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プリンスホテルはなぜプリンスホテルと命名されたのか?【連載:アキラの着目】

名だたる大物歌手がクリスマス・パーティや「●●周年記念リサイタル」などを開催する場所は大抵有名どころの都心ホテルだ。

特にグランドプリンスホテル高輪(東京都港区高輪)や、かつてバブルの華やかりし頃の赤坂プリンスホテル(通称:赤プリ。2011年3月閉館)などが、そういった会場として頻繁に利用されたものだ。

これらプリンスホテルは、西武グループのホテル・レジャー部門を担う「株式会社プリンスホテル」が事業を展開しているのだが、なぜプリンスホテルというブランド名にしたのだろうか?

これにはちゃんとしたわけがあるのだ。

1953年開業のグランドプリンスホテル高輪が建っている場所は、元々皇族であった竹田宮の邸宅があった所。
グランドプリンスホテル高輪が建っている場所は、元々皇族であった竹田宮の邸宅があった所

第2次世界大戦で日本が無条件降伏し、GHQのメスが皇室にまで及び、幾つかの名門・宮家が廃止されたのだ。

その結果、竹田宮家は皇室離脱を余儀なくされ、いわゆる平民扱いにされることに。

皇族であれば、国家予算で生活が保証されるのだが、皇室離脱ともなると生活に支障が出てしまう。

そういう生活に困窮した旧宮家の土地を西武グループは購入しホテルを開業、そのホテルのブランドを「プリンスホテル」としたのだ。

その際、生活に困窮された旧宮家の方々を西武グループ、すなわち「プリンスホテル」は雇用し、宮家の方々の生活を安定させることに大きく貢献した。

ちなみに前述の赤坂プリンスホテルがあった場所は、明治時代にまで遡れば、北白川宮邸があり、その後は旧大韓帝国・李王の邸宅があった場所だ。

なので、グランドプリンスホテル高輪や、今はなき赤坂プリンスホテルは、都心にしてはかなり立地条件が良かったり、やたらと綺麗な庭園があるのは、旧宮家の土地だったからなのだ。

東京は、現在も生き物のごとく街が変革し続けている。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099