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徳川を最も苦しめた「日本一の兵」真田信繁(幸村)のグッズ【連載:アキラの着目】

スマホケース 戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATEから引用2019年末にテレビ朝日系で放送された『戦国武将総選挙』。

全国10万人によるガチ投票によって決まるというランキングは、終わってみれば1位は織田信長、2位は上杉謙信、以下順当な結果だった。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康で1~3位は決まるんだろうなという、大方の予想を裏切るかのように今回大善戦したのが4位に食い込んだ真田信繁(幸村)だ。

もちろん真田信繁(幸村)は以前から歴史ファンの間では根強い人気があり、決して4位に食い込んだのが不適切というわけではないのだが、前述の豊臣秀吉、徳川家康、それに武田信玄などといった有名どころの戦国武将たちを抑えての4位は見事といってよいだろう。

なにせ、あの天下を治めた徳川を最も苦しめたのが、真田昌幸・真田信繁(幸村)親子なのだから。

そんな人気者の真田信繁(幸村)は、やはりグッズも人気で、六連銭(六文銭)の真田家家紋の入った物はどれもこれも飛ぶように売れている。

真田信繁(幸村)の故郷・信州上田で真田グッズを購入するのが王道なのかもしれないが、ネット通販でも十分に魅力のある真田グッズを購入できるので、今回のFJ時事新聞ニッポンニュースでは真田グッズを購入できるサイトをご紹介。

随分と長い前置きとなったが、そのサイトは「戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATE」。

戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATE
戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATE

真田グッズは、スマホケースもあれば、マグカップも、さらに定番のキーホルダー、マウスパッドと多岐に渡る。

スマホケース 戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATEから引用
スマホケース
マウスパッド 戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATEから引用
マウスパッド
戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATEから引用

真田といったら「赤備え」だから、紅の地に金色の六連銭(六文銭)も見事に映え、老若男女問わず購入したくなるグッズばかりだ。

人気商品だから、売り切れる前に注文しよう。

■真田 幸村|戦国武将グッズ専門店 ファンクリ FUN-CREATE
https://fun-create.jp/shop_busho/yukimura/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

戦国武将の家紋や自分の家紋を入れられる真鍮製ボールペン【連載:アキラの着目】

近年は歴史好きの女性、いわゆる「レキジョ」が多く見受けられるようになったり、日本国内の歴史博物館などの混み具合からも歴史への関心が高まっている。

そうした歴史ブームの後押しを受けてか、多彩な歴史グッズも出現するようになった。

中でも、東京の下町で真鍮製高級筆記具を作り続けて60年、ペン工房キリタ制作の家紋入りボールペン「ケーファー」が人気だ。

戦国武将の家紋入りボールペン ペン工房キリタHPから引用
戦国武将の家紋入りボールペン
ペン工房キリタHPから引用

重量感のある真鍮製ボールペンに戦国武将の家紋を入れたことで、物理的な重量感のみならず、見た目も重厚で気品溢れた仕上がりだ。

短めの割には肉厚のパイプを使っているため、長いペンとは異なり、手の収まりがしっくりくるボールペンで、見た目だけでなく、実用性も兼ねているので、日常の使用に十分耐えられる。

最近の人気家紋は、徳川を散々ヒイヒイ言わせた真田昌幸・真田信繁(幸村)親子の真田家「六文銭(六連銭)」だ。

六文銭(六連銭)入りボールペン ペン工房キリタHPから引用
六文銭(六連銭)入りボールペン
ペン工房キリタHPから引用

その後に続くのが、徳川家康に代表される徳川家の家紋「徳川葵」、以下武田信玄の「四つ割菱」、戦国武将ではないが坂本龍馬の「組合せ角に桔梗」、伊達政宗の「仙台笹」だ。

「徳川葵」入りボールペン ペン工房キリタHPから引用
「徳川葵」入りボールペン
ペン工房キリタHPから引用
ボールペンに入れられる戦国武将の家紋 ペン工房キリタHPから引用
ボールペンに入れられる戦国武将の家紋
ペン工房キリタHPから引用

戦国武将の家紋に限らず、自分の家紋を入れることも可能。

また、ボールペンのみならず、シャープペンを選ぶこともできる。

家紋入りボールペンの本体カラーは、ブラック、ワインレッド、ダークブルー、パールピンク、パールブルー、パールホワイト、シャンパンゴールドの7色から、クリップは通常ストレートクリップと十字クリップから選べるので、自分だけのオリジナル家紋入りボールペンを作れるので、チャレンジしてみては?

■戦国家紋入りケーファー /【ボールペン工房キリタ】筆記具ギフトの工場直販 | ペン工房キリタ
http://www.kirita-pen.jp/seihinn/kafer/sengoku/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

郷土の誇り・真田三代を目、耳、鼻、口、肌で感じ取れる真田まつり【連載:アキラの着目】

【第35回真田まつり ~2019夏の陣~】アクセス・イベント情報 - じゃらんnetから引用以前のニッポンニュースでも軽く触れたが、徳川軍が面白いように負かされて、勝てなかった相手が真田昌幸・信繁(幸村)親子の真田家だ。

武田家の戦略や築城術を、家臣として仕えている間に習得、”戦のプロフェッショナル”となり、右に出る者がいないほどだ。

武田家滅亡後も真田家は信州・上田を本拠とし、力を蓄え、秀吉直々の家臣になるまでに。

そんな郷土の誇りである真田家三代(昌幸、信之、信繁)を、目で耳で鼻で口で肌で感じとれる祭りが「真田まつり」だ。

真田まつり 夏/上田市役所HPから引用
真田まつり 夏/上田市役所HPから引用

特に昌幸・信繁親子はブレることなく、終生「反徳川」を貫き、その結果、最終的には和歌山県九度山にて蟄居させられることになり、二度と上田の地を踏むことがなかったが、真田まつりともなれば、話は別だ。

令和の現在に真田三代が上田に集結、真田三代子供神輿や信州真田六文銭太鼓、鉄砲隊の演舞等、様々なイベントが開催される。

戦場で目立てば、逃げることができなくなるから、あえて赤い鎧兜の「赤備え」で身を固めたのが真田家。

その「赤備え」や真田家の家紋「六連銭(六文銭)」の幟をあたかもタイムスリップしたかのように観ることができるのも真田まつりの特色だ。

極めつけは、祭りのクライマックスに、眩いばかりのスターマインなどの花火が約1000発打ち上げられ、真夏の夜空を彩る。

歴史マニア、真田マニア、花火マニア、信州・上田マニアは、2019年8月3日に上田に行かぬ選択肢はない!

【第35回真田まつり ~2019夏の陣~ 詳細】

・開催日時:2019年8月3日 花火/20:00~20:30(予定) ※小雨決行、荒天の時は翌日に順延
・開催場所:長野県上田市 真田運動公園グラウンド、山家神社 ほか
・料金:有料観覧席なし
・主催:真田まつり実行委員会
・問い合わせ:真田まつり実行委員会事務局(真田地域自治センター産業観光課) 0268-72-4330
・アクセス:北陸新幹線「上田駅」からバス約25分、「幸村の郷・夢工房前」から徒歩5分

【第35回真田まつり ~2019夏の陣~】アクセス・イベント情報 - じゃらんnetから引用
【第35回真田まつり ~2019夏の陣~】アクセス・イベント情報 – じゃらんnetから引用

■夏/上田市役所
https://www.city.ueda.nagano.jp/kankojoho/event/summer/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

信州・上田城(長野県上田市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

上田城東虎口櫓門今回ご紹介する「FJ時事新聞おすすめ名城」が、真田昌幸・信繁(幸村)親子の居城として有名な信州の上田城だ。

ある程度、城に詳しい人からすれば、「なぜ今さら上田城を取り上げるんだ、ブームは2年前ではないか!」と叱責されるかもしれない。

というのも2年前は、真田信繁(幸村)を主人公とするNHK大河ドラマ『真田丸』が放送されており、上田城がそのドラマの影響やブームに乗っかって、大変な賑わいだったのだ。

逆にいうと、その賑わいや混雑ぶりを避けたく、遅れること2年、ようやく今年になって筆者が上田城を訪城したというわけだ。

上田城の歴史について簡潔に説明しよう。

上田城は天正11年(1583)に、越後(現在の新潟県)の戦国大名・上杉景勝に対抗するための前線基地として、徳川家康の援助の下、真田昌幸が築城した平城だ。

その後、真田昌幸が自領の沼田(現在の群馬県沼田)を関東の戦国大名・北条氏に割譲するよう徳川家康からいわれたため、それを不服として徳川家康の下を離れ、上杉景勝につくことになり、それに怒った徳川家康が上田城に7,000の兵を差し向けたのが天正13年(1585)の第一次上田合戦だ。

また、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸・信繁は、中山道から進軍する徳川秀忠の大軍(38,000人)をわずか2,500~3,000の兵で撃退したのが第二次上田合戦で、これら二度の合戦で大大名の徳川をコテンパンにやっつけた城として有名なのだ。

小さな大名が少ない手勢で、大きな大名の大軍を二度も撃破した城は、上田城以外では例がない。

真田昌幸が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れたことで、真田昌幸は九度山に配流され、上田城主は真田信之となり、以後、仙石氏(三代)、松平氏(七代)と変わり、廃城後は公園となって現在に至っている。

では、実際に上田城を巡ってみよう。

上田城縄張図(考察=三島正之氏) - 真田期の上田城縄張り - 信州まちあるき から引用および番号付記
上田城縄張図(考察=三島正之氏) - 真田期の上田城縄張り - 信州まちあるき から引用および番号付記

市営野球場の対面の駐車場に車を駐車したため、筆者が最初に訪れたのが(1)の空堀だ。

小泉曲輪側から見た上田城空堀

小泉曲輪側から観た写真で、わかりにくいかもしれないが、向かって左へ直角にくびれた堀がめぐらされている。

これは、横からも矢や火器を敵に浴びせることができるように、直角に堀を曲げているのだ。

こうした仕掛けを「横矢掛り」という。

(2)は尼ヶ淵の崖から見た上田城西櫓だ。

尼ヶ淵の崖から見た上田城西櫓

現在は公園や駐車場になっているこの尼ヶ淵は、上田城築城当時は千曲川が流れる天然の要塞で、この上田城南側は鉄壁の守りとなっていた。

(3)は尼ヶ淵の崖から見上げた上田城南櫓だ。

尼ヶ淵の崖から見上げた上田城南櫓

やはり(2)同様に高低差があり、ここをよじ登って城内に侵入することは不可能だ。

二の丸橋を渡り、武者溜りを抜けると、(4)上田城東虎口櫓門が視界に現れる。

上田城東虎口櫓門

門に向かって右の石垣には、とてつもない大きさの「真田石」が積まれており、観る者を圧倒する。

東虎口櫓門をくぐると、そこは上田城の本丸だ。

本丸の周囲は小高い土塁があり、そこから(5)本丸を囲む百間堀を望むことができる。

上田城本丸土塁から望む百間堀

(6)は西櫓手前から見下ろす尼ヶ淵の崖だ。アスファルトの通路と青々とした芝生の領域は、前述の通り築城当時は千曲川が流れていた。

上田城西櫓手前から見下ろす尼ヶ淵の崖

二の丸へ向かい、本丸を囲む百間堀を見ると、(7)本丸の角が意図的に斜めに削られた箇所に出くわす。

上田城本丸隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)

この斜めに削られた箇所は「隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)」といい、鬼門除けのために北東隅の土塁を斜めに削ったものだ。

この「隅欠きの土塁(本丸土塁の隅欠き)」により、北東角の鬼門を無くし、万全な構えにしたということだ。

(8)は二の丸北虎口で、やはり直角に通路を折り曲げ、敵が一気呵成に直進してこないようにしているのと、横矢をかけられるようにしているのと、2つの意味がある。

上田城二の丸北虎口

最後に上田城から東へ10分ほど歩いたところにある大手門跡だ。

上田城大手門跡

現在この大手門跡は緩やかなカーブになっているが、これまた築城当時は直角に折れ曲がっていたのは言うまでもない。

以上、駆け足で信州・上田城を見てきたが、いかがであったろうか?

『真田丸』のブームが去った今だからこそ、ゆっくりと城内を観ることができるので、かなりおすすめだ。

■信州上田観光ガイド 上田城・上田城跡公園【信州上田観光協会】長野県上田市の大河ドラマ真田丸で知られる上田城
http://www.ueda-cb.gr.jp/uedajo/

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責任編集:拡輪 明-HS099