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今ではありえない!続100名城・品川台場での仮面ライダー格闘シーン【連載:アキラの着目】

10/1(火)から毎週TOKYO MXにて再放送が開始された「仮面ライダー」。

先日のニッポンニュースでも取り上げたばかりだ(2019年09月11日ニッポンニュース「令和に昭和の初代・仮面ライダー復活!10/1(火)から毎週TOKYO MX再放送!!【連載:アキラの着目】」)。

筆者も録画をしかけて観たのだが、なんと本編以外にも気になるところが。

特撮ヒーローものに限らずなのだが、昔の映画・ドラマを観ていると、昔の東京の風景や流行等を見ることができ、なかなか興味深いのだ。

「仮面ライダー」もご多分に漏れず、ED曲が流れる格闘シーンのロケ地は、なんと今ではありえない続100名城・品川台場なのだ。

早速そのED曲が流れる格闘シーンを観てみよう。

最初の写真右側から、虎ノ門の霞が関ビル、浜松町の世界貿易センタービル、そして中央にいる仮面ライダーの背景には東京タワーを視認できる。

ちょうどこの初代・仮面ライダーが撮影された当時の東京は、高度経済成長時代といっても高層ビルはこれら霞が関ビルと世界貿易センタービルしか存在しなかったのだ。

だから逆にいうと、この2つのビルを確定でき、東京タワーとの位置関係もわかり、さらに撮影ロケ地の陸地が斜めに映っていることも決め手となって、ED曲の格闘シーンは現在の台場公園、すなわち品川台場で撮影されたことがわかるのだ。

ちなみに最初の写真と4枚目の写真は同じ場所だ。

昔と今で明らかに異なるのは、東京のビルの多さやレインボーブリッジの有無だろう。

当時のお台場は一般人が足を踏み入れるような場所では決してなく、貯木場だったり、ゴミ埋立地だったり、ただの空き地だったりしてたので、邪魔されずに撮影ができる絶好のロケ地だったことは想像に難くない。

現在では、品川台場こと台場公園は、前述の通り続100名城に選出された「城」であり史跡扱いだから、当時のような派手な格闘シーンやアクションシーンの撮影許可は容易に下りないことだろう。

過去の映画やドラマを観ると、面白い発見があるから、昔の映画・ドラマを追っかけるのを推奨したい。

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FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京タワーとのコントラストが面白い! ~芝・増上寺(東京都港区)~【連載:アキラの着目】

当社BUKKYO時事新聞株式会社の周辺には、歴史のある観光スポットも数多く存在する。

中でも筆頭格の歴史スポットは、増上寺だ。

芝・増上寺
芝・増上寺

江戸幕府・徳川家の菩提寺である増上寺には、徳川家霊廟(徳川将軍家歴代の墓所)があったが、その大部分が1945年(昭和20年)の戦災で焼失してしまった。

しかし、増上寺の表玄関である三解脱門は幸いにも戦災を免れた。

なお、駅名に付けられた大門は、三解脱門と浜松町駅を結ぶ通りにある。

大門

2017年9月21日現在では、三解脱門は修復工事により白い衝立てで隠されており、観光客にとっては残念な姿となっている。

しかし、ものは考えようで、白い衝立てで覆われた三解脱門は、めったに観ることができないので、これはこれで貴重だと思った方が良いだろう。

三解脱門を潜ると、奥に増上寺の本堂が見える。

芝・増上寺

ちょうど私が訪れた時は、たまたま欧米からの観光客が来ており、彼ら越しに撮影してみた。

さらに歩みを進めると、増上寺本堂と東京タワーのコラボレーションが目に飛び込んでくる!

芝・増上寺と東京タワー

近世と現代、低と高、和と洋、黒と赤、横と縦、木と鉄。

様々な尺度で増上寺本堂と東京タワーのコントラストを観ることができるのが面白い!

東京タワー

増上寺脇には公園もあり、何の障害もなく東京タワーが素通しで視えるのも良い。

増上寺観光の後は、すぐ近くにある港区役所11Fのレストラン・ポートで食事、またはお茶しよう!

港区役所
港区役所11Fレストラン・ポート港区役所11Fレストラン・ポート

私が行った時間は、すでに15時を回っていたため、売り切れのメニューばかりだったが、大混雑の12~13時を除けば、比較的ゆったりと眼下の増上寺や、隣に聳え立つ東京タワーを観ながらの飲食が可能だ。

港区役所11Fレストラン・ポートから観る増上寺と東京タワー

浜松町・芝界隈に行った際には、芝・増上寺と港区役所11Fレストラン・ポートに足を運んでみよう!

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ユニークな歯磨き粉シリーズ 其の壱【連載:アキラの着目】

何の面白みもなく、毎日機械的にこなしている歯磨きも、実は楽しく、面白くできるのではないか?

おそらくそんな発想から生まれたと思われる歯磨き粉を今回は取り上げてみる。

歯磨きする女性

ユニークな歯磨き粉のラインナップ

名古屋にある株式会社アートイから発売されているユニークな歯磨き粉がこれらだ!

  • 名古屋みそ味
  • 沖縄ゴーヤ味
  • 宇都宮ギョウザ味
  • 博多明太子味

この歯磨き粉のラインナップは、思いっきり振り切っているなという感じだ。

地元愛から発売したのか!? 名古屋みそ味の歯磨き粉!

まず地元愛からなのか、名古屋みそ味の歯磨き粉。

名古屋といえば、「八丁味噌」が全国的に有名だが、そのみそをまさか歯磨き粉の味にしてしまうとは。

ただ、日本人は味噌汁を毎日飲む習慣があるから、食後に再度みその味が口中に広がることにやや抵抗感を感じる人がいるかもしれない。

突飛な企画発想力から生まれた!? 沖縄ゴーヤ味の歯磨き粉

沖縄ゴーヤ味の歯磨き粉も普通の感覚ならば、商品化しようとは思わない味だ。

企画発想力の突飛さが尋常でないなと。

ライバルも黙っていられない!? 宇都宮ギョウザ味の歯磨き粉

宇都宮ギョウザ味の歯磨き粉も気になる味の歯磨き粉だ。

ラー油の効いた餃子のタレのフレーバーなのかなと、妄想が膨らむ歯磨き粉だ。

この宇都宮ギョウザ味の歯磨き粉が世に出たことで、宇都宮と毎年熾烈な餃子消費量を争っているライバルの静岡県浜松市も黙っていないのではあるまいか。

宇都宮ギョウザ味の歯磨き粉に対抗して、浜松ギョウザ味の歯磨き粉が発売され、互いに切磋琢磨する展開を見たいものだ。

博多明太子味は「歯磨きが進む味」!?

博多明太子というと、普通は「ご飯が進む」ものなのだが、歯磨き粉の味に博多明太子を採用していることから、博多明太子味は「歯磨きが進む味」として今後市民権を得るかもしれない。

そんな期待を抱かせる博多明太子味の歯磨き粉にも注目だ。

全国にはまだまだユニークで変わり種の歯磨き粉が

以上今回は株式会社アートイから発売のユニークで変わり種の歯磨き粉を取り上げたが、まだまだ全国には意表をつかれる味の歯磨き粉が存在するので、今後もたまに取り上げていきたい。

株式会社アートイ 全日本ご当地歯磨き
http://www.artoy.co.jp/tooth.html

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

今見ることのできる昔の東京の海岸線【連載:アキラの着目】

東京都港区海岸にある当社「BUKKYO時事新聞株式会社」。

東京湾に面していることもあり、事務所の窓を開ければ、汐風が吹き込んでくるロケーションだ。

東京湾お台場方面の眺望

毎日昼休みには会社周辺を歩くのだが、結構昔の名残を発見することができる。

今回は、当社周辺で見ることのできる昔の東京の海岸線を取り上げてみたい。

当社「BUKKYO時事新聞株式会社」のあるエリアは、海だった!

元来、江戸切絵図を見るのが好きなこともあり、昔の東京はどうなっていたのか、現在の地図と照らし合わせ、比較検討したりしてきた。

そこで判明したことは、当社「BUKKYO時事新聞株式会社」のあるエリアは、海だったということと、東京都港区を走る山手線(京浜東北線、新幹線)を堺に、内側(西側)が陸地、外側(東側)がすぐ海であったということだ。

厳密にいうと、開業当初は、線路は海の上にあったのだ。

新橋-桜木町路線 高輪大木戸付近明治期の高輪大木戸付近

東海道の邪魔にならないようにとのことで、海岸のすぐ沖合を埋め立て、線路敷設用地を盛土したのだ。

したがって最初は海岸線に沿って鉄道が敷かれていた。

明治期の芝浦周辺図明治期の芝浦周辺図 ※○と番号は、下記に掲載する同じ番号の文章と写真を参照

それが時代が下るにつれ、陸地はどんどん埋め立てられ、沖合が伸び、現在のようになった次第だ。

現在の芝浦周辺図現在の芝浦周辺図 ※○と番号は、下記に掲載する同じ番号の文章と写真を参照

芝浦周辺(浜松町-田町)で見ることができる旧海岸線

かつて海岸だった名残が浜松町駅に見ることができる。

大門から浜松町に伸びる大通りが、浜松町駅前のJR線ガードに到達する直前で、斜めに道路が降下するのだ。

これは海岸、すなわち砂浜から海にかけての傾斜であったことを物語っており、まさに浜松町駅のある場所は、陸地と海の際(きわ)だったことがわかる。

(1)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残1(1)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残1

似たような地形の名残は田町駅にも見てとれ、また、浜松町・田町間におけるいくつかのガード下も同様だ。

(2)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残2(2)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残2
(3)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残3(3)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残3
(4)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残4(4)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 海岸線の名残4
(5)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 旧海岸線 道を堺に左が海、右が陸地だった(5)JR浜松町駅・田町駅間ガード下 旧海岸線 道を堺に左が海、右が陸地だった

「江戸無血開城」の舞台となった薩摩屋敷の裏手も海だった!

第1京浜通り沿いには、「西郷南洲・勝海舟会見の地」の碑があり、西郷隆盛と勝海舟が会談した有名な「江戸無血開城」はまさにこの地で行われた。

ここには江戸期、薩摩藩屋敷があり、屋敷のすぐ裏は浜辺だったことが確認できる文献も現存することから、やはりここも陸地と海の際(きわ)だったことがわかる。

また、浜松町から田町にかけてのエリアは芝浦と呼ばれ、古典落語「芝浜」の舞台となった浜も、現在は児童公園として生まれ変わっている。

なお、浜松町からほど近い家電メーカーの東芝は、元々は「東京芝浦電気」という名称で、この芝浦が発祥の地であることが今も社名に残っている。

芝浦以外でもまだまだ古き良き江戸・東京は残っている!

以上見てきたように、芝浦界隈(浜松町・田町周辺)には、昔の海岸線の名残が存在する。

芝浦以外でも、探せば古き良き江戸・東京が意外とまだまだ残っているものなので、これをきっかけに歩くことをオススメする。

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責任編集:拡輪 明-HS099