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ここは一体東京のどこ?~Part21~【連載:アキラの着目】

しばらくお休みしていた「ここは一体東京のどこ?」。

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第21弾だ。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.旧新橋駅

旧新橋駅(新橋ステーション)

正解は旧新橋駅。

これは結構、簡単にわかったのでは。

昔で四角い石造りの建物といったら、旧新橋駅(新橋ステーション)を真っ先に思い浮かべることかと。

同じ場所には復刻された旧新橋駅が建てられ、日本初の鉄道の起点駅としてその面影を現在に遺している。

絵は小林清親「東京名所図 新橋ステンション」。

A2.高輪ゲートウェイ付近

高輪ゲートウェイ付近

正解は高輪ゲートウェイ付近。

写真にある道を奥に進めば、高輪ゲートウェイ駅だ。

江戸時代は当然ながら埋め立てていないから、辺り一面は江戸湾(現・東京湾)。

現在の第一京浜道路がかつての海沿いを通る東海道であり、その道中の高縄(現・高輪)で浮世絵師の歌川広重が描いた絵が「名所江戸百景 高縄うしまち」だ。

A3.日比谷濠

日比谷濠

正解は日比谷濠。

第一生命ビルのある場所から警視庁方面を望んでいる。

元の絵は、これまた浮世絵師の歌川広重で「名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田」。

日比谷濠とその角にある日比谷櫓台は今も昔も変わらず佇んでおり、これがこの絵がどこで描かれたのかのヒントであった。

日比谷濠のある場所は、徳川家康が江戸に来た頃は日比谷入江といって海だった。

日比谷、大手町、新橋・虎ノ門の一部は日比谷入江で、突き出た半島(江戸前島)に後の銀座がある。

「江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_Pre_8.html)から引用
「江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸」(http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_Pre_8.html)から引用

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

旧新橋駅の今昔

旧新橋駅の今昔

高輪ゲートウェイ付近の今昔

高輪ゲートウェイ付近の今昔

日比谷濠の今昔

日比谷濠の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

洋に日本の伝統文化が融合、浮世絵ブルゾン・パーカー【連載:アキラの着目】

海外で人気となっている日本の浮世絵。

一口に浮世絵といっても人物画から風景画など様々で、また描き手も多数おり、多種多様だ。

しかも、浮世絵の原画は貴重で高価なので、一般庶民にとっては書籍やカレンダー等の印刷物で浮世絵を楽しむしかない。

ところが、そんな浮世絵を印刷物以外で楽しめることができるのだ。

なんと、浮世絵のブルゾンやパーカーがあるのだ。

「Pagong」というサイトでこれら浮世絵のファッションアイテムを購入できる。

■伊藤若冲 メンズ・リバーシブルブルゾン <【若冲】糸瓜群虫図・淡緑 / 鶏図押絵貼屏風・白黒>

伊藤若冲 メンズ・リバーシブルブルゾン <【若冲】糸瓜群虫図・淡緑 / 鶏図押絵貼屏風・白黒> Pagong公式通販サイト | Pagong ネットショップから引用
伊藤若冲 メンズ・リバーシブルブルゾン <【若冲】糸瓜群虫図・淡緑 / 鶏図押絵貼屏風・白黒>
Pagong公式通販サイト | Pagong ネットショップから引用

伊藤若冲「糸瓜群虫図」を配したブルゾン。

江戸時代中期の京都で活躍した伊藤若冲が、初期の頃に描いたのが「糸瓜群虫図」だ。

極端に長細い糸瓜に自由奔放に群がる様々な虫たちを描写しており、虫食いの跡や葉脈、蔓、昆虫の細部までも描き込んでいる。

伊藤若冲の自然への驚異や愛着が感じられる作品がブルゾンで楽しめる。

■歌川広重 メンズブルゾン <東海道五十三次箱根/紺橙>

歌川広重 メンズブルゾン <東海道五十三次箱根/紺橙> Pagong公式通販サイト | Pagong ネットショップから引用
歌川広重 メンズブルゾン <東海道五十三次箱根/紺橙>
Pagong公式通販サイト | Pagong ネットショップから引用

江戸時代を代表する浮世絵師の歌川広重は、海を超えてゴッホやモネ等の印象派画家に影響を与えた存在として、世界的に名を馳せているのはご承知の通り。

歌川広重の代表作「東海道五十三次」シリーズは、東海道53の宿場を描いた作品だ。

遠近法を用いた立体的描写と、富士山信仰やおかげ参り等の旅行ブームの後押しもあって、当時は「東海道五十三次」シリーズがかなりの好評を得た。

■歌川国芳 メンズパーカー <猫の歌舞伎/白鶯>

歌川国芳 メンズパーカー <猫の歌舞伎/白鶯> Pagong公式通販サイト | Pagong ネットショップから引用
歌川国芳 メンズパーカー <猫の歌舞伎/白鶯>
Pagong公式通販サイト | Pagong ネットショップから引用

江戸時代を代表する浮世絵師・歌川国芳の作品のうち歌舞伎をテーマにした2作品を京友禅の世界に仕上げたパーカー。

歌舞伎役者をユーモラスに猫の姿に落とし込んだ手法の「猫の歌舞伎」は、パーカーをキャンバスにしても全然映える。

ブルゾン、パーカーといった洋服に、日本の伝統文化の浮世絵が融合するというのは、全然違和感を生じるどころか、むしろ斬新で個性的であり、思わず手にとって来たくなる逸品だ。

皆と同じような服を着たくないという人は、迷わずゲット!。

■ Pagong公式通販サイト | Pagong ネットショップ
https://pagong.jp/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

ここは一体東京のどこ?~Part18~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第18弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.西新橋交番前

西新橋交番前

正解は西新橋交番前。

角に蕎麦屋の「砂場」があり、その対面にキッコーマン株式会社東京本社がある交差点だ。

浮世絵は「名所江戸百景 愛宕下藪小路」で、文化11年~弘化4年(1814~47)の間に製作されたもの。

愛宕下藪小路は、出世の神様で知られている愛宕神社のある愛宕山の北側、現在の虎ノ門一丁目にあった。

竹藪を流れる川は桜川で、愛宕山の石段前へ続いていたが暗渠となった。

位置的には虎ノ門ヒルズのそばであるが、かつては「名所江戸百景 愛宕下藪小路」にあるとおり、小川が流れる長閑な風景があったのだ。

A2.品川御殿山

品川御殿山

2枚めの正解は品川御殿山。

元々は江戸庶民のための花見の名所だった品川御殿山。

江戸湾を眺望でき、そこを行き交う帆船を観るために遊脚が来て賑わったとのこと。

浮世絵は「名所江戸百景 品川御殿やま」で、崖下には東海道が通り、品川宿(現在の北品川)が近くにあった。

ペリーの黒船再来航に備えるために、江戸湾に台場を築くことになり、その土はこの品川御殿山を崩して運ばれた。

幕末の頃には、すでに”再開発”があったのだ。

A3.溜池

溜池

正解は溜池。

浮世絵は、歌川広重「名所江戸百景」の第48景「赤坂桐畑」。

過去のニッポンニュース「ここは一体東京のどこ?」でも何回か取り上げてきた溜池だが、またしても登場だ。

江戸時代初期に湧き水を堰止めて造られた溜池は、池のへりを補強する目的で多くの桐の木が植えられていた。

なので、この周辺は「赤坂桐畑」と呼ばれていたとのこと。

江戸庶民の飲料水として機能していた溜池だが、明治になってから池は徐々に埋め立てられ、現在では地名にだけしか「池」は残っていない。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

西新橋交番前の今昔

西新橋交番前の今昔

品川御殿山の今昔

西新橋交番前の今昔

溜池の今昔

西新橋交番前の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

大人のための、浮世絵に特化した、下絵無料提供の塗り絵サイト【連載:アキラの着目】

塗り絵というと、普通は子供が遊ぶためのものだ。

クレヨンや色鉛筆を使って、各自が思い思いの色をまっさらな下絵に塗りつぶして、絵を完成させてゆくもので、誰もが体験したことのある遊びだ。

ところがなんと、そんな子供が遊ぶ塗り絵が、今では大人向けの塗り絵もあるのだという。

それも浮世絵ばかりを塗るというのだから、従来の塗り絵しか知らない人間にとっては意表を突かれてしまう。

その大人の塗り絵を提供しているサイトが「浮世絵の大人の塗り絵」(http://www8.plala.or.jp/creyon/)だ。

「浮世絵の大人の塗り絵」にアクセスしてみると、確かに「北斎の富嶽三十六景」や「北斎の花鳥画」、歌麿、写楽、歌川広重、等々、全て浮世絵の塗り絵しかない。

何はともあれ、実際に「浮世絵の大人の塗り絵」にアップされている浮世絵の下絵、下絵を塗ったもの、そして筆者が用意した大元の浮世絵を並べてみてみる。

■葛飾北斎「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏

下絵

葛飾北斎「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏 下絵 「浮世絵の大人の塗り絵」から引用
葛飾北斎「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏 下絵
「浮世絵の大人の塗り絵」から引用

塗り絵

葛飾北斎「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏 下絵を塗ったもの 「浮世絵の大人の塗り絵」から引用
葛飾北斎「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏 下絵を塗ったもの
「浮世絵の大人の塗り絵」から引用

大元の浮世絵

葛飾北斎「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏
葛飾北斎「富嶽三十六景」神奈川沖浪裏

■葛飾北斎「富嶽三十六景」駿州江尻

下絵

葛飾北斎「富嶽三十六景」駿州江尻 下絵「浮世絵の大人の塗り絵」から引用
葛飾北斎「富嶽三十六景」駿州江尻 下絵
「浮世絵の大人の塗り絵」から引用

塗り絵

葛飾北斎「富嶽三十六景」駿州江尻 下絵を塗ったもの 「浮世絵の大人の塗り絵」から引用
葛飾北斎「富嶽三十六景」駿州江尻 下絵を塗ったもの
「浮世絵の大人の塗り絵」から引用

大元の浮世絵

葛飾北斎「富嶽三十六景」駿州江尻
葛飾北斎「富嶽三十六景」駿州江尻

浮世絵を描いたりはできないが、塗り絵ならば基本的には老若男女誰でもできる。

葛飾北斎や歌川広重になったつもりで、コツコツと塗ってゆくのは、結構集中してハマってしまうのではなかろうか。

なお、この「浮世絵の大人の塗り絵」にアップされている塗り絵の下絵は無料ダウンロード(1024x768pix)できるものの、個人使用のみのため、決して商用使用はしないように。

■浮世絵の大人の塗り絵
http://www8.plala.or.jp/creyon/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

400余年の歴史を誇るとろろ汁の元祖「丁子屋」(静岡県駿河区丸子)【連載:アキラの着目】

世の中には「これといったら、あの店しかない!」という定番の老舗や名店があるものだ。

今回のニッポンニュースは、そんな定番の老舗名店を取り上げたい。

とろろ汁といったら、東海道丸子宿の元祖・丁子屋

以前から、機会があればぜひ行ってみたいと願っていた老舗名店が、とろろ汁の元祖「丁子屋」だ。

1596年(慶長元年)に創業した丁子屋は、実に400余年の歴史を誇る老舗中の老舗、名店中の名店であるのは誰もが知るところ。

旧東海道の丸子宿(まりこしゅく。「鞠子宿」とも表記)を歩くと、その旧東海道沿いに創業当時とほぼ瓜二つのような茅葺き屋根の丁子屋が店を構えている。

旧東海道丸子(鞠子)宿
現在のとろろ汁の元祖「丁子屋」
歌川広重『東海道五十三次』の中の「丸子」で描かれているとろろ汁の元祖「丁子屋」

丁子屋の店前には、「元祖 丁子屋 名物とろろじる」と掘られた巨大石や、「鞠子宿 丁子屋」と書かれた木製看板、また「名物 とろゝじる 丁子屋」と筆を入れられた巨大提灯や「とろろ汁」と書かれた暖簾があり、どれもこれも風情を感じさせてくれる。

11:00の開店時間に合わせ、筆者が約5分前に行くと、まだ客は誰もおらず、「開店は十一時です。」の告知板前に一人開店を待ち望んだ。

やがて、壮年夫婦2人も現れ、筆者の後ろに並びだす。

開店時間11:00きっかりに店の引き戸が開き、「いらっしゃいませ」の声とともに女性店員さんが現れた。

さらに、「お一人様ですか?」と訊かれ、店内奥へと案内される。

その途中には、「丁子屋 お写真コーナー 『とろろ職人』」があり、観光地に多い顔ハメ看板の、もっと丁寧になり切れる版といったところか。

丁子屋 お写真コーナー 「とろろ職人」

そこを過ぎると、下足場となり、靴を脱ぐ。

その後、通されたのは、外光と暖色系の柔らかい室内灯の光が見事に調和したお座敷だった。
外光を取り入れながら、暖色系の柔らかい室内灯の光と見事に調和した丁子屋のお座敷

お座敷でも、椅子に腰掛けて優雅にとろろ汁を食べるスタイル。

何回か丁子屋を訪れている、前述の壮年夫婦は店員さんに「椅子に変わっちゃたの? 以前来た時は座布団に座る形式だったよね?」と話しかけていたのを耳にした筆者は、椅子に腰掛けるスタイルはこの数年で出現したのかと知ったのだった。

まあ、椅子でも特に問題なし、何せ、筆者はこの日の「1番乗り」だったから、自分好みの席を選ぶことができた。

選んだ席は、鴨居に飾られた歌川広重『東海道五十三次』の「丸子」直下の席だ。
丁子屋のお座敷にある鴨居に飾られた歌川広重『東海道五十三次』の「丸子」

早速、お品書きを繰ってみると、とろろ汁にも幾つかのバリエーションが。

宿(しゅく)の名前と同じで、手頃な値段の「丸子」にしようかと思ったが、次に訪れるのがいつになるかわからないから、ここはちょっと奮発して、「丸子」のワンランク上の「本陣」を注文した。

「本陣」と「丸子」の差は、おかべ揚げ、甘味などが付くか付かないかだ。

おかべ揚げとは、擦り下ろした山芋を団子状にして油で揚げたものだ。

とろろ汁「本陣」が運ばれてきた。

丁子屋 とろろ汁「本陣」 写真中央に3個ある玉状のものが、おかべ揚げ
丁子屋 とろろ汁「本陣」 写真中央に3個ある玉状のものが、おかべ揚げ

一人ひとりにおひつが支給され、蓋を開けると、ゆうに茶碗3~4杯分の白飯が湯気を立てていた。

普段から大盛りを食べる筆者でさえも、このとろろ汁の白飯はなかなかのボリュームで、食べた後の満腹感は100点満点だ。
とろろ汁かけご飯

竹焼き塩をつけながら食べるおかべ揚げは、上品な天ぷらに勝るとも劣らない美味だった。

甘味は抹茶餡の入った餅だ。

いうまでもなく、とろろ汁をはじめとした全てのお品の味も満点だし、とろろ汁が出されるまでの間や食後に飲んでいた緑茶も、さすが茶処・静岡だけあって、味が満点、筆者はガブ飲みした。

会計後は、店員さんに勧められ、店内に常設された歴史資料館も見学、実際に昔使用された摺鉢や宿丁子屋にちなんだ芭蕉翁、十返舎一九、安藤広重の作品を閲覧した。
丁子屋店内に常設歴史資料館に陳列された昔の摺鉢

訪れた時間が早かったこともあり、バスツアー等の団体客がおらず、団体客が使用するであろうお座敷も拝見し、パチリと撮影。
座布団のお座敷座布団のお座敷

和室には、やはり椅子よりも座布団かなと再確認した次第だ。

やはりメジャーな、とろろ汁専門の老舗である丁子屋は、時間帯によってはかなりの混雑が予想される。

筆者がお品書きを眺めている間にも、客が瞬く間に増え、食後の緑茶を堪能している頃には、ほぼ椅子が埋まっていた。

ストレスフリーでとろろ汁を堪能した方が、しっかり味わえるし、慌てて食べることもないので、やはり11:00の開店に合わせて、訪れるのがオススメだ。

■静岡市で食事するならとろろ汁の『元祖 丁子屋』へ
https://www.chojiya.info/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~神田駿河台(東京都千代田区)~【連載:アキラの着目】

歌川広重『水道橋駿河台』「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、神田駿河台だ。

現在、神田駿河台とよばれるエリアは駿河台といわれ、JR御茶ノ水駅の西側および神田川の南側に位置する。

元々は、この神田駿河台の大地は、神田川北側の湯島台とよばれるエリアと陸続きになっていた。

しかし、1590年に徳川家康が江戸に入府して以降、江戸城は整備され続け、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことで、1枚の台地が南北に分離されることとなった。

幕末あるいは明治初期の仙台堀こと神田川(現在の御茶ノ水付近)
幕末あるいは明治初期の仙台堀こと神田川(現在の御茶ノ水付近)
上の写真とほぼ同じ場所の現在
上の写真とほぼ同じ場所の現在

ちなみに開削した際の土砂は、日比谷入江を埋め立てるのに用い、現在の丸の内や有楽町が海から陸地となった。

なぜ、この仙台堀(神田川)によって分断された南側のエリアを駿河台というのかについては諸説ある。

1つ目は、1616年(元和2年)の徳川家康死去の後に、駿河国(現在の静岡県)の国府が置かれた都市・駿府より幕臣が江戸に呼ばれ、この地に屋敷を与えられたことに由来するという説。

2つ目は、駿河大納言といわれた、江戸幕府三代将軍・徳川家光の弟である忠長の屋敷があったことに由来するという説。

3つ目は、江戸の中でも比較的高台であるこの地から、駿河国の富士山がよく見えたことに由来するという説だ。

現在の千代田区には、富士見坂という名が付いた坂が2つ残っており、これら2つの坂は駿河台よりも低い。

ということは、これらの2つの坂よりも「高地」である駿河台からも当時は富士山が見えたであろうことは想像に難くなく、これらの事象から推測するに、駿河台の地名の由来は、3つ目の「駿河国の富士山がよく見えたことに由来する」説が有力と思われる。

歌川広重『水道橋駿河台』
歌川広重『水道橋駿河台』

歌川広重『水道橋駿河台』に描かれた現在のJR御茶ノ水駅周辺(水色エリアは神田駿河台)
歌川広重『水道橋駿河台』に描かれた現在のJR御茶ノ水駅周辺(水色エリアは神田駿河台)

駿河台は1960年代になると、JR御茶ノ水駅から本郷通り沿いを中心に、学生相手の店舗が多くなったこともあって、”日本のカルチェラタン”と呼ばれたこともあった。

現在、駿河台は、相変わらず大学・専門学校が多いエリアとして知られている。

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責任編集:拡輪 明-HS099