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SNS映えする苔むす無骨な石垣と紅葉のコントラスト、小諸城址懐古園【連載:アキラの着目】

城好きの間では名城として知られ、日本100名城にも指定されている信州・小諸城。

天然の深い谷を空堀として使い、西側に面する息を飲むような千曲川の断崖も敵からの防御に優れており、立派な石垣も健在だ。

その小諸城だが、1926(大正15)年に本多静六氏により近代的な公園として整備され、現在は小諸市営公園小諸城址懐古園として公開されている。

小諸城址懐古園といえば、やはり10月下旬頃から色づき始める紅葉だろう。

モミジやイチョウ、ケヤキ、カエデなどが朱・黄・橙に染まる景観は、しばし時が流れるのを忘れてしまうほど。

それゆえに開催されるのが、「小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021」。
小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021/小諸市オフィシャルサイト

小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021/小諸市オフィシャルサイト
小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021/小諸市オフィシャルサイト から引用

前述した400年超えの苔むす無骨な石垣と、紅葉のコントラストもSNS映えするとのことで、スマホのカメラで撮影する人が後を絶たない。

また、小諸城址懐古園内には島崎藤村の「千曲川旅情のうた」や、若山牧水、高濱虚子、臼田亜浪などの歌碑が置かれており、文学好きの人にも愛されている名所スポットだ。

他には児童遊園地もあり、家族連れでも十分に時間を費やすことができる。

目の覚めるような紅葉を堪能したいのであれば、ぜひ小諸城址懐古園を訪れることをオススメする。

 

【小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021 詳細】

・開催期間:10月23日(土)~11月23日(火・祝)
・所在地:〒384-0804 長野県小諸市丁311番地
・園内施設:小諸市立藤村記念館、小山敬三美術館、小諸市児童遊園地、小諸市動物園(再整備工事で令和4年4月末まで休園中)
・問合せ:紅葉まつり 小諸市懐古園事務所 0267-22-0296
観光/ガイド/宿泊 小諸市観光案内所 0267-22-0568

小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021/小諸市オフィシャルサイト から引用
小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021/小諸市オフィシャルサイト から引用

 

■小諸城址懐古園☆紅葉(もみじ)まつり2021/小諸市オフィシャルサイト
https://www.city.komoro.lg.jp/kaikoen/11304.html

 

■紅葉まつり | こもろ観光局
https://www.komoro-tour.jp/spot/castle/momiji/

 

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

岡山城(日本100名城・岡山市北区)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

岡山城天守久々の「FJ時事新聞おすすめ名城」は、以前に筆者が訪れた際の写真で岡山城を紹介する。

1570年(元亀1)宇喜多直家が金光宗高を滅ぼし、南北朝時代に造られた石山城(後の岡山城)を手に入れ大改修に着手、その後、嫡男・秀長が豊臣政権下57万石の大名となり、豊臣秀吉の全面的協力のもと1590年(天正18)、新規の築城と城下町の整備を開始し、1597年(慶長2)に五重六階の望楼型天守の城が完成、城名を石山城から岡山城と改めた。

ちなみに岡山城は、別名「烏城(うじょう)」、「金烏城(きんうじょう)」ともいわれる。

岡山城の近辺には多くの駐車場があるが、濠そばの駐車場が良いだろう。

というのも、この駐車場だと大手門跡に近く、岡山城を攻め入る感覚に浸れるからだ。

大手門跡を抜け、右折すると、広々とした空間が出現する。

しばらく左に石垣を観ながら歩くと、階段が出現するので上がると、不明門(あかずのもん)に。

岡山城不明門下
岡山城不明門下
岡山城不明門
岡山城不明門

いきなりこの不明門をくぐってもいいのだが、今すぐにはくぐらずに、中段にある月見櫓や石垣の高さを確認しよう。

岡山城月見櫓
岡山城月見櫓
岡山城中段からみる石垣および周辺景色
岡山城中段からみる石垣および周辺景色

月見櫓や石垣の高さ、周辺の景色を確認したら、先ほどあえて避けた不明門をくぐる。

すると、そこは本段(いわゆる本丸)となり、漆黒色の重厚な岡山城天守が現れる。

岡山城天守
岡山城天守

末広がりで縁起が良さそうなフォルムの岡山城天守の中に入り、天守最上階まで登ると、眼下には隣の日本三大庭園の1つ・後楽園を観ることができる。

岡山城天守からの眺望
岡山城天守からの眺望

天守からの眺望を堪能した後は、廊下門を抜けると、先ほど本段から眺めたのとは異なる角度の岡山城天守がお待ちかねだ。

岡山城廊下門
岡山城廊下門
廊下門手前からみる岡山城天守
廊下門手前からみる岡山城天守

後楽園側から観た岡山城もしっかりと存在感を醸し出しており、城巡りの際は様々な方角・角度から天守の顔を観るべきだ。

橋からみる岡山城天守
橋からみる岡山城天守

なお、前述した後楽園が、岡山城とは旭川を挟んで対峙する位置にあるため、岡山城と併せて後楽園を観光しよう。
日本三大庭園の後楽園

日本三大庭園の後楽園
日本三大庭園の後楽園

現在は緊急事態宣言発令のため、岡山城は観覧できるのかどうか、またそもそも訪れるのは自粛すべきだが、緊急事態宣言が解かれたら、ぜひ訪れてみるべし。

■岡山城 | 日本100名城ガイド
https://www.100finecastles.com/castles/okayamajo/https://www.100finecastles.com/castles/okayamajo/

■岡山城(OKAYAMA CASTLE)|岡山市
http://www.city.okayama.jp/kankou/midokoro/shisetsu/okayamajo/ujo/http://www.city.okayama.jp/kankou/midokoro/shisetsu/okayamajo/ujo/

■岡山城(烏城)|観光スポット | 岡山観光WEB【公式】- 岡山県の観光・旅行情報ならココ!
https://www.okayama-kanko.jp/spot/10002https://www.okayama-kanko.jp/spot/10002

■岡山城天守閣(烏城) – おかやま観光コンベンション協会
https://okayama-kanko.net/sightseeing/sightseeing_area.php?id=32https://okayama-kanko.net/sightseeing/sightseeing_area.php?id=32

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

備中松山城(日本100名城・岡山県高梁市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

今回のニッポンニュースで取り上げるのは、岡山県高梁市の臥牛山山頂(標高430m)にある、日本100名城で国指定重要文化財の備中松山城だ。

備中松山城は日本三大山城にも数えられ、また、最も高所にある現存天守の山城で、特に秋には雲海に浮かぶ幻想的なその姿から「天空の城」とも呼ばれている。
「天空の城」備中松山城

備中松山城の築城は、鎌倉時代に有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭・秋庭重信が奥地の大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗が3年の年月を費やし、現在の天守に修築した。
備中松山城

この地は、山陰と山陽の南北、さらに東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は絶えず激しい争奪戦が繰り広げられ、目まぐるしく城主の交代が繰り返されてきた歴史がある。

では早速、備中松山城に踏み入れてみよう。

登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁が聳え立ち、その天然の岩盤を上手く融合させるように、その上に石垣を積んでいる。

この備中松山城の石垣は、本編とは無関係にもかかわらず、実は3年前のNHK大河ドラマ『真田丸』のOPシーンに使われたのだ。

筆者の推測なのだが、難攻不落の真田丸のイメージ形成に”難攻不落の名城”である備中松山城の石垣が最適だったから、わざわざOPに使われたのではあるまいか。

その堅固な石垣を抜けると、備中松山城の天守が顔を出す。
備中松山城 本丸

さらに歩みを進め、階段を登ると本丸になる。

真正面に建つ備中松山城の天守は小ぶりながらも、白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラストが映える威風堂々とした風格で、登城者を迎え入れてくれる。
備中松山城 天守

なお、本丸にはそこそこ有名な「猫城主」もいるので、猫好きならば、撫で撫でしてあげよう。
備中松山城本丸にいる猫

天守に登ると、どこにでもあるような、鉄筋コンクリートの”なんちゃって城”とは異なり、天井に大きな梁がある。
備中松山城天守天井の大きな梁

大抵の登城者は、天守に登った後はそのまま城を下りて帰ってしまうのだが、天守裏手に回ると、これまた国指定重要文化財の二重櫓があるので、しっかり堪能しよう。
国指定重要文化財の備中松山城二重櫓

筆者の場合は、可能な限り登城する際は大手(正門口)から入り、搦手(退却口)から出る、出るのが難しい場合は観るだけでも、というスタンスにしている。

今回の備中松山城は搦手を抜けてしまうと、さらに奥へ奥へと行ってしまい、帰られなくなってしまうので、搦手を確認するに留まった。
備中松山城 搦手

ちなみにその搦手付近から見上げると、先ほどの二重櫓を裏手から望めるので、搦手を観た際には忘れぬように。
備中松山城搦手側から観た二重櫓

さすが標高430mの高所にある備中松山城だけに、眼下に広がる景色は絶景だ。

マイカーやレンタカーで備中松山城に行く際は、城まちステーション(5合目)で駐車し、そこからシャトルバスでふいご峠(8合目)まで行くのが良いだろう。

ふいご峠からは約20分も歩けば、備中松山城本丸・天守に辿り着く。

【「天空の城」備中松山城 詳細】

・所在地:岡山県高梁市内山下1

・入館料:【大人】500円 【小中学生】200円 団体割引あり30人以上1割引 100人以上2割引
 ※以下に該当する方は入城料免除(土・日曜日・祝日および休業中に観覧する市内の小・中学生、65歳以上の市内在住民、障がい者手帳持参の人と介助者1人)
・入場時間:【4月~9月】9:00~17:30 【10月~3月】9:00~16:30
 ※12/29から1/3まで本丸への入城不可
・休日:12月29日~1月3日
・駐車場:城まちステーション(5合目)110台、ふいご峠(8合目)14台
・バリアフリー対応:AED
・TEL:0866-22-1487

※料金・時間等は令和元年10月18日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

全国で2つだけの現存本丸御殿のうちの1つがある川越城(埼玉県川越市)【連載:アキラの着目】

川越城本丸御殿今回のFJ時事新聞ニッポンニュースは、”小江戸”川越にある川越城を取り上げる。

別名、初雁城とも霧隠城ともいわれる川越城は、長禄元年(1457)、扇谷上杉持朝(おうぎがやつ うえすぎ もちとも)の命を受けた家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子が築城した(築城当時は川越城ではなく河越城)。

天文6年(1537)に北条氏綱が河越城を奪取し、河越城は以降、後北条氏の武蔵国支配の拠点となった。

しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐で河越城が落城、豊臣秀吉の命により徳川家康が関東に封ぜられたのに伴い、徳川氏譜代筆頭の酒井重忠が1万石で川越城主となった。

以後、川越城主は、酒井家→酒井家→堀田家→大河内松平家→柳沢家→秋元家→越前松平家→松井松平家と推移する。

弘化3年(1846)に二ノ丸にあった御殿が焼失し、嘉永元年(1848)に越前松平家・松平斉典により本丸御殿が再建され、この本丸御殿が現存しているのだ。

川越城の歴史はこのくらいにして、早速歩いてみよう。

川越城縄張図(アルファベットは写真のアルファベットに対応)
川越城縄張図(アルファベットは写真のアルファベットに対応)

川越は、昨日のニッポンニュースで紹介した通り、蔵通りが観光地として有名だ。

まずはこの蔵通りを散策してから川越城に行くことをおすすめする。

西武新宿線「本川越」駅前から北に伸びる通りをしばらく真っ直ぐ北に歩くと、蔵通りへと変貌する。

左右の漆黒で彩られた蔵の店を眺めながら、さらに歩みを進めると、「札の辻」交差点に達するので、そこを右折しよう。

3分ほど歩けば、かつての川越城追手曲輪の西大手門があった交差点に達する。

A 川越城追手曲輪西大手門跡
A 川越城追手曲輪西大手門跡

目印としては、交差点左側に前述の太田道灌の銅像があるのでわかりやすいかと。

太田道灌銅像
太田道灌銅像

さらに真っ直ぐ進むと、通り右手に現れるのが、川越城中曲輪の中ノ門跡だ。

B 川越城中曲輪の中ノ門跡
B 川越城中曲輪の中ノ門跡

復元された木造門があるので、これもわかりやすいはずだ。

門をくぐると、視界に飛び込んでくるのが中ノ門堀跡だ。

川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡

かつての川越城は四方を大小の堀で囲まれた堅固な城塞で、中ノ門堀跡はかつての川越城を偲ぶアイテムとしてしっかり遺っているのがありがたい。

中ノ門堀跡を観終えたら、またそのまま直進すると、本丸御殿入口に達するので、そこを右折。

すると、本丸門跡の石碑が現れ、かつては本丸御殿への城門があったことを伝えてくれている。
川越城本丸門跡

C 川越城本丸門跡
C 川越城本丸門跡

ここまで来たら、もう川越城本丸御殿だ。

川越城本丸御殿
川越城本丸御殿

川越城本丸御殿はその名通り天守ではなく本丸御殿、つまり藩主が起居したり、政務を行なったりする建物なので、戦闘目的の建物ではないのであしからず。

ちなみに全国に現存する本丸御殿は、この川越城と、もう1つは高知城だけである。

本丸御殿に入ると、日光を上手に取り入れた和室から感じられる温かみや、デザインのような陰影を鑑賞できて面白い。
川越城本丸御殿内川越城本丸御殿中庭

家老詰所だった和室は、当時を再現する人形が配置され、イメージしやすい。

川越城本丸御殿家老詰所
川越城本丸御殿家老詰所

広間には、日の出と松を描いた杉戸がある。
川越城本丸御殿 広間

川越城本丸御殿 広間の杉戸
川越城本丸御殿 広間の杉戸

この広間にはこれ以外にもまだ見どころがある。

それは天井だ。

天井を見上げると、バレーボールの跡がクッキリと付いているのだ。

川越城本丸御殿 広間 バレーボールの跡が付いた天井
川越城本丸御殿 広間 バレーボールの跡が付いた天井

というのも、戦後この広間が小学校の体育館として使用されたことがあり、その時に生徒がボールを天井にぶつけたことで付いた跡なのだとか。

以上、川越城本丸御殿を中心に駆け足で見てきたがいかがだっただろうか。

川越城は日本100名城にも選出されており、蔵通りの街並みと併せて観光することを提唱したい。

■川越城本丸御殿
http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/hommaru/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

城巡りの必需品、お城百選(日本100名城)スタンプラリー(スタンプ帳)【連載:アキラの着目】

城巡りが好きな筆者は、これまでに日本全国で巡った城の数は、天守の有無にかかわらず大小合わせて、約60~70の間だろう。

姫路城(白鷺城)
姫路城(白鷺城)
竹田城
竹田城

これら巡った城は、自分の頭の中に記憶として残っているし、写真としても残っている。

しかし、「これだけ城を巡ったんだ!」と伝えても、中には疑心暗鬼になる人もおり、「本当にこれだけ城を巡ったの? 誰かが巡ったんじゃないの?」と失礼な物言いをされることもある。

写真があっても、実際に城に行って撮影していないのではないか、というわけだ。

自分で巡った城の写真やデータを管理するのは、城好きの人ならば誰でもしているものだが、それでも心ない人によって疑われてしまうのだ。

疑われても、そのまま自分の道を進むのも1つの方法。

誰に対してもしっかり城巡りしたことをアピールしたいというのもまた1つの方法。

この後者の方法に役立つのが「お城百選(日本100名城)スタンプラリー(スタンプ帳)」だ。

お城百選スタンプラリー 日本100名城ガイド スタンプ帳
お城百選スタンプラリー 日本100名城ガイド スタンプ帳

財団法人日本城郭協会が定めた日本100名城には、必ずスタンプが設置されており、そのスタンプを日本城郭協会公認の公式ガイドブック「日本100名城公式ガイドブック」または「日本100名城に行こう」に付いているスタンプ帳に押印することで、実際に登城した証拠とみなされる。

日本城郭協会公認の公式ガイドブック「日本100名城公式ガイドブック」
日本城郭協会公認の公式ガイドブック「日本100名城公式ガイドブック」

日本100名城全てのスタンプが揃い、日本城郭協会事務局宛にスタンプ帳を送ると、「祝登城完了!」の印と登録順位が記入されたスタンプ帳を返送してくれ、また、『城郭ニュース』および日本城郭協会事務局のホームページに日本100名城全てを登城した人の名前が発表されるのだ。

これならば、誰にも文句を言われまい。

日本100名城同様に、続日本100名城も制定されたので、続日本100名城への登城の際は、続日本100名城のスタンプ帳を持参し、各城のスタンプを押印しよう。

日本城郭協会公認の公式ガイドブックに付いているスタンプ帳は、誰に対してもアピールできる証拠になりうる物で、城巡りの必需品とも言えよう。

■お城百選スタンプラリー 日本100名城ガイド
https://www.100finecastles.com/

■続日本100名城に行こう
https://www.100finecastles.com/castles-list2/

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