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12月27日は特番「ドリフ&志村けんの年末爆笑コント祭り!」とドラマ「志村けんとドリフの大爆笑物語」でドリフ&志村けん尽くし【連載:アキラの着目】

フジテレビは年末の12月27日(月)19時から「ドリフ&志村けんの年末爆笑コント祭り!」を放送する。

この特番は往年のドリフ系バラエティ番組「ドリフ大爆笑」(フジテレビ系 1977年~)、「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系 1986年~)、「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系 1987年~)から名作コントを選んび再編集したものだ。

「ドリフ大爆笑」の定番コント「もしもシリーズ」や「公開コント」の“オリジナル版”を厳選抽出し、ザ・ドリフターズおよびそのメンバーであった志村けんさんの芸達者ぶりに焦点をあて、笑いをお茶の間に届ける。

この特番の後に放送される志村けんさんとドリフに纏わるドラマと合わせると、4時間にも及ぶ「ドリフ&志村」三昧の夜となろう。

ドリフ&志村けんファンにとっては決して逃してはならぬ時間だ。

■ドリフ&志村けんの年末爆笑コント祭り!

・放送日時:12月27日(月)19:00~21:00
・テレビ局:フジテレビ系
・出演者:ザ・ドリフターズ(いかりや長介、高木ブー、仲本工事、加藤茶、志村けん)、柄本明、ダチョウ倶楽部、ふなっしー、松本伊代、優香、他

■志村けんとドリフの大爆笑物語

・放送日時:2021年12月27日(月)21:00~23:03
・テレビ局:フジテレビ系
・出演者:山田裕貴、勝地 涼、加治将樹、松本岳、ムロツヨシ、金田明夫、渡辺いっけい、宮崎美子、遠藤憲一、他

 

■志村けんとドリフの大爆笑物語 – フジテレビ
https://www.fujitv.co.jp/shimuradorifu/

『志村けんのだいじょうぶだぁ』から誕生した変なおじさん 「イザワオフィス」公式YouTubeチャンネルから引用
『志村けんのだいじょうぶだぁ』から誕生した変なおじさん
「イザワオフィス」公式YouTubeチャンネルから引用

 

 

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

今日10月4日は何があった日?【連載:アキラの着目】

今日10月4日は何があった日かご存知だろうか?

「10月4日は何の日か?」だと、「いわしの日(1と0と4の語呂で)」や「証券投資の日(10と4の語呂で)」、「ジューCの日(カバヤ食品が制定。10と4の語呂で)」とのことだが、何があったかとなると、実はドリフターズの「8時だヨ!全員集合」が放送を開始した日なのだ。
ドリフターズ「8時だヨ!全員集合」

1969年(昭和44年)10月4日、TBS系列で放送を開始されたこのコント番組は当時の子供たちにバカウケで、その後約16年間・全803回に渡る長寿番組となった。

ドリフターズとは元々は音楽バンドだったのだが、いつしかコント・喜劇集団となり、初期メンバーはいかりや長介、荒井注、高木ブー、仲本工事、加藤茶。

その後、荒井注が脱退し、代わりに付き人だった志村けんが正規メンバーに格上げし、志村はご承知の通り人気者となる。

放送開始時は録画をオンエアしていたが、毎回地方の公民館やホールから生放送するようになり、時間的制約があるので、本当にドタバタ・コントがドタバタしていたのだった。
ドリフターズ「8時だヨ!全員集合」

番組はコントが中心の前半パートと、体操あるいは合唱団などによるショートコントが中心の後半パートとに分かれており、体操コントといえば仲本工事、合唱団コントといえば、志村けんの「東村山音頭」などが人気だった。
ドリフターズ「8時だヨ!全員集合」での合唱団コント

エンディングに毎回演奏される「いい湯だな」も放送時間枠に収めるために、生オーケストラが超スピードで演奏することは当たり前、カトちゃんが「ババンババンバンバン!」と早口で歌うのも視聴者はすっかり慣れっこだった。

生放送だから常にハプニングと隣合わせで、放送開始時間の8時になった途端に、会場の照明が全て消え落ち、番組オープニングは懐中電灯で顔を照らして急場凌ぎした回もあった。

コントネタ・ギャグネタが「お下品」だという批判が絶えず、全国の教育委員会やPTAから槍玉に上げられること数知れず。

しかし、土曜日の夜8時といったら、小中学生の大半は、この「8時だヨ!全員集合」を毎週欠かさず観ており、観ないと休み明けの月曜日に友達との会話に入れないくらいの定番番組だった。

これだけ隆盛を極めた怪物長寿番組だが、漫才ブームで活躍したツービート(ビートたけし&ビートきよし)、B&B(島田洋七&島田洋八)、紳助竜介(島田紳助&松本竜介)らが「8時だヨ!全員集合」の裏で「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系列)をスタートすると、子供たちは「8時だヨ!全員集合」からタケちゃんマン見たさに「オレたちひょうきん族」に鞍替えし、ドリフターズ人気は下降線を辿ることに。
ツービート(ビートたけし&ビートきよし)紳助竜介(島田紳助&松本竜介)「オレたちひょうきん族」のタケちゃんマン

その影響でついに1985年(昭和60年)9月28日をもって長き歴史に幕を閉じた。

ちなみに、一方的に漫才師主体の「ひょうきん族」に敗北したドリフターズが、「ひょうきん族」にリベンジするのにはこの後4年を要した。

1986年(昭和61年)1月11日からスタートした、「8時だヨ!全員集合」の後継番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(加藤茶・志村けん)は徐々に視聴率を上げてゆき、1989年10月にはついに土曜日夜8時の首位視聴率を奪還、リベンジに成功したのだった。

この一連の「土8戦争」が勃発する前は、前述のようにドリフターズの独壇場であり、その初めの第1歩が今日10月4日だった、ということをバラエティ番組好きの人ならば、頭の片隅に入れておこう。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

50年近く前のコントでも色褪せず笑えてしまう「コント55号」【連載:アキラの着目】

最近はテレビでお目にかかることが少なくなった萩本欽一さん。

2015年4月には、当時73歳で駒澤大学仏教学部の学生となり、通学する様子がワイドショーに取り上げられたのは記憶に新しい。

萩本欽一さんはご存知の通りコメディアンで、元々は浅草喜劇の人だ。

1966年に萩本欽一さんは坂上二郎さんとコンビを組んで「コント55号」を結成、それ以降、破壊力抜群のコントで、日本中から爆発的な人気を獲得したのだった。

その「コント55号」のコントは現在でも動画サイトで視聴することが可能だ。

大抵のコントは、伝統芸能の落語とは異なり、時代が変わると、流行と同じで陳腐化してしまうものだから、笑えなくなる。

なのに、萩本欽一さんと坂上二郎さんの「コント55号」は、令和元年の現在に観ても色褪せることなく全然笑えるのだから、驚異的だ。

FJ時事新聞ニッポンニュースでは、時代を超越した笑いを放つ「コント55号」のコントの中から特に面白いコントをピックアップしてみたので、ご覧頂きたい。

コント55号(萩本欽一・坂上二郎)のコント「個展」 YouTubeから引用

1.コント55号のコント・ネタ「個展」

2.コント55号のコント・ネタ「バドミントン」

「個展」は、坂上二郎さんのドタバタぶりが実にバカバカしく、つい笑ってしまう。

また、会場客の野次や声も含めて、ネタだけでなく楽しめるのも良い。

「バドミントン」は、見えない羽をあたかも見えているかのように演じ、バドミントンを指導するネタだが、理不尽さを笑いに変えているところが良い。

当時は、飛ぶ鳥を落とす勢いのコント55号であったが、お互いにピン(ソロ)での活動が増えたり、ドリフターズ(加藤茶や志村けんが所属していたグループ)の台頭や、同じ浅草喜劇出身のビートたけしの出現により、萩本欽一さんの冠番組は姿を消していった。

しかし、萩本欽一さんのコント55号の活躍や隆盛の軌跡は消滅しないし、今後も語り継がれてゆくことだろう。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

大御所芸能人の方々の若かりし頃【連載:アキラの着目】

現在でも活躍している大御所芸能人の方々。

もちろんデビューした頃は大御所のはずもなく、若手芸能人としてがむしゃらに活動していた。

そんな大御所芸能人の方々の若かりし頃を今回のFJ時事新聞ニッポンニュースでは取り上げる。

1.歯に衣着せぬ喋りが特徴の上沼恵美子さん

先日、某民放局で毎年放送される若手漫才大会にて、辛口審査が話題となったのが、お笑い界の大御所・上沼恵美子さんだ。

上沼恵美子[プロフィール] / TEICHIKU RECORDSから引用
上沼恵美子[プロフィール] / TEICHIKU RECORDSから引用

上沼恵美子さんは、若かりし頃は「海原千里・万理」(うなばらせんり・まり 千里:上沼恵美子さん、万理:実姉)として実姉と漫才コンビを組み、1970年代に絶大な人気を博した凄いお方なのだ。

海原千里・万理 出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com
海原千里・万理
出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com
海原千里・万理 出典:https://image.middle-edge.jp
海原千里・万理
出典:https://image.middle-edge.jp

売れまくっていたので、当然漫才だけでなく歌の世界にも進出、『大阪ラプソディー』をリリースして40万枚を売り上げるヒットを記録した。
海原千里・万理『大阪ラプソディー』

2011年に芸能界を引退した島田紳助さんは、漫才を始めるにあたって、”漫才の教科書”を作ることから始めようと考え、そのための題材として海原千里・万理の漫才を選んだのだった。

毎日演芸場に通いつめ、同い年でありながら当時お笑い界の大スターだった、海原千里・万理の漫才を録音しながらしっかり聴き、帰宅後は録音音声を活字に直す作業をし、漫才およびお笑いのメカニズムを解明していったのだとか。

かの島田紳助さんが”研究対象”として聴いていたくらい海原千里・万理の漫才は面白かったのだ。

2.重量級の毒舌が冴え渡るビートたけしさん

今や日本国民で知らぬ者がいないほど知れ渡っている存在のビートたけしさん。

ビートたけし
ビートたけし

若い世代の人たちは、面白いおじさんとして認知しているのだろうが、元々ビートたけしさんは、浅草のストリップ劇場のコメディー芸人からスタートしている。

浅草のストリップ劇場のエレベーター・ボーイのアルバイトをしていたところ、歴代のエレベーター・ボーイがストリップ劇場でのコメディーを志願していたこともあって、コメディー芸人の深見千三郎さんに「お前も芸人目指してるんだろ?」と声をかけられ、芸人になる気がなかったのに芸人を志すようになってしまったのだという。

浅草のストリップ劇場でのコメディーの次は、ビートきよしさんと漫才コンビ「ツービート」を結成、重量級の毒舌が冴え渡るネタが大爆笑を生み、気づけば1980年代の漫才ブームでは一躍寵児となった。
ツービート

ピン活動(=ソロ活動)以降は、俳優、映画監督等でも大活躍したのはご承知の通りだ。
ビートたけし

3.マルチな活躍で奇才ぶりを発揮!所ジョージさん

やはり現在の民放番組では欠かせない存在となっているのが、所ジョージさん。

所ジョージ タレント名鑑から引用
所ジョージ タレント名鑑から引用

世の中が漫才ブームに明け暮れている頃、リーゼントでギターを演奏しながら唄い、またある時はマンガも連載していたりと、マルチな活躍で奇才ぶりを発揮していたのが、若かりし頃の所ジョージさんだ。
若かりし頃の所ジョージさん

その当時は、東京12チャンネル系(現・テレビ東京系)で『所ジョージのドバドバ大爆弾』というゲームバラエティ番組のMCを担当。
自身の初冠番組『所ジョージのドバドバ大爆弾』でMCを担当する所ジョージさん

つっぱった感じの兄ちゃんが司会してるんだ、と子供ながらに記憶している。

所ジョージさんの多彩な趣味が、頻繁に番組や専門誌に取り上げられたりもしており、いつまでも少年の心を持ち続けている方だ。

『所さんの世田谷ベース』|BSフジ から引用
『所さんの世田谷ベース』|BSフジ から引用

以上、もう40年くらい芸能界を第一線で突っ走っている大御所芸能人の若かりし頃について触れてみた。

今後も、時折大御所芸能人の若かりし頃について触れてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099