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アメリカ人でも一般的な日本人でも理解できない津軽弁【連載:アキラの着目】

めちゃくちゃ日本語は簡単だと自信満々のアメリカ人の友人(日本在住13年)に津軽弁(青森県津軽地方で日常的に遣われている方言)を聴かせて、アメリカの友人は内容を把握できるのか。

そんなYouTube動画がなかなか好評を得ている。

いやいや、アメリカ人でなくとも、我々一般的な日本人でも津軽弁だとほぼ理解できないよと。

そんな思いを抱いて、YouTube動画「日本語のリスニングは完璧と豪語するアメリカ人に津軽弁を聞かせてみた時の反応」を筆者は観てみた。

■日本語のリスニングは完璧と豪語するアメリカ人に津軽弁を聞かせてみた時の反応

いやぁ、案の定、津軽のおばあさん達の会話をほぼ筆者は理解できない。

動画に登場するアメリカ人青年同様に、日本語を話しているように聴こえないのだ。

東北地方はかなり特徴のある方言が多いが、福島県よりも山形県、山形県よりも秋田県、秋田県よりも青森県、青森県の中でもこの津軽地方の方言である津軽弁が一般的な日本人にとっては最も聴き取れなくて、異国の言葉、いや宇宙人の言葉くらいに聴こえてしまうのだ。

北上すればするほど寒くなるので、冷気を吸わないようにするためなのか、口を大きく開かなくなり、必要最小限の口の開きから発せられた必要最小限の短い声になるようだ。

例えば、「食べる・食う」が「く」の1文字になったり。

とにかく東京弁(≒日本語の標準語)に慣れ切っている現代の日本人のほとんどは、津軽弁を理解することはできないだろう。

津軽弁に限らず、日本各地にはそれぞれの国言葉が昔から存在しており、沖縄ならば「うちなーぐち」(「沖縄口」(沖縄語)の意)、鹿児島県なら鹿児島弁、広島県なら広島弁、というように地方の数だけ存在するのだ。

しかし、こうした地方毎に存在する方言も、年代を追う毎に廃れていっており、全国みな東京弁になってゆく傾向が顕著なのだ。

方言を廃れさせないためにも、各地方自治体で方言教室のようなものを定期・不定期問わず開催してゆくのが重要になってくるのではないだろうか。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

FJ時事新聞ニッポンニュース選・海外で通用する日本語20【連載:アキラの着目】

インターネットの発達により、世界中の情報が目まぐるしく行き交う現在。

日本の情報も世界に届いている。

当然、日本の情報の中には日本語も含まれているわけで、アニメや漫画、和食、等々の日本文化における専門用語としての日本語が、いつの間にか世界で常用されていたりするのだ。

そこで今回のFJ時事新聞ニッポンニュースでは、ニッポンニュース編集部の独断と偏見によって、海外で通用する日本語を20ワード選んでみた。

①Kawaii
かわいい:「21世紀に入って最も世界に広まった日本語」だ。

②Mottainai
もったいない

③Bento
弁当

④Otaku
オタク・ヲタク

⑤Tsunami
津波:世界共通の学術用語にまでなった。

⑥Emoji
絵文字

⑦kaizen
改善

⑧Omakase
お任せ

⑨Hentai
変態:漫画やアニメで頻出するようで、それで有名な日本語に。

⑩Umami
旨味:和食が「ユネスコ無形文化遺産」に登録されたことで、世界にも知れ渡る。

⑪Karoshi
過労死

⑫Senpai
先輩

⑬Origami
折り紙
Origami 折り紙

⑭Jikansa
時間差:バレーボールの戦術で世界各国で使われている。

⑮Hitori-jikansa
一人時間差:これもバレーボールの戦術で世界各国で使われている。

⑯Hikikomori
引きこもり:2010年夏に英国の辞書「Oxford Dictionary of English」において、「hikikomori」という単語が掲載され、話題に。

⑰Edamame
枝豆:今やビールの本場ドイツでもビールのつまみで枝豆が人気なのだとか。

⑱Moe
萌え:やはりこれもアニメや漫画の影響のようだ。

⑲Zangyo
残業

⑳Satsuma
薩摩:英国では温州みかんのことを「Satsuma」と呼ぶのだそうだ。

以上、FJ時事新聞ニッポンニュース編集部が独断と偏見で選んだ海外で通用する日本語20だ。

国によってこれらの日本語の普及度が異なるとは思うが、一応、英語に訳さなくともそのまま通用するはずだ。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

国民の8割は理解不能!?秋田弁VS鹿児島弁の会話【連載:アキラの着目】

狭い国土の日本だが、方言は地域の数だけ存在する。

近隣地域の方言ならば、多少は理解できるものの、北と南では距離が離れ過ぎて、さらに気候が異なるので、言葉が全く異なり、意思の疎通が簡単ではないのだ。

極寒のため、口の開け締めを最小限にしたい北のエリア、温暖でのどかな南のエリアでは、発声からして全く相反しているということだ。

そこで今回のニッポンニュースでは、どれほど北と南では方言が異なるのかがわかる動画を取り上げる。

北は秋田弁、南は鹿児島弁だ。

方言で対決!~秋田弁 VS 鹿児島弁~ YouTubeから引用
方言で対決!~秋田弁 VS 鹿児島弁~ YouTubeから引用

■方言で対決!~秋田弁 VS 鹿児島弁~

同じ日本人が話しているとは思えないくらいに彼女たちの言葉がわからない。

おそらく日本国民の8割は、彼女たちの話す方言を理解することができないと思われる。

もちろん、その8割には神奈川県生まれの筆者も含まれているのはいうまでもない。

秋田弁も鹿児島弁も独特過ぎて、標準語いわゆる東京弁とは異なり過ぎている。

テレビやインターネットが十分に普及している平成31年現在でも、地方の方言を理解できていないのだから、さぞかし幕末や明治維新の頃のお偉方同士の会話は、今以上に相手が何を話しているのか、さっぱり検討がつかなかったことだろう。

だからこそ明治になってから、江戸言葉すなわち江戸弁を標準語にしましょう、ということまで決めたのだ。

しかし、方言が飛び交うことによる意思の疎通が難しくても、身振り手振りで気持ちが伝わることができれば、それも立派な意思の疎通。

方言は各地方の個性であるから、各地方の方言をなくしたり、廃れさせることのないようにいつまでも残すべきだ。

各地方の方言は、立派な観光資源なのだから。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

TVが言葉を変化させる【連載:アキラの着目】

ニュースの原稿を読むアナウンサー。

どこのチャンネルに回しても、どこの地域で視聴しても、標準語で伝えている。

今でこそこのような状況だが、明治以前の日本は、日本全国を統一する標準語はなく、方言だらけだったのだ。

それというのも、様々な説があるが、日本は今でいう都道府県に近い単位で「国」があり、また江戸時代移行は「藩」毎の統治であったこともあり、それぞれに特色のある文化や方言が育ったのだ。

その背景には、住民の大多数を占める農民たちの移動がなかったことにより、その地域・領域だけの言葉が発達したことが挙げられよう。

なので、明治維新になったばかりの頃は、九州の人と東北の人が会話しても、お互いに相手の言葉を十分に理解し、意志の疎通をする、といったことができなかったようだ。

九州の方言「すごか」

平成の現在でも、関東の人間が青森弁を聴いても理解できないのだから、当時はもっと理解できなかったであろうことは想像に難くない。

また、自分たちの藩と隣接する藩とは敵対関係にあるという地域もあったようで、そうした状況においては、藩内の情報を安易に隣接する藩に伝わらないようにするためにも、独自の言い回しや方言が発達したのではないか、との説もある。

そんな方言だらけの日本全国だったのだが、平成30年の現在では、まだ各地に方言やなまりが存在するものの、かつての頃と比べると、かなり鳴りを潜めてしまったようだ。

大阪の小学校では、クラスの半分近くの児童が地元の大阪弁ではなく、標準語を日常会話として遣っているというところも出てきたようだ。

その一方で「めっちゃ」という言葉は、今では「全国区」にまで昇格している。

元々関西で遣われていた「めっちゃ」は、「めちゃくちゃ」の下略形で、英語の「very」とほぼ同義語になるのだが、東京の女子高生も当たり前に「めっちゃ」を多用しており、すっかり違和感がない。

こうした現象は、やはりTVの影響によるもので、関西出身の人気タレントが「めっちゃ」を多用することで、それを視聴した若者たちの間で瞬く間に拡散・定着し、すっかり「標準語」となった。

「言葉は時代を追うごとに変化する”生き物”だ」みたいなことがよくいわれたりするが、この調子だと方言は「絶滅危惧種」になること間違いないだろう。

筆者の母親の故郷・愛媛県松山市ではかつて語尾に「~ぞなもし」を付ける方言があったが、今ではかなりのお年寄りでないと、聴くことがないという(例文:今日は良い天気ぞなもし)。

実際、筆者が今年1月に松山を訪れた際、若い人たちは標準語で会話しており、それは驚いたものだ。

各地域の特色は残った方が面白いはずなのだが、言葉に限っては、ますます標準語の流れに抗えないようだ。

つくづくTVの影響は大きいと感じる。

白鵬が大相撲ファンの心を掴めない理由とは?【連載:アキラの着目】

勝つためにはなんでもあり!? 「エルボースマッシュ」を繰り出した横綱・白鵬

先場所の大相撲名古屋場所14日目での出来事。

豪栄道との取り組みで、立ち会いからプロレス技「エルボースマッシュ」を彷彿とさせる「かち上げ」を繰り出した横綱・白鵬。

「勝つためにはなんでもありなのかよ!」、「プロレス技を出してまで勝ちたいのかよ!」といった内容の意見がネットを賑わせた。

ここ2、3年における白鵬の戦いぶりについては、横綱の品格云々といった意見がやたらと目立つようになってきているだけに、またかとの思いを抱いた大相撲ファンも少なくないはずだ。

相撲は、勝敗を決する競技なのだから、勝つことが最も重要であるのは言うまでもない。

ましてや相撲のルールに反していないのだから、文句を言われる筋合いはないというのが、おそらく「エルボースマッシュ」を繰り出した張本人である白鵬の心の内なのだろう。

そんな勝てさえすればいいじゃないか的な戦いぶりをする白鵬に対して、そもそも我々日本人は、なぜ否定的な見解を持ってしまうのだろうか?

日本人1人1人に内在する横綱のイメージ

「ただ勝てばいい」という白鵬を我々日本人が非難してしまう理由として、日本人1人1人の中に理想となる横綱のイメージがあるからだろう。

横綱としてこうあるべき姿、例えば、対戦相手の技をかわすことなくしっかりと受け止めて戦う「横綱相撲」をしてほしい、など。

今回の「エルボースマッシュ」は、日本人1人1人に内在する横綱のイメージとはあまりにもかけ離れているから、横綱の品格がない、横綱相撲じゃないとか非難されるのだ。

大相撲ファンのニーズを叶えていない白鵬

ただ勝つことだけを目的とするならば、アマチュアでよく、わざわざ観客に取り組みを見せる必要はない。

しかし大相撲は、会場に観客を入れ、その観客からしっかり木戸銭を取って、「見世物」としての要素も兼ね備えているのだから、ただ勝つことだけを見せていたのでは、観客は魅了されないし、満足もしないし、納得もしない。

ゆえに大相撲力士は、観客や大相撲ファンを魅了・満足・納得させるために、観客や大相撲ファンのニーズに敏感であらねばならないのだ。

そうした観点で捉えると「ただ勝てばいい」の白鵬は、観客や大相撲ファンをないがしろにしてると判断されても仕方がないだろう。

結論としては、ただ勝つだけならば、それはアマチュア選手でもできること、でも横綱ならば、魅了するような勝ち方をしなさいということだ。

いくら何百勝して記録を更新しようが、観客や大相撲ファンのニーズを無視した勝ち方をし続けるならば、白鵬はずっと観客や大相撲ファンの心を十分に掴めぬままだろう。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099