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4月29日は「前田日明 VS アンドレ」セメント試合があった日【連載:アキラの着目】

今日4月29日はプロレスファン、総合格闘技ファンにとって忘れられない日だ。

というのも1986年4月29日は三重県津市体育館にて格闘王・前田日明と大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントのセメント試合があった日なのだ。
前田日明 VS アンドレ・ザ・ジャイアント セメント試合

“セメント”とは、昨今一般人でもやたら遣うようになった「ガチンコ」や「ガチ」と同義語だ。

でも「前田日明 VS アンドレ」セメント試合は、ガチンコなのかといったら、それは断じて違うと思う。

やはりこのプロレスの範疇を逸脱した、極めて奇形でいびつな「前田日明 VS アンドレ」セメント試合は、「ガチンコ」や「ガチ」ではなく、”セメント”でしか表現できない試合なのだ。

なぜならば、単なる実力測定やどちらが強いか弱いかを決めるのではなく、相手を壊す・潰すという要素が多分に含まれた試合だったからだ。

突如、何のサイドストーリーや脈絡もなく組まれた「前田日明 VS アンドレ」。

終始不穏な空気が流れていたが、試合開始早々から”セメントモード”で前田は戦っていたわけではなかった。

前田は努めて最初のうちは”プロレス”をしていたのだ。

そんなわけで”プロレスモード”で前田はアンドレと対戦し、「プロレス用の蹴り」を繰り出してた。

それに対しアンドレは、ロープの反動を使って突進してきた前田に対し、”セメントモード”で容赦なくエルボーを顔面に叩き込む。

またアンドレは、己の全体重(約236kg)を浴びせて、前田をガブり、前田を「コ」の字状の、極めて窮屈な体勢を強いらせる。

その後も全圧力をかけ、前田の背後からフルネルソンで絞り上げる。

並みのレスラーならこの時点で簡単にギブアップするところを、身体が人一倍柔軟な前田は、何とかこれを耐え忍ぶ。

そしてようやくUWFの十八番であるゴッチ流サブミッションで前田は反撃。

腕ひしぎ十字固めやアキレス腱固めは、アンドレがあまりにも規格外の身体であるがゆえに、思ったほどの効果を上げられなかったものの、当時まだ正式名称のなかったヒール・ホールドでアンドレの左膝を破壊。

グラウンドからスタンディングに移行した後のアンドレは、かすかに左足をかばい出した。
前田日明 VS アンドレ・ザ・ジャイアント セメント試合

やがて前田は、リングサイドで見ていた星野勘太郎に「本当に(セメントを)やっちゃっていいんですか?」と一応の確認をした後、覚悟を決め、ついに100%の「格闘家・前田日明」モードに切り替わる。

「タダではやられない、せめて1箇所でもアンドレを壊してからやられてやる!」

そう覚悟を決めた後の前田は、重いローキックや、膝の皿にブチ込む”タイマン”仕様の関節蹴りを多用、ついにアンドレを戦闘不能に陥れる。

ノー・コンテストの裁定が下った後、リング上で大の字になり、戦意喪失した大巨人アンドレに対し前田が問い詰める。

それに対しアンドレは、「This is not my business.」。

俺のしわざじゃない、と手を広げて弁明したのだ。

プロレスの試合でありながら、プロレスとして成立しなかった試合。

それは前田を潰すために仕掛けられた”公開処刑”だった。

当時の新日本プロレスにとって目の上のタンコブだったUWF(UNIVERSAL WRESTLING FEDERATION)勢。

そのUWF勢で最も”出る杭”であった前田日明を潰さんがために組まれた試合だった。

223cmの大巨人アンドレを遣って、大勢の観客の前で192cmの前田を壊し、前田に赤っ恥をかかすつもりだったのだ。

だからこの試合は「ガチンコ」や「ガチ」ではなく、”セメント”なのだ。

ゆえに、決して名勝負ではないし、感動を呼ぶ試合でもないし、好きな試合でもない!

しかし筆者にとって一番、「プロレスファンで良かった」、「前田日明ファンで良かった」と心底から思えた試合だ。

覚悟を決めるということ。

己を信じるということ。

これらが高濃度で凝縮されたのが、この「前田 VS アンドレ」のセメント試合だった。

元々この「前田日明 VS アンドレ」は地上波TVにてオンエアされる予定だった。

ところが、新日本プロレスの思惑に反し、前田日明がアンドレを戦意喪失させてしまったから、オンエアするとむしろますます前田やUWF勢の株が上がってしまい、これはマズイ。

たぶんそんな理由で結局この試合は、当時の新日本プロレス=テレビ朝日の判断でオンエアされずにお蔵入りしてしまったのだろう。

だからこの試合は伝説の”裏ビデオ”として極々一部のマニアにしか流通しなかった。

その”裏ビデオ”を、それもダビング5万回重ねたような、かなり粗い画質の”裏ビデオ”を、20年前にやっと入手できた時は、言葉では語りつくせぬ幸福感があった。

でも今では、このお蔵入り試合も鮮明な映像で公式に『秘蔵Ⅰ』としてDVD発売されてるし、YouTubeでも簡単に観ることができる。

「これまでの入手苦労は何だったんだ?」と言いたくなるが、それも時代の流れだから仕方あるまい。

とにかくこの時、もし前田日明がアンドレに負けていたら、その後のプロレス界・総合格闘技界の歴史は現在までの流れとは丸っきり異なっていたことだろう。

前田日明がアンドレに負けていたら、後の第2次UWF(新生UWF)は結成されなかっただろうし、さらにそこから分裂・派生するRINGSも、他のU系団体もなかったことだろう。

また、RINGSと提携し、興行ノウハウを得たことで大成功した正道会館のK-1も出現してくることもなかっただろうし、総合格闘技も生まれることなく、いまだにプロレスだけのままだったかもしれない。

それだけ「前田日明 VS アンドレ・ザ・ジャイアント」セメント試合の持つ意味は絶大で、プロレス・総合格闘技史上、最も重要な事件の1つとして後世まで語り継がれる試合だと筆者は思っている。
前田日明 VS アンドレ・ザ・ジャイアント セメント試合

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

平成版「ウルトラマン VS 古代怪獣ゴモラ」を刮目して見よ!【連載:アキラの着目】

早速、以下に掲載するウルトラマンの動画をご覧になってほしい。

ウルトラマンでも初代の方だ。

ご覧になってわかったかと思うが、このウルトラマンの動画は、かつて円谷プロダクションが制作した、着ぐるみウルトラマンと怪獣ではなくて、全てコンピューター・グラフィックス、すなわちCGによって制作されたものなのだ。

CGと言われなければ、このウルトラマンの動画は、誰もが違和感なく、実写の特撮に感じたはずだ。

CG版ウルトラマン ウルトラマン VS 古代怪獣ゴモラ から引用
CG版ウルトラマン ウルトラマン VS 古代怪獣ゴモラ から引用

ここまで精緻に再現することが可能になっているのかという驚きと、かつてのウルトラマンっぽく、薄く見えるか見えないかのピアノ線も再現している等、アナログ的な部分へのこだわりも見えて、CGなのにあえてCGっぽく見せない作りにも驚きだ。

ただし、欲を言えば、本家・本元のウルトラマンでは”大阪城決戦”のシーンがあり、ゴモラが大阪城を破壊してしまうシーンが存在したのだが、このCG版ウルトラマンでは、その”大阪城決戦”がないストーリーになっている。

その”大阪城決戦”のシーンを盛り込まなかったのは、以下の理由が考えられる。

1つ目は、大阪城のCGを組むのに手間がかかるから。

2つ目は、”大阪城決戦”のシーンを盛り込むと、それを本気に捉えてしまい、大阪城が壊されたかどうかを実際に確認しに大阪城に行ってしまう少年が現れてはまずいから、”大阪城決戦”のシーンをあえて盛り込まなかったというもの。

まあ、2つ目の理由は半ば冗談で、”格闘王”前田日明の少年時代のエピソードになぞらえたものだ(※)。

しかし、”大阪城決戦”のシーンがなくとも、感嘆してしまうCG版ウルトラマンだ。

本放送のウルトラマンと比較してみるのも面白いかもしれない。

※ウルトラマンの本放送(ゴモラが大阪城を壊した回)を観た、当時大阪在住の前田日明少年は、本当に大阪城が壊されたと思い、放送翌日の早朝に友人と大阪城に行ったが、何も壊れていない。近くにいた掃除のおじさんに訊いたら、「おっちゃん達が徹夜して大阪城を直したんや」。気の利いた返答をした大阪のおじさんと、それを純粋に信じていた前田日明少年達のなんとも言えぬ心温まるエピソードだ。

本放送ウルトラマン ウルトラマン VS 古代怪獣ゴモラ 大阪城決戦
本放送ウルトラマン ウルトラマン VS 古代怪獣ゴモラ 大阪城決戦
FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099