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東京の様々な地名の由来 ~赤坂見附~【連載:アキラの着目】

東京の地名の由来に関する記事の第2弾だ。

今回は赤坂見附を取り上げる。

赤坂見附を直訳すると…

国会議事堂や政党がある永田町とは乗換駅として繋がっている赤坂見附。

赤坂見附の西側エリアは、赤坂の歓楽街があり、前述した永田町とは対照的だ。

赤坂TBS前
赤坂TBS前

その赤坂を隣に従えている赤坂見附だが、赤坂見附を”直訳”すると、「赤坂の見張り所」という意味になる。

「見附」は、街道や交通の要所に配置された見張り所で、徳川将軍のいる江戸城には、見附がこの赤坂見附を含めて36ヵ所あり、「江戸三十六見附」と称された。

赤坂見附石垣
赤坂見附石垣赤坂見附城門石垣

赤坂見附は城郭考古学的にいうと「枡形虎口」

”見張り所”である赤坂見附は、城郭考古学的にいうと「枡形虎口」(ますがたこぐち)という部類の城門になる。

「枡形虎口」とは、酒を飲む枡のような四角形をしている部分を持った虎口(出入口)という意味で、必ず入口と出口を繋ぐ進路を直角に折り曲げる構造になっている。

なぜ直角に折り曲げているのかというと、理由は2つある。

1つは、入口と出口の進路が一直線だと、敵の侵入をたやすくさせてしまい、勢いが乗った状態で突破されてしまうから、敵の勢いを削ぐために直角に折り曲げている。

もう1つは、入口と出口の進路を直角に折り曲げることで、味方の攻撃を前方と側面の2方面からできるようになるからだ。

赤坂見附 構造図

そのうえこの赤坂見附は、枡形を石垣で組み、入口部分に高麗門を配しており、かなり頑丈な構造だった。

というのも、この見附を突破されたら、江戸城の外堀の内側エリアに侵入されることになるから、鉄壁な造りにしていたのだ。

昔の写真を見ると、当然のことながら、高麗門を支える右側にも石垣があるが、現在は左側部分の石垣しか遺っていない。

明治初期の赤坂見附御門
明治初期の赤坂見附御門

しかし、他の江戸城の見附・城門に比べれば、石垣がかなり遺されている方だ。

現在の赤坂見附

清水谷や紀尾井町方面に行く際に渡る弁慶橋からでも赤坂見附は望めるので、永田町・赤坂見附界隈に出向いた際は、赤坂見附の石垣を見るとよいだろう。

弁慶橋から望む赤坂見附石垣

地下鉄路線図

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099