昨日の大晦日、筆者はさいたまスーパーアリーナで『RIZIN』を観戦していたのだが、相変わらず歯がゆい思いを感じずにはいられなかった。
なぜならば、本来総合格闘技を取り仕切るべき人が取り仕切っていないからだ。
なぜ高田延彦が総合格闘技を取り仕切るのか、それよりも前田日明が取り仕切るべきなのではないか。
今でこそ未熟ながらも総合格闘技という競技ジャンルが確立し、大晦日に興行が打てて、多くの観客・ファンが入っている状況だが、ここまでに至る道程は一朝一夕にできたわけではなかった。
そもそも総合格闘技自体が存在しない、ゼロからのスタートだったので、茨の道だったのだ。
総合格闘技のなかった時代では、プロレスが熱狂的な求心力を持っていた。
しかし、プロレスはかなり特異なジャンルで、知れば知るほど「?」ということが頭をよぎってしまうものでもあったのだ。
その疑問符を解消してくれ、というファンのニーズに応えたのが、佐山聡(初代タイガーマスク)であり、前田日明だったのだ。
佐山聡と前田日明の目指す所は、ほぼ同じで、ファンの「?」を解消すべく、「プロレスのスポーツ競技化」を推進しようとしたのだが、方法論が異なっていた。
佐山聡はラジカルに「プロレスのスポーツ競技化」を進めようとしたのだが、前田日明はじっくり時間をかけて進めようとしたのだった。
佐山聡の急進的な「プロレスのスポーツ競技化」だと、観戦の目が肥えた”エリート・プロレス・ファン”しかついてこれない。
まだアキレス腱固めやヒール・ホールドといった関節技や打撃技が、今のように多くのプロレス・ファンに幅広く認知されていなかったので、まずは関節技とはこんなふうにかけて、こんな所が痛いんですよ、利くんですよ、といったことを試合を通じて啓蒙するところから始めなければならなかったのだ。
だから佐山聡が創り出した総合格闘技「シューティング」(現・修斗)は、当時プロレスファンを多く誘導することができず、興行的に苦戦を強いられ、アングラな格闘技に過ぎなかった。
それを目の当たりにしていた前田日明は、選手が食っていけるようにするためには興行的な成功を収めなければならない、そのためにはプロレス・ファンを”教育”して、総合格闘技ファンへとバージョン・アップさせて、総合格闘技の会場に来てもらうしかないと考えたのだ。
その”教育”装置がUWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)なのだ。
第1次UWFでは、佐山聡と前田日明は共に在籍していたのだが、前述の方法論の違いで決別、佐山聡は独自の総合格闘技「シューティング」を興し、前田日明はその後第2次UWFへと突き進む。
特にこの第2次UWFがプロレスと総合格闘技の架け橋的存在というか移行的存在となり、プロレス・ファンは総合格闘技ファンとして前田日明に育てられたのだった。
だから、この功績により、本来総合格闘技を取り仕切るのは前田日明だろ、というのはそういうことなのだ。
今年2018年は、その前田日明が久々に本格的に動き出す。
かつてのRINGS(リングス)のようなヘビー級の大会を開催するという。
前田日明から目が離せない!