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渋沢栄一が”仏蘭西”で飲んだ珈琲を再現!『渋沢栄一仏蘭西珈琲物語』【連載:アキラの着目】

渋沢栄一が主人公のNHK大河ドラマ『青天を衝け』はなかなかの視聴率で幸先の良い滑り出し。

渋沢栄一もご多分に漏れず、歴代の大河ドラマ主人公のようにグッズが名産品が数多く製造・販売されている。

その中でも『渋沢栄一仏蘭西珈琲物語』という商品名のコーヒー詰合せが好評だ。

渋沢栄一仏蘭西珈琲物語 200g サザコーヒー公式サイトから引用
渋沢栄一仏蘭西珈琲物語 200g
サザコーヒー公式サイトから引用

どのようなコーヒーなのかというと、渋沢栄一がパリ万博使節団として渡仏した際に飲んだ珈琲を、文献を元に再現したものなのだ。

江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の治世に幕臣であったため、使節団に選ばれた渋沢栄一は、さぞかしこの時のコーヒーを堪能したことだろう。

しっかりとしたコクと冷めると甘さの増すコーヒーの『渋沢栄一仏蘭西珈琲物語』。

令和の我々が『渋沢栄一仏蘭西珈琲物語』を飲む際は、そうした渋沢栄一や幕末の歴史に思いを馳せながら頂くと、より一層美味しく飲めることだろう。

【渋沢栄一仏蘭西珈琲物語 200g 詳細】

・商品コード:103500
・価格:1,500 円(税込)
・原産国:イエメン、エチオピア

なお、カップの上に載せて熱湯を注ぐだけの『サザカップオン・渋沢栄一仏蘭西珈琲物語(5P)』もある。

サザカップオン・渋沢栄一仏蘭西珈琲物語(5P) サザコーヒー公式サイトから引用
サザカップオン・渋沢栄一仏蘭西珈琲物語(5P)
サザコーヒー公式サイトから引用

簡単1杯どりのコーヒーだから、コーヒーの初心者でも簡単に楽しむことができるし、自宅はもちろんのこと旅先やオフィスに持参することも可能だ。

贈答品としても人気があり、プレゼントに困ったらタイムリーな『渋沢栄一仏蘭西珈琲物語』を贈ると良いかも。

【サザカップオン・渋沢栄一仏蘭西珈琲物語(5P) 詳細】

・商品コード:112501
・価格:1,000 円(税込)
・焙煎:フレンチロースト
・原産国:イエメン・エチオピア
・内容量:12g×5袋(60g)

■渋沢栄一仏蘭西珈琲物語 200g | コーヒー豆 | サザコーヒー
https://saza.coffee/shopdetail/000000000804

■サザカップオン・渋沢栄一仏蘭西珈琲物語(5P) | サザカップオン | サザコーヒー
https://saza.coffee/shopdetail/000000000805/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

東京の様々な地名の由来 ~恵比寿(東京都渋谷区)~【連載:アキラの着目】

「東京の様々な地名の由来」シリーズで今回取り上げるのは、東京都渋谷区にある恵比寿だ。

先日、恵比寿ガーデンプレイスでサッポロホールディングスが約35年ぶりにビール醸造を再開する方向とのニュースが流れたばかりだが、その背景には地名の由来とも関係があるのだ。

というのも、恵比寿ガーデンプレイスのある場所は元々ビール工場だった場所。

恵比寿ガーデンプレイス ビヤステーション クレタ歯科医院(写真:フォトグラファー 村上千恵様 他多数の方々)から引用
恵比寿ガーデンプレイス ビヤステーション
クレタ歯科医院(写真:フォトグラファー 村上千恵様 他多数の方々)から引用

1887年(明治20年)に日本麦酒醸造会社(現サッポロビール)がこの地にビール工場を建て、ビールの製造が開始された。

1890年(明治23年)にようやく製造されたビールは「ゑびすビール」という名が付けられた。

日本麦酒醸造会社の要望により、1901年(明治34年)にビール工場のすぐ脇を走っていた日本鉄道品川線(品川-赤羽間・現山手線)にビールを輸送するための貨物駅が新たに造られるのだが、日本麦酒醸造会社の製造していたビールに因んでこの駅名を「恵比寿」と命名。

その後、昭和3年には、恵比寿駅東側から港区白金に向うバス通りに沿って、恵比寿通り1丁目・2丁目という町名が付され、現在に至っている。

しかし、そもそもなぜこの地でビールの製造をするようになったのだろうか?

この地には元々江戸幕府が造った用水路「三田用水」という生活インフラがあり、このため安政5年(1858年)以降、外国人居留地ができ、在留外国人が増加したのだ。

それに伴い、この外国人居留地向けのビールが輸入されるようになったのだが、輸送にかかる日数や運賃コスト、そのうえ、高い気温の赤道を超えることによるビールの品質劣化などの問題が生じた。

そこで輸入ビールではなく、日本国内でビールを供給できないかということで、ビールの製造が試みられるようになったのだとか。

ちなみに、「ゑびすビール」の品質が如何ほどのものだったのかというと、1900年(明治33年)開催のパリ万博では、栄えある金賞を受賞するほどの出来栄えだったのだとか。

ビールの製造によって活気を呈し、地名にまでなった恵比寿。

当時の恵比寿は、ビールの製造や輸送に関わっていた男性労働者ばかりで男臭い町だったであろうことは想像に難くないが、今では渋谷を”卒業”した女性たちが上品に闊歩する街へと変貌を遂げている。