東京と一口でいっても、様々な街がある。
渋谷、新宿、池袋、恵比寿、代官山、上野、秋葉原…。
挙げていけば、キリがないくらい東京には様々な地名が存在する。
これら東京の様々な地名は、どうやって名づけられたのか、いくつか取り上げたい。
六本木は6つの大名屋敷があったから、この地名がついた!?
世界的にも有名な東京の繁華街が、皆さんご存知の六本木。
地方から来た、よく東京を知らない人は、六本木があるくらいなんだから、東京にはまだ他に「一本木」、「二本木」、「三本木」、「四本木」等、があるんじゃないかと思ってる人もいるようだ。
でも実際に東京に存在するのは六本木と五本木だけなのだが。
話が横道に逸れてしまった、本道に戻そう。
この六本木という地名は、諸説あるが、元々この地に6つの大名屋敷があったことから由来しているとの説が最有力と考えられている。
その大名屋敷とは「上杉」、「朽木」、「青木」、「片桐」、「高木」、「一柳」であり、どの家も「木」に関係した苗字で「六つの木の付く苗字のお殿様の屋敷があった」ことから、「六本木」の地名がついたといわれている。
江戸時代の切絵図を確認すると、上杉家屋敷は飯倉片町、朽木家は赤坂今井谷、片桐家は麻布鳥居坂、高木家は麻布笄橋、一柳家は西新橋付近にあったようだが、現在の感覚だと西新橋は六本木に含めてはダメでしょ、という感じだ。
でも昔の江戸では、赤坂氷川神社から六本木、飯倉、西新橋くらいまでの広範なエリア一帯をまとめて六本木くらいに考えていたのかもしれない。
溜池
赤坂見附から新橋にかけて内堀通りを通ると、「溜池交差点」を必ず通過する。
若い頃の筆者は、「池なんて何もない場所なのに、なぜ溜池というのかな?」と思っていた。
ところが、江戸切絵図を見たら、なるほど、昔は実際に「溜池」が存在していたのだ。
この溜池は、江戸町民の飲料水として利用され、明治期になってから徐々に埋め立てられ、現在に至っている。
丸の内
東京駅の西側一帯は丸の内と呼ばれ、高層のオフィスビルが立ち並ぶ日本の中枢エリアだ。
この丸の内の地名の由来は「”丸”の内側にあるエリア」、つまり近世城郭の敷地を「丸」というのだが、江戸城の内側の土地ですよ、という意味で、丸の内といわれるようになった。
余談だが、近世城郭と異なる中世城郭だと城の敷地を「丸」とはいわずに、「郭」(くるわ)というので、近世城郭でいうところの「本丸」は「本郭」といったりする。
とりあえず3つしか取り上げなかったが、今後も時折、東京の地名の由来について、書いてゆきたいと思う。