日本で新宿に次ぎ2番目の鉄道乗降客数を誇る若者の街・渋谷。
特に若い女の子から絶大な支持を得ており、お隣の原宿と並び、女性のファッションや流行で常に先頭を行く街だ。
そんな渋谷だが、年配の方々曰く「5、60年くらい昔は、渋谷はオヤジの街で、今のような若い女の子の街になるとは想像つかなかったよ」とのことだ。
では昔の渋谷はどのような街だったのか、1896-1909年の渋谷周辺図を見てみた。
すると昔の渋谷には意外な発見が!
なんと現在、渋谷区役所のある場所には「衛戌監獄」(えいじゅかんごく)と右始まりの文字が、さらにNHK放送センターや代々木公園のある場所には「代々木練兵場」の文字が書かれてあるではないか。
どちらも軍関連施設であり、現在の若い女の子がキャーキャー言ってるような渋谷の雰囲気とは完全に真逆だ。
むしろキャーキャー言ってはいけない街だったかのように推測できるかと。
また、この「衛戌監獄」のすぐそばに明治時代の作家・国木田独歩が居を構えていたとのことで、友人の作家・田山花袋が国木田独歩宅を訪ねた際、周辺の小川には水車が回り、乳牛を搾って製品にしていた牛乳屋があったとのことだ。
昔の地図をさらに見続けてゆくと、現在東急百貨店本店・Bunkamuraがある場所の裏手は「鍋島農場」になっており、畑だったことも判明。
大都会・繁華街の渋谷とはイメージを異にする長閑な風景が広がっていたことが想像できよう。
昔の地図を眺めることで、実際は見たことがないけれども、かつての風景がイメージとして膨らみ、思いを馳せることができるのも、地図の良さだ。
ただ単純に道や場所を提示するだけが、地図の役割ではないのだ。
暇な時に昔の地図を眺めてみよう。