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オンリーワンの城ジオラマを造りたければ、「お城のジオラマ鍬匠甲冑屋」に【連載:アキラの着目】

どんなジャンルにも写真撮影するのが好きなマニアや、実際に行ってみるのが好きなマニア、等々に分かれる。

筆者は鉄道オタクではないが、鉄道オタクには「撮り鉄」(鉄道車両を撮影するのが好きな鉄道オタク)、「乗り鉄」(列車に乗車するのが好きな鉄道オタク)などに細分化されるとのこと。

同様に城マニアも鉄道オタクほどではないにせよ、細分化されており、城の模型を造るのが好きだったり、城模型を眺めるのが好きな城マニアもいるのだ。

しかし、城の模型はそれほどラインナップが充実しているとは言い難く、また城と言っても、天守のある城の模型ばかりで、そもそも天守のない中世の山城などは模型として発売されていないのが実状なのだ。

山城の模型があればなぁ…。

こんな叶うわけがないと思われていた山城の模型だが、造ってくれる人が救世主のように現れた。

その御方が、城郭模型作家の岐部博さんだ。

岐部さんは、2008年頃から趣味としての城のジオラマ製作を始め、主に城全景の復元ジオラマの製作を得意としているお方。

会社員と城ジオラマ作家の二足の草鞋で製作されていたが、定年退職を機に2018年6月12日にジオラマ・城郭模型作家として独立された。

現在は、テレビ局からの貸出し依頼や個人客から城模型の製作依頼が殺到している。

岐部さんの城ジオラマ製作テクは、市販キットの改造によるもので、日本の城だと約5,000城は製作できるとのことだ、凄い!

岐部さんの運営されているブログ「お城のジオラマ鍬匠甲冑屋 岐部博 こんなお城が欲しかった。日本全国約5000城の製作が可能です。」では、「あなたの記憶に刻まれたお城の姿を、思いを込めてジオラマに表現します。」、「あなたのためにオンリーワンのお城のジオラマを作ります。」と謳っており、どれだけ城模型製作に情熱を注いでいるのかがわかろうというものだ。

マニアックな城に行ってみたら感動したので、模型として残したい。

そんな人はぜひ岐部さんに城模型製作を依頼して、「あなたのためのオンリーワンのお城のジオラマ」をゲットしてみよう。

福井県坂井市にある丸岡城
福井県坂井市にある丸岡城

【お城のジオラマ鍬匠甲冑屋】

・所在地:〒144-0034 東京都大田区西糀谷4-2-3
・電話:090-8348-8129
・メール:katuuya2012@yahoo.co.jp

■「日本の城 5,000城作れます」 お城のジオラマ模型 鍬匠甲冑屋
https://katuuya2012.shop-pro.jp/

■お城のジオラマ鍬匠甲冑屋 岐部博 こんなお城が欲しかった。日本全国約5000城の製作が可能です。
https://katuuya2012.pro/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

海水浴場に潮干狩り、温泉、競馬場も!?一大行楽地だった羽田(東京都大田区)【連載:アキラの着目】

年々、訪日外国人観光客が増加の一途をたどっており、東京の”空の玄関”である羽田国際空港(東京国際空港)は、1年間で約653万人(2016年)もの訪日外国人が出入国している。

元々、これだけの出入国者を受け入れるほどのキャパシティを持ち合わせていなかった羽田国際空港だが、時代とともに拡張し、発展してきた。

その発展の影には、多くの犠牲が伴った羽田の歴史が存在する。

今回は、羽田国際空港および羽田の歴史についてスポットをあてる。

戦前の羽田は花街で一大行楽地

羽田国際空港の地は、元々遠浅の「江戸前」漁場で、海苔もよく採れる鄙びた漁村だった。

明治中期に入って穴守稲荷神社が建立される。

江戸時代中期に埋め立てられた羽田は、長年塩害や水害に悩まされ、“堤防に空く穴がもたらす害から土地を守る”(=穴守)ために伊勢神宮から外宮(げくう)の神様・豊受姫命(とようけびめのみこと)を勧請したのが穴守稲荷神社の始まりとされる。

その穴守稲荷神社の参拝客を相手にした芸者や賭け事の遊興施設も穴守稲荷神社参道両脇にでき始め、花街となった。

戦前の穴守稲荷神社 穴守稲荷神社 HP(http://anamori.jp/)から引用
戦前の穴守稲荷神社 穴守稲荷神社 HP(http://anamori.jp/)から引用

1886-1909年の羽田
1886-1909年の羽田
1927-1939年の羽田
1927-1939年の羽田
現在の羽田
現在の羽田

その後、羽田は、温泉が湧いたことから温泉地としても名が知られるようになり、初夏は潮干狩り、夏は海水浴も楽しめ、競馬場もできるなど、穴守稲荷神社の門前町から一大行楽地へと栄えるに至った。

戦前の羽田は、今でいうところのレジャーランドだったのだ。

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による強制撤収で行楽地・羽田が消滅

日本が第2次世界大戦に敗北したことで、日本全土がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により占領されることに。

それに伴い、羽田の地はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による強制撤収が行われることになった。

当時の羽田の行楽地北側には、東京国際飛行場があったが、GHQはこの東京国際飛行場を拡張させるために、羽田の住民約3,000名に対し、48時間以内に退去せよとの命令を突然下したのだ。

GHQに強制撤収される前の羽田
GHQに強制撤収される前の羽田

当初は12時間以内に退去せよとの命令だったが、羽田の住民代表が決死の覚悟でGHQと交渉し、なんとか48時間にしてもらったとのことだ。

このGHQの強制撤収により、参拝客で賑わっていた穴守稲荷神社、小学校、京浜電鉄穴守線(海老取川より東の路線)等、穴守稲荷神社の大鳥居を除いて全てが撤去となった。

GHQが穴守稲荷神社の大鳥居を撤去しなかった理由についてはいくつかあるが、「GHQが穴守稲荷神社の祟りを怖れ、鳥居を撤去できなかった」という説がまことしやかに流れている。

穴守稲荷神社の大鳥居は、その後移転を繰り返し、現在の弁天橋付近に落ち着くことになった。

羽田という普段そんなに気にも留めなかった地には、実は様々な歴史があったのがおわかり頂けたかと。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

「大森 海苔のふるさと館」で江戸前海苔の歴史・作り方を知ろう【連載:アキラの着目】

おにぎりや巻き寿司に欠かせない海苔。

外国人観光客には馴染みの薄い海苔だが、古来より島国・日本では海苔は頻繁に食されてきた。

羽田空港ができる前は、羽田は海苔養殖が盛んな地で、近隣の大森などと共に江戸前海苔の一大産地だったのだ。

しかし、近代化により海苔養殖場のあった海は次々と埋め立てられてしまった。

そうしたかつての江戸前海苔の歴史や作り方、浜辺の自然、地域の文化等を後世に伝えるべく、それらに関する展示や催し物を行なっているのが「大森 海苔のふるさと館」だ。

「大森 海苔のふるさと館」は、ちょうど今年で開館10周年を迎え、今後もこれまで通りに海苔や浜辺に関する文化や体験イベントを発信・企画してゆくとのことだ。

特に人気なのが、海苔簀(のりす)づくりの体験イベントで、年に数回開催しており、今月10月21日(日)も13:30~16:00に開催する(すでに定員になり募集締切済み)。

海苔簀(のりす)づくりの体験イベント 「大森 海苔のふるさと館」HPから引用
海苔簀(のりす)づくりの体験イベント 「大森 海苔のふるさと館」HPから引用

海苔簀とは、四角い海苔の形に仕上げるために使用する、葦(よし)でできた道具で、刻んで水に溶いた海苔をこの海苔簀に貼り付けていた。

かつては、夏から秋にかけて数千枚もの海苔簀を編み、海苔の季節に対応できるよう準備していたとのこと。

この海苔簀をかつての生産者の話を聞きながら、実際に作ることができるのだ。

完成した「マイ海苔簀」を、冬の海苔付け体験に持参すれば、昔そのままの海苔付け体験もできるし、自宅で海苔巻きやインテリア装飾として活用することもできる。

皆とはひと味もふた味も異なる日本文化を体験したいのならば、「大森 海苔のふるさと館」のHPをこまめにチェックし、海苔簀づくり体験に参加してみよう。

■大森 海苔のふるさと館
http://norinoyakata.web.fc2.com/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099