BUKKYO時事新聞から自転車で12、3分で行けた観光スポットを今回はご紹介しよう。
それは麻布十番にある麻布山善福寺だ。
善福寺は、平安時代の天長元年(824年)に空海(弘法大師)によって、真言宗を関東一円に広めるために高野山に模して開山された。
都内では金竜山浅草寺、深大寺に次ぐ古い寺院と善福寺はいわれている。
鎌倉時代には、親鸞聖人が善福寺を訪れ、迎えた了海上人は、親鸞聖人の高徳に傾倒し、一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗した。
二度の蒙古襲来に際し、善福寺は文永3年(1266年)に亀山天皇から勅願寺とされ、また、大坂石山本願寺に籠城する僧に援軍を送った石山合戦(安土桃山時代にあった石山本願寺&浄土真宗本願寺勢力と織田信長の戦い)以降、豊臣秀吉から天正18年(1590年)寺領を保護され、手厚い待遇を受けた。
善福寺が一躍歴史の舞台に登場したのは、もちろん親鸞聖人によるものも大きいが、それ以外では幕末に初代アメリカ合衆国公使館となったことも影響が大きいだろう。
安政6年(1859年)5月27日、タウンゼント・ハリスがアメリカ駐日公使に昇任したことで、善福寺は初代アメリカ合衆国公使館としてハリスと館員たちを迎え入れ、明治8年(1875年)12月8日までアメリカ合衆国公使館として使用された。
説明が長くなったが、参道入口からご案内しよう。
柳の井戸は、空海(弘法大師)が柳の木の下で錫杖を立てたところ、湧き出してきたとの言い伝えがある井戸で、善福寺の参道の右脇にある。
関東大震災や東京大空襲の際は、多くの人々が飲料水として利用し、現在でも少量ながら水が湧き出ている。
昭和20年5月15日の空襲で古くからあった勅使門は焼失し、現在の勅使門は昭和55年11月5日に再建された。
慶長12年(1607年)、徳川家康が東本願寺八尾別院本堂として建立し、京都天明の大火の後10年間、御影堂の役を勤めた建物を、昭和36年(1961年)に移築、再建した由緒ある建物で、平成21年(2009年)には港区の有形文化財に指定された。
タウンゼント・ハリスアメリカ駐日公使が、安政6年(1859年)から明治8年(1875年)まで、初代アメリカ合衆国公使館として善福寺を使用したことを記念する碑。
樹齢750年余、都内最古の古木として国指定の天然記念物になっている逆さ銀杏は、貞永元年(1232年)、善福寺を訪れた親鸞聖人が立ち寄った際に持っていた杖を地面に刺したところ、銀杏の枝葉が繁茂したとの言い伝えがある。
善福寺が一山をあげて真言宗から浄土真宗に改宗したきっかけとなった親鸞聖人。
善福寺裏手にあるこの元麻布ヒルズは、元々善福寺の所有地であった敷地を森ビルが譲り受け、そこに1983年に建設されたマンションだ。
善福寺裏手に回るための階段があり、高低差のある地形だ。
近代日本の礎を創った、慶應義塾大学創立者・福澤諭吉とその妻・錦(きん)の墓が境内にある。
ご年配の方にかなり知られたシャンソン歌手・舞台女優の越路吹雪さんの歌碑。
麻布十番商店街からは少しだけしか離れていないにもかかわらず、境内は静かで、また「高低差マニア」も気に入る(?)地形でもある。
麻布十番に行った際は、立ち寄ってみてはいかがだろうか。
■麻布山 善福寺
http://www.azabu-san.or.jp/