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浅野内匠頭長矩と赤穂四十七義士が眠る泉岳寺(東京都港区)【連載:アキラの着目】

今回取り上げるのは、青松寺、総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺の1つに数えられる萬松山泉岳寺(以下文中表記は泉岳寺)だ。

泉岳寺は、慶長17年(1612年)に徳川家康が、幼少時に身を寄せた今川義元の菩提を弔うために、門庵宗関和尚(1546年~1621年)を招いて、江戸城近接の外桜田に創建された曹洞宗の寺院だ。

寛永18年(1641年)寛永の大火によって泉岳寺は伽藍を焼失し、三代将軍・徳川家光(1604年~1651年)の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷(みずのや)の5大名により、現在の高輪の地に移転再建された(正保年間〈1644年~1648年〉という説もあり)。

筆者にとっての泉岳寺は、家康がどうこう、家光がどうこう、というよりも、やはり浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)と赤穂四十七義士の墓所がある寺院としての印象が強い。

よくご存知ではない人のために、簡単に浅野内匠頭長矩と赤穂四十七義士による「赤穂事件」(「忠臣蔵」、「赤穂義士伝」ともいわれている)について説明すると…。

江戸城松之大廊下で高家の吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩が切腹に処せられた。

この一件では、一方的に浅野内匠頭長矩のみが切腹で、吉良上野介にはお咎めなしという裁定が下され、なおかつ赤穂藩浅野家は改易(お家取り潰し)になったことで、浅野内匠頭長矩家臣の大石内蔵助良雄以下赤穂四十七義士が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討って、主君の敵討ちを果たした。

その後、赤穂四十七義士は、徳川幕府から切腹を命じられ、ゆえに、彼らの墓所がこの泉岳寺にあるということなのだ。

では、前置きはこれくらいにして、実際に行ってみよう。

都営浅草線・泉岳寺駅西側に位置する坂を登った突き当りに泉岳寺はある。

ちょうど坂を登りきった辺り(伊皿子坂の起点)に、泉岳寺周辺の地理を把握できる「高輪潮の香散歩」という地図があるのだが、

泉岳寺周辺の地理を把握できる「高輪潮の香散歩」という地図

この地図を見ても見なくても、真正面には泉岳寺中門をしっかりと視認でき、

泉岳寺中門
泉岳寺中門
 

さらに奥の泉岳寺山門(「泉岳寺」と書かれた扁額)も視認できる。 

まずはとにかくこの泉岳寺中門を潜り、泉岳寺山門に到達しよう。

泉岳寺山門を潜る前に、門右手に泉岳寺境内の地図と、大石内蔵助良雄(おおうちくらすけよしお/よしたか)の銅像があるので、それらを見てから参拝する。

泉岳寺境内の地図
泉岳寺境内の地図

大石内蔵助良雄(おおうちくらすけよしお/よしたか)銅像
大石内蔵助良雄(おおうちくらすけよしお/よしたか)銅像

大石内蔵助良雄は、江戸本所の吉良屋敷表門に突入した大将で、赤穂四十七義士のリーダー的存在だ。

泉岳寺山門
泉岳寺山門

泉岳寺山門を潜ると、横広な本堂が視界に飛び込んでくる。

筆者は、あえて松の木越しに見たくて、そのポイントでスマホカメラを使って撮影。

松の木越しに見える泉岳寺本堂
松の木越しに見える泉岳寺本堂

↓は、今潜った泉岳寺山門の方を見返した写真で、先ほどの写真は、まさにこの斜めに聳え立つ松の木越しから撮影した。

泉岳寺山門
泉岳寺山門

本堂で参拝した後に撮影したのが↓の写真。

斜めから撮影した泉岳寺本堂
斜めから撮影した泉岳寺本堂

ここでもやはり、独特のうねりで成長した松の木を見ることができる。

さらに本堂南側に回り込むと、澤木興道(1880年~1965年)老師の銅像が現れる。

泉岳寺本堂と澤木興道の銅像
泉岳寺本堂と澤木興道の銅像

浅野内匠頭長矩と赤穂四十七義士の墓所は、泉岳寺山門南側の一角に「義士墓所」の立て札があるので、それに従って南方向に歩こう。

泉岳寺山門南側の一角にある「義士墓所」立て札
泉岳寺山門南側の一角にある「義士墓所」立て札

すると、「主税梅(ちからうめ)」なる梅の木が現れる。

この「主税梅」は、大石良金(おおいしよしかね)こと大石主税(おおいしちから)が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていたと伝えられている梅なのだとか。

主税梅(ちからうめ)
主税梅(ちからうめ)

「主税梅」のすぐ脇が国指定史跡「赤穂義士墓所」の入口だ。

国指定史跡「赤穂義士墓所」入口
国指定史跡「赤穂義士墓所」入口

ちなみに筆者が行った時は、ちょうど前方から戻ってくる西洋人カップルと出くわした。

「赤穂義士墓所」入口を進むと、左手には「赤穂義士記念館」が、

赤穂義士記念館
赤穂義士記念館

右手には「義士木像館」があり、これらには別の機会に立ち寄ろうかと。

義士木像館
義士木像館

さらに進むと、「義士墓入口の門」がお出迎え。

義士墓入口の門
義士墓入口の門

この門を潜ると、線香売り場があるので、そこで線香一束(税込100円)を購入し、義士たちへ線香をあげよう。

墓所には、来訪者のために墓の位置を記した「義士墓解説」が和文、英文2種類があり、これでどの墓が誰なのか把握できる。

義士墓解説(和文)
義士墓解説(和文)

義士墓解説(英文)
義士墓解説(英文)

筆者も他の訪問者同様に、義士たちの墓に線香をあげたのだが、墓石に刻まれた「享年」を見ると、20代、30代の若い義士たちが多く、彼らの多くが短い人生だったことに衝撃を受けた。

こう言ってしまうと、非常に失礼極まりないのだが、サラリーマンに例えると、てっきり中高年の役職クラスばかりだろう、という勝手なイメージを持っていただけに、呆気にとられてしまった。

個別に墓を撮影することはしなかったが、引いたアングルでは2枚撮影。

義士墓
義士墓

今回は駆け足で廻ってしまったこともあり、次に参る際は、もう少しじっくりと廻ってみようかと思った次第だ。

■曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺
http://www.sengakuji.or.jp/

・所在地:東京都港区高輪2-11-1
・アクセス:都営浅草線 泉岳寺駅下車(A2出口) 徒歩1分 約200m

※線香の料金は2018年3月6日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099