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明智光秀人気がここにも!光秀バームクーヘン【連載:アキラの着目】

これまでにも幾度かニッポンニュースで記事にしてきたが、今年のNHK大河ドラマ『麒麟が来る』は戦国武将・明智光秀を主人公に。

従来の明智光秀像は、「裏切り者」、「反逆者」のイメージばかりだったが、大河ドラマに抜擢されたことで、明智光秀人気に火が着き始めた。

かつては明智光秀にちなんだグッズなど見当たらなかったし、あったとしても「なぜ明智光秀グッズを買ったんだよ?」と周囲の人間に執拗に詰められるのがオチだった。

しかし、今は売る方も買う方も堂々と明智光秀グッズに手を出せる時代なのだ。

こんな時代だからこそ世に出てきたのが「光秀バームクーヘン」。

中身は何の変哲もないバウムクーヘンだが、明智光秀甲冑をあしらったパッケージだから、「光秀バームクーヘン」なのだ。

高貴な色である紫色でまとめ、明智家家紋の桔梗をデザインしたパッケージならば、明智光秀ファンでなくとも、触手が伸びそうだ。
光秀バームクーヘン 【公式】明智光秀ゆかりの地 恵那市HPから引用

光秀バームクーヘン  【公式】明智光秀ゆかりの地 恵那市HPから引用
光秀バームクーヘン
【公式】明智光秀ゆかりの地 恵那市HPから引用

【光秀バームクーヘン 詳細】

・販売価格:1,250円
・販売場所:大正村浪漫亭

■光秀バームクーヘン | 【公式】明智光秀ゆかりの地 恵那市
https://akechi-mitsuhide.jp/souvenirs/souvenirs-2210/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

『戦国パーティ 第二部隊 弓騎馬兵(KidsBlock)』が100均セリアで販売中【連載:アキラの着目】

誰もが幼少期に憧れたオモチャの1つがレゴだ。

舶来製のブロックで、当時「河田のダイヤブロック」しか知らなかったガキ達にとっては、「なんだ、この薄いクールなブロックは!」と思ったものだ。

あれからウン十年。

ブロックを100円ショップ(100均)のセリアで買えてしまう時代がくるとは。

それも、弓騎馬兵を組み立てることができるのだから、驚くしかない。



ナッ子 Twitter @FmI2JzpeiLLKzbBから引用

足軽鉄砲や足軽槍も別に販売されており、組み立てて並べると、戦国時代の陣そのものを再現できてしまう。

ただ、1つ気にかかることが。

おそらく弓騎馬兵や足軽鉄砲、足軽槍欲しさに100均に行くガキがいるとは思えないことだ。

これらを欲しがって実際に買ってしまうのは、戦国マニアであり、フィギュア・マニアの成人だろう。

あまりにもシリーズがピンポイントでマニアックだからだ。

「第二部隊」でこれなのだから、今後「第三部隊」は、どういったマニア心を突いてくるのか見ものだ。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

耳に装着すれば、歴史マニアが寄って来る!? 家紋ワイヤレスイヤホン【連載:アキラの着目】

現在は戦国時代や戦国武将が人気の「戦国ブーム」。

これまでにもFJ時事新聞ニッポンニュースではこの戦国ブームに肖ったグッズも幾度か取り上げてきた。

今回は、家紋ワイヤレスイヤホンだ。

家紋ワイヤレスイヤホン (真田家[六連銭・六文銭]バージョン)小川新聞店HPから引用
家紋ワイヤレスイヤホン
(真田家[六連銭・六文銭]バージョン)小川新聞店HPから引用

ブルートゥースで接続し、ボタンを押せば「電話に出る/切る/拒否する」の操作ができ、内蔵マイクによりハンズフリー電話としても使用可能だ。

選べる戦国武将の家紋は、なんと83種類!

家紋ワイヤレスイヤホンに入れられる家紋 全83種 小川新聞店HPから引用
家紋ワイヤレスイヤホンに入れられる家紋 全83種
小川新聞店HPから引用

「本体カラー」と「家紋」を選び、自分だけのオリジナル・家紋ワイヤレスイヤホンにカスタマイズできる。

この家紋ワイヤレスイヤホンを耳に装着すれば、歴史マニアが寄って来ること間違いなし!?

家紋ワイヤレスイヤホン 小川新聞店HPから引用
家紋ワイヤレスイヤホン
小川新聞店HPから引用

【家紋ワイヤレスイヤホン 詳細】

●付属品
・充電用ケーブル(マイクロUSB⇔USB)
・説明書(日本語、英語、中国語)
・イヤーピース:L、M、S(イヤホンにはLが装着された状態)

●仕様
・周波数:2.40GHz~2.48GHz
・出力:?4 dBm、class2
・Bluetooth有効範囲:10M
・感度:84dBm / 0.1%BER
・周波数帯域:20 Hz~20 KHz
・S / N率:70 dB
・歪み:0.10%
・ドライバ口径:φ40mm
・Bluetoothプロファイル:A2DP 1.2、AVRCP 1.0、HSP、HSF 1.5
・電圧:3.7VDC(内蔵400MAH充電式バッテリー)
・通話時間:8~9時間
・待機時間:250時間
・充電時間:2~2.5時間
・電流量:40mA

■家紋ワイヤレスイヤホン | 家紋カスタマイズグッズ | 小川新聞店
http://www.ogawashinbunten.com/shopdetail/000000000135/ct18/page1/order/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

関ヶ原合戦出陣の戦国武将が家紋で登場、瀬戸焼タンブラー【連載:アキラの着目】

戦国時代マニアにはたまらない、戦国武将の家紋が入ったタンブラーが登場!

瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦 【公式】真・戦国丸 Twitterから引用
瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦
【公式】真・戦国丸 Twitterから引用

黒い瀬戸焼のタンブラーに入っている金色の家紋が見事に映え、カッコイイことありゃしない。

それも、一戦国武将だけではなく、複数の戦国武将の家紋が入っているから、「魚」編の漢字ばかりがデザインされた寿司屋の湯呑ではないが、「この家紋は何という戦国武将の家紋かわかる?」なんてクイズを出し合うことも可能だ。

シックなデザインで男女兼用にもなるし、贈答品としても最適だ。
瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦 真・戦国丸 鐘の丸売店公式on-lineから引用瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦 真・戦国丸 鐘の丸売店公式on-lineから引用瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦 真・戦国丸 鐘の丸売店公式on-lineから引用

瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦 真・戦国丸 鐘の丸売店公式on-lineから引用
瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦
真・戦国丸 鐘の丸売店公式on-lineから引用

この「瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦」は見た目だけでなく、実用的にも優れており、電子レンジでの使用もOKだ。

「瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦」で晩酌すれば、誰でも戦国武将気取りで堂々とした面構えになるとかならないとか。

はたしてそれが本当のことなのか確かめたい人は、実際に「瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦」を購入して、晩酌するしかない!

【瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦 詳細】

・サイズ:直径78×110mm
・素材:陶器(瀬戸物)
・カラー:ブラック系、黒

■真・戦国丸 | 彦根市の戦国グッズのお土産のお店
http://www.sengoku-3nyan.com/

■瀬戸焼タンブラー 関ヶ原合戦 – 真・戦国丸 鐘の丸売店公式on-line
https://sengoku3nyan.shop-pro.jp/?pid=146939736

■【公式】真・戦国丸 Twitter @shin1059_3nyan
https://twitter.com/shin1059_3nyan

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

畝状竪堀群が際立つ戦国期の山城・南山城、最後の現地説明会に城好き300人殺到!【連載:アキラの着目】

南山城跡 畝状竪堀群岡山県古代吉備文化財センターが調査している戦国期の山城・南山城跡(倉敷市真備町・船穂町)の現地説明会(最終日)が昨日8日に行われた。

受付の際に配布された南山城跡 現地説明会資料
受付の際に配布された南山城跡 現地説明会資料

当初、午前・午後の両部ともそれぞれ60名の参加定員だったが、最後に南山城を脳裏に焼き付けておきたいという城マニアの申込みが岡山県古代吉備文化財センターに殺到、急遽、300人にまで参加者を増やしたのだ。

南山城主郭での岡山県古代吉備文化財センターの方による説明
南山城主郭での岡山県古代吉備文化財センターの方による説明

なぜここまで城好きが南山城に殺到したのかというと、平成30年7月の西日本豪雨で決壊した小田川の付け替えによる治水工事に伴い、南山城跡は令和元年10月末の調査終了後に山ごと姿を消す運命にあるからだ。

南山城 腰郭
南山城 腰郭

それに、全面発掘によって明らかになった、敵の侵入を防ぐ多彩な防御施設群、とりわけ畝状竪堀群の際立っている点が、城好きのハートをしっかり鷲掴みにしたともいえる。

城のことに詳しくない人向けに説明すると、畝状竪堀群とは約50メートルに渡り、畝のように波を打っているかのごとく並ぶ複数の竪堀のことをいう。

二郭から見下ろした畝状竪堀群
二郭から見下ろした畝状竪堀群
南山城跡 畝状竪堀群
南山城跡 畝状竪堀群

南山城の北側は小田川、東側は急峻な地形で、防御力は万全だが、それらに比べ西側と南側は比較的なだらかな斜面であったり、近辺に切通道があることから、防御に難がある。

そこで、南側に畝状竪堀群を配し、敵の横移動に制限をつけるようにしたのだ。

横移動が困難ならば縦移動しかないから、竪堀をまっすぐ敵が登ってくるのは極々自然の成り行き。

その際、堀底を登るのか、それとも堀底でなく塁上を登るのかは防御をする側にとっては大きな問題ではない。

どちらであろうが、的を絞りやすく、敵の先頭から順番に殲滅させるのみだ。

平成31年1月25日(金)・26日(土)南山城跡 現地説明会で岡山県古代吉備文化財センターから配布された資料から引用
平成31年1月25日(金)・26日(土)南山城跡 現地説明会で岡山県古代吉備文化財センターから配布された資料から引用

決して南山城は大きくなく、むしろコンパクトな縄張りにもかかわらず、このような手の込んだ防御網が張り巡らされているから、消滅するのは非常に残念としかいいようがない。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

諏訪原城(続日本100名城・静岡県島田市)~FJ時事新聞おすすめ名城~【連載:アキラの着目】

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀今回ご紹介する「FJ時事新聞おすすめ名城」は、戦国時代屈指の大名だった武田氏による、武田流築城術の粋が注入された名城の諏訪原城だ。

武田勝頼は、遠江(とうとおみ。徳川領)攻略の出城として普請奉行に馬場美濃守信春、普請奉行補佐に武田信豊を命じ、天正元年(1573年)に諏訪原城を築城させたといわれている。

天正3年(1575年)に武田氏と徳川氏の間で激戦が繰り広げられ、同年8月諏訪原城は落城、武田氏の城から徳川氏の城となった。

武田氏の築いた城の多くには丸馬出(まるうまだし)が存在するのだが、この諏訪原城も例に漏れず、丸馬出が散見される。

丸馬出とは、城マニア以外の人には聞き慣れないワードだが、これは何なのかというと…。

その前に、そもそも「馬出」とは何なのかの説明をしなければならない。

「馬出」とは、虎口(こぐち。城の戦闘用出入口のこと)の外側に曲輪(くるわ。「郭」とも書く。城の内外を土塁、石垣、堀等で区画したエリア)を築き、防御力を高めたものをいうのだ。

虎口 「城用語集 馬出」から引用

虎口 「城用語集 馬出」から引用
虎口 「城用語集 馬出」から引用

元々は、何もない虎口だと、味方の作戦ややり口が敵にまる見えで、そのうえ敵がそのまま直進して突破してくるから、「的土」と呼ばれる遮りを虎口の前に築いたのだが、その的土が進化・発展したのが馬出となった。

的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用

的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用
的土を設置した虎口 「城用語集 馬出」から引用

馬出にも大別して2種類あり、敵に対する面が直線で四角い囲みの馬出を「角馬出」といい、後北条氏の城に多くみられる。

角馬出 「城用語集 馬出」から引用
角馬出 「城用語集 馬出」から引用

もう1つが、敵に対する面が曲線で丸い囲みの馬出を「丸馬出」といい、前述したように武田氏の城に多くみられる。

丸馬出 「城用語集 馬出」から引用
丸馬出 「城用語集 馬出」から引用

直線3辺の角馬出よりも、曲線1辺の丸馬出の方が短距離で造成コストが低く、さらに配置人数を少なくできる、というメリットがある。

ちなみに諏訪原城では、こうした丸馬出を随所に配置し、なおかつ丸馬出の前面に、丸馬出しの曲線に沿った三日月堀を構築し、万全な防御を敷いており、この丸馬出&三日月堀が見られる城は諏訪原城以外では、新府城、田中城、江尻城など数少ない城に限られている。

「新府城 信玄を捜す旅」から引用&流用
「新府城 信玄を捜す旅」から引用&流用
「田中城 古城巡りの記録」から引用&流用
「田中城 古城巡りの記録」から引用&流用

ということで、丸馬出関連の説明は終わりにして、本題に入る。

では諏訪原城を巡ってみよう。

諏訪原城の駐車場に最も近い大手南外堀そばの説明板だ。

諏訪原城の駐車場に最も近い諏訪原城大手南外堀そばの説明板
諏訪原城の駐車場に最も近い諏訪原城大手南外堀そばの説明板

この説明板の隣には、諏訪原城のガイドブックをコピーしたものが置かれており、これを見ながら諏訪原城巡りをすると良いだろう。

2枚目は、その説明板横の大手南外堀で、往時はもっと深かったものと推測される。

諏訪原城大手南外堀
諏訪原城大手南外堀

3枚目は、大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂で、右に少し見える緑の茶畑が当時の大手外馬出だ。

諏訪原城大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂と、右に少し見える茶畑が大手外馬出
諏訪原城大手南外堀の西南西に位置する旧東海道・菊川坂と、右に少し見える茶畑が諏訪原城大手外馬出

その大手外馬出にさらに近づき、撮影したのが4枚目の写真で、右側3分の2を占めるエリアがそう。

諏訪原城大手外馬出
諏訪原城大手外馬出

5枚目は、大手曲輪でやはり現在は茶畑と化している。

諏訪原城大手曲輪
諏訪原城大手曲輪

6枚目は大手北外堀で、これまたやはり往時はもっと深かったはずだ。

諏訪原城大手北外堀
諏訪原城大手北外堀

7枚目は外堀で、安易に踏み入れることはできないくらい深く、危険だ。

諏訪原城外堀
諏訪原城外堀

8枚目は、前述した二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀で、「諏訪原城といえばこれ!」というくらいの特徴となっている。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

昨今の城ブームにより、増加した来訪者の安全を確保するために、三日月堀に沿って柵が設置された。

9枚目は、先ほどの二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀に接近し撮影した「柵無しバージョン」の写真。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

10枚目は、西側から撮影した「西側バージョン」の二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀だ。

諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀
諏訪原城二の曲輪中馬出(丸馬出)と三日月堀

この三日月堀に落ちたら間違いなく怪我するし、今の季節はスズメバチや蛇もいるだろうから、くれぐれも”道なき道”を歩かないように。

11枚目は、二の曲輪北馬出(右側)と堀切を撮影した写真で、敵の侵入を阻止するために元々真っ平らの地面を逆三角形状に土を掘り起こした。

諏訪原城二の曲輪北馬出(右側)と堀切
諏訪原城二の曲輪北馬出(右側)と堀切

12枚目は二の曲輪で、中央から左にかけて土塁が望める。

諏訪原城二の曲輪と土塁
諏訪原城二の曲輪と土塁

13枚目は、二の曲輪と本曲輪との間にある内堀。

諏訪原城二の曲輪と本曲輪との間にある内堀
諏訪原城二の曲輪と本曲輪との間にある内堀

やはりこの内堀も逆三角形状に掘り起こされており、人力による土木量がハンパないといった印象だ。

14枚目は、諏訪原城の中心となる本曲輪。

諏訪原城本曲輪
諏訪原城本曲輪

ここまで攻められたら、落城するしかない。

以上、戦国時代の名城・諏訪原城を観てきた。

敵の侵入をいかに阻止し、味方の攻撃を効果的に行なうかについて極められた城であることがおわかりになったと思う。

当然ながら、現在のようなブルドーザーやショベルカーなどの土木重機がない時代に造られた城で、すべて人力。

地元の農民などが駆り出され、これだけの土塁や堀を築いた凄さや過酷さが想像できよう。

開放的な諏訪原城のロケーションは、城に詳しくない人でも、ピクニック気分で巡ることができるので、ぜひ訪城することをおすすめする。

【諏訪原城(国史跡・続日本100名城)詳細情報】

・所在地:静岡県島田市菊川174
・電話番号:TEL0547-36-7967 FAX0547-37-2500(島田市役所 島田市教育委員会文化課 文化財係)
・入場料:無し
・駐車場:あり(無料)
・アクセス:JR東海道本線金谷駅下車 徒歩約30分、金谷駅より菊川神谷城線バス乗車、「諏訪原城バス停」下車。
      クルマ 金谷駅から3.7km(8分) 東名相良牧之原IC(約20分)、国道1号線バイパス大代IC(約15分)

■諏訪原城 島田市観光協会
http://shimada-ta.jp/tourist/tourist_detail.php?id=140

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

模擬武器(刀、槍、短刀)使用、当て身、組討ちあり!「ガチ甲冑合戦」【連載:アキラの着目】

まだ1ヵ月以上先の話だが、2018年5月19日(土)~20日(日)、清州城にて「ガチ甲冑合戦 桶狭間の戦い」が開催される。

戦国時代の切れ者である織田信長が考案したといわれる超長槍(約6m)を平成30年の現代に再現し、迫力ある槍の集団戦を実践するという。

日本甲冑合戦之会 Armored Samurai Battle Association 公式HPより引用
日本甲冑合戦之会 Armored Samurai Battle Association 公式HPより引用

もちろん槍といっても本物の槍ではなく、模擬武器であるのだが、戦い自体は”ガチ”なので、織田軍、今川軍どちらに軍配が上がるかは戦いが終わってみるまでわからない。

史実通りに織田軍の圧勝なのか、それとも今川軍の勝利なのか、ハラハラ・ドキドキの展開になることは必至だ。

日本甲冑合戦之会 Armored Samurai Battle Association 公式HPより引用
日本甲冑合戦之会 Armored Samurai Battle Association 公式HPより引用

この「ガチ甲冑合戦」は、参戦することもできる(18歳以上の男女)。

甲冑の貸出し及び参加は無料で、わざわざこの「ガチ甲冑合戦」に参戦するために、はるばる外国からやって来る物好きな外国人サムライもいるのだそうで、今年は、海外の武道団体も来日・参戦の予定なのだとか。

日本甲冑合戦之会 Armored Samurai Battle Association 公式HPより引用
日本甲冑合戦之会 Armored Samurai Battle Association 公式HPより引用

「ガチ甲冑合戦」参加者・観戦者には”恩賞”として、以下のものが与えられる。

●壱:勝利軍の将兵全員→寛永通宝(本物の江戸時代の銭)
●弐:観戦者→合戦前に織田軍より寛永通宝(本物の江戸時代の銭)の「銭振る舞い」
※銭振る舞い:東海地方での古くからの慣習「菓子播き」になぞらえ、本物の江戸時代の古銭を観戦者の皆に振る舞う。

この魅力的なイベントの主催は、国際武術文化連盟と日本甲冑合戦之会(通称:「ガチ甲冑合戦」)で、後援は、愛知県、清須市、一般社団法人全日本イベント連盟だ。

これまでの「ガチ甲冑合戦」は、国内外のメディアに取り上げられ、中でもNHKワールドテレビを通じて放映されたのは海外150ヵ国にも上るというから、意外と認知度が高い「サムライ・イベント」のようだ。

気になる人はぜひ参加、あるいは観戦されたし!

■「ガチ甲冑合戦 清州城 桶狭間の戦い 国際ガチ甲冑合戦フェス リアル戦国を体感!!」
https://ws.formzu.net/fgen/S64997423/

■日本甲冑合戦之会 Armored Samurai Battle Association 公式HP
http://armoredsamuraibattle.web.fc2.com/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

今日9月23日は「手取川の戦い」があった日【連載:アキラの着目】

今から440年前の戦国時代における今日は「手取川の戦い」があった。

「手取川の戦い」とは、戦名人といわれた上杉謙信が、現在の石川県手取川にて柴田勝家らの織田信長方に圧勝した戦いで、情報を制した者が勝利を得るという教訓がピッタリ当てはまるような戦いでもあった。

織田勢力下の七尾城に援軍としてやって来た織田信長の重臣・柴田勝家だが、すでにこの時には七尾城の織田側武将が一掃され、上杉方になっているとはつゆ知らず、七尾城近くの手取川を越えてしまう。

後ろに手取川があり、たやすく戻れない不利な状況の柴田勝家・織田軍を、ここぞとばかりに奇襲した上杉軍が圧勝するのは当然の成り行きであった。

手取川の戦い 上杉謙信VS柴田勝家・織田軍

戦国時代においては、常に近隣大名の動向に目を向け、いち早く最新情報を入手した大名が機先を制して、他を圧倒するのは言うまでもない。

もちろん織田信長も情報の重要さには気づいており、ライバル大名の情報収集には努めていたのだが、この「手取川の戦い」においてはアップデートされた情報を掴みきれなかった。

反対に、七尾城はまだ織田勢力下であるかのような情報統制を上手く敷き、インフォメーション・コントロールをした上杉謙信の方に軍配が上がった。

現代でも情報は重要なファクターであり、情報なくして次の一歩は踏み出せない。

「手取川の戦い」があった今日という日は、そんな情報の重要性やありがたさをあらためて知る、良い機会なのかもしれない。

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責任編集:拡輪 明-HS099