大都市・東京は城下町。
しかし、東京が城下町であることを、日常生活の中ではすっかり頭の中から欠落してしまっている人が結構多い。
それはたぶん、江戸城が皇族居住地であるため、我々庶民が気安く立ち入ることができない神聖なエリアになってしまっているからだろう。
江戸城が、東京が城下町であることの証明となる城郭にもかかわらず、意識外なのだから、それ以外の東京中心部に存在していた城郭なら、なおさら知られていないのは言うまでもない。
実は、東京中心部にはこの江戸城以外にも城郭が複数存在していたのだ。
今回はその中の1つ、星ヶ丘城(星ヶ岡城とも)にスポットを当てる。
星ヶ丘城は、ちょうど赤坂山王神社付近に存在していた戦国時代の中世城郭だ。
築城主は扇谷上杉氏と推測されているが定かでない。
現在キャピトル東急のあるエリアが主郭、日枝神社のあるエリアが二の郭、都立日比谷高校のあるエリアが三の郭と伝えられているが、前述のキャピトル東急や日比谷高校があるので、主郭と三の郭は面影が一切残っていない。
日枝神社境内に土塁が残るくらいだ。
なお、日枝神社と日比谷高校の間を分ける道は、かつての二の郭と三の郭を分ける堀切の名残だ。
太田道灌が南西の抑えとして使用されていた星ヶ丘城だが、徳川家康が江戸城を改築した際に星ヶ丘城は廃城となり、江戸城に組み込まれてしまった。
今でこそ、この赤坂山王の地は大都会・東京のど真ん中に位置する赤坂エリアなのだが、戦国時代は雑木林と湿地が広がったエリアだった。
それだけに、今昔の違いを感じずにはいられない。