し、一般開放されている第三台場を歩いてみるのだが、そのレポートは後編で。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京23区内の最高峰・愛宕山(東京都港区)に登ってみよう! 【連載:アキラの着目】

天然の山としては東京23区内で最高峰(標高25.7m)の愛宕山。

頂上に愛宕神社もある愛宕山は、高層建造物がなかった昔、景観の素晴らしいスポットの1つとして有名だった。

東都芝愛宕山遠望品川海図
東都芝愛宕山遠望品川海図

平成の現在でも愛宕山は相変わらず人気があり、それを愛宕神社は自覚し、認識したのか、愛宕神社の鳥居が真紅に塗り替えられた(下の写真参照)。

愛宕神社鳥居 2009年・2017年
愛宕神社鳥居 2009年(左)・2017年(右)

まず鳥居を潜りたいが、その前に右手にある「あたご小西」でジェラートを食べてから登るのもありだ。

あたご小西
あたご小西

この「あたご小西」は創業寛永18年(1641年)の老舗酒店で、酒屋「小西」の頃の写真も残っている。

明治4年(1872年)頃の小西酒店(右側の建物 現・あたご小西)
明治4年(1872年)頃の小西酒店(右側の建物 現・あたご小西)

いざ、鳥居を潜って男坂の階段を登ってみよう!

愛宕神社の鳥居と男坂の石段

いきなりの急傾斜でビビってしまった人は、右側にある緩やかな女坂から登ることをおすすめする。愛宕神社の男坂の石段と女坂

筆者は極度の高所恐怖症なので、最悪躓いたりした場合、すぐに手摺に掴まれるように、左際を一歩一歩踏みしめて、確実に登った。

こんな筆者でも、十数年前にこの近辺で勤めていた頃は、まだ今よりも僅かながら慣れていたので、頻繁にこの愛宕神社の男坂を、あたご小西のカップ・ジェラートを食べながら登ったりしていたものだ。

しかし今はそんな芸当はとてもじゃないができなくなった。

今登ってきた男坂の階段を上から振り返ると、やはり東京23区内最高峰の天然山であることがあらためてわかる。

愛宕神社 男坂の石段

蛇足ながら、こちらの写真は幕末にフェリーチェ・ベアトが上の写真とほぼ同じ場所から撮影したものだ。

フェリーチェ・ベアトが愛宕山から撮影した幕末期の江戸の町
フェリーチェ・ベアトが愛宕山から撮影した幕末期の江戸の町

せっかく愛宕山に登ってきたのだから、愛宕神社でお参りしよう!

まずは龍の口から吐かれる水で、手と口を濯ぎ、清める。

愛宕神社 手水舎

それが終わったら、真っ直ぐに進み、愛宕神社の本堂へと向かい、二礼二拍手をしてから拝もう。

愛宕神社

もちろん、お賽銭を賽銭箱に入れることと、自分がどこから参ったのか、住所を神様に伝えることを忘れずに。

愛宕神社境内には、小さいながらも池があり、筆者が行った時はたまたまカップルが池の鯉にえさをぶち撒けていた。

愛宕神社境内の池

ピラニアまでの獰猛さはないが、我こそ先へと餌に食い付く鯉を観ることができた。

愛宕神社境内 池の鯉

この愛宕神社は、境内で目にする「葵の御紋」が証明するように、徳川家と縁のある神社だ。

江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社で、「天下取りの神」、「勝利の神」としても知られ、近年では「出世の石段」があることから、「立身出世」の目的で参拝に来る人も多い。

因みに「出世の石段」とは前述の男坂の急な階段をいう。

寛永11年1月28日(1634年2月25日)、徳川秀忠三回忌で増上寺参拝後の帰途、徳川家光が愛宕山山頂で咲いていた梅を見つけ、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩家臣の曲垣平九郎(まがきへいくろう)が馬に乗ったままで見事に男坂の石段を駆け上がり、梅の枝を取ってきた。

この、男として名を挙げたエピソードから男坂の急階段を「出世の石段」というようになったのだとか。

実は、このエピソードに登場する曲垣平九郎には、誰でもなれる。

というのも、愛宕山頂上に曲垣平九郎の顔ハメパネルがあるからだ。

曲垣平九郎の顔ハメパネル

厳密に言うと、曲垣平九郎と彼の乗る馬になれるといった方が正しい。

この他にも、「江戸城無血開城会談の地」であったといわれていることから、勝海舟さんと西郷どんの顔ハメパネルも設置されている。

勝海舟さんと西郷どんの顔ハメパネル

どの顔に貴殿の顔をハメるかは、後々まで写真で残るから、しっかり考えよう。

一通り愛宕山及び愛宕神社境内を散策したら、後は下山するのみだが、男坂から登った人は、女坂で下山すると同じ道を通らず、異なる風景を観ることができるから、大抵の人はそうすることが多い。

愛宕神社 女坂

でも、筆者のおすすめは、あえて女坂で下りずに、裏ルートから下りることを提案する。

愛宕神社裏手に回ると、カーブミラーが出てくる所があるのだが、その左手に「地下鉄 神谷町駅方面」と小さく書かれた看板があるので、そこから下りてゆく。

「地下鉄 神谷町駅方面」の看板がある裏ルート

滝壺に向かうような、クネクネと小刻みに曲がる階段を下りながら、愛宕山の高低差や裏斜面を堪能するのが愉しい。

愛宕山 裏ルート

途中でスイッチバックの如く、180度方向転換する階段をそのまま下りると、愛宕トンネル(昭和5年・1930年完成)脇に出て、”愛宕山ハイキング・コース”はここでお終いだ。

愛宕山 裏ルート
愛宕山 裏ルート 愛宕トンネル

裏ルートを下りずに、NHK放送博物館の方へと歩き、隣の青松寺へと繋がるルートも探検気分に浸れるから、このルートもおすすめだ。

貴殿も愛宕山に登ってみよう!

■愛宕神社
http://www.atago-jinja.com/

■あたご小西
http://atagokonishi.com/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

穴場観光スポットNo.1! 旧芝離宮恩賜庭園(国指定名勝・東京都港区)【連載:アキラの着目】

今日ご紹介するのは、東京の観光スポットの中でも穴場中の穴場で、FJ時事新聞が自信を持って「穴場観光スポットNo.1!」と断言する観光スポットだ。

その観光スポットが旧芝離宮恩賜庭園(国指定名勝・東京都港区)だ!

JR浜松町駅から徒歩でわずか1分で行けてしまう立地条件にもかかわらず、周辺に勤務するサラリーマンやOLですら気にも留めず、観光客も反対の方角の増上寺や東京タワーばかりに行ってしまうため、本当にビックリするくらい空いている観光スポットだ。

この旧芝離宮恩賜庭園は、文京区小石川にある小石川後楽園と並び、今に残る最も古い回遊式大名庭園の1つ。

元々この地は海面であったが、明暦の頃(1655~1658年)に埋め立てられ、徳川幕府の老中・大久保忠朝の邸地となり、その後数々の大名の邸地を経て、1871年に皇族・有栖川宮家の所有となった。

関東大震災の翌年の1924年に昭和天皇のご成婚記念として当時の東京市(現東京都)に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として一般に公開され、現在は国指定名勝となっている。

では、旧芝離宮恩賜庭園に足を踏み入れてみよう。

旧芝離宮恩賜庭園

さほど目立たない入口から奥へと歩いていくと、地図がある。

旧芝離宮恩賜庭園 地図

これで大まかな散策ルートを頭に入れても良し、とりあえずただ眺めるだけでも構わない。

地図を過ぎると、さらに入口があり、この先に受付がある。

旧芝離宮恩賜庭園

この受付で入場料を払うのだが、忘れずに窓口脇にあるパンフレットももらっておこう。

旧芝離宮恩賜庭園パンフレット

このパンフレットには園内の地図も載っているので、これを見ながらゆっくりと庭園散策をするといい。

旧芝離宮恩賜庭園パンフレット

庭園にある立派な松の木と池だけでももちろん申し分ないのだが、遠景のオフィスビルが借景となり、むしろ殺風景な空を埋めるべくして存在しているかのようだ。

旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園
旧芝離宮恩賜庭園

庭園内池の中央にある中島は、園景の要となる箇所で、中国で仙人が住み、不老不死の地といわれる霊山を模した蓬莱石組となっている。

旧芝離宮恩賜庭園 中島
中国で仙人が住み、不老不死の地といわれる霊山を模した蓬莱石組となっている中島

また、湖面に映った逆さ富士ならぬ「逆さビル」を観ることができるのも、都会の庭園ならではで面白い。

旧芝離宮恩賜庭園の逆さビル

汐留にある浜離宮に比べるとややコンパクトで人気度も低いが、それがかえって静かで自分のペースで庭園を散策でき、自分1人が貸し切ったかのような優越感を味わえるので、旧芝離宮恩賜庭園は超オススメ穴場観光スポットだ。

旧芝離宮恩賜庭園

■旧芝離宮恩賜庭園

・入場料:大人150円、20名以上の団体は1人120円、65歳以上70円、小学生及び都内在住・在学の中学生は無料
・公式ホームページ:https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index029.html
※料金は平成29年10月10日時点のものです。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京タワーとのコントラストが面白い! ~芝・増上寺(東京都港区)~【連載:アキラの着目】

当社BUKKYO時事新聞株式会社の周辺には、歴史のある観光スポットも数多く存在する。

中でも筆頭格の歴史スポットは、増上寺だ。

芝・増上寺
芝・増上寺

江戸幕府・徳川家の菩提寺である増上寺には、徳川家霊廟(徳川将軍家歴代の墓所)があったが、その大部分が1945年(昭和20年)の戦災で焼失してしまった。

しかし、増上寺の表玄関である三解脱門は幸いにも戦災を免れた。

なお、駅名に付けられた大門は、三解脱門と浜松町駅を結ぶ通りにある。

大門

2017年9月21日現在では、三解脱門は修復工事により白い衝立てで隠されており、観光客にとっては残念な姿となっている。

しかし、ものは考えようで、白い衝立てで覆われた三解脱門は、めったに観ることができないので、これはこれで貴重だと思った方が良いだろう。

三解脱門を潜ると、奥に増上寺の本堂が見える。

芝・増上寺

ちょうど私が訪れた時は、たまたま欧米からの観光客が来ており、彼ら越しに撮影してみた。

さらに歩みを進めると、増上寺本堂と東京タワーのコラボレーションが目に飛び込んでくる!

芝・増上寺と東京タワー

近世と現代、低と高、和と洋、黒と赤、横と縦、木と鉄。

様々な尺度で増上寺本堂と東京タワーのコントラストを観ることができるのが面白い!

東京タワー

増上寺脇には公園もあり、何の障害もなく東京タワーが素通しで視えるのも良い。

増上寺観光の後は、すぐ近くにある港区役所11Fのレストラン・ポートで食事、またはお茶しよう!

港区役所
港区役所11Fレストラン・ポート港区役所11Fレストラン・ポート

私が行った時間は、すでに15時を回っていたため、売り切れのメニューばかりだったが、大混雑の12~13時を除けば、比較的ゆったりと眼下の増上寺や、隣に聳え立つ東京タワーを観ながらの飲食が可能だ。

港区役所11Fレストラン・ポートから観る増上寺と東京タワー

浜松町・芝界隈に行った際には、芝・増上寺と港区役所11Fレストラン・ポートに足を運んでみよう!

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099