現在1,300万人の人口を有する日本の首都・東京。
しかし、今から約400年以上前の東京、すなわち徳川家康が入城した当時の江戸は、江戸城大手門から東にかけて茅葺きの町屋が100軒あるかないかの鄙びた村だった。
そのうえ江戸は、幾多の河川が東京湾に流れ込むような湿地帯だったため、それまでなかなか街として発展しなかったのだ。
元々江戸の地形は、東京湾が大きく現在の日比谷辺りまで入り組んでおり(日比谷入江)、銀座・日本橋の辺りは江戸前島といって、東京湾に突き出た出島のような地形だった。
なので、現在の丸の内や日比谷は海で、埋め立てによって陸地となったのだ。
現在の皇居前広場はまさに日比谷入江だった場所で、400年以上前は、漣が押し寄せては引いての繰り返しをしていたことだろう。
その日比谷入江の埋め立てに使った土は、神田山(御茶ノ水・駿河台にあった小高い山)や番神山城跡(現:港区麻布台)を切り崩した土、神田川の掘削で出た土を使ったといわれている。
御茶ノ水・聖橋の神田川(江戸城外堀)は手掘りで掘削し、渓谷のように切り開いたので、元々駿河台は御茶ノ水側と順天堂大学病院側とは地続きだったのだ。
江戸を街として機能させるために、江戸幕府初代将軍・徳川家康~3代将軍・徳川家光までの時代に、前述の土地埋立拡張工事や水はけ改良工事、上水道整備工事、等々を矢継ぎ早にして、暮らしやすい街にしていった。
現在でも昔の名残を見つけることができ、有楽町の数寄屋橋(江戸前島)から日比谷方面(日比谷入江)にかけては、緩やかな下降の地形が見て取れる。
すっかりビルだらけになってしまった東京だが、こうした歴史をちょっとでも知ることで東京や江戸に興味を持つことができれば、今よりも楽しく街歩きができるかもしれない。