空想を駆り立ててくれる「真田幸村の抜け穴」
昨年放送され、大人気を博したNHK大河ドラマ『真田丸』。
今年の2月16日~3月24日にかけて台湾でも2話連続ずつで放送され、かなりの反響があったとのこと。
昨年ほどではないにしろ、いまだに真田丸人気は続いており、真田丸のあった大阪市天王寺区餌差町界隈に足を運ぶマニアも相変わらずいるようだ。
真田丸や真田信繁(幸村)を詳しく知っている人ならば、わかった上で行くものの、よく知らない人が信じ切って行ってしまうスポットもある。
それは「真田幸村の抜け穴」と言い伝えられている洞窟だ。
真田丸が万が一、徳川の大軍に潰されたとしても、この抜け穴を通じ、すぐ北に位置する大坂城まで逃げ延びることができるというのが、この「真田幸村の抜け穴」だ。
この三光神社境内にある檻の蓋をされた洞窟は、真田幸村や真田丸についての空想を駆り立ててくれるアイテムとして長年君臨していた。
最新研究によると「真田幸村の抜け穴」の正体は…
しかし、最新の研究でこの「真田幸村の抜け穴」の正体がわかってきた。
最近、真田丸自体の位置がほぼ特定されたことで、そこから敵・徳川軍の配置もわかり、三光神社のあったエリアは真田丸から外れ、徳川方前田軍がいたことが判明したのだ。
したがって、三光神社の「真田幸村の抜け穴」と言われてきた洞窟は、実は徳川方前田軍の塹壕との説が最有力なのだ。
なぜ徳川方前田軍は塹壕を掘ったのか?
真田丸に接近戦を仕掛けた徳川軍だったが、真田丸からの鉄砲や弓矢のよる一斉砲撃を浴びたことで多数の死傷者を出すに至った。
また、真田丸には従来の火縄銃の2倍以上もある有効射程距離300mを誇る大狭間筒もあったため、徳川方前田軍は容易に真田丸に近づくこともできず、塹壕を掘り進めながら接近戦を挑んだ痕跡が、この塹壕ということなのだ。
4人で抱えているのが大狭間筒
徳川方前田軍の塹壕でも「真田幸村の抜け穴」は観る価値あり
な~んだ、三光神社の「真田幸村の抜け穴」は徳川方前田軍の塹壕なのかと、落胆した人もいるかもしれないが、でもそう思わないでほしい。
むしろ真田丸を観に行ったら、さらに隣にある敵方前田軍の塹壕も観ることができるのだから、一挙両得ではないか!
大阪市天王寺区餌差町の真田丸に行く際は、併せて三光神社の「真田幸村の抜け穴」こと徳川方前田軍の塹壕もしっかり忘れずに観ておこう。