「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、水道橋だ。
水道橋と聞くと、大抵の人は東京ドームや後楽園ホール、大学や専門学校が多い街というイメージを抱くことだろう。
実際、現在の水道橋はそうしたエンタメ・スポーツの聖地であったり、文教的なエリアとして機能している街で間違いないのだが、水道橋という地名の根拠や説明には決してなり得ていない。
なぜこの地が、「水」の「道」の「橋」、すなわち「水道橋」なのかについてみていこう。
まさに「水」の「道」の「橋」があった
時代は江戸時代の初期にまで遡る。
現在の水道橋、御茶ノ水の谷底深い神田川の外堀は、元々存在しておらず、平らな台地だった。
ここを開削して神田川を通し、その開削した土を日比谷入江の埋立に利用し、江戸の街は大きく変貌を遂げたのだ。
さらに江戸が都市として充実するには、飲料水の確保が最重要課題であり、そのためいくつかの上水が造られたのだが、そのうちの1つである神田上水の水を江戸市中に通水する必要があった。
だが、神田上水を江戸市中に通水するためには、開削して造った神田川を超えなければならない。
そこで神田川を跨ぐように掛樋(かけひ)を架けることになり、この掛樋がまさに「水」の「道」の「橋」であったことから、水道橋と呼ばれるようになって、この橋の名がこの付近の地名となったのだ。
ちなみに掛樋のあった場所は、水道橋駅から御茶ノ水方面に向かう坂を歩いてゆくと、右手歩道脇に現れる「神田上水掛樋跡」の石碑辺りだ。
このように、水道橋という地名は、神田川を跨ぐ掛樋という水の道の橋を架けたことに由来することがおわかりになったと思う。
今後も東京の様々な地名の由来について取り上げてゆきたい。