FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第18弾。
ではいつもの通り早速問題へ。
Q1.ここは東京のどこなのか?
Q2.ここは東京のどこなのか?
Q3.ここは東京のどこなのか?
おわかりになったであろうか。では順番に正解を発表する。
A1.西新橋交番前
正解は西新橋交番前。
角に蕎麦屋の「砂場」があり、その対面にキッコーマン株式会社東京本社がある交差点だ。
浮世絵は「名所江戸百景 愛宕下藪小路」で、文化11年~弘化4年(1814~47)の間に製作されたもの。
愛宕下藪小路は、出世の神様で知られている愛宕神社のある愛宕山の北側、現在の虎ノ門一丁目にあった。
竹藪を流れる川は桜川で、愛宕山の石段前へ続いていたが暗渠となった。
位置的には虎ノ門ヒルズのそばであるが、かつては「名所江戸百景 愛宕下藪小路」にあるとおり、小川が流れる長閑な風景があったのだ。
A2.品川御殿山
2枚めの正解は品川御殿山。
元々は江戸庶民のための花見の名所だった品川御殿山。
江戸湾を眺望でき、そこを行き交う帆船を観るために遊脚が来て賑わったとのこと。
浮世絵は「名所江戸百景 品川御殿やま」で、崖下には東海道が通り、品川宿(現在の北品川)が近くにあった。
ペリーの黒船再来航に備えるために、江戸湾に台場を築くことになり、その土はこの品川御殿山を崩して運ばれた。
幕末の頃には、すでに”再開発”があったのだ。
A3.溜池
正解は溜池。
浮世絵は、歌川広重「名所江戸百景」の第48景「赤坂桐畑」。
過去のニッポンニュース「ここは一体東京のどこ?」でも何回か取り上げてきた溜池だが、またしても登場だ。
江戸時代初期に湧き水を堰止めて造られた溜池は、池のへりを補強する目的で多くの桐の木が植えられていた。
なので、この周辺は「赤坂桐畑」と呼ばれていたとのこと。
江戸庶民の飲料水として機能していた溜池だが、明治になってから池は徐々に埋め立てられ、現在では地名にだけしか「池」は残っていない。
では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。
西新橋交番前の今昔
品川御殿山の今昔
溜池の今昔
今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。