今回FJ時事新聞が自信を持っておすすめする名城は「現存12天守」(※)の1つに数えられている伊予松山城だ。
松山城といっても通じるのだが、備中松山城や武蔵松山城と混同しないために、伊予松山城ともいわれており、金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)の別名もある。
日本三大平山城にも数えられ、国指定史跡にもなっている伊予松山城は、関ヶ原の戦いで功績のあった加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城し、その後、蒲生氏~松平氏へと受け継がれた。
あまり専門的なことを並べても、「ああ、そう」で受け流されてしまうだろうから、とにかく写真を載せよう。
まずは伊予松山城の案内図(≒縄張図)。
筆者は搦手口山道終点付近(写真の「現在地」)の駐車場にレンタカーを駐め、伊予松山城三之丸(堀之内)の松山市民会館方面から入城。
筆者の場合、城巡りの際に決めている自分なりのルールがあって、大手側(正面玄関)から入城し、搦手(退却口・出口・裏口)から退城するようにしている。
その方が、城に攻め込む感覚や、城から退く感覚を味わえるような気がするし、反対廻りでなく正式な廻りだと思うので、このルールを実践している。
この枡形状の石垣は槻門跡。
勢いよく攻め手が飛び込んできても、この枡形で方向転換を余儀なくされ、勢いが弱まる。
大手門跡前の石垣だ。
写真左手にいるのは中国からの観光客の男性で、この人と伊予松山城の石垣を見比べることで、建設重機のなかった時代でこれだけのものを築けた凄さがあらためて実感できるかと。
大手門跡を過ぎると、視界が開け、松山市街を眼下におさめることができる。
戸無門も撮影スポットで有名。
誰でも簡単にパースペクティブな写真が撮れる。
下の写真の門は筒井門で、木目の暖色系色と、石垣のグレーが見事な調和を保ち、戦闘施設なのに柔和な感覚にさせてくれる。
そしてついに本丸に突入!
伊予松山城の天守だ。
伊予松山城の天守は分類上「連立式天守」と呼ばれる構造で、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓(廊下)で連結している。
あいにく筆者が訪れた時は年末に近かったこともあり、大掃除のため天守へ登城できなかった。
↓の写真は伊予松山城天守を真反対から撮影したもの。
打込み接ぎ(うちこみはぎ)と呼ばれる石垣の積み方がなされており、石垣の端の稜線がきれいな湾曲を形作っている。
本丸から搦手方面に向かうと、乾一ノ門跡に達する。
乾一ノ門跡を潜り抜けると、見事に横一列に連なる乾門東続櫓の石垣を目にすることができる。
最後に乾櫓を見届ける。
この後は搦手口の山道となる。
以上初心者でもわかりやすい写真を選んで紹介したが、もっと細かく観てみたい人は、伊予松山城に登城することをおすすめする。
■伊予松山城
http://www.matsuyamajo.jp/
■松山市ホームページ 松山城
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/kankomeisho/matsuyamajo/
※現存12天守:江戸時代以前に建造された天守を持つ城が12城現存しており、それら12城を総称し「現存12天守」という。