「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、東京都渋谷区にある恵比寿だ。
先日、恵比寿ガーデンプレイスでサッポロホールディングスが約35年ぶりにビール醸造を再開する方向とのニュースが流れたばかりだが、その背景には地名の由来とも関係があるのだ。
というのも、恵比寿ガーデンプレイスのある場所は元々ビール工場だった場所。
1887年(明治20年)に日本麦酒醸造会社(現サッポロビール)がこの地にビール工場を建て、ビールの製造が開始された。
1890年(明治23年)にようやく製造されたビールは「ゑびすビール」という名が付けられた。
日本麦酒醸造会社の要望により、1901年(明治34年)にビール工場のすぐ脇を走っていた日本鉄道品川線(品川-赤羽間・現山手線)にビールを輸送するための貨物駅が新たに造られるのだが、日本麦酒醸造会社の製造していたビールに因んでこの駅名を「恵比寿」と命名。
その後、昭和3年には、恵比寿駅東側から港区白金に向うバス通りに沿って、恵比寿通り1丁目・2丁目という町名が付され、現在に至っている。
しかし、そもそもなぜこの地でビールの製造をするようになったのだろうか?
この地には元々江戸幕府が造った用水路「三田用水」という生活インフラがあり、このため安政5年(1858年)以降、外国人居留地ができ、在留外国人が増加したのだ。
それに伴い、この外国人居留地向けのビールが輸入されるようになったのだが、輸送にかかる日数や運賃コスト、そのうえ、高い気温の赤道を超えることによるビールの品質劣化などの問題が生じた。
そこで輸入ビールではなく、日本国内でビールを供給できないかということで、ビールの製造が試みられるようになったのだとか。
ちなみに、「ゑびすビール」の品質が如何ほどのものだったのかというと、1900年(明治33年)開催のパリ万博では、栄えある金賞を受賞するほどの出来栄えだったのだとか。
ビールの製造によって活気を呈し、地名にまでなった恵比寿。
当時の恵比寿は、ビールの製造や輸送に関わっていた男性労働者ばかりで男臭い町だったであろうことは想像に難くないが、今では渋谷を”卒業”した女性たちが上品に闊歩する街へと変貌を遂げている。