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昭和の消毒薬「赤チン」、12月24日製造・25日包装分で終了【連載:アキラの着目】

昭和では当たり前のように使われ、どの家庭にもあった手軽な消毒薬「赤チン」。

その「赤チン」を製造する最後の国内唯一のメーカー・三栄製薬(東京・世田谷)が、本日12月24日の製造、25日の包装分をもって、「赤チン」の製造・出荷を終えることになった。
赤チン(マーキュロクロム液)

1939年(昭和14年)、日本薬局方(国が定めた医薬品の規格基準書)に収載された「赤チン」は、最盛期の1960年代には全国で約100社が製造していたほどのメジャーな消毒薬で、最後の1社となった三栄製薬でも月間10万本もの赤チンを出荷していた。

「赤いヨードチンキ」を略した「赤チン」だが、正式名称は「マーキュロクロム液」で、実際にはヨード(ヨウ素)もチンキ(エタノール)も含まれていない。

ヨードチンキ(ヨーチン)に比べて染みず、痛くないことから、学校の保健室や家庭の救急箱には必ず常備されており、擦傷や切傷の絶えない子供たちの膝や肘は赤く染まっているのが定番で、その赤だらけの傷跡が子供たちの”勲章”でもあった。

その絶対的エース・赤チンに赤信号が灯り出したのは1971年。

スプレー・タイプの「マキロン」が登場したからだ。

「マキロン」は、「赤チン」とは異なる無色の消毒薬なので、発売当初、子供たちの間で「白チン」と呼ばれたこともあった。

「赤チン」に追い打ちをかけたのは「マキロン」の登場だけだったわけではない。

原料のマーキュロクロムを製造する際に、副産物として水銀が発生してしまうがために、「赤チン」は1973年に国内での原料製造が終了、次第に時代から取り残され始めたのだ。

三栄製薬・藤森博昭社長(59)によれば、海外からの原料を調達し「赤チン」製造を継続していたメーカーは、2000年代に入るとわずか3社になっていたとのこと。

2015年にはそのうちの1社が倒産、2018年末には残った2社のうちの1社が「赤チン」の製造を終了し、とうとう「赤チン」メーカーが三栄製薬だけになってしまった。

2020年12月31日以降、「水俣条約」(水銀を使用した製品の製造・輸出入を規制する国際条約)により、「赤チン」は蛍光灯等ともに規制対象となることから、三栄製薬も「赤チン」製造に幕を下ろすことになった次第だ。

懐かしい昭和のものが、また1つ消えてゆく。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099