FJ時事新聞が自信を持っておすすめする名城をご紹介!
前もって言っておくが、城といってもFJ時事新聞がおすすめする城は、天守がない城も今後紹介してゆくので、「あれ、建物(天守)がないんだけど、これもお城なの?」とくれぐれも思わないように(微笑)。
さてこれから紹介する名城は、茨城県坂東市にある逆井城だ。
小山義政の五男・常宗が逆井氏を名乗り、享徳年間頃に逆井城を築城したといわれ、後北条氏方の大道寺盛昌の攻撃により逆井城は落城、逆井氏は滅亡した。
その後、天正18年(1590年)小田原征伐による後北条氏滅亡に伴って逆井城は廃城となった。
逆井氏の城を逆井古城、後北条時代の城を飯沼城と分類し、別々の呼称にすることもある。
現在、逆井城址は櫓・土塀・櫓門・木橋などが整備・復元され、逆井城跡公園として生まれ変わり、東2曲輪はゲートボール場としても使われている。
なぜここまで逆井城が脚光を浴びているのかというと、姫路城のような立派な天守や、連立した櫓群がある近世城郭ではなく、中世城郭の姿を可能な限り忠実に再現している城だからだ。
では実際に逆井城をご案内しよう。
1.逆井城物見櫓(木造復元)
逆井城といえば、天守代わりに必ず撮影されるのがこの物見櫓だ。
木造復元でも、当時の中世城郭を偲ぶのには適しているので、侮ってはいけない。
南側駐車場から来城した場合、すぐに目につくので、迷うことはないし、撮影し忘れることもなく、その点でも重宝している建物だ。
2.井楼矢倉(木造復元)
物見櫓の橋を渡り、西2曲輪に入ると、左手に高く聳え立つのが、井楼矢倉だ。
この矢倉も当時を偲ぶことができるくらい忠実に再現されている。
井楼矢倉の階段は、陽の射し具合によっては、写真のようなチェッカーフラッグを彷彿とさせる黒と白の模様を見ることができる。
3.西2曲輪にある庭園
井楼矢倉と同じ西2曲輪には、庭園もある。
主殿の前に陣取った庭園は、物見櫓を背景にしたがえ、不規則に並んだかのような石が配されている。
4.主郭(左側)と西2曲輪(右側)の間にある空堀
主郭廻りの空堀ということで、土塁と堀にはそれなりの高低差がある。
この空堀の中に鐘堀池があるため、現在はその鐘堀池にはまらぬように、木の柵が池の外周を取り囲むように立っている。
雨天時や雨上がりだと、空堀斜面がぬかるみ、昇降はかなり難しいと思われる。
5.東2曲輪(左側)と主郭二階門(右側)の間にある空堀とそれらを結ぶ橋
この空堀も主郭を取り囲み敵を寄せ付けないという重要な任務を課せられているため、容易に踏み込ませないよう、かなり深い空堀が設けられている。
木橋なのは、いよいよ敵の侵入を阻止できないというやむを得ない状況の時は燃やし、木橋を落とせるようにするためだ。
逆井城のまとめ
以上逆井城を見てきたが、綺麗に整備された公園に矢倉や門、橋があるというような印象だ。
なので、自然を満喫しつつ、中世城郭とはこういうものなのか、と頭の中にインプットできるので、かなり”お得な公園”として一般の人でも楽しめること間違いない。