昨年、元日馬富士の暴力不祥事があったばかりだが、またまたここに来て大相撲春日野部屋の傷害事件が明るみになった。
この傷害事件は、かつて大相撲春日野部屋に所属していた当時兄弟子だった元力士が、弟弟子の顔を殴り、傷害罪で起訴され、2016年6月に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が確定していたというもの。
春日野親方(元関脇・栃乃和歌)は、この傷害事件の存在を公表しておらず、隠蔽していたと疑われても仕方がない現状況だ。
この傷害事件をテレビ、ネットのニュースで聴いた時に筆者がまず思ったことは、いじめに対する学校や教育委員会の対応に似ているなということだ。
いじめがしっかりとあったのにもかかわらず、「いじめがあったとは言い難い」、「いじめがあったとは認識していない」、「いじめがあったとは聴いていません」といった、いじめそのものが存在しなかったかのような発言をした教師や教育委員会の職員が、過去に実際にいたのは記憶に新しい。
なぜこうしたいじめの存在を認めなかったり、傷害事件があったにもかかわらず、すぐに報告せずにいたりとかが起こるのか?
こうした「隠蔽体質社会」になってしまう要因として、以下のことが考えられるのではなかろうか。
- いじめや不祥事が明るみなってしまうことで、体制側上層部の人間にとって、「著しい不利益」を被る恐れがあるから
- 学校であれば、その学校を取り巻く地域社会にいじめが、大相撲であれば世間一般やマスコミに不祥事が知れ渡ってしまうことを危惧するから
ゆえに学校はいじめを、大相撲部屋は不祥事を隠蔽してしまうのだろう。
では、さらに突っ込んで、「著しい不利益」とは何か?
それは出世街道に響くこと、恩給・給与減額等のことを指すと考えられる。
教師・教育委員会の職員であれば、いじめがあったことを認めれば、自分の在任期間に”傷”が付くことになり、恩給や給与の査定に影響し、減額されるかもしれないし、場合によっては役職を解任される場合もあり得るだろう。
大相撲であれば、自分の監督する相撲部屋から不祥事があったとなれば、世間・マスコミ・タニマチへの悪印象がついてまわることになるし、日本相撲協会の理事になろうとしている親方にとっては、その道を絶たれる可能性が浮上することになるだろう。
だから、己の保身のために「いじめはなかった」、「不祥事はなかった」、「知らなかった」という初期対応を取るのだと思われる。
本来なら、被害者は保護されるべき身なのに、むしろ被害者に対しさらに便乗するかの如く圧力をかけたり、精神的苦痛を味わせる手段を採ることが、そもそも考えられないし、あってはならないことだ。
このような事件は、今初めて起きたことでもないのに、ニッポンは相変わらず「隠蔽体質社会」が継続されてゆくような気がしてならない。
過ちを繰り返してはならないのだ。