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好きな時にどこからでも受検可能、日本城郭検定オンライン入門級【連載:アキラの着目】

日本には国宝・姫路城をはじめとした優美な城が全国に存在する。

しかし、そうした優美な城は全体の一部にしか過ぎない。

というのも、日本全国には天守のない城のほうが圧倒的に多く、その数は3万~4万ともいわれているからだ。

なので、城というと大抵の人は前述の姫路城のように天守のある城を思い浮かべるが、多くの城は山に土塁や堀、切岸、虎口(こぐち。城の出入口)、馬出(城門防御&出撃口)などが築かれた、天守のない城ばかりなのだ。

天守のない城でも愛好家やマニアがおり、様々な城を巡ってはそれらの知識・情報をインプットし、各自が”自称「城博士」”となってゆくのだ。

”自称「城博士」”は他の城マニアと比較して、どのくらいの位置に自分はいるのか気になるものだ。

それを測ることができる指標にもなり、ステータスにもなるのが日本城郭検定だ。

検定主催者側からすれば、日本の財産である、城の奥深い魅力をより多くの人に知って欲しいという思いで日本城郭検定を行なっている。

その日本城郭検定がなんとWeb上で、それも無料で受けられるという画期的なオンライン入門級が登場した!!

日本城郭検定 オンライン入門級 公式サイトから引用
日本城郭検定 オンライン入門級 公式サイトから引用

好きな時にどこからでも無料で受検できるのは、とてもありがたい。

受検に失敗してもお金がかからないし、クイズ感覚で受検できるから、城マニアでなくともとにかくチャレンジしてみよう!

貴方でも認定証をもらえるかもしれない。

【日本城郭検定 オンライン入門級 詳細】

・出題形式:50問出題(四者択一)
・制限時間:60分
・合格基準:30問以上正解で合格
・受験料:無料
・認定証:合格後すぐにダウンロード可能
・主催:日本城郭協会
・特別協力:株式会社ワン・パブリッシング
・企画・運営:日販セグモ株式会社

■日本城郭検定 オンライン入門級 公式サイト
https://www.kentei-uketsuke.com/shiro/online/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

諏訪原城(続日本100名城・静岡県島田市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀今回ご紹介する「FJ時事新聞おすすめ名城」は、戦国時代屈指の大名だった武田氏による、武田流築城術の粋が注入された名城の諏訪原城だ。

武田勝頼は、遠江(とうとおみ。徳川領)攻略の出城として普請奉行に馬場美濃守信春、普請奉行補佐に武田信豊を命じ、天正元年(1573年)に諏訪原城を築城させたといわれている。

天正3年(1575年)に武田氏と徳川氏の間で激戦が繰り広げられ、同年8月諏訪原城は落城、武田氏の城から徳川氏の城となった。

武田氏の築いた城の多くには丸馬出(まるうまだし)が存在するのだが、この諏訪原城も例に漏れず、丸馬出が散見される。

丸馬出とは、城マニア以外の人には聞き慣れないワードだが、これは何なのかというと…。

その前に、そもそも「馬出」とは何なのかの説明をしなければならない。

「馬出」とは、虎口(こぐち。城の戦闘用出入口のこと)の外側に曲輪(くるわ。「郭」とも書く。城の内外を土塁、石垣、堀等で区画したエリア)を築き、防御力を高めたものをいうのだ。

虎口 「城用語集 馬出」から引用

虎口 「城用語集 馬出」から引用
虎口 「城用語集 馬出」から引用

元々は、何もない虎口だと、味方の作戦ややり口が敵にまる見えで、そのうえ敵がそのまま直進して突破してくるから、「的土」と呼ばれる遮りを虎口の前に築いたのだが、その的土が進化・発展したのが馬出となった。

的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用

的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用
的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用

馬出にも大別して2種類あり、敵に対する面が直線で四角い囲みの馬出を「角馬出」といい、後北条氏の城に多くみられる。

角馬出 「城用語集 馬出」から引用
角馬出 「城用語集 馬出」から引用

もう1つが、敵に対する面が曲線で丸い囲みの馬出を「丸馬出」といい、前述したように武田氏の城に多くみられる。

丸馬出 「城用語集 馬出」から引用
丸馬出 「城用語集 馬出」から引用

直線3辺の角馬出よりも、曲線1辺の丸馬出の方が短距離で造成コストが低く、さらに配置人数を少なくできる、というメリットがある。

ちなみに諏訪原城では、こうした丸馬出を随所に配置し、なおかつ丸馬出の前面に、丸馬出しの曲線に沿った三日月堀を構築し、万全な防御を敷いており、この丸馬出&三日月堀が見られる城は諏訪原城以外では、新府城、田中城、江尻城など数少ない城に限られている。

「新府城 信玄を捜す旅」から引用&流用
「新府城 信玄を捜す旅」から引用&流用
「田中城 古城巡りの記録」から引用&流用
「田中城 古城巡りの記録」から引用&流用

ということで、丸馬出関連の説明は終わりにして、本題に入る。

では諏訪原城を巡ってみよう。

諏訪原城の駐車場に最も近い大手南外堀そばの説明板だ。

諏訪原城の駐車場に最も近い諏訪原城大手南外堀そばの説明板
諏訪原城の駐車場に最も近い諏訪原城大手南外堀そばの説明板

この説明板の隣には、諏訪原城のガイドブックをコピーしたものが置かれており、これを見ながら諏訪原城巡りをすると良いだろう。

2枚目は、その説明板横の大手南外堀で、往時はもっと深かったものと推測される。

諏訪原城大手南外堀
諏訪原城大手南外堀

3枚目は、大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂で、右に少し見える緑の茶畑が当時の大手外馬出だ。

諏訪原城大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂と、右に少し見える茶畑が大手外馬出
諏訪原城大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂と、右に少し見える茶畑が諏訪原城大手外馬出

その大手外馬出にさらに近づき、撮影したのが4枚目の写真で、右側3分の2を占めるエリアがそう。

諏訪原城大手外馬出
諏訪原城大手外馬出

5枚目は、大手曲輪でやはり現在は茶畑と化している。

諏訪原城大手曲輪
諏訪原城大手曲輪

6枚目は大手北外堀で、これまたやはり往時はもっと深かったはずだ。

諏訪原城大手北外堀
諏訪原城大手北外堀

7枚目は外堀で、安易に踏み入れることはできないくらい深く、危険だ。

諏訪原城外堀
諏訪原城外堀

8枚目は、前述した二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀で、「諏訪原城といえばこれ!」というくらいの特徴となっている。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

昨今の城ブームにより、増加した来訪者の安全を確保するために、三日月堀に沿って柵が設置された。

9枚目は、先ほどの二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀に接近し撮影した「柵無しバージョン」の写真。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

10枚目は、西側から撮影した「西側バージョン」の二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀だ。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

この三日月堀に落ちたら間違いなく怪我するし、今の季節はスズメバチや蛇もいるだろうから、くれぐれも”道なき道”を歩かないように。

11枚目は、二の曲輪北馬出(右側)と堀切を撮影した写真で、敵の侵入を阻止するために元々真っ平らの地面を逆三角形状に土を掘り起こした。

諏訪原城二の曲輪北馬出(右側)と堀切
諏訪原城二の曲輪北馬出(右側)と堀切

12枚目は二の曲輪で、中央から左にかけて土塁が望める。

諏訪原城二の曲輪と土塁
諏訪原城二の曲輪と土塁

13枚目は、二の曲輪と本曲輪との間にある内堀。

諏訪原城二の曲輪と本曲輪との間にある内堀
諏訪原城二の曲輪と本曲輪との間にある内堀

やはりこの内堀も逆三角形状に掘り起こされており、人力による土木量がハンパないといった印象だ。

14枚目は、諏訪原城の中心となる本曲輪。

諏訪原城本曲輪
諏訪原城本曲輪

ここまで攻められたら、落城するしかない。

以上、戦国時代の名城・諏訪原城を観てきた。

敵の侵入をいかに阻止し、味方の攻撃を効果的に行なうかについて極められた城であることがおわかりになったと思う。

当然ながら、現在のようなブルドーザーやショベルカーなどの土木重機がない時代に造られた城で、すべて人力。

地元の農民などが駆り出され、これだけの土塁や堀を築いた凄さや過酷さが想像できよう。

開放的な諏訪原城のロケーションは、城に詳しくない人でも、ピクニック気分で巡ることができるので、ぜひ訪城することをおすすめする。

【諏訪原城(国史跡・続日本100名城)詳細情報】

・所在地:静岡県島田市菊川174
・電話番号:TEL0547-36-7967 FAX0547-37-2500(島田市役所 島田市教育委員会文化課 文化財係)
・入場料:無し
・駐車場:あり(無料)
・アクセス:JR東海道本線金谷駅下車 徒歩約30分、金谷駅より菊川神谷城線バス乗車、「諏訪原城バス停」下車。
      クルマ 金谷駅から3.7km(8分) 東名相良牧之原IC(約20分)、国道1号線バイパス大代IC(約15分)

■諏訪原城 島田市観光協会
http://shimada-ta.jp/tourist/tourist_detail.php?id=140

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099