東京都港区海岸にある当社・FJ時事新聞(正式名・BUKKYO時事新聞)。
会社事務所の近辺には東海道などがあるので、歴史的建造物や名残が結構存在する。
これまでにも海岸線の名残や、徳川幕府の菩提寺である芝・増上寺、愛宕山・愛宕神社を紹介してきたが、今回は芝浦花街(しばうらかがい・しばうらはなまち)について紹介する。
花街(かがい・はなまち)という言葉が出てきたが、まずはこの花街とは何なのかを簡潔に説明すると…。
花街とは、芸妓屋(げいきや)、遊女屋(ゆうじょや)が集まっている区域をいい、花柳(かりゅう)ともいう。
売春防止法施行(1957年)までは、多くの花街に芸妓と娼妓の両方がいたが、今日花街といわれている区域は、芸妓遊びのできる店を中心に形成される区域をさす。
東京には、こうした花街が最盛期には40近くあり、芸者も相当数いたのだ。
芝浦花街は、この40近くあった花街のうちの1つで、位置的にいうと、田町駅からほど近い港区スポーツセンターの北東側区域にあった。
早速この区域を歩くと、古い木造建築を発見することだろう!
念入りに防御ネットで覆われたこの古い木造建築こそが、「検番」といわれるものだ。
検番とは、一言でいうと、芸者待機所だ。
引き合いがあれば、ここから芸者が派遣されるのだ。
唐破風もある立派な作りの和建築であるこの検番は、昭和11(1936)年に目黒雅叙園の創業者・細川力蔵氏によって芸妓検番として建設された。
戦時中に東京都港湾局の所有となり、港湾労働者宿泊施設「協働会館」として使われるようになったのだとか。
しかし、2000年に老朽化のため閉鎖され、保存運動の高まりで2009年に港区の有形文化財の指定を受けて現在に至っている。
この検番以外にも花街時代の古い料亭建築を観ることができる。
↓の建物は所々リフォームされ、昔のままの状態でないのがやや残念だ。
こんな具合に芝浦花街の面影を辿れるので、この界隈を歩くことをおすすめする。