FJ時事新聞ニッポンニュースで度々取り上げてきた東京都港区の芝浦。
芝浦は知る人ぞ知る、伝説の刑事ドラマ『西部警察』のロケ地であった。
芝浦は江戸湾(東京湾)の浅瀬であったため、戦国時代には後北条氏が水軍拠点を置き、北条氏縁戚の吉良頼康と玉縄城主・北条綱成の管理下に置かれていたとのことだ。
そんな由緒ある(?)芝浦だが、明治時代には海上に浮かぶロセッタホテルがあった。
ロセッタホテルは、JR「田町」駅とゆりかもめ「芝浦ふ頭」駅の中間地点にあったと思われる(1/20000「東京南部」[明治42年測図大正4年製版 1896-1909]参照のこと)。
昔は、こんな絵葉書を骨董市で見つけは、求めていました?? pic.twitter.com/XEu15J7e4A
— panamaru2 (@panamaru2) March 1, 2020
このロセッタホテル、ご覧のように大型船をリノベーションしたホテルだったのだ。
ロセッタホテルの元になった大型船は、1900年(明治33年)に日本丸級貨客船3隻の予備としてイギリスから東洋汽船が購入した「ロセッタ」だった。
その「ロセッタ」を「ろせった丸」(3,502トン)と命名し、翌1901年(明治34年)12月5日から始まった香港・マニラ航路に就航させたのだが、日露戦争時に「ろせった丸」は軍に徴傭され、病院船として軍務に服したのだった。
「Rosetta Hotel. ロセッタホテル p61/64
是は芝浦の海瀕に在るロセッタホテルの全景也、本館は日露交戰の際武器兵厰運送の用に充る爲め、外國より購入せしロセッタ號と稱せし船舶の化身なり、元來老船なりし爲め、爾後航海の用に適せざるいり茲に据付けて旅館兼料理店と爲し、一種風變りの設備を呼びものとし、世の喝采を博するの趣向なり」
当時のガイドブック等によれば、和・洋・中華の料理を500人で会食可能な大広間や1,000人以上が使用できる園遊会場・船内宿泊の設備があったとの記載がある。
画家・木村荘八は「芝浦の埋め立てが始まる頃、忽然として海の中に、長い桟橋伝いに行く、ロセッタ・ホテル(表記原文のまま)という、大汽船を澪につないだ異観。それを改造してホテル仕立てにした新風景が現われて、一時流行したことがあった」(『大東京繁盛記』)と記している。
その後、「ろせった丸」は第一次世界大戦に駆り出されたようだが、詳細は不明でいつ廃船になったかもわからない。
かつて海上に浮かぶ大型船のホテルがあったとは思えないくらい陸地と化した芝浦。
歴史を掘り下げたい人は芝浦散歩をオススメする。