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岡崎名物「カクキュウ八丁味噌」がかかった味噌アイスクリーム【連載:アキラの着目】

五万石の城下町・岡崎(愛知県岡崎市)が誇る味噌の代表「カクキュウ八丁味噌」がかかった味噌アイスクリーム 有限会社ぷらんぼん公式サイトから引用五万石の城下町・岡崎(愛知県岡崎市)が誇る味噌の代表「カクキュウ八丁味噌」を、味噌ベースのアイスクリームに合わせ、「味噌 + 味噌」というコクのあるアイスクリームに仕上げた味噌アイスクリーム。

五万石の城下町・岡崎(愛知県岡崎市)が誇る味噌の代表「カクキュウ八丁味噌」 有限会社ぷらんぼん公式サイトから引用
五万石の城下町・岡崎(愛知県岡崎市)が誇る味噌の代表「カクキュウ八丁味噌」
有限会社ぷらんぼん公式サイトから引用

表面に渦巻状にかかった八丁味噌と、味噌ベースのアイスクリームが絶妙にマッチ。

塩味と甘さを同時に堪能できる、クセになる味わいだ。

五万石の城下町・岡崎(愛知県岡崎市)が誇る味噌の代表「カクキュウ八丁味噌」がかかった味噌アイスクリーム 有限会社ぷらんぼん公式サイトから引用
五万石の城下町・岡崎(愛知県岡崎市)が誇る味噌の代表「カクキュウ八丁味噌」がかかった味噌アイスクリーム
有限会社ぷらんぼん公式サイトから引用

【味噌アイスクリーム】

・種類別:アイスクリーム
・内容量:80ml
・原材料:牛乳、クリーム、砂糖、脱脂粉乳、水あめ、八丁味噌、卵黄、乳化剤、安定剤(増粘多糖類)
     ※原材料の一部に大豆含む

■味噌アイスクリーム
https://www.pleinbon.com/SHOP/ICE007.html

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

切込み接ぎか打込み接ぎ?石垣の焼印付き「お城せんべい」(岐阜県恵那市)【連載:アキラの着目】

今回のFJ NEWS・ニッポンニュースで取り上げるのは、城下町のお土産屋で売られている「お城せんべい」だ。

どこの城下町なのかというと、岐阜県恵那市にある岩村城だ。

まずは、その岩村城の簡単な説明から。

日本で一番標高のある(海抜717m)城として有名な岩村城。

日本三大山城(岩村城の他に奈良県大和高取城584m、岡山県備中松山城430m)にも選ばれている、天然の峻険な地形を利用した要害堅固な山城だ。

現在は石垣しか現存していないのだが、この石垣も見どころ満載なのだ。

なぜならば、中世後期の野面積み、戦国期以後の切込み接ぎ(きりこみはぎ)、江戸期以後の打込み接ぎ(うちこみはぎ)の、計3種類の石垣を見ることができるからだ。

【参考】

野面積み 攻城団ブログから引用
野面積み
攻城団ブログから引用
切込み接ぎ(きりこみはぎ) 攻城団ブログから引用
切込み接ぎ(きりこみはぎ)
攻城団ブログから引用
打ち込み接ぎ(うちこみはぎ) 攻城団ブログから引用
打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)
攻城団ブログから引用

ということで、とりあえず岩村城の説明はここまでで、いつできたのか、何というお殿様がいたのか、等々をもっと詳しく知りたい人は本を読むなり、インターネットで調べるなりしよう。

で、岩村城下町で売られている「お城せんべい」に話を戻すと、このせんべいの表面には岩村城の石垣をイメージした焼印が付けられている。

岩村城下町で売られている「お城せんべい」 chiex cafeから引用
岩村城下町で売られている「お城せんべい」
chiex cafeから引用

前述した3種類の石垣のうち、どの石垣なのかというと、石垣の焼印を見る限り、切込み接ぎか打込み接ぎかと思われる。

やはり世間の城についてのイメージは、「天守閣」(本来の呼び名:天守)があり、隙間なく積まれた石垣、すなわち切込み接ぎか打込み接ぎの石垣があるのが城なので、不特定多数が購入する土産物(この場合はせんべいだが)には、その世間のイメージに沿った切込み接ぎか打込み接ぎの焼印を付けたのかもしれない。

ちなみに、この「お城せんべい」を販売しているのは岩村城下町にある大黒屋という店。

岩村城周辺は前述したように高所なので、店は一軒もなく、土産は城下町で購入するように。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

全国で2つだけの現存本丸御殿のうちの1つがある川越城(埼玉県川越市)【連載:アキラの着目】

川越城本丸御殿今回のFJ時事新聞ニッポンニュースは、”小江戸”川越にある川越城を取り上げる。

別名、初雁城とも霧隠城ともいわれる川越城は、長禄元年(1457)、扇谷上杉持朝(おうぎがやつ うえすぎ もちとも)の命を受けた家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子が築城した(築城当時は川越城ではなく河越城)。

天文6年(1537)に北条氏綱が河越城を奪取し、河越城は以降、後北条氏の武蔵国支配の拠点となった。

しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐で河越城が落城、豊臣秀吉の命により徳川家康が関東に封ぜられたのに伴い、徳川氏譜代筆頭の酒井重忠が1万石で川越城主となった。

以後、川越城主は、酒井家→酒井家→堀田家→大河内松平家→柳沢家→秋元家→越前松平家→松井松平家と推移する。

弘化3年(1846)に二ノ丸にあった御殿が焼失し、嘉永元年(1848)に越前松平家・松平斉典により本丸御殿が再建され、この本丸御殿が現存しているのだ。

川越城の歴史はこのくらいにして、早速歩いてみよう。

川越城縄張図(アルファベットは写真のアルファベットに対応)
川越城縄張図(アルファベットは写真のアルファベットに対応)

川越は、昨日のニッポンニュースで紹介した通り、蔵通りが観光地として有名だ。

まずはこの蔵通りを散策してから川越城に行くことをおすすめする。

西武新宿線「本川越」駅前から北に伸びる通りをしばらく真っ直ぐ北に歩くと、蔵通りへと変貌する。

左右の漆黒で彩られた蔵の店を眺めながら、さらに歩みを進めると、「札の辻」交差点に達するので、そこを右折しよう。

3分ほど歩けば、かつての川越城追手曲輪の西大手門があった交差点に達する。

A 川越城追手曲輪西大手門跡
A 川越城追手曲輪西大手門跡

目印としては、交差点左側に前述の太田道灌の銅像があるのでわかりやすいかと。

太田道灌銅像
太田道灌銅像

さらに真っ直ぐ進むと、通り右手に現れるのが、川越城中曲輪の中ノ門跡だ。

B 川越城中曲輪の中ノ門跡
B 川越城中曲輪の中ノ門跡

復元された木造門があるので、これもわかりやすいはずだ。

門をくぐると、視界に飛び込んでくるのが中ノ門堀跡だ。

川越城中ノ門堀跡
川越城中ノ門堀跡

かつての川越城は四方を大小の堀で囲まれた堅固な城塞で、中ノ門堀跡はかつての川越城を偲ぶアイテムとしてしっかり遺っているのがありがたい。

中ノ門堀跡を観終えたら、またそのまま直進すると、本丸御殿入口に達するので、そこを右折。

すると、本丸門跡の石碑が現れ、かつては本丸御殿への城門があったことを伝えてくれている。
川越城本丸門跡

C 川越城本丸門跡
C 川越城本丸門跡

ここまで来たら、もう川越城本丸御殿だ。

川越城本丸御殿
川越城本丸御殿

川越城本丸御殿はその名通り天守ではなく本丸御殿、つまり藩主が起居したり、政務を行なったりする建物なので、戦闘目的の建物ではないのであしからず。

ちなみに全国に現存する本丸御殿は、この川越城と、もう1つは高知城だけである。

本丸御殿に入ると、日光を上手に取り入れた和室から感じられる温かみや、デザインのような陰影を鑑賞できて面白い。
川越城本丸御殿内川越城本丸御殿中庭

家老詰所だった和室は、当時を再現する人形が配置され、イメージしやすい。

川越城本丸御殿家老詰所
川越城本丸御殿家老詰所

広間には、日の出と松を描いた杉戸がある。
川越城本丸御殿 広間

川越城本丸御殿 広間の杉戸
川越城本丸御殿 広間の杉戸

この広間にはこれ以外にもまだ見どころがある。

それは天井だ。

天井を見上げると、バレーボールの跡がクッキリと付いているのだ。

川越城本丸御殿 広間 バレーボールの跡が付いた天井
川越城本丸御殿 広間 バレーボールの跡が付いた天井

というのも、戦後この広間が小学校の体育館として使用されたことがあり、その時に生徒がボールを天井にぶつけたことで付いた跡なのだとか。

以上、川越城本丸御殿を中心に駆け足で見てきたがいかがだっただろうか。

川越城は日本100名城にも選出されており、蔵通りの街並みと併せて観光することを提唱したい。

■川越城本丸御殿
http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/hommaru/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

”小江戸”川越でプチ・タイムスリップ(埼玉県川越市)【連載:アキラの着目】

今回取り上げるのは、”小江戸”と呼ばれる川越だ。

埼玉県南西部に位置し、人口約35万人の川越市の中心となる街・川越は、江戸時代には親藩・譜代である川越藩・川越城の城下町として栄えた。

現在、その川越城は、日本全国で2つしか現存していない本丸御殿のうちの1つを有する城として名を馳せているものの、大部分の曲輪や土塁、堀は残っておらず、中ノ門跡の堀など、一部しか残っていない。

しかし、川越は戦災や震災を免れたため、歴史的な街並が残っており、とりわけ蔵通りと呼ばれるメインストリートは、明治時代以前における日本の街の原風景そのままで、プチ・タイムスリップしたかのような気分になれる。

こうしたプチ・タイムスリップを味わうべく、内外から川越を訪れる観光客が絶えないのだ。

前回同様、動画を撮影したので、この動画を観て、”小江戸”川越でのプチ・タイムスリップを疑似体験してみよう。

動画の最後に映っているのは、時の鐘だ。
”小江戸”川越の蔵通り

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099