「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、東京都台東区にある御徒町(おかちまち)だ。
江戸幕府3代将軍・徳川家光の頃に、江戸城の北方の護りとして御先手組、御書院御番組、御徒士組といった幕臣に屋敷や長屋を与えたのだが、その中の御徒士組の屋敷があったので、この地を御徒町と呼ぶようになったのだとか。
ただし、当時の御徒町は正式な町名ではなく、あくまでも一般庶民が付けた非公式の俗称であったため、どこからどこまでが御徒町だったのか詳細が不明だそうだ。
そんな非公式の御徒町が正式な町名になったのは明治5年(1872年)で、昭和39年(1964年)までは「御徒町」、「中御徒町」の地名があったが、その後「上野」、「東上野」の地名となり、現在は御徒町・仲御徒町などの地名が鉄道の駅名として使われたり、通称として使われている。
なお、現在の御徒町は宝飾品の街として有名だが、そのルーツは江戸時代にまで遡る。
元々、御徒町のエリアは、上野寛永寺、浅草寺をはじめ、数え切れぬほどの寺社が存在したため、仏具や銀器の飾り職人が多くいた。
また、古くから台東区には浅草、吉原、柳橋、黒門町、湯島、根津などの域街や色街が多く存在し、芸姑さんの簪(かんざし)や帯留め等の小物を納めるビジネス拠点としての利便性の良さもあった。
そうしたことで、明治中期には、指輪の製作・加工業者が増え、やがて型を使用した大量生産技術が出現し、宝飾品の街・御徒町へと変貌するに至った。
宝石、アクセサリー類の購入なら、通(つう)は御徒町に行くので、覚えておこう。