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ここは一体東京のどこ?~Part16~【連載:アキラの着目】

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第16弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。

A1.赤坂見附

赤坂見附

正解は赤坂見附。

元の絵は、二代歌川広重「名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい」(安政6年[1859]4月)だ。

この絵が描かれた場所は、内堀通りから赤坂見附交差点および赤坂エクセルホテル東急を望んだ方角なのだ。

なので、奥の坂は現在も同じだが、溜池が埋め立てられ、内堀通りとなってしまった。

A2.アメリカ大使館前

アメリカ大使館前

正解はアメリカ大使館前。

溜池を描いた「江戸名所図会」なのだが、現在のような高層ビルがないため、現在でいうところの赤坂日枝神社のある山をそのまま見通せるのだ。

「江戸名所図会」溜池で描かれている、手前に段々のある道は汐見坂で、現在は虎の門病院とホテルオークラの間にある。

江戸庶民の飲料水を確保するための大きな池だった溜池だが、明治時代になってからは徐々に埋め立てられ消滅し、溜池という地名だけが残っている。

A3.原宿代々木公園の道路

原宿代々木公園の道路

正解は原宿代々木公園の道路。

かつては休祝日ともなれば、原宿代々木公園の道路は歩行者天国(通称:ホコ天)となっていた。

パステルカラーの独特な衣装を身に纏い、ディスコサウンド(ジンギスカン等)にのってダンスを踊る「竹の子族」や、ツイストを踊るツッパリ(≒ヤンキー)、等々、大勢の若者達が毎週集結していた。

しかし、1996年~1997年にかけての代々木公園前歩行者天国の試験廃止および1998年8月31日の歩行者天国完全廃止によって原宿代々木公園の道路での大勢の若者達の姿を二度と観ることができなくなってしまった。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

赤坂見附の今昔

赤坂見附の今昔

アメリカ大使館前の今昔

アメリカ大使館前の今昔

原宿代々木公園の道路の今昔

原宿代々木公園の道路の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

渋谷に練兵場?監獄?農場?【連載:アキラの着目】

日本で新宿に次ぎ2番目の鉄道乗降客数を誇る若者の街・渋谷。

特に若い女の子から絶大な支持を得ており、お隣の原宿と並び、女性のファッションや流行で常に先頭を行く街だ。

そんな渋谷だが、年配の方々曰く「5、60年くらい昔は、渋谷はオヤジの街で、今のような若い女の子の街になるとは想像つかなかったよ」とのことだ。

では昔の渋谷はどのような街だったのか、1896-1909年の渋谷周辺図を見てみた。

すると昔の渋谷には意外な発見が!

渋谷周辺地図 - 1896-1909年
渋谷周辺地図 - 1896-1909年

現在の渋谷周辺地図
現在の渋谷周辺地図

なんと現在、渋谷区役所のある場所には「衛戌監獄」(えいじゅかんごく)と右始まりの文字が、さらにNHK放送センターや代々木公園のある場所には「代々木練兵場」の文字が書かれてあるではないか。

どちらも軍関連施設であり、現在の若い女の子がキャーキャー言ってるような渋谷の雰囲気とは完全に真逆だ。

むしろキャーキャー言ってはいけない街だったかのように推測できるかと。

また、この「衛戌監獄」のすぐそばに明治時代の作家・国木田独歩が居を構えていたとのことで、友人の作家・田山花袋が国木田独歩宅を訪ねた際、周辺の小川には水車が回り、乳牛を搾って製品にしていた牛乳屋があったとのことだ。

昔の地図をさらに見続けてゆくと、現在東急百貨店本店・Bunkamuraがある場所の裏手は「鍋島農場」になっており、畑だったことも判明。

大都会・繁華街の渋谷とはイメージを異にする長閑な風景が広がっていたことが想像できよう。

昔の地図を眺めることで、実際は見たことがないけれども、かつての風景がイメージとして膨らみ、思いを馳せることができるのも、地図の良さだ。

ただ単純に道や場所を提示するだけが、地図の役割ではないのだ。

暇な時に昔の地図を眺めてみよう。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099