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江戸から東京の”生き証人”~高輪大木戸跡・「提灯殺し」のガード(東京都港区)~【連載:アキラの着目】

今回のニッポンニュースで取り上げるのは、高輪大木戸跡(1928年2月7日 国史跡に指定)だ。

高輪大木戸は、東京都港区高輪二丁目19番地にあり、国道15号(第一京浜)泉岳寺交差点北東側に位置している交通遺跡で、近辺には先日このニッポンニュースで取り上げた、忠臣蔵で知られる赤穂浪士の墓所・泉岳寺がある。

高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣

「高輪は、地名なのはわかるけど、大木戸って何?」という人がいることかと。

筆者も大木戸をよく知らなかったので、そこで簡潔に説明すると、まず木戸とは、江戸の治安維持のために置かれた警固門のようなものだ。

通常、木戸は江戸の町ごとに置かれていたのだが、高輪(昔は高縄と表記)は江戸の入口であり、江戸全体を守るという重要性から、大木戸と呼ばれたのだ。

元々は、1616年(元和2年)に札の辻に大木戸が設けられたのだが、1710年(宝永7)に札の辻から700メートル以南の現在地に設けられた。

現在では、国道15号線(第一京浜国道)の線路側に石垣だけが残されている。

高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣
高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣
高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣
高輪大木戸跡(国指定史跡)の石垣

この高輪大木戸跡の極々近くには、桁下の高さ制限が都内随一の1m50cmしかない線路下ガードもある。

「提灯殺し」のガード

このガード、ここを通過したタクシーの”提灯”(屋根に付いたランプ)が壊れたことから、「提灯殺し」の異名が付いている。

「提灯殺し」のガード
「提灯殺し」のガード

実際に筆者は何回かこの「提灯殺し」のガードを歩いてみたのだが、天井が思った以上に低いため、かなりの圧迫感がある。

「提灯殺し」のガード

なお、高輪大木戸の石垣と、この「提灯殺し」のガードは、江戸時代末期の浮世絵や、明治時代の錦絵に度々登場しており、今昔対比で取り上げられるスポットとしてもそこそこ有名だ。

東都品川宿高輪大木戸(昇亭北寿 1800-1830年)
東都品川宿高輪大木戸(昇亭北寿 1800-1830年)

東海道名所図会高縄茶店
東海道名所図会高縄茶店

東海道名所之内 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)
東海道名所之内 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)

東京名勝図会 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)
東京名勝図会 高輪大木戸(二代歌川広重 1863年)

東海道高輪風景(橋本貞秀 1862年)
東海道高輪風景(橋本貞秀 1862年)

東京名所之内 高輪海岸鉄道の景
東京名所之内 高輪海岸鉄道の景

特に「提灯殺し」のガードは、元々漁師の小舟を通すために造られた海上トンネルで、その後この地が埋め立てられたことで、小舟ではなく、人馬、車の通り道となった。

高縄鉄道之図(歌川芳年-1871年)
高縄鉄道之図(歌川芳年-1871年)

高輪及ビ御臺場(1892年)
高輪及ビ御臺場(1892年)

東海道名所図会高縄海岸
東海道名所図会高縄海岸

東京名勝之内-高輪蒸気車鉄道全図
東京名勝之内-高輪蒸気車鉄道全図

ちょうどこの高輪大木戸跡及び「提灯殺し」のガードから以南のエリアは、リニアモーターカーの起点となる品川新駅(候補名として高輪大木戸駅が挙がっている)に隣接しており、再開発が本格化すれば、この「提灯殺し」のガードはなくなるのでは、とその存在を危ぶまれている。

高輪大木戸跡も、「提灯殺し」のガードも、江戸から東京へと様変わりした際の”生き証人”だから、将来的にも存続してほしいと筆者は願うばかりだ。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099